28歳。これまでの仕事に限界や方向性の違いを感じ、転職を考える人も多いのではないでしょうか。いちごに特化した事業を進める株式会社ミュウの渡部美佳さんも、そんな悩みを抱えた会社員の1人でした。ただ、彼女が選択したキャリアとそのバイタリティは、普通ではなかなか持ちえないものかもしれません。
株式会社ミュウ 渡部美佳さん
2003年、あるいちごとの運命的な出会いをきっかけに、美佳さんは友人の令子さんといちごのお菓子専門店を京都にオープンさせます。2人とも製菓学校に通ったこともなければ、経営に関してもど素人。なんのノウハウもなかったというのですから衝撃です。その後いちごへの愛はさらに強まり、単なるケーキ屋さんの枠を超えた「加工から販売、ブランド作りまで、いちごに関するあらゆることのプロフェッショナル」を目指して岡山県西粟倉村にも加工所を構え、事業の幅を広げ続けています。
会社員(D)からお菓子屋さん(C3)に転身し、いちごの流通システムの変革を見据えて人口1,500人の西粟倉村でも事業を展開する(A)というのが、これまでの美佳さんのキャリアです。心から愛するものに出会えたとき、人はここまでのパワーを発揮できるんだという、驚嘆のストーリーに迫ります。
衝撃のいちごとの出会いが生んだキャリアチェンジ
大学進学を機に、生まれ育った山口から関西へ出てきたという美佳さん。いちごのお菓子専門店を立ち上げる直前はアパレル会社の企画デザイン室に勤めていました。デザインの仕事は楽しかったものの、エンドユーザーの顔が見えず、売上等の結果もわからないまま次の企画へと追われる働き方に手応えのなさを感じていました。転職を考えていた頃、衝撃のいちごとの出会いを果たします。
「ウェディングドレスのデザイナーだった令子さんが『めっちゃおいしいいちごあんねん』と声をかけてくれたのが始まりです。愛媛の農家さんが生産されていたんですけど、この方の作るいちごって味が本当に濃いんですよ。普通のいちごが水で薄めたカルピスだとすると、ここのいちごは原液をそのまま食べてるような感じ。
令子さんがその農家さんの作るいちごを広めるお店を作ると言うので、一緒にやることにしたんです。ジャムなども検討しましたが『いちごを食べてもらうならやっぱケーキちゃう?』ってことで、お菓子屋さんになりました」
いちごたっぷりのショートケーキ
楽しい人生とは、自分のやりたいことに没頭できる毎日のこと
会社勤めのデザイナーからお菓子屋さんの経営者兼職人という、全く畑違いで経験もない分野での起業に不安はなかったのでしょうか?
「令子さんがやるって言うから、私も一緒にやろうかなというぐらいで、『起業した』ってイメージが全然ないんですよ。個人事業主みたいな感覚でした」
美佳さんの時間の使い方に対する考え方も、その決断の後押しとなったようです。
「自分の人生の1日のうち、働いてる時間ってめっちゃ長いじゃないですか。安定したお給料がもらえるけど、その時間がおもしろくなかったらおもしろくない1年になっちゃう。『それを何年続けるの?』って思ったんですよね。
安定した収入とやりたいことを天秤にかけたときに、安定を取って土日に好きなことをやる人もいるけど、そうじゃない方を取る人が周囲に多かったことも影響してるかもしれません。お昼にやりたいことをやって、夜居酒屋でバイトして食い扶持をつなぐとか。『メインの時間で自分の好きなことをやって、生きるための活動を夜やってる』って聞いたときに、いいなと思ったんです。自分のやりたいことに毎日おもいっきり時間を使えるのが、楽しい人生なんじゃないかなって」
道具はすべて中古でスタート。休みなし・給料なしの日々が3年続く
なんと、退職してからお店のオープンまではわずか1ヵ月しかなかったそう。物件探しは令子さんが担当し、製菓道具の調達は美佳さんが担当。5,000円の中古の家庭用オーブンなど、新品のものは1つもなかったそうです。
千本通の店舗の様子
「とにかく知らないことが多すぎました(笑) 2人とも製菓学校にも行ってないし、お菓子屋さんに勤めた経験もない。ケーキ屋さんに並んでる、断面がピシっとしたケーキの切り方も分からないし、廃棄のタイミングや、原価計算のことも全く分かりませんでした。他のケーキ屋さんを参考にしたり、必死でしたね」
何もかも手探りの中、当初は全く売れない日もあったそう。自分達の給料もなく、運転資金は2人の貯金を崩しながら、どうにかプラマイゼロだといい方で、経済的には苦しい日々が3年ほど続きます。お店に立つ傍ら、月に1~2回それぞれ別の製菓学校に通い、徐々にレシピを増やしていきました。
「お店は休みなくやってました。バイトさんもいないので2人でずっとやる。シフトという概念もなかったですね(笑)」
“地獄の催事”を超えて―いちごへの想いと楽しさが原動力
そんな中、4年目には百貨店から催事の仕事が入るようになります。しかし催事への出店も、やはり最初はわからないことだらけでした。
「最初の大阪での催事はもう本当に死ぬかと思いましたね(笑) 10時オープンなので、8時には納品しないといけないんです。ショーケースに並べて売って、20時に終わって、京都の店に帰れるのは22時。私が売ってる間は令子さんが店でずっと仕込みをするのですが、追いつかないので22時からまた2人で作り始め、深夜0時か1時に終えて、寝て、ほんでまた朝5時か6時に起きて、また仕込んで、8時までにケーキを持って行く……それを1週間やるんです。
もう地獄でしたね(笑) ちなみに生菓子専門の輸送業者がいるというのは後になって知りました。知ってたらもうちょっと楽だったんでしょうけどね(笑)」
催事は屋外のことも
聞いているこちらが倒れそうになるほど大変に思えますが、それでもがんばれたのは、なんだかんだ2人でやるのが楽しかったことと、なによりおいしいいちごを食べてほしいという気持ちがあったからだと言います。
「それまで自分で作ったものを売って、目の前の人が買ってくれる経験がなかったので、それがすごい楽しかった。手応えがあるというか。
あとこれはちょっと誇りに思ってるんですけど、創業してからずっと右肩上がりなんです。持ち出しがあろうと、去年よりは今年、今年より来年っていうのが続くと、よくなってるって実感がもてるんです」
新たなパートナー、新たな地域との出会い
その後も催事の仕事は増え、店舗の売上も伸びて軌道に乗ってきた頃、東京の銀座への出店計画が持ち上がります。それまでの京都の店舗は立ち寄りにくいという声もあり、「どうせなら日本一便利なところに出そう。2人とも前職はアパレルだったし、服飾関係のブランドともコラボできたら」という思いからでした。しかし地価の高さから製菓スペースが確保できなかったこともあり、2011年にオープンした銀座店は2年程で閉店。また同時期に、創業から苦楽を共にしてきた令子さんが結婚を機に退社することとなります。
それにより、以後は事業計画や経営方針等の決断も美佳さんの役目になりました。会計士の方や、東京出店を機に親交が深まった会社経営者の方にサポートしてもらいながら、2013年3月に「株式会社ミュウ」として法人化。2014年3月には店舗を京都の三条通りへと移転させます。
様々な変化を迎える中、さらに転機となったのが岡山県西粟倉村との出会いでした。
「2016年の8月頃に、西粟倉で活躍されている牧大介さんをゲストに迎えてのトークイベントがあったんです。そこでうなぎやなまずの養殖の話や、廃水を使った野菜を作りたいという話をされていたので、懇親会で『作るならいちごにしましょ!』という話になって、その1ヶ月後にさっそく西粟倉へ行くことになりました」
「エーゼロ株式会社」代表取締役の牧さんは、木材加工の『西粟倉・森の学校』を始め、数々のローカルベンチャーを生み出してきた西粟倉の立役者的な存在です。エーゼロは、西粟倉村が主催するローカルベンチャースクール(以下LVS)の運営主体でもあります。牧さんとつながったことで、美佳さんはLVSにお菓子の加工所を作るというプランでエントリー。同年12月の最終審査で支援事業者に認定され、翌年5月には「あわくら旬の里」の一画に新たな加工所をオープンさせました。
西粟倉村にオープンした加工所
西粟倉にはよそ者が挑戦しやすい「通路」ができている
しかし、西粟倉村は岡山県の山間部。京都市からは高速道路でも2時間半程かかります。なぜわざわざ距離のある西粟倉村を第2の拠点とされたのでしょうか?
「『京都でもできるじゃん!』って何回も言われたんですよ。市内じゃなくても郊外には土地もあるのに『なんで岡山?』って。でも、人がものを作るわけじゃないですか。縁がないところに行っても応援してもらえるのかわからないし、つながりを0から作らなきゃいけない。その点西粟倉は確かに遠いけど、サポート体制がすごいんです。みんながウェルカムだし、『こういうことで困ってるんです』って言えばすぐにバーっと動いてつないでくれる。よそ者が入ってきたとき何が大変なのかみんながわかってるし、村の方々もよそ者に対する免疫がついてるというか、『通路ができてる』って感じがしました。1,500人の小さい村だからこそ、すごくスムーズなんですよね。近いかどうかよりも、これだけ応援してくれる場所があるなら事業が断然早く進むだろうなと思いました」
同村への初訪問から半年余りで加工所が稼働するまでになったという事実からも、西粟倉には他では考えられないスピード感でよそ者が事業を形にできるサポート体制があることが伺えます。
西粟倉では焼菓子やギフトを中心に扱う
日本のいちごの価値を世界に伝えたい
西粟倉での牧さんとの関わりは、美佳さんのいちごとの向き合い方にも影響を与えたようです。
「牧さんって自分のやりたいことよりも、その町で何をすればもっとよくなるかっていう観点で動かれてる気がするんです。そういう姿勢を見ていて、私もいちごのスペシャリストになれたら、埋もれてる価値を見出して発信できるようになるんじゃないかって考えるようになりました」
1軒のいちご農家さんとの出会いから始まった、とにかく「おいしいいちごを食べてもらいたい」という美佳さんの想いは、様々なきっかけを経て「日本のいちごの価値を発信したい」、「本当においしいいちごを作っている農家さんが報われるよう、日本の農業のシステムを変えたい」という想いへ深化していました。
「本店の移転前なんですが、フランスのジャムの妖精と言われているフェルベールさんのお友達のシェフの方が来店されて、『日本のいちごは一番おいしいから無理!勝てない』っておっしゃってたのがすっごい印象に残ってたんですよね」
日本のいちごは世界で勝負できる
同様のことは、ドイツで世界的なフルーツの見本市「フルーツロジスティカ」に出店した際にも感じたそうです。
「日本のいちごは価値があるんだけど、傷みやすいし、輸出するにしては農業規模が小さすぎる。だからまずは、日本に来る理由の1つにいちごを入れてもらいたいと思ってるんです。日本のいちごが世界一おいしいことは、日本人でもあまり気付いてない。日本のいちごの価値が世界に伝わったら、寿司・天ぷら・いちご、ってなるはずやのに、そうなってないってことはまだまだアピールできてないんだと思う。日本のいちごの価値を上げる活動がしたいんです」
日本のおいしいいちごを守るために欠かせないのが、当然ながらいちご農家さんです。店舗を三条に移してからは取引のある農家さんも増え、全国のいちご農家を巡る機会も増えました。その中で、大きさと量だけで価格が決められているという現状に気付きます。
「すっごい減農薬でめっちゃ手をかけてもLサイズ何パック、Mサイズ何パックで買い取られるってことは、量産すれば儲かるって話じゃないですか。このままだとおいしいいちごを食べられなくなる時代が来るな、それはいややな、と思って……。
実は最初に惚れ込んでお店を始めるきっかけになった品種も、いつのまにか作れなくなってしまったんです。もっと収量の高い品種を推奨されて、それ以外買い取りませんって言われたら、農家さんは怖くて作れませんよね。農家さんは作りたいと思ってるのに強制的に品種を指定されるようなやり方とか、味は関係なく量だけで評価されるとか、システム自体に歪みがあることに気付き始めてからは、それを変えるためにうちの店でやるべきことはなんだろう?っていう視点でも考えるようになりました」
おいしいいちごを作る農家さんが報われる仕組み作りを目指す
農家さんからなるべく高く買うこと、完熟に近いいちごを使うこと、そしてお客さんに感動的ないちごのおいしさを知ってもらうこと。これらは美佳さんが事業の中で実践されていることです。その先には、いちごの流通システムを変え、日本のいちごの価値を世界に発信していくという目標を見据えています。
1億を目指せる企業が西粟倉に生まれることの意味
美佳さんは移住ではなく、京都から西粟倉に通うという形で事業を進めてきました。当初は西粟倉で夏いちごの栽培も計画されていましたが、様々な事情からそれは断念することに。一方で、大規模な夏いちご栽培に乗り出した企業から、出荷先を求めて美佳さんのところへ相談が舞い込むことが増えました。
「夏いちごの栽培はコストがかかります。高いわりに冬いちごほどは甘くないので、消費者もお菓子屋さんも手が出にくいんです。うちの会社には、夏いちごらしいおいしさを引き出せるアイディアや加工品を求められていると感じました。
西粟倉では、忙しい時期には道の駅で働いているお母さん達がぱっと出てきて材料運びを手伝ってくれたりするんです。せっかくあの場所で受け入れてもらえたから、恩返しという意味でも、農園を作っていちごを西粟倉の新たな特産品にできたらという想いがありました。だから農園を作れなかったのは本当に残念だったんですけど、注力すべき分野を見つめ直すきっかけになったと思います」
ローカルベンチャースクールの立役者・牧さんと
予想通りにいかないことも多い中、遠隔で事業を進めることができたのは、役場を始めとする村の方々のサポートがあったからこそ。中でもLVSを運営するエーゼロによる定期的なヒアリングは本当にありがたかったそうです。
LVSでは、支援事業者に対し「3年後に年間売上1億円以上もしくは従業員数10人以上を目標とする事業」という条件がつけられていました。美佳さんから最初にお話を伺ったのは西粟倉での事業に取り掛かった直後で、「3年で1億は現実的じゃない。たぶん5年はかかる」とおっしゃっていましたが、美佳さんのテレビ出演や、催事・イベントとの相乗効果もあり、認定から2年目となる2018年決算期で年間売上1億円超を達成します。「ちゃんと稼ごう」というキャッチコピーにもある通り、西粟倉村のこれからに必要な事業が新たに生まれるだけでなく、成長していける「仕組み」としてLVSが機能し始めていることを示す成果にもなりました。
「いちご」を軸に、新たな分野への挑戦は続く
今では一緒に働くスタッフも2拠点で20名程に増え、それぞれが得意なことを分担できる体制ができつつあると言います。当初は別物という意識が強かった西粟倉と京都の2拠点体制でしたが、正社員同士が定期的に交流する機会を設けたことで、お互いを切り分けて考えていては出てこないような提案も出てくるようになってきました。美佳さん自身の仕事も、いちご農家さんとの対応、新しい企画やレシピ作りといった得意分野に加え、いちごを主軸にまちづくりをしたいという自治体のサポートなど、「いちご」をキーに広がりを見せています。
仲間が増えたことで得意分野に注力できるように
「西粟倉と京都のスタッフと私とで、まだ世の中に形がないような、全く新しいいちごのお菓子を作りたいね、ってあれこれ話してるのが今一番おもしろいですね。私が『こんなんできひんの?』って無茶ぶりすると、最初は『それってなんですか?』ってなるんだけど、『やるんだったらこんな方法ありますよ』って現実的な形にしてくれるのがほんまに楽しい」
見ているだけでときめくいちごのお菓子
クリスマスのディスプレイのアイディアや、150本の試験管をズラッと並べて季節のジャムを作る実験中という話など、美佳さんのいちごトークは尽きません。こちらにもキラキラしたイメージが伝わってくるようです。
「好き」を原動力に、何事も楽しみながら軽やかにシステムチェンジをしていく。社会課題の解決というと堅苦しいイメージもありますが、こんなにもわくわくするやり方があるんだということを、美佳さんの生き方は教えてくれます。
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