牡蠣の産地といえばどこを思い浮かべるだろうか。全国の生産量ランキングでは広島県がダントツの一位だが、それに続くのが宮城県だ。松島から北へ、太平洋に突き出た牡鹿半島を回って女川、雄勝、南三陸、気仙沼とリアス式海岸が続き、その穏やかな入江では牡蠣のほかホタテ貝、ホヤなどの養殖が盛んに行われている。
地元の人はきっと新鮮な生牡蠣を常食しているのだろう、と思ったら、実はあまり生食はしないという。剥き身を加工したり、家庭では吸い物にするのが一般的だそうだ。
しかし、雄勝で牡蠣を生産する株式会社海遊の伊藤浩光社長は、「雄勝の牡蠣は生でこそ食べてほしい」という。ここは硯の産地としても有名だが、その硯に使う玄昌石で濾過された真水が雄勝湾の海底から湧出しており、水はいつも冷たく清浄。夏はどうしても雑菌が増える海が多いなか、雄勝は通年で生食用の牡蠣が養殖できる、全国でも数少ない漁場なのだ。
その牡蠣を軸に事業展開する海遊の昨年の年商は約2億円、従業員は約40名だ。いまの伊藤さんの目標は事業規模を10億円へと拡大し、上場を果たすこと。そのため、右腕となる経営人材を求めているという。
自然が相手の一次産業、しかも水産関連の上場銘柄は多くない。代々家族で営まれることが多かった漁業は、規模拡大の難しさもさることながら、経営という感覚が育ちにくい環境であることも事実だ。自らを「変わり者」という伊藤さんが、ここまで数々の試練と戦いながら練り上げたいまの構想を聞くため、雄勝湾に向かった。
>株式会社海遊では「石巻市地域おこし協力隊×右腕プログラム」で人材を募集しています
生産、加工から販売まで。6次化にまい進
雄勝は、牡鹿半島より北部に位置する地域で、2005年に石巻市と合併するまでは雄勝町という独立した自治体だった。その中の水浜という集落に、株式会社海遊の事務所と加工場がある。完成から1年半のこの施設はどこもピカピカだ。朝10時に到着すると、洗浄などの処理が終わった殻付き牡蠣が水槽で滅菌されており、作業場ではムール貝の殻から付着物を取り除く作業が行われていた。
海遊の生牡蠣は、首都圏を中心に全国約400の飲食店などに直接卸しているほか、Yahooの通販サイトでも販売。また、消費者に新鮮で安全な生牡蠣を提供しようと、仙台市内にオイスターバー「オストラデオーレ」も直営している。もちろん生食だけでは販路の限界があるため、加工場の新設とともに加工品にも本格的に注力し始めた。剥き身をボイルした冷凍品に加え、殻付きのままレンジで温めて食べる「牡蠣ぽん」など新商品を開発。その「牡蠣ぽん」は「第5回 みんなで選ぶ 宮城の食コン」で大賞を受賞した。
さらに、牡蠣の味を広く消費者に知ってもらうため、関係者と実行委員会をつくり仙台市で「三陸オイスターフェスティバル」も開催している。2017年の第1回は2万人を動員。2018年も3/31~4/1に開催予定だ(詳細はこちら)
海遊のウェブサイトの充実ぶりにも驚く。企業理念、安全性についての情報、商品紹介はもちろん、牡蠣の剥き方や料理レシピのページまである。先日は、都内で飲食店向けのホヤ料理教室を開催したそうだ。
「独自のレシピ開発をしない料理人が増えているからね。それは生産だけでなく飲食までやってるからわかることなんだ」(伊藤さん)
まさに料理する人、食べる人や顔が見えているからこそ。6次化のお手本のようである。
多くの試練を乗り越え、次は上場を目指す
これだけ聞けば、すべては順風満帆だと思うだろう。
事務所で出迎えてくれた伊藤さんは一見、「漁師」というイメージにたがわない風貌だった。時々はにかんだような笑みを見せながら決して饒舌ではないのも、やはり「漁師」らしい。語り口はあくまで穏やかだった。
が、無論、ここまでの道のりは平坦ではなかった。この日は取材時間も限られ、ほぼ初対面の記者に対してご本人は多くを語らなかったが、伊藤さんのこれまでのストーリーは既に多くのメディアで紹介されている。それら紙面からだけでも、「苦労」の一言では到底片付けられない、乗り越えてきたものの大きさがひしひしと伝わってくる。
仙台で運送業をしていた伊藤さんが、雄勝に戻って家業である養殖業を継いだのは2004年、43歳のときのこと。当時の主力はホヤだった。収益の低さに驚き、独自の販売ルート開拓を開始。ホヤの生食文化が定着している韓国への輸出も始めた。当時から今でいう「水産業の6次化」を意識し、2010年9月には加工場も新設した。
その半年後、東日本大震災と20メートルの大津波がこの一帯を襲った。伊藤さんは家も船も養殖場も加工場も失い、借金だけが残った。
「雄勝には70軒くらいの養殖事業者がいた。当日の夜は仲間で集まって、もうみんな無くなっちまったなぁって、酒飲んでいたんだよ。電気がないからキャンプファイヤー焚いて」
それでも伊藤さんは、雄勝の水産を復活させることを心に誓った。しばらくは救援物資の運搬に奔走し、漁業を再開する余裕はなかったが、当時全国から石巻に集まったボランティアを通じて将来につながる人脈を築いた。やがて養殖を再開し、2011年11月に事業を法人化。株式会社海遊が生まれた。
ところが2013年9月、養殖ホヤの上得意先だった韓国が、原発事故を理由に宮城県など8県からの水産物の輸入禁止に踏みきる。伊藤さんは牡蠣に舵を切った。2014年11月には上述の直営オイスターバーを開業。株式会社海遊の年商は5年で2.5億へと成長した。すでに小さな加工場は再建していたが、さらに規模を拡大するため、1日に牡蠣2万個の処理能力をもつ現在の加工場を新設したのは2016年9月のことだ。
すると今度はその3か月後、宮城県内10の海域からノロウィルスが検出された。養殖業にとっては大打撃だ。実は伊藤さんのいる雄勝湾だけは検出されなかったのだが、ニュースが出た直後、伊藤さんは風評被害を予想し、すぐ仙台に構えていた事務所を閉じた。実際、売上は2割減った。
伊藤さんは、その売上を盛り返し事業を次のステージへ飛躍させるため、今回募集する右腕人材とともにさらなる新しい挑戦に踏み出そうとしている。目指すのは水産業の「究極の6次化」、そして牡蠣養殖漁師が立ち上げた会社として日本初の株式上場だ。
ともにチャンレンジしてくれる右腕人材を募集
伊藤さんは、3つのチャレンジを掲げている。まずは既存事業の売上の回復・拡大だ。
ノロウィルスの風評払しょくには時間がかかるが、これは地道に情報発信していくしかないだろう。もともと菌が少なく清浄な雄勝の水だが、海遊は独自に週3回の検査を実施しており、安全性には自信がある。また、国内だけでなく海外の販路も拡大したいという。ホヤは韓国に売っていたが、牡蠣の海外展開はこれからだ。伊藤さんは「牡蠣の生食文化を世界に広めたい」と意気込む。さらに飲食事業については、オイスターバーの多店舗化や和業態への展開を考えているということだ。
2つ目の課題は、新しい加工品開発を通じたロス食材の削減である。
生食用の牡蠣は、少しでも殻に穴が開いていると出荷できない。出荷不可となったものがロス食材だ。もちろん少ないに越したことはないが、どうしても一定量は出てしまう。現在は剥き身をボイル加工品などに利用しているが、もっとバラエティを増やさなければならないという。
そして3つ目が、残渣の処理費用削減のための新規事業立ち上げだ。
残渣とは、厳密には貝殻そのものではなく、貝に付着しているプランクトンの死骸のことだ。海から引き揚げたばかりの牡蠣やホタテの貝殻には、フジツボや泥など様々なものが付着している。それを高圧洗浄して出てきたものが洗浄残渣だ。海洋投棄は原則禁止されている。有機物だから堆肥などへのリサイクルは可能だが、現状では処理業者に引き取ってもらうしかないという。もちろん、加工用に身を剥いた後の殻も何もしなければただの廃棄物だ。そこで伊藤さんは、他の事業者とともに石巻市内に肥料工場を建設するプロジェクトを立ち上げた。2年後の完成を目指して、これから本格化するのだという。残渣をもリサイクルして有効利用する、「究極の6次化」である。
伊藤さんが上場を目指す本当の理由
経理を含めた経営面すべてを一人で担い、常に各地を飛び回っている伊藤さん。「自分でもよく生きてると思う(笑)」というくらいの八面六臂ぶりだが、今回右腕人材を外から募集しようと考えた動機と、求める人物像をあらためて聞いてみた。
「私は父から家業を継いだけれど、私の息子はもう継がないことがわかっている。この(水産)業界には、経営という観点を持った人が少ないんだ。なぜかというと、みんなほとんど新聞を読まない、本も読まない。活字を読まない人に経営はできないよ。漁師の中にそういう人は少ないから、俺はちょっと変わり者(笑)。自分も、一度漁業を離れて仙台の運送会社で経営に携わっていた経験が今に生きているところはある。だから今回も、中から育てるより外から来てもらうほうが早いと考えた」
当面の課題は上記の3つだが、その人材にどんな仕事を任せるかは、実際に会ってみてその経験と適性を見てから決めたいという。
「たとえば飲食の経験がある人なら、オイスターバーの多店舗展開を全面的に任せるということもあり得るし、加工品が得意なら新商品開発をメインにやってもらうのもいいかもしれない。ただ、どんな仕事にも共通して求められるのは、まず整理整頓ができること。そして、報連相をしっかりやりつつ、指示待ちでなく自分から動けること」
ここまではわかった。が、事業拡大と株式上場は別だ。敢えて上場することを選ばない会社も世の中にはたくさんある。伊藤さんはなぜ上場にこだわるのか。
「いかに雄勝に雇用を作るか。いかに雄勝に人を戻すか、ということなんだ。ここ水浜の集落に以前200軒あった家が今はたったの30軒ちょっと。江戸時代と同じだよ。ここに上場会社があり、雇用があるといえば石巻へ行った人も戻りやすくなる」
これを聞くと、伊藤さんのアイデンティティは12年前に合併した石巻市ではなく、あくまでも旧雄勝町と共にあることがわかる。震災前、町の人々は養殖業を除けばほとんどが石巻市街に仕事を持ち、雄勝から通勤していた。それが津波で家を失い、石巻へ避難。すでにそこに家を建て、もう戻ってこない人も多いのだという。
「船乗りだって(石巻漁港がある)石巻市内の方が便利だからね。それにもともと、若くて優秀な奴は県外に出て公務員とかになってしまう。だから雄勝に上場企業が必要なんだ。水産業の6次化は珍しいし、大震災の被災者が上場といえばマスコミも注目するだろう。出て行った人が帰ってくるきっかけになるはずだ。この地域でがんばっている他の団体とも協力して、雄勝全体の振興を目指したい」
そう、伊藤さんが上場したいというのは自分の欲ではない。雄勝を甦らせるためなのだ。そして、その上場を目指すために必要な事業規模の目安が10億円だという。ざっと今の5倍だが、それほどの増産は物理的に可能なのだろうか。
実は伊藤さんは、自社で養殖するだけでなく、県内各地に100軒ほどある牡蠣漁師仲間からも仕入れている。「だから仕入れの心配はない。逆に今は十分に買ってあげられない状態なんだよ。売り先が確保できていないから。新しい加工場のキャパシティも十分にある。加工品の開発に力を入れなきゃいけないのはそのためだ」
そして、その加工品は食べ物に限らない。
「牡蠣は宝の素材。他の海産物と比べて亜鉛の含有量が多く、薬品や化粧品などいろんなものに展開できる可能性がある。殻や残渣の肥料化など、いままで廃棄してきたものが原料に変わるポテンシャルもある。そして、そのコストを抑えられるのは原料の生産者だからこそ」
もちろん、上場すれば資金調達の幅も増え、大規模な設備投資も可能になる。
「ホヤに含まれるプラズマローゲンには、認知症予防や美肌の効果もあると言われている。ホヤの殻だってまだまだ活用する余地はある」
世界に牡蠣の養殖技術を
取材した日は、ちょうど伊藤さんの57歳の誕生日だった。
「60歳で上場を目指してたんです。でも正直、あと3年では厳しいね。5年くらいはかかると思う。引退?そう、上場したら引退して世界中で牡蠣の養殖を教えたい。世界牡蠣学会のメンバーになっているからね。もうドバイとかミャンマーから指導依頼が来ているんだよ」
今回の右腕人材は、石巻市の地域おこし協力隊制度を使って募集している。協力隊の任期は最長3年だ。「本人次第だけど、できれば右腕から後継者になってほしい」という。簡単に手を挙げられる仕事ではないだろう。が、伊藤さんの心意気に共感すれば、これほどやりがいのある仕事もないはずだ。
水産業の6次化を謳い、株式会社化はもちろん、上場を目指してここまで明確な経営戦略を描いている漁業者は、少なくともこの地域では伊藤さんのほかにいない。大震災ですべてを失った漁業者の落胆は想像を絶するが、伊藤さんは「今は逆にチャンスだと思う。被災者だからって、凹んでばかりで支援してもらうことしか考えないのではダメ」、とあくまで前を向く。
伊藤さんのやる気を支えるのは、自分自身への誓いも含めた多くの「約束」だ。6次化を極めて故郷の水産を復活させること。伊藤さんの夢の実現は、雄勝という地域の将来をも左右する。この強く優しい経営者に、良き右腕がまもなく現れることを心から願う。
あわせて読みたいオススメの記事
#ローカルベンチャー
挑戦の動機は「謎」でもいい。「とりあえずやってみよう」から育まれる石巻の多彩なベンチャーたち
#ローカルベンチャー
#ローカルベンチャー
企業にイノベーションを起こすのは「戦略的不良社員」!?〜ローカルベンチャーサミット2020レポート(4)
#ローカルベンチャー
#ローカルベンチャー
発電所の撤退で仕事を失った地域の新たな挑戦。「サステナブルな拠点」を目指す三重県尾鷲市