左から小沼大地氏、小泉文明氏、小松洋介氏
「20代で起業したい」
「社会にインパクトを与える大きな事業を起こしたい」
「自らの力を試し、新規事業を創りたい」
そのような想いから、将来的に起業を考えている、もしくは既に起業に向け行動を起こし始めている方も少なくないのではないだろうか。外から見ると光り輝いて見える起業家やスタートアップの世界だが、実際には険しい道を進み、幾多の大きな壁を越えなければならない。では、そのような困難を乗り越え社会にインパクトを与える力を持つ優れた事業家になるためには、「どのような環境」で「どのようなスキル・経験」を身につけることが求められるのだろうか。
優れた事業家を輩出するためのプログラム「VENTURE FOR JAPAN」が2019年に始まり、注目を集めている。「VENTURE FOR JAPAN」は経営者を目指す新卒・第二新卒の若者に2年間限定でイノベーションが多発している地域のベンチャー企業の経営者の「右腕」としての働く機会を提供することで、優れた事業家人材へと飛躍するサポートを行うプログラムだ。ETIC.も事業パートナーとして参画し、現在さまざまな計画に携わっている。今回の記事では、「VENTURE FOR JAPAN」を手掛けるNPO法人アスヘノキボウ代表理事・小松洋介氏が、日本を代表する若手経営者であり同プログラムのアドバイザー・サポーターでもある、株式会社メルカリ会長・小泉文明氏とNPO法人クロスフィールズ代表理事・小沼大地氏に話を聞いた。
インタビュイー
小泉文明氏
大和証券SMBCにてミクシィやDeNAなどのネット企業を上場に導き、その後複数のベンチャー企業を支援、株式会社メルカリ取締役社長兼COOとして同社を牽引し、2019年に取締役会長兼株式会社鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長に就任。
小沼大地氏
NPO法人クロスフィールズ代表理事。日経ソーシャルイニシアチブ大賞新人賞やハーバード・ビジネス・レビュー「未来をつくるU-40経営者20人」などの受賞歴を持つ、日本を代表する社会起業家の一人。
青年海外協力隊を経て、ビジネスを学ぶためマッキンゼー・アンド・カンパニーで勤務した後、NPO法人クロスフィールズを創業。日本企業の社員と発展途上国のNGOや社会的企業をつなぐ「留職プログラム」などの事業を運営している。
聞き手
小松洋介氏
NPO法人アスヘノキボウ代表理事。株式会社リクルートを経て、東日本大震災の被災地である宮城県女川町で復興支援に関わる。その後、NPO法人アスヘノキボウを設立し、データ事業(地域課題の見える化)、予防医療事業(医療費対策)、活動人口創出事業(人口減少対策)等を実施。”就活”の画一性故に事業家人材が育ちづらい我が国への危機意識から、2019年「VENTURE FOR JAPAN」事業を開始。2014年 AERA「日本を突破する100人」、2017年 Forbes Japan「ローカルイノベーター88人」等受賞。
━━まず、お二人の20代を振り返り、どのような過ごし方をされていたかを教えていただけますか?
小泉:僕は高校時代、「裏原系」のファッションに興味を持ち、東京で買い付けては地方の人に販売する事業を始めました。その流れで大学でもアルバイトをすることなく事業を継続していて、正直言って結構稼いでいました。しかし、そんなに簡単に稼いでいてはろくな大人になれないのではないかと思い、お金の苦労話を知ろうと思って大和証券に入りました。そこではIT企業のM&AやIPOのアドバイザーの仕事をしました。例えばDeNAやミクシィもまだ小さかった頃から担当させていただきました。証券会社のIPOといえばガバナンスや目論見書等のペーパーワーク的なものが多いのですが僕は当時から事業に関心があり、クライアントの組織戦略や事業計画等を含め、自分の仕事にリミッターを掛けずに企業価値が上がることは何でもやりました。そして、27歳でクライアントであったミクシィに移り、取締役に就任しました。ミクシィでは色々な失敗をしたのですが、その経験がメルカリをつくる時に活きています。
━━会社から言われた範囲を超えてやっていたということでしょうか?
小泉:そうですね。結構自分の判断でIT企業に提案に行ったりしていました。もっとも、先輩社員からそれだけ信頼してもらっていたということの裏返しではあります。僕は、社会人は20代で勝負がつくと思っていたので、本当にとにかくずっと働いていました。だから20代では合コンには一度も行ったことがありません(笑)。なお、働くにしても、勝ちグセのある組織で働くことが大切だと思っています。勝ちグセのある組織には、勝つために努力している人達がいます。そういう組織では仕事のできる先輩が添削してくれることがあったり、また、大体みんな忙しいので「若いけどお前ちょっとやってみろ」と新しい挑戦ができたりします。そうして視線を高めながら挑戦を繰り返すことで、新たなチャンスを得ることに繋がります。僕は勝ちグセのある組織で20代を過ごすことができたので、とてもありがたかったと思っています。
━━小沼さんの20代はどうでしょうか?
小沼:僕は、大学は部活一辺倒で、一橋大学のラクロス部主将を務め、21歳以下の日本代表にも選ばれました。ただ、部活と並行して海外旅行にはよく行っており、インドやカンボジアに行っていました。卒業後は青年海外協力隊に参加して、中東のシリアでマイクロファイナンスを通じた支援事業を2年間行いました。ラクロスにしても青年海外協力隊にしても、僕は人のやらないようなニッチなことをやるのが好きなのです。ニッチだからこそ、ラクロスでも日本代表に選ばれるまでになれたと思っています。サッカーだとこれは難しい。
また、青年海外協力隊の後、多くの人はその後大学院などに行きますが、やはり人と違うことをと思って、ビジネスの世界を選び、マッキンゼーへ入りました。青年海外協力隊経験者でコンサルティングの世界へ行ったのは、僕が史上初めてです。26歳にして日本で唯一という稀有な存在になると、その後のキャリアを他と比較するようなことに何の意味も感じなくなります。結果、マッキンゼーを退職し、28歳でクロスフィールズを立ち上げるに至っています。これからベンチャーブームなのもわかってはいましたが、あえて会社ではなくNPOで起業するという道を選びました。
━━お二人は、20代の頃、どのようにして「やるべきこと」を選んできたのですか?
小沼:僕の場合は、得意なことではなく、人と違うことをやるのがいいと思っていました。人間は選択肢が多ければ多い程何が良いのかわからなくなって溺れてしまいます。狭めていくアプローチこそ大切です。僕の場合は人がやらないことを選ぶことで、選択肢を狭めていきました。自分が関心を持ったことが他者の興味と違ったら、少しやってみる。うまくいったらもっとやってみる。このプロセスを繰り返して掛け算をしていくと、唯一無二の人間になることができます。
小泉:僕の場合は自分が好きなことを素直にやってきました。好きなことを選んでいれば、成功してもしなくても自分で責任を取る覚悟ができます。逆に嫌なことをイヤイヤやっていると将来死ぬとなった時に後悔するんじゃないかと思うのです。実は親しい友達を結構亡くしているので、死というものを身近に感じており、死ぬ時に僕は後悔したくないと思うようになりました。
小沼:死を意識するというのは実は僕もそうなのです。僕の場合、慕っていた先輩をがんで亡くしたのがきっかけです。マッキンゼーを辞めて起業したことについて、「何でそんなリスクを取れるのですか?」とよく聞かれるのですが、僕にとっては死ぬ時に後悔することこそが一番のリスクです。いざ死ぬ時に「あの時、自分はあれをやらなかった。やりきれないな」と後悔したくないのです。後悔しないよう自分がやりたいと心底思うことをする。起業したのはその一環です。「やるべきこと」には、自分が興味のあることはもちろんですが、使命感や怒りに紐づくものもあります。例えば昨今のシリアの悲惨な状況に対して、怒りを感じながらも何もすることなく生きてそのまま死ぬこととなったら、「やるべきこと」をしなかったと、とても後悔するだろうなと思っています。
>>後編はこちら
メルカリ小泉会長とクロスフィールズ小沼代表理事が考える「イノベーションを実現する”事業家人材”の条件」<後編>優れた「事業家人材」になるために求められる経験
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