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#経営・組織論

「アントレプレナーは世界のどこにでもいる」沸き立つアジアのソーシャルアントレプレナーたち(5)加藤轍生さん寄稿

2014.05.24 

京都市が開催するとあるセッションに招かれた時に僕はこんなことを言った。

 

「”京都市”の問題は本当に”京都市”の問題なのか?」

「関西圏において、”京都市”という巨大な力は、”京都市”という限られた区域の問題解決だけを考えるのがいいのか」

「通勤圏として考えるのであれば、関西全体を考えた方が現実的だし、環境を考えるならば、京都・滋賀という流域圏を考えた方がいいのではないか」と。

 

そう、当時は一つの思考実験にすぎなかったが、僕は「日本の問題は本当に日本の問題なのか」ということをずっと考えてきた。

 

「食料問題は人口が急増する南アジアを抜きに考えるのが現実的なのか」、「環境汚染は偏西風によって中国から運ばれるけれど、我々は中国の環境問題を解決しようとしないのか」ということを。

 

そんなときに、スリランカで出会った日本人に「お金が余っているなら、農地を買えばいいんだよ。日本国内でしかリスクヘッジができないなんて思考は馬鹿げている」と言われた。彼は、食料自給率や日本の食の安全を考えるなら、”日本人”が所有している土地やそこからの自給率を考えてみる方が現実的じゃないか、と僕に話してくれた。

 

そう。”社会”の問題を国境で区切る意味は薄れてきているし、そこに選択的でない、ということ自体がもはや社会問題を再生産しているのかもしれない。

タイが直面する発展のジレンマ。経済がすべてを解決する訳ではなかった

さて、今回の話題はタイのソーシャル・イノベーションだ。

 

日本や米国の開発援助、植民地支配を経験しなかったという歴史的背景、米国のアショカ財団の早期の進出。さらには、度重なる経済危機とクーデターも含めた政治的な不安定さと経済的不平等の累積。そんなことを背景にタイの若者たちは新しい未来をつくり始めた。(その変化の中核を担う社会起業家、スニット・シュレスタの記事を翻訳したものがある。タイの社会変革の変化の歴史的文脈を知るためにもぜひ、御覧頂きたい)

 

僕が最初にタイを訪れたのは、20世紀が21世紀に変わる頃だった。当時、社会問題を解決する民間のプレイヤーといえば、その担い手の多くはNGOで、柔和な顔をした人たちが多かったことを覚えている。経済が発展する中で、多くの問題は解決されつつある。その一方、発展が生む新たなジレンマにも向き合ってきた。

もし、あなたの「生業」が法律で禁止されてしまったら

もし、阿片の栽培を生業とする民族が居て、国家が国家として成り立つ過程で、もし、そんな「生業」が国家によって禁止されたらどうなるだろう?

 

そう。タイが国家としての体を創り上げる中で、阿片の取引は禁止され、処罰も強化された。そして、もともと貧しいと言われたアカ族という少数民族は更なる没落を余儀なくされた。それは、人身売買の取引の中でも良く名の挙がる民族のことだった。

 

例えば、タイ王室の主導によって行われたドイチュン・プロジェクトはタイの少数民族の地位や社会を守ろうとしてとして行われた「まちづくり」だった。少数民族の文化や居住する地域の資源に目を向け、彼等の伝統を尊重する形で、珈琲やマガデミナッツ、陶器や織物の産業化が行われた。

 

ドイチュン・プロジェクトの独自性は、「社会開発」と「産業開発」をセットで行い、少数民族の持っていた可能性に目を向けたという点だ。少数民族が産業開発の当事者としての役割を担うこと。経済開発に取り残されないスピードで、彼の資源を価値に変えて行くこと。教育や衛生を充実させること。そして、持続可能な形で観光開発を行うこと。珈琲等の自然資源や民族独自の文化、伝統を産品に変えて、その収入を社会開発の維持に還元すること。彼等がやったことはそんな”あたりまえのこと”だった。だけれど、そんなあたりまえの機会を少数者に提供してくれたのは、タイ王室だけだった。

社会の歪みをどう越えていくか

経済発展はフラットな形で起こるわけじゃなくて、不平等な形で富や機会は拡散する。ご存じだろうか、タイの近年の政乱の背景にあるのは、日本人が簡単には想像できないほどの経済格差だということを。首都バンコク市内とタイ東北部の平均収入の格差は、7倍以上の開きがある。人口の約3分の1を占める東北部で暮らす人々と首都で暮らす約6分の1の人々の間に、7倍以上の格差があるのだ。

 

首都で働けば、車だって買うことができるのに、東北部では汗水たらして働いても、貯蓄すらできないことがある。(数字はGross Regional and Provincial Product 2010 NESDB 2011を参照した) 社会問題の色彩が変わる中、もっと自然な形の未来を求め始めた若者達の台頭が続いた。

 

なぜ、他国の援助に頼らないといけないのだろうか。ビジネスは強欲というだけでいいのだろうか。NGOではインパクトや持続可能性は実現できないのか。自分の故郷をどうやったら変えられるのか、家族を売らざるを得なかった友人や親戚をなんとかできないのか。万人に良い教育をもたらすにはどうすればいいのか。問題はアントレプレナーの想像力を掻き立て、解決策の創造を促す。

新世代のビジネスモデルを持って挑む起業家たち

2009年に取材した当時のタイでは、「NGOっぽい」チャレンジが多かった。ビジネスモデルは脆弱だし、事業の拡大に疑問符が着くものも少なくなかった。現地で受益者に評価されているものは少なくなかったが、発展を遂げる中で資金源の不透明性が増していた頃だった。

 

タイが中進国化する中で、ODAや開発援助の資金供給は激減し、多くのNGOが財源の自立化を迫られていた。 まだ、数年しか経っていないけれど、時代は変わった。僕はそう思わされた。そう痛感させてくれたのは、Local Alikeというソーシャル・ベンチャーを立ち上げたソムサック・ブンカムだ。事業戦略も理解し、タイのローカルNGOでコミュニティ開発の経験もあり、かつ、事業の拡大を実現できるだけの”準備”ができている。

 

彼は「タイの田舎で生まれて、たまたま、学校に行けたんだ」と僕に告げる。たまたまエンジニアの職を見つけることができて、お金を貯め、アメリカでMBAを取得。帰国後NGOで働いて、起業した。自分が育った地域にはまだまだチャンスがなくて、自分が教育を受けることができたり、仕事を見つけることができたりしたのは幸運な偶然に過ぎなかった、と。そう、彼は自覚していたし、自覚するだけの格差が目に見えるところにあった。そういった閉ざされた地域を開く手段として、「観光や地域開発を考えなおすことができないか」と彼は続けた。

 

彼は「観光をもっと地域のために使えないのか?」っていう単純な疑問に向き合おうとしている。なぜ、地域にお金が落ちなくて、旅行代理店だけが儲かるのだろうか。開発という名の下に資金が使われた結果、地域に残るのはなぜ「ハコモノ」だけなのか。商業化が地域の文化を蝕むのはなぜなんだろう。そう思い悩んだ結果。「地域を主体とした観光開発」、もしくは、「持続可能な観光」を実現できないか。

 

そんな問いかけは、そのためのITを活用したプラットフォーム型のビジネスモデルに変わった。タイは東南アジアでは最大規模の観光市場であり、そこから、世界を目指すのは彼にとって自然な選択だった。 そう。彼と話した感覚は優れたビジネス・アントレプレナーと話した感覚の方がより近い。ITをレバレッジにする、というのが当たり前という感覚。規模が必要な事業は、最初から規模を考え、世界に挑むことを前提にする。そんなことを話すソムサックと話すのは楽しかった。

Local Alike

売るだけから、付加価値を創るところまで―フェアトレード新世代の挑戦

僕が出会ったもう一人のアントレプレナーは、タイでフェアトレードにチャレンジしている。きっと今も彼女はバタバタ駆け回っているだろうな、と思いながら僕は文章を書いている。

 

英語は堪能ではなかったけれど、彼女の身振りや手振りを見ていると、なんとなく彼女の言いたいことがわかったような気になる。自分のイベントなのに名刺も持ち合わせていないけれど、彼女の「製品」には興味がそそられた。 彼女はタイの伝統的なシルク織にオーガニック・コットンでパターンを作り、伝統に新しい風を送り込もうとする。服飾デザイン出身の彼女は製造工程まで変革しないと、何も変わらないから、ってチャレンジを始める。

 

シルク織の典型的な問題は、高い、遅い、だ。いくらデザインを改善しても、その構造はなかなか変わらない。高コスト体質で、「ビジネス」にはなかなか成長しづらい。彼女は、オーガニック・コットンを組み合わせることで、納期を短縮し、製造効率を3倍に上げたという。それは、シルク織に新しいマーケットを創り出しただけではなくて、もちろん、地域の雇用にも直結する。

 

「フェアトレード」って言うと、未だに売るだけ、デザインを焼き直すだけっていうプレイヤーが大半を占めている。たしかに、先進国の人が途上国の物を買う流れは生まれたけれど、現地に新しい産業が生まれたわけではなかった。それは、現地の若者達にとって、挑戦的な課題として映る。「私たちの伝統の価値を世界に伝えるにはどうすればいいんだろう」って。

 

そんな彼女の野心を表すように、彼女のブランドネームは、"Go weNt Gone"という。大文字と小文字が混ざっているのは、一種のギャル語のような表記だけれど、もしも、この意図を自由にくみ取るとすれば、「過去と未来って、何だろう」ということかもしれない。

イノベーションは足下にある。イノベーションは人と人との関係性だから

心臓の手術を経て体力や身体の機能が少し落ちてしまったこともあって、これからやろうとしていることに対して、自分は力不足だなあ、と思っていた。

 

でも、こういった社会起業家と日々接していると自然と力が沸いてくる。そういう環境はとてもいいなと思い始めた。自然に力が着くし、力が沸く。もっとやろうよ、という気にさせられる。 そう、イノベーションって結局のところ、小さな関係性や出会いだったりする。こういうアジアの起業家達がもっとクリエイティブに競争したり、共創したりする仕組みを創っていきたい。

 

現れ始めているイノベーションに信頼関係がちゃんと埋め込まれて、織り込まれて行けば、もっと良い社会がつくれるんじゃないか、直感的に思うんだよね。 そう、僕の提案は、冒頭に述べたように、「一緒に考えようよ」、「まず、足を運んでみようよ」ということだけだ。それだけで複雑に捻れてしまった社会も変えられるのかもしれない。

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加藤 轍生

WIA Lab Inc.代表取締役/1980年大阪市に生まれる。喘息患者として公害病認定され、小学校時代の3年間を療養生活に費やす。経済成長の渦中のアジアを旅する中で、過去の日本と同じ構造の社会問題が再生産されているにも関わらず、それを解決するイノベーションが移転されてないことを知る。 大学在学中より、独立系のベンチャーキャピタルで事業開発の経験を積み、経営コンサルタントとして独立。その後、非営利セクターの事業開発に転じる。09年より、アジア圏での事業開発に軸足を移し、2011年に震災復興に挑戦する社会起業家への投資を行うWorld in Asiaを立ち上げ。以降、アジアの社会的投資のアクターとして活動する。著書に「辺境から世界を変える」(ダイヤモンド社)

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