2023年4月、「ジャストラ!」という一風変わった名前の中小企業向け事業開発支援プログラムがスタートしました。NPO法人ETIC.(エティック)がJ.P.モルガンの協賛で実施するもので、脱炭素社会への「ジャスト・トランジション(公正な移行)」の実現に配慮したビジネスモデルづくりを推進するプログラムだということです。
しかし、日本ではまだ「公正な移行」という言葉自体、認知度が高いとは言えません。そもそもそれはどんな概念なのか?この「ジャストラ!」は他の新規事業開発支援とはどう異なるのか?プログラムの事務局を務めるエティックの松本未生さんに聞きました。
松本 未生(まつもと・みお)
NPO法人ETIC.ローカルイノベーション事業部コーディネーター/NPO法人ER.代表理事
京都大学大学院卒。沖縄とお酒と牡蠣と辛い物をこよなく愛し、NEDO→アクセンチュア→ETIC.とキャリアを歩み、環境問題の解決に向け、NPO法人ER.も立ち上げ。「地域と自然環境、人の文化と自然、地域と都市部、そんな世界線で色んなものを繋げ、同時並行的によりよい方向へ持っていくことを目指しています」。
ジャスト(公正な)トランジション(移行)とは何か
――あらためて「ジャストラ!」とは、誰向けのどんなプログラムなのか教えてください。
「ジャストラ!」は、脱炭素を推進したい中小企業を対象に、新しいビジネスモデルの開発を支援する1年半のプログラムです。その際、ただ環境に配慮した新規事業をつくるだけではなく、グリーン化へシフトする過程で自社が関わる「全ての利害関係者にネガティブな影響・不利益を及ぼさないよう配慮すること」を重視します。そこが、一般的な新規事業開発支援とは大きく異なる点ですね。
――「ネガティブな影響や不利益を及ぼさない配慮」がすなわち「公正な移行」ということですか?
はい。「公正な移行(ジャスト・トランジション)」とはもともと、2015年のパリ協定(※)の前文で使われた言葉です。各国が脱炭素を進めて産業構造を変化させるにあたり、「労働力の公正な移行」などにも配慮すべきとされました。石油石炭産業からの急速な脱却を進めると、短期的・部分的には倒産や失業というネガティブなインパクトが発生する可能性がありますよね。公正な移行とは、そうした悪影響を受ける人たちにとっての「公正さ」にもきちんと向き合いながら、持続可能な社会へシフトしようという考え方です。
(※2015年パリで開催された国連気候変動枠組条約の第21回締約国会議(COP21)で採択された協定)
――かなり長期的なスパンの話かと思いますが、1年半の「ジャストラ!」プログラムでは何をどこまでやるのでしょうか?
通常、新規事業開発というと短期的な利益が念頭にあると思いますが、「ジャストラ!」では一段階高いところから数十年単位の長期的視点で考えます。まず、脱炭素・グリーン化の文脈において「地域のありたい姿」や「〇〇産業のあるべき姿」のグランドデザインを描き、そこに向かう過程でどこに「しわ寄せ」が発生しうるかまで予測するのがポイント。そして、そのリスクにどう対応するかまで織り込んだビジネスモデルを開発するのが目標です。最終的には各事業者がアクションプランに落とし込んでアウトプットすることを考えています。
――でも、地域全体の「こうありたい姿」を一事業者だけで考えるのは無理なのでは?
だからこそこのプログラムでは、積極的に行政と連携し、多様な関係者を巻き込むことを参加要件としているのです。「公正な移行」とは、端的に言えば円滑な雇用の流動化を進めることですから、もとより単体企業や単一産業内だけでおさまる話ではありません。たとえば、地域の水産業で漁船の電化(脱ディーゼル燃料化)を進めようとしたら、当面は町内の燃料店経営者が困ってしまいますよね。
これはわかりやすい例ですが、産業は見えないところで網の目のようにつながっているので、他にも思わぬところに悪影響を及ぼすかもしれません。そのリスクを予見し、不公正を生まないため、いろいろな人を巻き込む機会としてこのプログラムを使ってほしいと考えています。
電力自給率100%を超えるデンマーク・ロラン島を視察したプログラム参加メンバー
地方の中小企業から「ジャストラ!」をスタートする理由
――2023年4月からプログラムはスタートしており、Group1(※)には全国6地域から11社が参加しています(文末参照)。北海道下川町、島根県海士町、徳島県上勝町など地方の小さな町村の事業者が多いようですね。第一次・第二次産業者だけでなく、中間支援団体も参加しているのはなぜですか?
(※Group1は海外視察・国内視察も含めて全カリキュラムへの参加が必須のカテゴリ。その他Group2、コミュニティメンバーという参加形態があり、随時募集中)
脱炭素を進めることで、ある産業セクターが淘汰されるリスクが高いのであれば、少なくとも理論的には別のセクターを大きく育ててそこへ人材を移動していく必要があるでしょう。その際、大都市圏よりも小規模な(数千人~数万人)コミュニティのほうが機動性が高く、ロールモデルとなる事例をつくりやすいのではないかと考えています。また、そういう地域ではまちづくり団体や中間支援組織が「まちの人事部」的機能を担っている場合があり、雇用流動化を促進する役割も果たせるのではないか、という仮説も立てています。もちろんこれはあくまでもアプローチの一つに過ぎず、将来的には都市部の大企業も含め、いろいろなレイヤーで「公正な移行」を考える必要がありますが。
――そういう意味では、現段階の「ジャストラ!」は仮説に基づく実験的なプログラムといっていいのでしょうか?
そのとおりで、これは完成したプログラムではなく、参加者全体で試行錯誤しながらつくりあげていくことを前提としています。今の日本には脱炭素やGX(グリーントランスフォーメーション)系の事業構想プログラムは多数存在しますが、「公正な移行」を謳ったものはまだほとんど見かけません。そもそも、欧州発の概念である「公正な移行」をそのまま日本に移植してうまくいくのかどうか。伝統的に「三方良し」の精神で従業員を大切にしてきた日本では、解雇に関する慣行が欧米と大きく違いますよね。結果、良くも悪くも雇用流動性は圧倒的に低いわけです。そんな日本の文脈における「公正な移行」を定義し、日本ならでは、さらに各地域ならではの解釈に基づくロールモデルをつくり出そうというのが、この「ジャストラ!」プログラムです。
――たしかに「公正」かどうかは一種の価値判断ですから、固有の文化と密接に関わってきますね。
そのことが、このプログラムの出発点として地方地域の中小企業を対象とした理由のひとつです。日本の会社の99%以上は中小企業であり、各種の「しきたり」を含めた地域固有の文化を担っているのも中小企業。そこを足掛かりにして日本における「公正な移行」とは何か、どんなやり方が馴染むのかを実験していきたいと思っています。とはいえ、地域の構成員全員にとって百点満点の公正が実現されている状態、というのは考えにくいですよね。それでも、不公正を感じている少数の人たちが声をあげることができ、きちんとフォローされる仕組みがあることが大事で、「公正な移行」はそこまで含めて考える必要があります。
オイルショック以降、環境配慮した都市計画を進めるデンマーク・コペンハーゲンでの自転車ツアー
いま目の前にある「不公正」にも目を向ける
――でも、少数意見の尊重は民主主義の基本ですし、こぼれ落ちてしまう人たちの救済という意味では行政がセーフティネットを用意しているはずではありませんか?
理念上はそうかもしれませんが、必ずしも機能していない部分も大きいのではないでしょうか。建前とは異なる暗黙のパワーバランスが働いていて、声を上げられないマイノリティの人は少なくないと思います。実際、日本のジェンダーギャップ指数は先進国で最下位ですしね。「公正な移行」を考えることは、脱炭素の流れの中で将来的に不利益を被る人たちだけでなく、いま目の前にある不公正を是正していく機会にもなると考えています。最終的にはやはりセーフティネットの話になるので、このプログラムでも行政の積極な巻き込みが大事になってくるのです。
――なるほど。「公正な移行」とはまったく新しい概念というより、昔からの課題も含むのですね。それでも、やはり「不公正の是正」は第一義的には国の仕事のようにも思えますが。
脱炭素へと一気に舵を切ったEUでは、必ず取り残される人が出ることが明白だったため、各国が政策的に「公正な移行」を掲げて進める必要性がありました。翻って、日本の脱炭素は実質的に民間のイニシアティブに任されている部分が大きい。つまり行政と民間の境目が曖昧なんですね。だからこのプログラムにおいても、セーフティネットの構築を含めた行政の役割定義が重要なのですが、その設計は自治体の規模や地域産業の将来予測によって異なるはずです。全国一律に決めるのではなく、それぞれ特性に応じた多様なモデルを作っていかなければならないと考えています。
EUのように国がドラスティックな政策をとらない(とれない)日本では、このまま脱炭素を進めるといろんなところで共倒れ(連鎖倒産)が起きる可能性が高いと思われます。それを避けるには、各地域が国任せにせず、負の連鎖が起こりづらいレジリエンスの高い産業連関を地域単位でつくり出す必要があります。各地域が主体性をもって世の中の動きを予測し、自分たちの将来ビジョンを描き、さらには適切な雇用流動化を進めて誰一人取り残さない形でそこへの移行を目指すべきです。個々の事業者のビジネスモデルはその流れの中で考える必要があり、それこそ「ジャストラ!」プログラムで目指していることです。
デンマークの外需を支えてきた畜産業。脱炭素の文脈で肉食を控える方針が国から明示されるなか、
ロラン島で代々有機農業・畜産を営む方にお話を伺った
日本は「茹でガエル」状態? なるべく早くアクションを
――もう少し具体的なケースを知りたいのですが、「公正な移行」が日本より先行している海外ではどんな成功例、あるいは失敗例があるのでしょうか?
この「ジャストラ!」プログラムに協賛いただいているJ.P.モルガンのプロボノチームがまとめた、欧米の事例を紹介しましょう。まず停滞している例としては、米国インディアナ州のゲーリーという町が挙げられます。1960年代まで町の繁栄を支えた製鉄業が縮小すると、大量の失業者が出ました。人口は2020年までに6割も激減、住宅の3分の1は空き家となり治安も悪化してしまったのです。こうなった最大の原因は、単一企業・単一産業への過度の依存だったのではないか、と考えられます。
一方、今回「ジャストラ!」でも視察したデンマークのロラン島ではどうか。ここは農業が盛んですが、長らく地元の雇用を支えていたのは大規模な造船所でした。しかし1980年代半ばにその造船所が閉鎖。大量の失業者が発生しました。そんな中で地元の農家たちが、風況の良い地形を生かして小さな風車を作り始めました。ちょうどそのころ、デンマーク全体で風力発電の推進が国策となったことも追い風となり、ロラン島では風力発電を核とした経済圏が形成されるようになったのです。造船工場の跡地に風車ブレード工場が建つなど新しい雇用も創出され、「ウィンドアカデミー」という風車のメンテナンス事業者を養成する学校もできました。ここでのポイントは、地元の農民自身が「持続可能なまちとはどんなものか」を自分たちで考え抜き、実行に移したことです。
――デンマークといえば欧州の中でも特に「意識が高い」地域という印象があります。
そうですね。デンマークは2030年までの温暖化ガス削減目標をEUの55%よりも高い70%に設定しています。気候変動対策をここまでドラスティックにやるためには、そのぶん「公正な移行」のための施策にも注力しなければならない、ということを国民全員が理解しているのでしょう。
翻って日本では火力発電(石炭・石油・天然ガス)が現在7割を占め、他の先進国と比べてかなり高い状態です。これを2030年に4割まで減らす目標が掲げられていますが、これが本当に実現されるなら、その過程で火力電力セクターの人たち(その3~4割はまだ若手と言われる)の雇用が急激に失われる可能性があります。日本ではまだエネルギー転換による大量失業者が目前に現れていないせいか、「公正な移行」はあまり注目されていません。これを「茹でガエル状態」に例える人もいます。アクションが遅れれば遅れるほど後から大変なことになります。ロラン島の例のように、地域の人たちが自分たちで自分たちの将来ビジョンを描き、なるべく早くアクションを始めることが大切ではないでしょうか。
――つまるところ「雇用の流動化」をいかに円滑に進めるかだと思いますが、そこでは何が大切でしょうか?
ポイントは変化のスピードと度合だと思っています。スピードが速くても変化の度合いが緩ければ、つまり以前の職業と新しい職業の内容が、そこまで大きく乖離していなければ比較的スムースな移行が可能でしょう。でも、極端な例でいうと、炭鉱の現場からいきなりパソコン仕事では変化が激しすぎて抵抗が大きいかもしれません。そのためのリスキリングの機会は当然提供されたとしても、本人のウェルビーイングが保たれた状態で移行できるかどうかは別問題ですよね。日本の場合、そのケアにおいても地域の中間支援組織が重要な役割を果たし得るのではないかと、私は個人的に考えています。
そうはいっても、そんなことまで考えていられないというのが、多くの中小事業者の方々のホンネかもしれません。でも、すべてがつながったこの現代社会では、だれがいつ「取り残される」側に回るかわかりません。一歩進んで自ら利害関係者を巻き込み、行政に働きかけて、自社だけでなく産業全体の、そして地域全体の「ありたい姿」と、そこへの「公正な移行」について議論してほしいのです。そのような意志を持つ中小事業者の方々の参加を期待しています!
――ありがとうございました。
「ジャストラ!」Group1採択事業者
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>> 「ジャストラ!」では、Group2メンバー、コミュニティーメンバーを募集しています。詳細は、WEBサイトをご覧ください。
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