石川県の能登半島地域で1月1日に起きた地震に関して、NPO法人ETIC.(エティック)と、エティックが事務局を担う全国の中間支援組織のネットワーク「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト(チャレコミ)」は、発災当日から支援活動を行っています。それから約3週間後の1月23日、支援団体が登壇する意見交換会の第1回目が開催され、現況の報告や今後の支援活動について、参加した多くの企業や団体に情報が共有されました。
今回、子ども支援やコミュニティ形成について意見交換会から一部ご紹介します。
>> 前編はこちら
「避難所の立ち上げ、物資支援、炊き出し」能登が、能登らしく復興するために―能登半島地震復興支援 第1回活動報告・意見交換会レポート【前編】
※記事の内容は1月23日時点のものです。
<登壇者>
森山奈美さん 株式会社御祓川 代表取締役社長 / 能登復興ネットワーク 事務局長 / 七尾未来基金設立準備会 事務局長
安江雪菜さん 株式会社計画情報研究所 代表取締役社長 / 民間支援事務局 代表
北澤 晋太郎さん NPO法人ガクソー 代表理事
仁志出憲聖さん 一般社団法人 第3職員室 理事 / 株式会社ガクトラボ 代表取締役
山本 亮さん 能登復興ネットワーク 幹事 / 里山まるごとホテル 代表取締役
<ファシリテーター>
瀬沼希望、山内幸治(NPO法人ETIC.)
「この先を見据えて、いまどうするか」特にケアの必要な子ども中心にケアを―NPO法人ガクソー 北澤さん
瀬沼 : 珠洲市はかなり被害が大きいエリアですが、災害後の子ども支援について現在までのご報告をお願いします。
北澤さん : 奥能登でアートとデザインを取り入れた子どもの居場所づくりを行っているNPO法人ガクソーの北澤です。僕は、珠洲市飯田町で地震に遭い、津波から逃げながら市内の高校に避難し、メンバーと一緒に金沢や長野へ二次避難をしました。
地震発生後、子どもたちに向けた活動は、珠洲市では、海浜あみだ湯という銭湯を拠点に行なっています。ここは、3月をめどに僕たちが事業継承をする予定だったところで、ボイラー運用のノウハウなどは昨年6月から引き継いでいたため、震災後、ボイラーが動かせることも、ポンプに地下水が上がることも早い段階で確認できました。
現在は、銭湯の運営と合わせて避難所として運用するための準備を、経産省や市と連携して頑張って進めています。
金沢市では、橋場町にあるシェアホテルのHATCHi金沢が拠点です。こちらは株式会社リピタさんのご厚意でホテル一棟をお貸し出しいただき、支援者の支援というかたちで、僕たちガクソーと認定NPO法人カタリバさんの中継地点として、またガクソーメンバーの住居、2.5次避難先としても利用してもらっています。
子どもに関しては、特にケアが必要と思われる家庭や子どもの受け入れ先として、ご飯を一緒に作って食べたり、銭湯に行ったり、勉強をしたりしています。
現在、考えていることは、「この先を見据えて、いまどうするか」です。いまは、災害関連死をできるだけ防ぐために動くフェーズで、いろいろな選択をすべき時だと思いますが、慎重にいきたいと思っています。例えば、あみだ湯をどこまで整備し、直し、どこまで居心地よくするのか。
水道が止まって水が出ないなか、生活できる環境とは言い難いのが現状です。そのなかで、大きな方針としては、一旦、避難すべきだとも思っています。とはいえ、すぐには動けない状況でもあります。特に、子どものことに関しては、できるだけ被害を最小限に抑えることにつながる判断を行い、動いている状態です。毎日、「いまはどう動けばいいのか」、議論になっています。
また、東日本大震災の時のように、大きな収束が観測されていない状況が続くなか、復興に向けて動いていいのか、判断が難しいと思っています。珠洲市は、群発地震がずっと続いていて、「もう大丈夫だろう」と思うと、大きな揺れが起きて、という状態が繰り返されています。報道では、あみだ湯が復興の希望の象徴として紹介されていますが、二次避難を見据えた最低限の復旧と見たほうがいいのか、何年先も見据えた復興と見た方がいいのか、地震の専門家の判断を待った方がいいのか――。もやもやしていますが、一旦、目の前の困った子どもたちがたくさんいるので、助けになりたいと動いています。
二次避難先の金沢などで「みんなのこども部屋」をカタリバと協働で立ち上げ―(一社)第3職員室 仁志出さん
瀬沼 : 現在、輪島市や珠洲市など能登から二次避難を進めている動きがありますが、二次避難先として中心になっているのが金沢市だと思います。金沢市でも子どもたちをどうサポートするのか、コミュニティをどう支えていくのか、そういった課題に取り組んでいるのが第3職員室のみなさんです。理事の仁志出さん、現状を教えてください。
仁志出さん : 一般社団法人 第3職員室の事業は、中高生のための居場所づくりや個別支援です。また、株式会社ガクトラボでは、NPO法人ETIC.(エティック)と「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト(チャレコミ)」に所属しながら北陸の学生を対象にした就活支援サービスを展開しています。
金沢市は、震災当日、すごく揺れましたが、被害は多くはなかったと思っています。現在は宅配も届くなど、街自体は機能しているようです。ただ、観光客が大幅に減り、観光業や飲食業は二次被害のような厳しい状態が続いています。
震災が起きた1月1日、また1月2日は、僕自身、社員や家族の安否確認、また市外団体からの連絡を、能登や金沢につなぐことをしていました。3日にはNPO法人カタリバの戸田さんが金沢に入られたのですぐに会い、その後、認定NPO法人カタリバのみなさんが株式会社御祓川代表の森山奈美さんとも会い、4日に七尾市に入り、同日、七尾市でみんなのこども部屋を立ち上げました。
金沢市は、現在、二次避難の方がすごく増えています。どのくらいかは明確にはまだできませんが、例えば、石川県の南方面では、ホテルや旅館など宿泊可能な場所だけで6000人以上(1月23日時点※以下同)の避難が予想されています。また、二次避難場所は約80ヵ所あるなかで、尾張町にあるLINNAS Kanazawaでは、早い段階から、幼い子どもを優先的に受け入れる方針を打ち出しましたが、80名ほどが避難しているうち子どもは約20人です。
ただ、子どもが大きな声を上げると親御さんが周りに気を使って叱ってしまうなど、親も子もストレスが溜まってしまうので、ここでもこども部屋を立ち上げることになりました(※)。
※:現在は、みんなのこども部屋を、珠洲市2ヵ所、輪島市1ヵ所、能登町1ヵ所、七尾市1ヵ所、金沢市1ヵ所の計6ヵ所を毎日開設している。そのほか、みんなの勉強部屋を金沢市2ヵ所に開設※1月末時点)
主に0歳から18歳の子どもを受け入れるとしていますが、8割くらいが未就学児のため、保育士や居場所の管理者を配置するほか、学生ボランティアが多数来ているため、体制を作り、子どもたちと接しています。豆まきなどリクリエーションや親御さん向けのハンドマッサージなども行うなか、「子どもがここにきて震災後初めて笑顔になって安心した」といった声も寄せてもらっています。
また、中高生を中心とした10代のための居場所づくりも、、1月15日に金沢市のコワーキングスクエア金沢香林坊で「みんなの勉強部屋」を、また、長土塀青少年交流センターに相談をして1月21日に「ユースのリビング」をオープンしました。未就学児の対応をしているうちに、中高生がシェアキッチンで勉強している姿に気づき、学校の再開時期もまだ明確ではなかったので、彼らの居場所が必要だと感じたためです。ここは市役所の施設を活用していることで、休館日である月曜日を除いて開館を目指し、学習支援、遊びや居場所支援を行っています。
中高生たちのためのユースセンターとして作った場
居場所づくり以外でも「動けることはやろう」と、御祓川に社員や右腕を派遣し、1月4日にオープンした七尾市でのみんなのこども部屋の運営にも携わってきました。また、今回の震災を機に、能登半島でユースワークを主体的に行う団体等とつながり、1月8日から連携会議を始めました。今後も、各関係機関と情報交換をしながら、必要に応じてスタッフの派遣など「子どもたちのためにできることを」という思いで、取り組みを進めていきたいです。
第3職員室では、金沢市から七尾市に人材を派遣し、
認定NPO法人カタリバの拠点づくりや株式会社御祓川の活動推進に参画した
「今後を考えた、どんな復興のあり方をつくっていくかがとても重要」―能登復興ネットワーク事務局長 森山奈美さん
山内 : 今回、中心となって動かれている森山さんから、現在地と今後の能登復興ネットワーク(NRN)の方針、また新しいコミュニティ財団の立ち上げについてお願いします。
森山さん : 現在地は、緊急度の高いことから応対していく状態が続いているため、スムーズに動くための仕組みを作っている状態です。ただ、今後を考えた時、どんな復興のあり方をつくっていくかがとても重要だと、東北のみなさん、各地の大災害の経験者の方々からご示唆をいただいています。
自分たちがどんな地域をつくっていくのか。発災前から、実は先送りにしていた地域の課題はたくさんあるとも思っていて、誰もがすでに「今後こうなるのでは?」とこれから起こることを予想していたのにもかかわらず何も手を打ってこなかった、このことが震災をきっかけに大きなひずみを生んでしまっているかもしれないと思っています。
今後、地域をどうしていくのか、価値観から見直して地域づくりに取り組む必要があるのではないかと感じています。一方で、すでにいろいろなところから人材や資金などの支援を送っていただいていて、そのつながりを毎日実感しています。感謝の一言です。
混とんとした状況が長く続くなかで、地域側は、動ける人から二次避難をしていくため、高齢者がどう余生を送っていくのか、そういった方々が地域でどう余生をまっとうしていくのか、ご本人も私たちも向き合う必要があります。
同時に、希望をもった未来に向けて、地域をどうつくっていくかについては、もともと能登は、「能登の里山里海」が日本で初めて世界農業遺産として認定された先進国です。ここから循環型の地域を新しい価値観でつくっていくこと、「世界から見ても先進的な取り組みをこれから能登からたくさん起こしていかなければいけない」と思っています。
暮らしから文化や風景が生き生きと感じられる。「能登の魅力を活かした復興」とは何かを考えたい―里山まるごとホテル 山本さん
山内 : 能登復興ネットワーク 監事の山本亮さんに、いまどんなことに向き合っているか、今後の方針などについてもお願いします。
山本さん : 輪島市で、里山まるごとホテルという宿泊施設を運営していました。僕は移住者だったので、震災当日は東京の実家に帰省していました。
震災後は2週間ほど二次避難の支度をし、その後、1週間ほど現地に入り、東京に戻るところです(1月23日時点)。ホテルのスタッフは全員無事で、それぞれ金沢市へ二次避難し、いまは避難所の運営に携わっています。
ようやく現地の様子がわかってきたなかで、これからの展望を語るのは難しいと思っています。自分自身は、能登の里山の暮らしが大好きで、9年前に移住し、6年前から里山まるごとホテルの運営を始め、里山の暮らしをいろいろな人に紹介したり、場所の中に入り込めるような滞在空間を作ったりしていました。しかし、いまは、暮らし自体がどうなっていくのかが想像できない状態になっています。
特にショックだったのは、店舗や自宅のまわりの家屋すべてに「危険」を示す赤い紙が貼られていることです。能登の魅力は、地域の人たちの暮らしがあって、暮らしがあるなかに、風景も文化が生き生きと感じられるところだと思っています。築150年から200年の古民家がたくさん並んでいたのも大きな魅力でしたが、それがなくなってしまうのかもしれないと改めて感じています。伝統的な風景を守りたくて僕はこの地域にいるはずなのに、それができない無力感をもちました。
僕自身は、もともと地域づくりの仕事をしてきました。だから、こうした地元の地域構成などを支援する活動をこれから始めていけたらいいのかなと思っています。また、東京中心で、映画のチャリティ企画の事務局支援をしているので、中長期を見据えて、映画を通じて能登の魅力を伝えていく、そのうえで外部の人にも能登の魅力を活かした復興ってどういうものなのだろうと考えるきっかけをつくっていきたいです。
山内 : ありがとうございました。
この後は、質疑応答が行われました。
「能登半島地震・報告会&意見交換会」は、第2回目、第3回目を次のスケジュールで開催予定です。
・第1回目:1月23日(火)16:00~17:30(※終了しました)
・第2回目:2月20日(火)14:00~15:30
・第3回目:3月12日(火)16:00~17:30
関心ある方はご参加ください。お申し込みはこちら
https://forms.gle/6gC5aQokXL1unuGP9
現在、「能登復興ネットワーク クラウドファンディング」で寄付を募集しています。支援活動の詳細などが知りたい方もこちらをご覧ください。
能登半島地震から未来に向けた力強い一歩を。復興に向けた活動を強力に推し進めたい!
https://camp-fire.jp/projects/view/736115
【期間】2024年1月23日(火)〜3月4日(月)
【目標金額】7,700,000円(2月19日現在は13,000,000円のネクストゴールに挑戦中です)
【主催】能登復興ネットワークいやさか
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>> 【能登半島地震・報告会&意見交換会】いま必要な支援とリソースについて、一緒に考えませんか?
エティックでは今後、中長期にわたる支援を続けていくための寄付を受け付けています。
SSF災害支援基金プロジェクト 能登半島地震緊急支援寄付
https://saigaishienfund.etic.or.jp/donate-noto
Yahoo!JAPANネット募金 令和6年1月能登半島地震地域コーディネーター支援募金(エティック)
https://donation.yahoo.co.jp/detail/5545002/
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