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「パソコンでかなえたい、途上国の子どもたちの可能性」NPO法人Class for Everyone 高濱宏至さん

2015.07.02 

日本で使われなくなったパソコンを活かして、途上国の子どもたちが抱える教育問題を解決しようと動き続ける人がいる。 NPO法人「Class for Everyone」の高濱宏至さん(29歳)だ。きっかけは、「自分にとって大事なことに気付かせてくれたフィリピンに恩返しをしたい」という思いだった。 子どもたちに囲まれる高濱さん

子どもたちに囲まれる高濱宏至さん

眠っていたパソコンが子どもの役に立つ

「途上国の子どもたちに平等な教育機会を創る」。これは、Class for Everyoneが掲げているミッションだ。

 

活動の特徴は、日本の企業や家庭から寄付されたパソコンを再利用し*1、アジアやアフリカなど途上国の教育機関に寄贈すること。その後は、現地NGOや青年海外協力隊らと連携しながら、ICT教育(情報や通信を活用した教育)を進めている。 2012年2月に法人化してから寄付されたパソコンは約1400台。これまで、フィリピンをはじめタイ、ガーナ、タンザニアなど計15か国、59地域へ届けられた(2014年10月末日時点)。 *1:パソコンを再利用する際のデータ消去処理、パソコン寄付については公式HPで。 小学校にパソコンを導入したときの写真

小学校にパソコンを導入したときの写真

「自分の得意で1番になる」

幼い頃から好奇心旺盛で、興味をもった人や物に惹ひかれていくような子どもだった。原体験は、10歳のとき。新聞で見た報道写真家ケビン・カーター氏の写真「ハゲワシと少女」(1994年ピュリツァー賞受賞)をきっかけに、初めて世界に興味をもった。16歳になると国際問題への関心を深めていく。一度、パレスチナに行きたいと言い出して、母親に「そこだけはやめて」と泣きながら止められたこともあるという。

 

中学・高校時代はいわゆるエリートを輩出する国立の名門校に通ったが、中学の時点で、優秀な同級生たちと成績を競う毎日に限界を感じるようになる。 「勉強では勝てない。それなら、自分が目立てる場所を探そう」と方向転換してからは、部活のハンドボールに打ち込んだり、学園祭の実行委員長を務めたり、新しいことに挑戦したり、持ち前の発想力や実行力で自分の道を切り開いていく。

 

「初めての挫折でしたが、そのおかげで今の自分があるのかもしれません。みんなと同じ道を進まなくてもやっていけるという自信になった」

 

高校卒業後は、「国際政治を専門的に学びたい」と立教大学の法学部政治学科に進学した。

原点は、温かなホスピタリティーに触れた経験

フィリピンは、大学のサークル活動で訪れた国だった。現地で植林活動や交流活動を行った際、3週間ほど民家でホームステイをした経験が、高濱さんにとって活動の原点になっている。

 

「初日から、ホストファミリーが日本人の僕を本当の家族のように受け入れてくれたことに大きな衝撃を受けました。相手との信頼関係がなければ、心を開いて素の自分を見せるなんてできないと思っていたからです」

 

彼らはいつもオープンで、遠慮のない態度に、高濱さん自身、家族の愛情で包まれるような安心感があったという。

 

「最初、帰りが遅くなって本気で怒られたときは驚きましたが、それだけ自分を心配してくれたのだと思えてうれしかったですね。自分の中でいちばん大事なのは家族だと教えてくれたのが、フィリピンでした。僕は子どもの頃から比較的自由に育ててもらったこともあって、家族より自分中心で生きてきましたが、それ以来、家族を第一に考えるようになりました」

最初の起業挑戦には失敗

大学卒業後は、09年、楽天に入社。オンライン教育と出合ったのは、プロデューサー的な役割を担うシステムエンジニアとして忙しく働いていた頃だった。

 

「今、日本にあるパソコンを使って、無料で見られる各国の教育コンテンツを途上国につないだらどうなるだろう」。そう考えた高濱さんは、11年2月に会社を退職。元同僚と起業の準備を進め、コンテンツもつくったが、失敗に終わる。

 

「フィリピンへの思いもありましたが、それより起業の成功を優先した結果だと思います」と高濱さんは当時を振り返る。

転機はその後、訪れる。11年6月から3か月間、高濱さんは単独でフィリピンへ渡り、現地調査をした。そこではまず、フィリピンの家族が、大学時代のように屈託のない笑顔で迎えてくれた。さらに、勉強がしたくても家庭の事情で学校に通えない子どもたちも。

 

「フィリピンの役に立ちたい」。次第に湧き上がったこの思いは、その後、高濱さんを強く支える原動力となる。 パソコンを使ったワークショップの様子

パソコンを使ったワークショップの様子・1

フィリピンの学習塾で現地調査

フィリピンに滞在中、高濱さんは友人宅に居候をし、自分のノートパソコンをもって学校や学習塾などに飛び込み訪問をする日々だったという。しかし、全体的に治安が悪いフィリピンの都市部では、店の入り口に警備員が常駐するなどセキュリティーが厳しい。高濱さんの行動は無謀な挑戦だったともいえるが、奇跡的にも、将来を左右する出会いにつながる。

 

場所は、マニラ首都圏からバスで3時間ほどの中堅都市、ラグナ州の州都サンタクルス。門前払いをされてばかりだった中で、唯一了承してくれたのが学習塾の教師だった。 教育熱心なその教師は、「オンライン教育をフィリピンで展開したい」という高濱さんの話を最後まで聞き、「生徒に有益なものなら試したい」と学習塾を調査の場に提供してくれたという。幸運なことに、彼はフィリピンでも有名な教師で、その後はほかの地域でも受け入れられるようになった。

 

「学習塾では、子どもたちが動画サイトを入り口にパソコンに興味をもってくれるなどニーズを確信しました。さらにフィリピンの教育について調べていくと、『フィリピンの3T不足問題』*2 が、インターネットで解決できそうだということもわかりました」 *2:先生(Teacher)、紙のテキスト(Text book)、教室(Teaching room)が、フィリピンの教育機関で慢性的に不足していることを示している。 パソコンを使ったワークショップの様子2

パソコンを使ったワークショップの様子・2

NPO法人設立、苦労したパソコン集め

現地調査に手ごたえを感じて帰国した高濱さんは、12年2月、大学時代の先輩たちに声をかけてClass for Everyoneを設立した。

 

「フィリピンで多くの教育機関に話を聴いてもらうためには、法人化して信用を得ることが必要でした。先輩たちはフィリピンでの活動をともにした仲間でもあるのですが、僕の話を快く受けてくれてうれしかったですね」

 

立ち上げ後、まず取りかかったのが、オンライン教育を柱にしたパソコン教室の開講準備だった。しかし、まだ実績のない団体である。肝心のパソコンを募る時点で苦労し、企業100社に問い合わせたうち提供してくれたのはたった1社だった。 結局、友人や後輩、近所の人たちの手を借りてなんとか10台を集めたが、そのなかで大きな出会いもあった。3台を寄付したのが、理事の山口真司さんだった。当時、山口さんは日本の再利用パソコンを使ったICT教育支援をアフリカ方面で展開していたことで、高濱さんの活動に共感し、加入した。

パソコン教室の失敗で預金が底をつく

12年6月、サンタクルスから車で5時間ほど山奥へと入る小さな町で、高濱さんたちはパソコン教室を開設する。フィリピンの子どもたちが世界中の教育とつながる、そのための第一歩だった。

 

ところが、現実は違っていた。本当のニーズはオンラインゲームやフェイスブックなど娯楽にあることがわかり、教室は結局、1年でやめることを決断する。

 

「小学校のそばの空き物件を借りて、自分で経費を負担して運営したのですが、娯楽がないと人は来ないうえ、収益性も悪く、赤字続きなど将来性を見込めませんでした」

 

会社員時代に貯ためた450万円を自己資金にしてきたが、最初の起業で約200万円、さらにパソコン教室で約200万円を費やし、残りの50万円はNPO法人設立の際の資金にまわしたため、預金も底をついた。

地元の人たちで活動を育ててもらう支援へ

「パソコン教室は残念だけど仕方ありません。パソコンのスキルは、生きるための職につながるという確信もあったし、教育の質を上げるためにも、苦しかったけど活動をやめるつもりはありませんでした。そのため、この活動を長く継続することを前提に方向性を変えて、寄贈先を教育目的の機関に限定しました。

また、現場では、自分たちがパソコンを教えるのではなく、地元の人たちで息の長い活動に育ててもらうための支援に切り替えました」

 

その後、高濱さんたちは活動の内容を、パソコンの寄贈とインフラ整備に絞った。

 

「企業で働くには、情報検索やドキュメント作成などパソコンの基本操作が必須です。一方で、電源の入れ方すらわからない人が多いのもフィリピンの現状としてあります。その背景には貧しさに苦しむ家族がいて、貧困地帯に行くほど複雑な問題が絡み合っています。経済的に苦しい親は自営業者が多いのですが、理由は学歴がなく会社に勤められないから。自営業者として収益を上げる術すべももっていません」

 

すべての子どもが学校に行けるようにするにはどうすればいいのか。高濱さんはこの問題に向きあう策として、2012年2月から、マニラ首都圏内にあるタギッグ市のスラム街で、自営業者を対象にした取り組みも続けている。高濱さん自身がスラム街に住みながら、エクセルを使った収益計算の方法を教える活動や、収益を黒字化にするための取り組みだ。 マニラのスラム地域に住む自営業の親子に収支計算方法を教えている様子

マニラのスラム地域に住む自営業の親子に収支計算方法を教えている様子

誰もが可能性を信じられる未来へとつなぐ

1台のノートパソコンから始まったClass for Everyoneの活動も、15年2月で設立4年目を迎える。失敗もあったが、最近、少しずつ変化が見られるようになってきた。 ゼロからパソコンの環境を整えた小学校では、教師のモチベーションが上がり、10台のノートパソコンが並ぶ専用の教室が新設されたという。そのうわさが別の地域に伝わり、住人や教師からの要望で行政からパソコンが支給されたという小学校もある。

 

ある小学校では、本とパソコンを並べて置いたことで生徒たちの学習意欲が向上したという。すると、自分たちでプロジェクターをつくって映像を観みたり、ICT教育用のコンテンツをつくったり、新しい教育の機会が生まれた。 現地の子どもたち

現地の方々

「一番大事にしたいのは、途上国の人がどう思うか。現地の人が変わりたいと思えるような活動を続けたいです。新しい教育環境を、将来的には現地の大人や子どもが主体的に継続していけるように、必要な人や機関を巻き込みながら、求められる役割を果たしていきたい」

「僕は、先進国である日本で生まれ育ったこと自体をラッキーだと思っています。たとえば世界地図のダーツがあって、矢の当たった国で生まれるとしたら、日本に当たる確率は低いですよね。でもいつか、どの国に当たってもすべての子どもが自分の可能性を発揮できるような社会をつくりたい。そのためにも、日本人としての強みを活かすことにこだわり続けます」

  ※この記事は、2014年11月5日にヨミウリオンラインに掲載されたものです。

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。