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「いまの生き方に点数をつけるなら100点」。「溜まり場マニア」の大坪さんが生業を開拓し続ける理由

2022.12.28 

 

古い価値観を手放し、新しいキャリアや生き方を選択することで自分が納得できる人生の物語(ナラティブ)を創っていく。こちらは、そんな越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)の連載記事です。今回はAFTを経て新しいキャリアを選択したメンバーのチャレンジをご紹介します。

 

インタビューしたのは、公私ともに「溜まり場マニア」としての生き方を開拓している大坪洋祐さんです。まわりに流されることなく、自身の思いをもとに仕事や人生を創り続ける大坪さんに、今の生き方にたどり着くきっかけとなった出来事や気づき、理想の未来についてお伺いしました。

 

聞き手 : 川端元維(「Action for Transition」運営メンバー)

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大坪洋祐さん

入居型起業支援施設員。1歳半から「溜まり場」を渡り歩く。神戸大学法学部卒。京都大学法科大学院時代の京都大学熊野寮での経験、またケンブリッジ学寮の視察をきっかけに溜まり場への関心を高め、帰国後は溜まり場づくりを実践。また、「無学籍者在寮問題」の解決のため2年かけて新制度を導入する一方、予防法務を戦略法務に昇華するレポートで同大学院の「ベスト・リーガルリサーチャー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。その後は、溜まり場を通じて人とつながり、イベントマネジメントなどを経て、高齢者施設の契約社員と両立して起業準備。2022年8月に上京し、9月起業支援会社に入社。10月からは自宅を開放した「新宿Coliving溜まり場マニアの家」を運営している。

https://twitter.com/Yosuke_Otsubo

「溜まり場マニア」の生き方とは?

 

――大坪さんがなぜ、どんなふうに溜まり場づくりを生業にしようとしているのかお聞きしたいです。最初に、今の生活に至るまでの経緯と一日の過ごし方を教えてください。

 

今年8月に京都から上京して、今は都内に住んでいます。平日は午前8時半に自宅を出て、職場へ。アニメからWeb3までのコンテンツを軸とした入居型起業支援施設で起業支援に携わっています。溜まり場マニアの僕にとっては、仕事を通じて、溜まり場で都市を埋め尽くすための知識や経験をたくさん蓄積できるインプットのような時間も過ごしています。

 

平日の午後6時からと週末や祝日はアウトプットの時間にしています。自宅を“多用途共有の空間”として解放しているんです。「新宿Coliving 溜まり場マニアの家」と呼んでいます。

 

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大坪さんが自宅を開放した「新宿Coliving 溜まり場マニアの家」の様子

 

――「新宿Coliving 溜まり場マニアの家」はどんなところですか?

 

紹介制の溜まり場です。「自分の家のようにくつろいでください」と、集まった人たちと会話や遊び、料理を楽しんでいます。そうやって理想の溜まり場を実現するための仮説検証をしています。

 

――理想の溜まり場づくりのための仮説検証ですか?

 

例えば、気の合う人と同じ空間を過ごしたいけれど、適度に放っておいてほしいと思ったことはありませんか?一人ひとりが思い思いの時間を過ごす空間にふらりと立ち寄ることができたら、またはいくつもの多用途共有空間をその日の気分で渡り歩くことができたら、今よりももっと生きやすくなるだけではなく、この世界を変えることもできるんじゃないかと思っています。

 

今は、溜まり場をつくりながら、理想の世界を実現するための仮説検証として、人が溜まり場に立ち寄るまでのハードルをできる限りなくして、もっと気軽に参加できるかたちをつくれないか実験しています。

 

「今日あの場に行きませんか?」と誘う人の手間と気遣い、また誘われる人がその返事をするために考える時間と手間をなくします。今はプロジェクト進行管理用のアプリを使って、オンライン上に仮の溜まり場をつくり、それを見ながら行くかどうかを決められるようにして、人がどういう流れをするのか観察をしています。

 

――Aという溜まり場には、今はこういう人たちが10人くらい集まっているという状態がオンライン上でわかって、それを見た人は行くかどうか判断するわけですね。おもしろいですね。

 

それぞれの溜まり場で、今、どんな人たちが、どんなことをしているのか、またこれまではどんな人たちのどんな場所になっていたのか、そしてこれからどんなことが行われる可能性があるのか。溜まり場の状態を可視化することで人はどう動くのかを知りたいんです。

 

――溜まり場の状態を可視化することでもっと気軽に立ち寄れる場になるとしたら、人はどう生きやすくなるのでしょうか。

 

大学院時代に500人くらいが生活する学生寮に住んだ経験が大きいですが、その寮には20個くらいすぐに現状を把握できる溜まり場がありました。今日はこの部屋で漫画を読もうと決めて行ったり、人恋しくなったら何人かと話ができる部屋へ行ったり。いつも目的や気分に合わせて溜まり場を行き来していたんです。溜まり場の状態を可視化できれば、「どうすればいいかわからない」というモヤモヤした時間を最小化できると思っています。

狼煙をあげたら、必要な応援が集まるように

 

――大坪さんは、「溜まり場を自由に渡り歩くことができる世界」の実現を理想に掲げていますが、実践と仮説検証をしながらその方向へ向かっているんですね。実際には、その理想へ近づけていると感じますか?

 

はい。理想に向かって、ジェット気流に乗っているような気持ちでいます。

 

自分自身の溜まり場を持ったのは1ヶ月ほど前からですが、自分が場所を持って発信すると、その狼煙を見た人たちが集まってきてくれて、進みたい方向に共感してくれた人たちが同じ船に乗ってくれるんです。新しいアイデアやツールを教えてくれる人もいて、必要なものが自然と集まってくる感覚があります。

 

自分一人だとできることに限界があるけれど、みなさんから思いや知恵をいただくことで、断然力強く進めているのを感じます。

 

今月には仮説検証を手伝ってくれるチームも立ち上がりました。メンバーは、溜まり場のプレゼン資料を作ってくれる方、デザインをしてくれる方、サービスプログラムの制作を担当してくれる方など。こちらから声をかけたわけでもないのに集まってくださって、意味のわからないことが起きているんです。

 

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――今現在、大坪さんは自身の人生を生きている、願いを叶えられているという実感はありますか? 100点満点で評価すると何点くらいでしょうか。収入面、ワクワクすることに時間を使えているかどうかもあわせて教えてください。

 

今の生き方に点数をつけると100点です。どう生きても100点だと思っていて、小説を読み進めているような感覚で自分の人生をみているので、ストーリーが展開されている時点で100点だと思っています。先がまったく読めない面白さも感じています。

 

理想の状態としては、最終的に僕自身が世界中の溜まり場を気ままに渡り歩いていることで、今はその一歩として、職場や自宅など、自分に合った溜まり場にいられているのですごくいいと思っています。理想はまだ叶えられていなくても、満足しているしすごく幸せです。

 

収入面では生活には困らない状態です。僕たちの試みは、収益化までハードルの高さを感じていますが、その壁をどう越えるのか先の展開を楽しみにしているところがあります。

1歳半のときに出会った老夫婦の溜まり場が原点

 

――願う方向へ進んでいることへの満足感が高いのですね。職場でも手ごたえのある経験を蓄積されているのを感じますが、具体的にどんな役割の仕事を担当されていますか?

 

僕が仕事をしている起業支援施設は、フリースペースや会議室などを備えた入居型の施設で、起業3年以内の事業者の方々が利用されています。僕はみなさんのやりたいことや困りごとなどを聞くほか、セミナーやビジネスコンテストの企画・運営、入居希望の起業家を探し出して施設とつなぐ役割などを担っています。

 

――「やりたいことはあるけれど今の職場ではできない」とモヤモヤしている人は多いと思います。その中で、大坪さんは溜まり場に関連した仕事や活動をしています。何がその原動力になっているのでしょうか。大きなきっかけがあったのでしょうか。

 

最初のきっかけは、1歳半から小学5年生くらいまで老夫婦のご自宅に通っていたことですね。

 

僕が1歳半のとき、実家の3軒となりだった老夫婦の家の玄関の扉が開いていたんです。そのご夫婦は、夏場の熱いときに風通しを良くするために玄関を開け放していたのですが、1歳半だった僕はそんなことは知らずに三輪車でその家に乗り込むんですよ。

 

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老夫婦の自宅に遊びに通っていた頃の大坪さん

 

そのご夫婦にはお子さんがいなくて、それから僕のことをとてもかわいがってくれました。僕はおもちゃで遊んだりお菓子を食べたりしていたのですが、気づいたときにはもうその家で過ごすのが当たり前になっていました。少しすると、そこは近所の子どもたちが集まる溜まり場になっていました。

 

僕の両親は共働きで夜8時まで帰ってこなかったので、僕は夕方までそのお宅にいて、おふたりに優しく見守られながら自由に遊んでいました。好奇心の赴くままに実験を繰り返すことも許される場所でした。いやなことがあったらそこへ逃げ込めばいいという避難所にもなっていました。僕にとっては、幸運にも初めて手にした理想の溜まり場でした。

 

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大坪さんは老夫婦からとてもかわいがられた

 

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老夫婦の自宅でのびのびと遊ぶ大坪さん。得意気な表情で

 

「見逃し三振はしたくない。バットを振り続けていたい」

 

――大学院時代には学生寮で生活し、ケンブリッジ大学の学生寮も視察されました。それはいつ頃ですか?

 

2015年9月です。ケンブリッジ大学では、敷地内に31個の学生寮があって1万人が共同生活をしていました。食堂や談話室などが溜まり場になって仲間意識を育み、コミュニケーションを通してお互いの価値観や考え方を受け入れながら、新しいアイデアがどんどん形になっていく土壌がインフラとしてあることを感じました。

 

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大坪さんが大学院時代に視察した、ケンブリッジ大学学生寮の食堂

 

「よくわからないけれど急がなければ」という危機感をもって帰国した後は、自分が生活していた大学院の寮で溜まり場をつくっていきました。人と人とのつながりから生まれる波及効果のようなものをこの目で確かめたかったんです。当時、自分にとっては溜まり場が何かとてつもない可能性を生み出す宝の山のように見えていました。

 

――世の中には、気づきを得ながらも大坪さんのように行動を起こせる人ばかりではないと思います。大坪さんはなぜ足を止めることなく試行錯誤や実験を続けているのでしょうか。

 

理由は大きく2つあると思います。1つは、幼少期にお世話になった老夫婦が他界されるとき、僕に100万円を遺してくれたことです。

 

身内でもない僕にお金を遺してくれることがどんなに特別なことか、あとになってわかったのですが、当時、大学受験に失敗して再受験するか働くかの窮地に陥ったときに、この100万円で予備校に行き、大学に合格することができました。

 

もう1つは、大学でよく一緒にいた友人が病気で急逝したことです。志を高くもって努力していた彼が、目標の一つに手が届きそうになったところでいなくなったことは、僕自身の生き方を問い直す大きなきっかけになりました。ちゃらんぽらんだった僕が生き残った意味を知りたくて、「生きるってなんだろう」とまわりの人たちに話を聞かせてもらっていました。

 

そうして、自分が最期を迎えるときには、「よく頑張った」と満足できる生き方をしたいと思ったんです。それは、見逃し三振をしないこと。空振り三振でもいいんです。バットは振り続けていたいと思いました。

 

――すばらしい考え方ですね。

 

老夫婦が僕になぜ大金を残してくれたのかも自問自答したとき、彼らから想いのこもったバトンを受け取ったような気持ちになりました。「バトンに見合う走りを僕はできているだろうか」。そう思うと、チャレンジは止めたくない。

 

自分の物語としては、もがいて挫折することもおもしろいエピソードになります。ただ、そうやって時につまずき、後退して、泣きじゃくって動けなくなりながらも何かするかもしれないと思わせてほしいですね。

「すごく小さくていい。一歩を踏み出せば返ってくるものがある」

 

これまでの経験から言えるのは、一歩を踏み出すことに大きな不安を感じる理由の一つに、すごく遠くまで見ていることがあるのかなと思います。敵が見えなくて、見通しも立たなくて足がすくんでしまうような感覚です。

 

でも、誰にだって見通しが立つ範囲がきっとあると思うんです。すごく小さくてもいい。進みたい方向があって、そこに近づく一歩かはわからなくても少しでも可能性を感じられる一歩、そこから踏み出せばいいんじゃないかと思っています。

 

一歩を踏み出せば、必ず跳ね返ってくるものがあります。そのサインの意味を考えながらまた次の小さな一歩を踏み出す。そんなことを繰り返すと、ある日、「決して小さな一歩ではなかった」と手ごたえを感じられるときがくると思うんです。

 

たいそうなことはしなくてもいいと思います。もし踏み出すことに躊躇している人がいたら、まずは「話すことから始めませんか?」と声をかけたいですね。

 

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オンライン取材の様子。左上から時計回りに、大坪さん、インタビュアーの川端、アシスタントの深澤

 

――大坪さんの溜まり場は、「みんなでたこ焼きを焼こう」という気軽さも魅力です。続けることで思いもよらない効果が生まれるかもしれないし、次の一歩も力強く踏み出せそうです。では、10年後、15年後、大坪さんはまわりからどう思われる人になりたいですか?

 

僕自身は、まわりの人に「どう思われてもいいや」と思っています。ただ、どんな瞬間も、どんな人とも、分かり合える関係を楽しみ、大切にしている人でありたいですね。

 

困ったときなど、何かあれば声をかけてみようと思わせてくれる人。ワクワクさせてくれるような、安心するような。心のゆとりを分かち合える存在でいたいです。

 

――私たち一人ひとりが自分自身の物語を起点に仕事や人生を創っていくために、どんな仕組みや支え合いが大事だと思いますか?

 

溜まり場マニアの僕としては、やはりふらりと立ち寄ることができる多用途共有の空間で世界中を埋め尽くすことです。いろいろな情報をみんなが気軽に共有できている、「困ったらあそこに行けばいい」と見通しが立っている状態です。

 

その時々に抱く思いに合わせて、それぞれの望むところにすぐアクセスできて、困ったときにはすぐに支援を受けられて、勇気をもらえて、次の小さな一歩にとりかかることができる。そんな世界が実現するといいなと思います。

 

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この記事は、越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)の連載記事です。AFTでは、一人ひとりが自分らしいチャレンジを継続できるようコーチングとコミュニティで応援しています。プロジェクトの関連記事はこちらからご覧ください。

 

「Action for Transition」立ち上げインタビュー記事はこちら

>> 一人ひとりの「物語(ナラティブ)」はキャリアと人生を豊かにするのだろうか? 越境的・創造的キャリアづくりを支えるAFTの挑戦

 

越境的・創造的キャリアを実践している方のインタビュー記事はこちら

>> 政府系機関→40歳を過ぎて未経験のワイン業界で起業。「自分の選択に後悔はない」と、株式会社テッレ 武尾さんが言い切る訳

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越境的・創造的キャリアを実践している、AFTサポーター 杉浦 元さんのインタビュー記事はこちら

>> 「ありがとう」からチャレンジが増える循環を。投資家・コンサルタント→実践者へ生き方を変えた杉浦 元さんが成し遂げたいこと

 

 

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。