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「自分たちの当たり前は災害支援で役に立つのか」自問自答した子どものための居場所づくり―NPO法人Chance For All 川合福太郎さん&中山勇魚さん【能登復興の右腕(1)】

2024.07.03 

 

2024年1月1日に起きた能登半島地震。直後から支援活動が始まり、東日本大震災をきっかけに始まったエティックの「右腕プログラム」でも、各地から右腕となる人材が能登に派遣され、リーダーの右腕となって活動をしています。

 

4月には1ヵ月間、NPO法人Chance For All(以下CFA)の川合福太郎(かわい ふくたろう)さんが石川県輪島市の三井町(みいまち)に向かい、のと復耕ラボの右腕として支援活動を行いました。今回、川合さんを送り出したCFA代表の中山勇魚(なかやま いさな)さんとともにお話を伺いました。

 

※今記事は、「右腕」として現地の人たちと復興活動を推進してきた人材たちのインタビュー連載です。若者たちが携わった活動や彼らを送り出した団体の思いにフォーカスし、復興における右腕派遣の可能性を探ります。

 

聞き手:瀬沼希望、たかなしまき(NPO法人ETIC.)

担い手不足だった居場所で、腰を据えて子どもたちと関わる

 

―川合さんは、4月中旬から1ヵ月間、右腕派遣の仕組みを活用して、輪島市三井町を拠点に活動する、のと復耕ラボで支援活動に携わりました。最初に、きっかけから教えてください。

 

中山さん : 大きなきっかけは、4月初旬に行われた1泊2日の「能登半島訪問ツアー」に、福ちゃん(川合さんのこと)と2人で参加したことです。

 

右腕派遣の体験について語る認定NPO法人Chance For Allの川合福太郎さん(左)と代表の中山勇魚さん(右)

 

CFAではこの春、みてね基金を活用して「平時も災害時も子どもたちが安心して暮らせる社会を創る」ために、災害時緊急子ども支援チーム「J-CST(ジェイキャスト)」を立ち上げ、都内から全国各地へ活動を広げる準備を整えていました。具体的には、遊びの専門家のプレーリーダーたちが、遊び道具を詰め込んだ移動式遊び場「プレーカー」とともに町を訪れて遊び場を作ろうと活動も始めていました。今回は、今後の展開のためにも、能登地域の現状を知りたいと思って、訪問ツアーに参加したんです。

 

―実際に、1泊2日で能登の現状を見て、右腕派遣を決めたのですね。

 

中山さん:はい。現地では、のと復耕ラボ代表の山本亮さんをはじめ、いろいろな立場の方のお話を聞いたのですが、そのうち、「我々が広げようとしていた移動式遊び場よりも、今もっと優先すべき現実」が見えてきました。

 

輪島の三井町では、震災後、学童が再開しておらず、そのために子どもが安心できる居場所が整備されていない、親御さんたちは復興活動をしながら子どもの面倒を見なければならない――。「孤独感をもつ家庭が少なくない」、「能登が好きで移住してきたのに、今はもう精神的、体力的にいつまで持つかわからない」など想像以上に厳しい現状を見聞きしました。「大変」としか言いようがありませんでした。

 

訪問ツアーを終えた帰りのバスの中で右腕派遣の仕組みを知って、福ちゃんと1ヵ月間の現地での活動に参画することを決めました。

 

―川合さんは、どんな気持ちで右腕派遣に行くことを決めたのですか?

 

川合さん:自分でもよくわからないのですが、あうんの呼吸で、中山さん「行くか?」、僕「行きましょう!」となったんです。2人の会話はたった10秒くらいでした(笑)。

 

 

というのも、僕自身、現地の人たちの話を聞く中で、「1ヵ月くらい自分が行ったほうがいいのではないか」と強く思うようになっていました。

 

現地での議論でも、「担い手不足で、大切な子どもの居場所がない」といった課題が何度も上がっていました。特に中長期で子どもたちと接する大人がいないことは、場の不安定さ、復興の遅れを招く原因になりかねないとみなさんは悩まれていました。

 

僕は、普段、足立区で学童「CFA Kids」の運営に携わっています。その経験を活かして、子どもたちとしっかり関われる大人として能登の復興に役に立ちたいと思いました。

 

Chance For AllのWEBサイト「CFA Kids」のトップページより

 

―右腕として現地入りしたのは、能登訪問ツアーからすぐでしたね。

 

川合さん:東京に戻って1週間後です。支度をして、活動中の宿泊先を手配してもらって、輪島の三井町にある「輪島市 みんなのこども部屋」と中高生向けのユースセンター「わじまティーンラボ」の運営に携わりました。CFAのみんなも「頑張ってね!」と励ましてくれました。

 

川合さん:三井町は、輪島で最も山間部にあたるエリアで、交通も不便なのですが、「みんなのこどもの部屋」には1日5人くらいの子たちが来てくれていました。

 

僕が参画した頃は、のと復耕ラボのメンバーを中心に日替わりで子どもの見守りをするなど、本当に人が足りていない状態でした。特にわじまティーンラボは、3月の開所から1、2ヵ月は事務局長がほぼ1人で運営しているような状態で、本来やりたかった、子どもたちの本音を聞いたり、やりたいことをイベントにしたり、そんな子どもたちのための活動がなかなかできずにいたようです。

 

だから、僕の役割は、どっしりと腰をすえて、放課後に集まってくる子どもたちと向き合うことだと思って、日々居場所づくりに取り組んでいました。

 

中山さん:福ちゃんが小学生と中高生、両方の居場所に入ってから、居場所はどんどん安定していったようです。最初の頃、減っていた中高生たちもまた来てくれるようになって、彼らが企画を立ち上げるようにもなりました。バーベキューや縁日、GWのイベントなど盛り上がったそうです。

右腕の活動を通して体感した、違いを解かす先に見えた世界

 

―川合さんは最初、想像とのギャップを感じることはありましたか?

 

川合さん:輪島の居場所の状況は、僕が普段子どもたちと接する足立区の学童とは、何もかもが違っていました。まずベースとなる風土、文化、暮らし方から違っていて、輪島は子どもと大人の関係性や地域コミュニティも濃密で、さらに被災地という要素もあって、「僕がこれまで過ごしてきた場所とは全然違うところに来た」と思いました。

 

 

だから最初はとにかく、自分ができることを見つけるために、地域の人たちから話を聞いて、文化を吸収していきました。そうするうちに、1週間ほどで地域になじめたように思います。その頃には町への愛着も湧いて、1ヵ月の活動を終えた頃には「ありがとうございました。帰ります」と簡単には終われないというか、「また来ます」と自分から次の約束をしていました。今までに味わったことのない新鮮な感覚でした。

 

―印象に残っている子どもたちとの思い出はありますか?

 

川合さん:たくさんあります。その中でも一番は、やっぱり初日でしょうか。初めて「みんなのこどもの部屋」に行った時、子どもたちに勧められるまま僕のライヴをしたんです(笑)。

僕は昔から音楽が得意で好きで、いつもギターで子どもたちと歌うんですね。輪島のこども部屋にも、いつものようにギターを持って行ったら、「おもしろー!」「何か弾いて!」と喜んでくれて。子どもたちの好きな曲を何曲か弾いたら、もうあっという間にみんなと仲良くなれたんです。

川合さんは、以前、ミュージシャンを目指していたそう

 

ギターで歌をうたう川合さんに子どもたちは興味津々な様子。歌を通じてすぐに仲良くなれた

 

そうしたら、「福ちゃんのライヴをしよう!」と、子どもたちが隣接する避難所(公民館)に僕を引っ張って行って、「今から福ちゃんがライヴをするから聞いてー!」と大人たちを集めて、椅子を並べてくれて。子どもたちの行動力には驚かされっぱなしでしたが、30分くらいみなさんからのリクエストに応えて「赤いスイートピー」を歌ったり、お話したりしました。

 

子どもたちの熱烈な提案で、「福ちゃんLIVE」が始まった

 

福ちゃんLIVEをきっかけに、子どもたちは自然と川合さんのもとへ集まるようになった

 

―子どもと大人、みんなが一緒になって川合さんの音楽を楽しんだんですね!

 

川合さん:その時に感じたのは、子どもたちが地域の大人たちをすごく信頼していることでした。普段から、地域全体で子どもたちを見守るカルチャーが育っていることを肌で感じて、「すごくいい場所だなあ」と、輪島の三井という町がぐっと好きになりました。

1ヵ月間の右腕派遣で大事にしたこと

 

―1ヵ月の間、右腕として活動する中で、川合さんがずっと大事にしていたことはありますか?

 

川合さん:強く思っていたのは、「CFAが届けられる価値をしっかりと届ける」ことです。被災地といわれる状況の場所にいると、感情が大きく揺さぶられる瞬間が毎日あって、正直、「難しい」と感じることも少なくありませんでした。

 

最初の頃は、「子どもたちと遊び、関わるというCFAでは当たり前のことが果たして本当に役に立つのだろうか」と悶々とすることも多かったです。

 

例えば、仮設住宅が建ちはじめているのに地域の方の入居が思うように進んでいない現場を目にして理由を聞くと、いろいろな課題があることが分かりました。

また、別のところでは、違う課題や支援の必要性を感じて、「自分は子どもたちと遊ぶだけでいいのだろうか」「町の未来のためにもっとできることはないか」と考え込んだりしました。その中で、ずっと、「CFAから派遣されている自分が提供できる価値」を模索していました。

 

―CFAの川合さんが提供できる価値とは何でしょうか。

 

川合さん:特に震災直後、たとえ居場所に来てくれていても、子どもたちは大人に本音を言えなかったり、心の傷を隠していたりすることがあります。そんな子どもたちに対して、第三の大人として、子どもたちのペースで気持ちを聞く、思い切り楽しませてストレスを発散させる、または「何をしてもいいし何もしなくてもいい居場所」だと伝えてあげられる、そんなことが自然とできることでしょうか。

 

遊んだり、ご飯を食べたり、川合さんは子どもたちといろいろな時間を一緒に過ごした

 

自分にとっては当たり前のことしかできませんでしたが、能登では、いろいろな人から「福ちゃんは子どもと関わるプロだよね」「ここまで子どもと接することができる人はいない」と言ってもらえたことは大きかったです。「役に立っているんだ」と安心できました。

 

中山さん:右腕派遣から戻って10日後くらいに、福ちゃんとまた輪島に行ったんです。そうしたら、子どもたちが「福ちゃーん!」と集まってきて、飛びついて喜んでいて、子どもたちが福ちゃんを大好きになっている様子を見ることができて、「きっといい1ヵ月だったんだろうな」と思えました。現地の人たちの話からも、福ちゃんがいたことで子どもたちが安心して楽しい時間を過ごせたんだと感じることができました。

右腕を送り出した団体としての気づきとは?

 

―CFAで普段から学童の子どもたちと接する際に、当たり前のように大事にしていることが、実は震災後の地域では不足していたスキルで、子どもたちの「こうしたい」という気持ちを満たしていたのですね。

 

中山さん:CFAは、常に、子どもたちが自分らしく生きていけるように、とにかく楽しく豊かな放課後を過ごせるように、日々子どもたちと接しています。しかし、今回、こうした我々にとっては当たり前のことが、大人たちが気持ちの余裕をなくした被災地ではなかなか実現できないと目の当たりにし、考えさせられました。

 

 

子どもたちの居場所を作ったとしても、大人たちが余裕を持って構えられなければ、「これをやってはダメ」と、注意することが増えてしまいます。怒られたくなくて通うのをやめた子どももいるという話も聞きました。

 

そんなとき、子どもと関わるプロが子どもと一緒にいてくれることで、親御さんは安心して、自分のやらなければならない仕事や復興の活動に力を傾けることができるのだそうです。

大人にとって、子どもたちが楽しく過ごして、「楽しかった!」と家に帰ってくることが、「どんなに助かっているか」といった声も聞きました。子どもの見守りを通して、親御さんたちをも間接的に支援できることで、本当の意味で復興が進むのだと実感しました。

 

中山さん:CFAの学童の子どもたちも、オンラインで輪島にいる福ちゃんと話すことで、震災後の地域の現状を知ることができたようです。福ちゃんが輪島から帰ってきたときには、「すごく頑張ったね」と子どもたちが言葉をかけてくれていて、本当にうれしかったですね。

 

その後、子どもたちは「自分たちにできる支援をしよう」と考えて、水鉄砲など遊び道具になりそうなものを集めてくれました。この前、福ちゃんと僕が輪島に行って子どもたちに渡すと、すぐに遊んでくれていました。

 

―中山さんから見て、川合さん自身の変化は感じられましたか?

 

中山さん:以前は、平時での子どもたちとの関りが中心だったので、「自分がどうしたいか」といった趣旨の発言が多かったように思います。それが、右腕の経験をしてからは、自分以外の人の考え方を尊重した対話をしながら、より良い方向を探っていく力が身についたと感じています。

今後、能登とどう関わっていきたいか

 

―今後、輪島をはじめ能登の復興にどのように関わっていきたいですか?

 

川合さん:子どもたちが輪島という町で安心して過ごせる居場所を取り戻すためにできることをしたいです。まずは、大人たちが町の再建に取り組む中、子どもたちが自分を理解してくれると思える大人の存在を感じられるように居場所運営をサポートしたいと思っています。

 

5月の連休には、こいのぼりをあげた。子どもたちはそれぞれ何かを感じている様子

 

中山さん:まだ多くの地域で学童や子どもたちの居場所が再開できていません。そのため、今後は、再開のための環境整備や運営のサポートをしたいと思っています。

現在は、夏休みに大学生たちを輪島に派遣することを予定していて、彼らと子どもたちが遊べる環境を作りながら、自治体が運営する学童を2学期までになんとか復活させたいと各団体や行政と協力しながら動いています。

 

中山さん:5月下旬にも輪島に行って、小学校の校長先生と話をしたのですが、災害が起こる前から学童がなかった地域もあるそうなんです。子どもが少ないから、居場所すら作れない。そういった地域では、親御さんが学校に迎えに来るまで、学校の先生たちが子どもの面倒を見ているそうです。そうしなければ子どもたちは遊ぶ機会も持てない状況だったと。

 

 

今回、輪島に入って、過疎地域であり、被災地でもある、という厳しい状況を体感して、我々が構想を温めてきた移動式の遊び場「J-CST」も、方向性が大きく変わりました。これまで能登は対象エリアには入っていなかったのですが、現在は中心になっています。

今後、1、2年かけて、先を見据えながら子どもが安心できる遊び場や居場所づくりを続け、福ちゃんに現地の人が話してくれた「安心して暮らせる日常に戻りたい」思いを叶える取り組みを、輪島の人たちが自走できるまでサポートしたいと思っています。

 

こうした考え方も、福ちゃんが現地で右腕として信念を持って活動してくれたおかげです。そうでなければたどり着けなかったと思います。

「能登の役に立ちたいけれど…」と躊躇する人たちへ

 

―「能登の復興の役に立ちたい」と思いを持ちながらも、「自分が行っても役に立てるのだろうか」と迷う声を多く聞きます。そんな人たちに「これだけは伝えたい」と思うことがあればメッセージをお願いします。

 

川合さん:僕も最初は「何もできないけどいいですか?」と自信が持てなかったときがありました。でも、現地の人たちの気持ちは、「とにかく一緒に何かをやりたい」です。「いろいろな人が集まってパワーを結集させて、目の前のことを進められることが何よりもうれしい」「一緒に囲炉裏を囲んでくれることがうれしい」。

 

のと復耕ラボの右腕やボランティアスタッフたち。毎晩のように、一緒に囲炉裏を囲んで語り合い、笑い合った。

川合さんは写真右下から3番目。川合さんの左隣は代表の山本亮さん

 

僕自身、子どもが好きで、一緒に遊びながら、子どもたちが楽しそうにしている姿を見ることで、自分のようなボランティアのあり方も素敵だと思えたし、「そんなにハードルを感じる必要はないんだな」と思えました。

 

中山さん:現地の人たちと話して深く思ったのは、「現地で動いてきた人たちがボーッとできる時間をつくること」の大切さです。特に現地の状況を最も把握し、ずっと活動の中心になって、心身ともに現場に伴走しながら動いているリーダーたちが「次は何が最適なのか」と、ゆっくりと考えられる時間を持つことがとても大事です。例えばトイレ掃除など家事を代わりにするだけで本当に助かるのです。

 

被災地では、目の前に課題が山積みのため、当たり前の日常を送るための一つひとつのステップに多くの時間を要します。現地の人たちに、当たり前を感じてもらうために僕たちができることはあると思います。

 

川合さん:僕はとにかく、のと復耕ラボ代表の山本さんに休んでほしくて、「家族と会う時間を確保しますから。右腕に任せてください」としつこく言っていました(笑)。

 

 

中山さん:最初は、山本さんも「俺がいないと」と、断っていたのですが、右腕のみんなで「いや、もういいです。亮さんがいなくても大丈夫ですから」と追い出すくらいの勢いで山本さんから仕事を奪っていって(笑)。その後、山本さんは休暇を取って家族と旅行する時間を取ることもできました。

最近は、空港内のラウンジで打ち合わせをしている様子を見て、「コーヒーを飲みながら打ち合わせできる時間ができたんだ」と、ほっとしましたね。

 

それも特別なことではないんです。自分の家族や子どもを大切にするという当たり前として大切にしたいことを、右腕のみんなが見せてくれたのだと思っています。

 

 

この記事を書いたユーザー
たかなし まき

たかなし まき

1971年愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科卒業後、地元の企業に就職。その後上京し、業界新聞社、編集プロダクション、美容出版社を経てフリーランスへ。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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