東日本大震災から10年となる今年。みちのく復興事業パートナーズ*1 は、これまでの東北復興の実践を通じてこれからの社会を考える「第9回みちのく復興事業シンポジウム」を開催しました。
今年のテーマは「東北から問い直す。働く、暮らす、生きる。」。新型コロナウィルスの影響で加速した働き方や暮らし方の転換が問われる今、東北でこの10年間で積み重ねられた実践を再定義することが、先の見えないこれからの社会の羅針盤になるのではないか。そのような認識に立ち、これからの社会と人の在り方を考察しようと試みました。
本記事では、高橋博之氏(株式会社ポケットマルシェ代表取締役、NPO法人東北開墾 代表理事)と今村久美氏(認定NPO法人カタリバ 代表理事)の対談をご紹介します。
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閉塞感のある社会に必要なのは、使われていないものを活かす方法。津田大介さん・巻組渡邊さん対談
*1 東北で活動する起業家、NPO・団体とその活動を企業が連携して支えるプラットフォーム。2020年度は、花王株式会社、株式会社ジェーシービー、株式会社電通、株式会社ベネッセホールディングスの4社が参画。
「文句を言うだけ」ではなく、「実行する」政治の道へ
今村:認定NPO法人カタリバを経営している今村久美です。カタリバは20年前に立ち上げ、学習支援などを通じたこどもたちの居場所づくりを行なっています。震災後、私は東北に移住して、岩手県大槌町(おおつちちょう)と宮城県女川町(おながわちょう)で「被災地の放課後学校 コラボ・スクール」を運営しています。
今村 久美(いまむら・くみ)氏
認定NPO法人カタリバ 代表理事
慶應義塾大学卒。2001年にNPOカタリバを設立し、高校生のためのキャリア学習プログラム「カタリ場」を開始。2011年の東日本大震災以降は子どもたちに学びの場と居場所を提供、2020年には、経済的事情を抱える家庭にPCとWi-Fiを無償貸与し学習支援を行う「キッカケプログラム」を開始するなど、社会の変化に応じてさまざまな教育活動に取り組む。慶應義塾大学総合政策学部特別非常勤教授。ハタチ基金代表理事。地域・教育魅力化プラットフォーム理事。 2015年より、文部科学省中央教育審議会委員。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 文化・教育委員会委員。教育再生実行会議初等中等教育ワーキング・グループ委員。
高橋:僕は岩手県花巻市(はなまきし)出身です。以前は岩手県議会議員を務め、知事選にも立候補したのですが敗退してしまいました。その後、自分で「東北食べる通信」という事業を立ち上げました。東北食べる通信とは生産者と消費者をつなぐ取り組みで、生産者の物語を取材してまとめた情報誌と、実際に収穫した食べものをセットで届ける「食べもの付き情報誌」です。2013年からは「食べる通信」モデルの全国展開がスタートしています。現在は、生産者が旬の食材を出品・販売できるオンラインマルシェ「ポケットマルシェ」を運営しています。
高橋 博之(たかはし・ひろゆき)氏
株式会社ポケットマルシェ 代表取締役、NPO法人東北開墾 代表理事
岩手県花巻市生まれ。岩手県議会議員を経て、2013年、東北開墾を立ち上げ、食べもの付き情報誌「東北食べる通信」編集長に就任。14年、「日本食べる通信リーグ」を創設。16年、「一次産業を情報産業に変える」をコンセプトに、農家や漁師から直接、旬の食材を購入できるスマフォアプリサービス「ポケットマルシェ」を開始。著書に『人口減少社会の未来学』『都市と地方をかきまぜる』など。
今村:そもそも、政治の道を選んだきっかけは?
高橋:僕は18歳で東京に出て、29歳で岩手に戻りました。岩手に戻ったのは、都会に居場所を見つけられなかったから。もともとは新聞記者を目指して、北海道から沖縄まですべての新聞社を受けたけどどこも落ちて、自分には社会経験が足りないことに気付きました。そこでちょうど先輩が代議士をしていたので、運転手やカバン持ちをすることになったのが政治の世界に足を踏み入れたきっかけですね。手伝っていたら案外政治の世界は面白くて。
今村:議員だけでなく、そこからなぜ知事選に?
高橋:岩手県議会員は当時48人いて、過半数の賛成がないと意見は通りません。僕は最年少県議だったこともあり、他の議員からの賛同がなかなか得られずに苦しい気持ちがありました。そんな時、未曾有の被害をもたらした震災が起きたのです。今こそ自分が目指したい社会をつくりたい、自分が先頭に立ってリーダーとして実現していきたいと強く思いました。
県知事選敗退後、NPOを始めた理由
今村:そうだったのですね。知事選に敗退したあと、NPOを立ち上げたのはどうしてですか?
高橋:政治家時代、県内のいろいろな現場に足を運びました。汗をかきながら畑や田んぼで動く農家のみなさん、社会課題解決のために活動するNPOのみなさんなど、当事者として舞台に上がる人たちにたくさん出会いました。
その反面、自分は議会の48分の1。何か意見を言っても通らないままで、すごく虚しさを感じていました。4年後の知事選にもう一度挑戦しようかとも考えましたが、被災地の若者たちが果敢にマイナスからのスタートに挑む様子を見たときに考えが変わりました。自分も、現場に立つ人たちと近いところで手と足を動かして活動したいと思った。生産者と消費者、社会をつなぐ事業をやろうと決めて、NPOをつくりました。
今村:カタリバでは、小さくでも自分たちの現場をつくりながら手応えを探すことを大切にしています。高橋さんみたいにパワーのある人なら、実際に現場や事業をつくり出す側にも向いているとずっと思っていました。
被災地の放課後学校 コラボ・スクールWEBサイト
高橋:事業と政治、両方やって気づいたこともありますよ。政治家は本当にいろいろな人の話を聞かないといけない。たくさんの話を聞くと、どうにでも取れる曖昧な玉虫色の表現にはなるけど、その分、一気に変えられる力が政治にはある。だけど、ある課題への意見が合致する人と共に一点突破する力はありません。政治と事業が近づけばいいのに、とも思いましたね。
急速に広がる社会課題。スケールさせる手段としての「株式会社」への転身
今村:それから「東北食べる通信」の編集長を辞めて、今は株式会社ポケットマルシェを運営していますよね。東北食べる通信モデルはたくさんの地域に横展開されていましたが、それでもやれなかったことを株式会社で、ということですか?
高橋:東日本大震災で浮き彫りになった課題のひとつが、日本にとって大きな一次産業の拠点である東北の過疎・高齢化した現実です。担い手不足などの課題がより明らかになりました。そんな生産者を都市の消費者とつなげることで少しでも救えないかと始めたのが、東北食べる通信でした。
だけど東北食べる通信の仕組みでは、食べ物が食卓に届くのは月1回のみ。取り上げられる生産者も一年間に12名。それだと地域が過疎化するスピードに追いつきません。スケールするためにはこの方法じゃないと思ったのです。今はほとんどの生産者が自分のパソコンを持っています。ならば、生産者自身が消費者と直接関係を持てるのではないか?もっと消費者の日常にアプローチできるのではないか?と考えて始めたのがポケットマルシェです。
ポケットマルシェWEBサイトより
今村:手応えはありますか?
高橋:ありますね。NPOのときの社員は4、5人でしたが、今は社員が50人ほどいます。ありがたいことにたくさんのところから出資が集まって、一気にアクセルを踏むことができました。今は5000人の生産者に登録してもらって、30万人のユーザーがいます。
今村:議員として社会にアプローチしていた時との違いはありますか?
高橋:ずっと僕のことを追ってくれている記者に、議員時代と今の自分が喋っている内容はまったく変わっていないと言われました。岩手の基幹産業は、やはり農業漁業です。手段が違うだけで、生産者にアプローチしたいこと、消費者と生産者をつなげていきたいことは議員時代からまったく変わっていないのです。
議員を続けていたら、救えなかった生産者がいる
今村:この10年で、当時見えてなかったことで見えてきたものはありますか?
高橋:もしあのまま議員を続けていたら、東北食べる通信やポケットマルシェで救えていた人たちを救えなかったでしょうね。関係人口なんて概念も知らなかったかもしれない。
地方自治体が掲げる地域活性化の出口は、以前は定住人口か交流人口しかありませんでした。定住はハードルが高いし、交流は単発的です。関係人口は、地域に住民票はないがまるでふるさとのようにコミットし続けている状態ですよね。そんなリソースが地域に増えていくといいなと考えるようになったのも、東北食べる通信で具体的な事例を積み重ねたからこそです。
今村:だけど関係人口を増やすのは簡単ではないですよね。私自身も東北に関わって10年経ちますが、最初の数年間は関わり方がわかりませんでした。今考えると「こどもたちにとってこっちのほうがいいのに!」という「べき論」を外から振りかざしていたなと、いろいろ失敗が思い浮かびます。
現場で日常のサイクルを回している人たちにとっては、ひとつの素晴らしい斬新なアイデアよりも、毎日を1mmでも少しずつ変えていくほうが重要だということが今ではわかります。そう考えると、震災後に本当にたくさんのプレイヤーが東北に入ってきたけれど、10年経った今、ちゃんと「関係」している人はいるのかな?きっと外から来た人たちにとって得るものはたくさんあったけど、地元の人たちにとって得るものはあったのかな?と考えてしまいます。
高橋:でも、当時カタリバが岩手に来たのはすごいことだったよ。東北の三陸の沿岸部なんて、もともとは誰も来ない場所でしたよね。カタリバがいなければ、大槌町のこどもたちが海外の人とつながって英語を学ぶことなんてできなかったと思います。閉鎖的な集落に穴が空いて、新しい風が入ってきた。地に足をつけて覚悟を決めた人間の話じゃないとダメだ、と言う人の気持ちもわかるけど、この10年がなければもっと岩手はだめになっていたのではないかな。
「復興」が必要なのは日本全国。東北の歩みを全国に広げる
今村:これからの東北との関わりって、どうしたらいいと思いますか?10年って言われても、被災地の人たちからしたら毎日は続いているじゃないですか。
高橋:よく節目と言われるけど、確かに僕らからしたらただの通過点にすぎません。だけど一方で、東北がこの10年で学んだことを共有して、全国に広げていく視点はとても重要だと思います。東北は津波で街が無くなったことで、日本中のプレイヤーが腰を上げた。それによって単なる復興に留まらず、新しい価値を生むたくさんの事業が生まれました。
だけど、他の全国の農山漁村も、本来抱えている課題は同じです。東北のように一気に課題が押し寄せたのではなく、徐々に数字が悪くなっているだけで、言ってみれば全国すべて復興が必要な状況だと思っています。
なので、東北のこの10年で得られたもの・得られなかったものを共有して横に広げていくことが大事です。震災後の希望とは、東北のためにあれだけの人が動いた事実そのものです。みんな「何か」あれば動くことがわかった。だけど緊急時だけじゃなく日常で動くことを促すことがより大切です。日常でできないことは有事にできないので、日常と緊急時の接続がこれからの課題だと思います。
東北に関わっていなかったら細胞レベルで今とは違う
高橋:僕の方から質問ですけど、震災後にカタリバが東北支援を始めたことは、事業全体として取り組んでいる不登校のこどもたちや困窮家庭への支援には活きていますか?
今村:はい、とても活きています。東北に関わっていなかったらきっと細胞レベルで違っています。カタリバではそれまでイベントを運営することが多かったのですが、東北での活動がきっかけで、日常に関わることのパワフルな可能性を感じることができました。イベントも重要だけど、長期的に日常の変化に関われる仕事をやっていきたいと思えました。
コラボ・スクールの様子
また、東北で「学校ってなんだろう?」と問い直されたことも大きかったです。それは今回のコロナウイルスの影響で学校が一斉休校になった時にも感じたことです。ひとつの教室にずっと座っていれば教育とはもちろん言えなくて、本人がそこで何を学んでいるかという実態が大事です。コロナの影響で多くのこどもたちがオンラインで学習している様子をみて、戦後から変化のなかった日本の教育が本当に新しくなっていく兆しを感じました。東北は、こういったことを考えるすべてのインスピレーションのきっかけになっています。
今日は高橋さんが今何を考えているか聞けてよかったです。ありがとうございました!
高橋:ありがとうございました!
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