なぜ今、東北のスタートアップの現場へ飛び込むのか。東日本大震災から丸4年を目前とした2015年2月23日、NPO法人ETIC.では「東北のリーダー・右腕が語る! 連続セミナー第4回~地域の資源を生かして、新しい商品・サービスを生み出す仕事~」を開催しました。
「右腕」とは、東北をフィールドに新しい事業・プロジェクトに取り組むリーダーのもとに、ETIC.が取り組む「右腕プログラム」によって送り出された意欲あふれる若手経営人材のこと。彼らはリーダーたちの「右腕」となり、その事業を支えています。
今回のイベントでは、右腕経験者の3名――NPO法人東北開墾・日本初の食べる情報誌「東北食べる通信」プロジェクトに参画されていた鈴木英嗣さん、一般社団法人東の食の会・「東の食の会」プロジェクトに参画されていた小沼利幸さん、そして現役右腕として気仙沼水産食品事業協同組合・「リアスフードを食卓に」プロジェクトにて活動中の小林 幸さんをお招きして、パネルトークを行いました。
コーディネーターは、ETIC.震災事業部マネージャーの山内幸治。「右腕」を選択肢として選んだ理由、実際に経験して感じた壁や手ごたえなどを通して、地域で働くということの可能性を語っていただきました。
東北の食品関連企業の“新生”を支える「東の食の会」
山内:一般社団法人東の食の会は、どういう狙いで立ち上がった団体ですか?
小沼:東の食の会は、首都圏を中心に飲食店を運営しているカフェ・カンパニー代表の楠本修二郎と、インターネットを使って野菜などの通信販売をしているオイシックス代表の高島宏平が、震災後の東北の食品業界に危機感を抱き、首都圏にいながらも支援できる部分があるのではとの想いから、2011年6月に設立されました。
東北の生産者と首都圏の食品関連企業とのマッチング事業は、「東京ランチ商談会」の開催など現在も行っていて、あとは商品プロデュースですかね。さらに、仮に我々がいなくなった後も東北で食品関連事業に携わる皆さまがより自立して事業を発展させていけることを目指し、人材育成の勉強会「三陸フィッシャーマンズ・キャンプ」を東北の沿岸部で実施しています。 また、5年間で総額200億円の経済効果を生み出すという、なかなか壮大な数字ではあるんですけれども目標があります。現状は40億円くらいですね。
僕自身は、右腕としては2013年9月から2014年8月まで携わっていました。現在も継続して東の食の会で活動しています。茨城出身なんですけども、茨城も被災してるんです。そんな、出身地が被災地ゆえの気持ちもあって。仕事としては、今は東の食の会の会員企業、会員企業となり得る首都圏の食品関連企業などとのコミュニケーションと、総務・経理などバックオフィス業務をやってます。
地図上にないコミュニティを作る「東北食べる通信」
山内:ありがとうございます。鈴木さんは?
鈴木:私は7年間出版社で旅行情報誌の編集制作に携わっていました。右腕になったのが2013年10月からですね。それから1年間、NPO法人東北開墾という団体で活動していました。 そこでの私の役割というのは、「東北食べる通信」についての諸々でした。
「東北食べる通信」は、定期購読をしてもらうと、月1回会員の方に冊子とともに食べ物をお届けするサービスです。趣旨としては、まず生産者である食べ物作りをされている方のストーリーを、食べ物とセットで消費者側に届けます。ただ届けておしまいではなくて、フェイスブックで生産者と消費者の方がつながるグループを運営したり、生産者の方に都内にお越しいただいて読者イベントを開催したりしていました。 ようは「都市と地方つなぐ」っていうことを、「食」というテーマでやっていきたいと。東北開墾代表の高橋は、「地図上にないコミュニティを作らなきゃいけない」なんて言い方をするんですけれども。そういった趣旨の団体です。 山内:関わったタイミングでは、サービスはもうスタートされてましたか?
鈴木:そうですね、スタートはしていました。情報誌の編集経験のある方がいらっしゃらないなかで、よく立ち上げてましたね。すぐに編集部に入ったのですが、ここでなら僕のこれまでやってきたことが活かせるかなということで、尽力しました。
山内:私たちが関わらせていただいている人たちの取り組みって、本当に震災後に始まったものばかりなんですよ。つまりは、どこもスタートアップの現場なんです。そんな現場で立ち上げに関わっていく右腕の方が本当に多くて。 現在の「東北食べる通信」読者数はどのくらいなんですか?
鈴木:1500人です。スタートしたときは50人とかでしたね。
山内:1500人くらいまでいくと、人を雇用できるまでの成長ですよね。
鈴木:そうですね。でも、ひとつの号につき一人の生産者さんしか紹介しないので、提供できる食べ物にどうしても限りがあるんです。なので、残念ですけれど東北食べる通信は1500人ほどで会員を制限させていただいています。 ただ、東北食べる通信で生まれた価値、つまり「都市と地方を食というテーマでつなげていく」ということを、また別の事業開発もしてどんどん広げていこうというのが今の段階ですね。
山内:東北食べる通信はすごい勢いで全国的に広がってきてますもんね。
鈴木:そうですね。おかげさまで昨年グッドデザイン賞の金賞をいただいて、活動も加速できています。 現在は「食べる通信」の頭に色んな地域名がついて、「四国食べる通信」だとか「東松島食べる通信」だとか、既に企画スタートしているものだけでも10あるんです。東北を越えて各地域から続々と声をいただいています。
山内:まさに、震災以降に生まれた東北の新しいコンセプト「東北発で全国へ」ですね! 関わらせていただいた僕らも本当に嬉しいなって思います。
食育を通じて東北の食を広く届ける「気仙沼水産食品事業協同組合」
小林:私は大学卒業後デザイン事務所で3年ぐらい勤務しまして、調査、コンセプトメイキングから商品作り、店作りなどのブランディングの一連に携わっていました。 その事務所時代のブランディング経験から興味を持ったこともあり、その後はより深く地域に関わる仕事がしたいと思って、フリーでデザインの仕事をしながら飲食店で働いたり、コミュニティカフェを運営したりというような生活を3、4年くらいしていました。
そんななかで、小さい仕事は少しずつできるようになってきたんですけれど、より大きいスケールで仕事をしたいと思ったときに、色々なタイミングが重なってもう一度会社に属して働こうと思って転職活動を始めました。その選択肢の一つとして右腕に応募しましたね。結果、2014年8月から、右腕として気仙沼水産食品事業協同組合という団体で働いています。 山内:気仙沼水産食品事業協同組合は、具体的にはどんなことをされてるんですか?
小林:水産加工品会社4社による協同組合で、震災前から団体はあったものの特別には機能していなかったそうです。震災後、新たなものを生み出していかなければということで、水産加工品の新しいブランドを作ろうことになって。ブランド作りと同時に、食育を通じて東北の食を広く知ってもらおうという想いのもと、商品開発やイベント企画運営など、色々な業務を行っています。
山内:東の食の会さんは、東京側でネットワークを作って東北の事業者とのマッチングをして。東北開墾さんは、ダイレクトに都市の消費者と生産者がつながるような媒介を作ろうとしていて。そして、気仙沼水産食品事業協同組合さんは、作り手側としてブランドを作っていかれていると思うんですけれども、震災以降いたる場所でご当地ブランドの話があるじゃないですか。そのなかで気仙沼の取り組みの「売り」のポイント、面白いところについては、関わられてみてどう感じてらっしゃいますか?
小林:まずは水産品であることですね。地域に根ざした農業系のブランドやお菓子のブランドって見かけることがあると思うんですけど、ご当地ブランドで海のものってあまり見かけないので、そこがやっぱり面白いかなと思っています。 気仙沼は色んな魚が水揚げされて、種類が豊富ですしね。あとは、リアス式海岸という土地がもたらす恵みといいますか……海だけじゃなくて山もあるからこそ、豊かな魚が育つという。その観点から、海だけじゃなくて山の良さにも注目してブランドを作っていこうとしています。
山内:山ですか。
小林:そうですね。森の豊かな養分が海に流れ、また山に戻るという循環です。気仙沼エリアでも農業やってらっしゃる方もいらっしゃいますし、海の幸と山の幸を組み合わせた商品を作るということです。
>なぜ「右腕」を選んだのか、「右腕」として現場に入った実際は中編に続きます!
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