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「あのとき出会った大人たちが自分を救い上げてくれた」1年休学インターンした合同会社セリフ羽田知弘さんが15年経った今思うこと【経験者が語る「戦略的休学のススメ」(1)前編】
2025.03.17
この連載ではチャレコミでの活動をベースに、大学を休学し、地域の企業で実戦型インターンシップに取り組んだ方たちに、当時を振り返りつつ、「あの休学は自分にとって何だったのか」を語っていただきます。
岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)で平飼い養鶏場を営む合同会社セリフ代表の羽田知弘(はだ ともひろ)さんは、大学2年生から1年の間、休学しました。休学を決めたきっかけ、それは、大学生活を「何をやっても、明日の自分は変わらない」と模索する中で心動かされた経営者からの言葉でした。
実践型インターンシップから約15年、「あの頃、出会った大人たちが自分を救い上げてくれた」と語る理由を、現在、35歳となった羽田さんに伺いました。
羽田 知弘(はだ ともひろ)さん
合同会社セリフ代表
1989年、愛知県津島市出身。岡山県北・西粟倉村在住。国立三重大学卒業。まちづくり会社や木材商社を経て、2015年、岡山県・西粟倉村に移住し、株式会社西粟倉・森の学校(現:株式会社エーゼログループ)に参画。2022年に合同会社セリフを創業。現在、株式会社点々の取締役や株式会社トビムシのコンサルタントとしても活動する。くくり罠の猟師。
Webサイト : https://egg.serif.ltd/
「人生詰んでいた」大学時代の自分を変えるために
愛知県名古屋市のベッドタウン・津島市(つしまし)で、羽田さんは生まれ育ちました。
「誰もが知っている高校と大学、大企業に入り、高い給料をもらって不自由のない生活を送るのが幸せ。僕は、そんな教育を受けてきた最後のゆとり世代なんです」
しかし、第一志望の大学への合格が叶わず、1年間の浪人生活を経て三重大学へ進学。大学生活をスタートさせたものの、入学当初は、現役合格できなかった自分と同級生を比べ、「自分で形成したコンプレックス」に縛られる日々を送ったそう。
そんな羽田さんが納得できる大学生活を求めて参加したのは、早稲田大学の平山郁夫記念ボランティアセンターを通して行われた、アフリカ・ケニアでの国際協力活動や岡山県新見市での森林間伐活動でした。
「一歩踏み出せば、新しい世界が見えてくる」。ボランティア活動ではそんな発見を得た羽田さん。それからというもの、大学の授業に登壇する経営者に誰よりも先に話しかけ、名刺を渡し、貪欲に話を聞くように。しかし、何かが違う。「ただ一緒に話すだけでは、明日は変わらない」ともやもやが募っていたそう。その頃に出会ったのが、チャレコミのイベントで知ったNPO法人G-net(ジーネット)の実践型インターンシップでした。
まず大学2年生前期の半年間、週2、3日のペースでG-netに勤務。2年生後期からは、1年間、休学して本格的に取り組みます。休学を決めたきっかけは、実践型インターンシップの受入企業の1社である総合在宅医療クリニックを経営する市橋亮一(いちはし りょういち)さんからかけられた言葉でした。
「羽田くん、自分が想像できないほうに飛んでみなよ。だって、そっちのほうがワクワクするに決まっているじゃないか」
「あの頃、僕のまわりにいた大人は、僕が学生時代をどう過ごせばいいか、真剣に考えてくれる人ばかりでした」と、羽田さんは振り返ります。
出会った大人たちから新しい生き方を知った
「僕の場合、戦略的な休学じゃないんですけどね。ただ、早く働きたかった」
羽田さんが実践型インターンシップで活動した2009年から2012年の頃、世の中はインターンシップを始める学生者数、実施校数ともに右肩上がりのインターンシップ全盛期(参考:「学事暦の多様化と長期実戦型インターンシップ推進へ向けての提案」)。その中で、羽田さんが実践型インターンシップやチャレコミのイベントで出会ったのは、これまで知ることのなかった生き方をする大人たちでした。
「皆さんは自分よりもひとまわり上で、いま40代後半くらいだと思います。出会った大人たちは、もがき苦しみながらも自分の決めたことをやろうとしていました。
そんな皆さんは、まだ先が見えず不安だった僕を無条件に受け入れてくれ、『君なら大丈夫だよ』、『頑張れよ!』と言葉をかけてくれました。
あのときは本当にありがたかった。それからは時間が経つにつれて、『自分を肯定してくれたあの人たちと一緒に仕事したい』、『彼らの背中を追いかけたい』と思うようになりました。あの頃に抱いた、『人生詰んでいた自分を救い上げてくれた人たちに、役に立つ何かを返したい』という気持ちは今でもすごくあります」
現在、羽田さんが西粟倉村で営んでいる平飼い養鶏場の様子
羽田さんが休学中に出会った大人たちは、例えば、地元が嫌いで飛び出したはずなのに「地元を好きになりたい」とUターンをし、会社を興した社長、まわりが次々に地元を離れる中で「この町で働く」と生業をつくった社長、どう見ても事業で景気良く稼いでいるわけではないのにいつも楽しそうにしている社長など、自ら人生のレールを引き、未来を切り開いている人ばかりでした。
「いろいろな大人との出会いを通して、『働く行為は、給料をもらうことだけではない。自己表現や自己実現の手段の一つだ』と腑に落ちたことは、それまでの自分の思考をぶっ壊すきっかけになったと思います。
西粟倉村の木材営業から数年で事業部長までキャリアアップ。30歳で独立
1年の休学を経て、大学4年生になった羽田さんは、休学中に取り残していた単位をすべて取得し、2014年春に大学を無事卒業。その後は、国産材専門の木材商社に就職します。
一つの転機が訪れたのは、入社から半年後の夏。休学中に出会っていた株式会社西粟倉・森の学校(現:株式会社エーゼログループ)の代表取締役、牧大介氏から声をかけてもらったことで転職を決意したと言います。
「僕は1年間浪人しているので、24歳で社会人になり、2015年、25歳で西粟倉村へ移住して、森の学校に入社しました」
羽田さんが最初に任されたのは木材の営業でした。子どもの頃から山や川など自然に興味があった羽田さん、父親の出身地である愛知県奥三河(おくみかわ)地方に広がる田舎町の風景やクワガタを捕まえる遊びなど、自然とともに過ごした原体験が強く印象に残っているそうです。
森の学校では、木材に関する経験、大学で学んだ専門知識を活かした手腕が発揮され、順調にキャリアアップ。事業部長としてマーケティング・セールス、新しい集客施設の立ち上げ、組織の成長を支える役割を担った後、4年後の2019年、30歳で独立します。理由は、「35歳までには自分で仕事を始めるって決めていたんです」。
独立後、2022年にフリーデザイナーの妻と合同会社セリフを創業。地域企業に編集やデザインを通して伴走しつつ、2024年11月8日、かねてより準備を進めていた平飼い養鶏事業を本格的にスタートさせました。
休学時代に出会った大人たち一人ひとりの、異なる働き方や生き方にカルチャーショックを受けたことから始まった、羽田さんの新しいチャレンジ、「生業」です。
後編へ続きます。
>> 「おじいおばあと一緒に働ける事業を村に」人口1,300人の西粟倉村で平飼い養鶏場を営む合同会社セリフ羽田知弘さん【経験者が語る「戦略的休学のススメ」(1)後編】
写真提供 : 羽田知弘
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