大きい窓から見える景色を楽しみながら、旬の野菜をふんだんに使った料理を味わう。
そんなぜいたくな時間を過ごそうと、兵庫県西宮市にあるレストラン「野菜ビストロ レギューム」には、年間3万人を超える客が訪れる。
光岡大介さん
さまざまな手段で有機野菜のファンを増やす
トマトにレタス、ジャガイモに空芯菜――。使う食材は、ほとんどが地元の農家が栽培した有機野菜だ。レストランの経営を手掛けるfarm&company社長の光岡大介さんは「手間暇がかかる有機農業を続けることは、生産者にとっても簡単ではない。意欲のある生産者が食べていけるよう支援するのが事業の目的」と話す。
支援の方法も、レストランで有機野菜を使うだけではない。 食事を通じて有機野菜に興味を持った人を対象に、光岡さんが代表を務めるNPO「みつばちFARM」が「生産者訪問ツアー」を年間4~5回ほど実施。丹波の黒豆やトマトを収穫したり、ブルーベリー摘みの体験などをしたりしている。
来年には、兵庫県内の有機野菜をテーマに毎号食材を付録につける定期購読紙「兵庫食べる通信」の発刊を予定するなど、さまざまな手段で有機野菜のファンを増やしている。 また、直接的に生産者の収入を増やすため、加工品の製造販売にも挑戦。自身が代表理事を務める兵庫県有機農業活性化協議会で「Deliceterre(デリステール)」と名付けたブランドを立ち上げ、丹波産のニンジンを使ったジュースや、タマネギを使ったソース、乾燥野菜のパスタセットなども販売し、好評を得ているという。
努力した生産者が報われる仕組みを
そもそも有機農業とは、化学肥料や農薬を使わず、遺伝子組み換え技術も利用しない農法で、農林水産省の推計では、2010年現在、全国で1万2000戸の農家が取り組んでいるとされる。
農家全体の中では0.5%にとどまるものの増加傾向にあり、平均年齢も59.0歳で、農業全体(66.1歳)と比べて若い年代が取り組んでいるのが特徴という。
2014年2月にあった兵庫県丹波市でのにんじん収穫体験の様子
しかし、光岡さんは「有機農業を始めても、途中で挫折する人を多く見てきた」と話す。
有機野菜の場合、通常の野菜よりも値段が割高になる場合が多く、どうやって販路を開拓するか、どの程度の値段で売り出すかなど、経営者的な手腕が求められる場合も多い。しかし、そうしたことが苦手で、十分な収入が得られない農家も少なくないからだ。
「消費者に良いものを食べてもらいたいと努力している生産者が、きちんと報われる仕組みを作りたい。そして、それを食べる消費者にも生産者の姿を知ってほしい。家庭の食卓と畑を、野菜の感動でつないでいきたいのです」
諦められない思い コンサルから転職
最初から有機農業に関わってきたわけではない。2002年に大学を卒業したとき、最初の仕事として選んだのは経営コンサルタントだった。
「当時は、たとえば発展途上国の支援をするような、グローバルに活躍できる仕事がしたかった。政府向けのコンサルティングを手掛ける企業ならその道に近づけるかと思って、外資系のコンサルティング会社に就職しました」
業界大手のアクセンチュアに入社し、順調なキャリアを築き始めたにもかかわらず、その仕事をわずか1年で退職してしまう。
「昔ふと思いついた、有機野菜の魅力を広げる事業に挑戦したい、っていう思いが、頭から離れなくなっていたんです」
その考えが最初に浮かんだのは、大学時代に友人との旅行で立ち寄った博多で、コーヒーを飲みながら雑談をしていたときだ。実家が農家でもなければ、それまで農業との接点もほとんどなかった。光岡さんは「本当に『突然ひらめいた』としか言いようがない」と笑うが、後継者不足などで窮地が叫ばれる農業の新たな魅力を掘り起こすというアイデアは、とても面白いものに思えて、頭の片隅に残り続けていたという。
わくわくできる
「自分が育ったのは佐賀県の大和町(現佐賀市)という田舎で、周りは田んぼや畑ばっかりあるような場所だった。だから小さい頃は森でカブトムシを探したり、ザリガニを捕まえたり、秘密基地を作ったり、自然の刺激の中で楽しいものを追い求めて育ったんです。今も根っこは同じ。『世界のために働きたい』っていう思いもあったけど、有機農業を広げるというアイデアの方が、もっとわくわくできるように思えたんです」
当時、すでに結婚して長男が生まれていたが、退職して起業するという決断には、恐怖感より高揚感が上回った。
「大学卒業前に半年間、楽天でアルバイトをしていたことがありました。上司には、楽天の創業メンバーの人もいた。その強烈なエネルギーにあてられて、自分も起業したいという憧れはずっと持っていました」。
実は学生時代、「遠距離恋愛の彼女にフラれそうになったから」という理由で大学を休学し、彼女のいる九州まで駆けつけたことがある。自分の直感に正直に。昔から変わらない考え方だ。
「これが天職」困難乗り越え気づいた
コンサルタントを辞めた03年、まずは有機野菜やオーガニック製品を販売する八百屋を立ち上げた。その後、交流のあった有機野菜のレストランと事業合併したり、有機野菜を販売・提供する八百屋カフェを手掛けたりしたのち、11年にレギュームの開業にこぎつけた。
「人脈がないなかで事業を始めることも、レストランの開業資金として4000万円をかき集めなければいけなかったこともあった。どれも本当に大変だった思い出」と振り返る。
スタッフの退職が相次ぐなど、レストランの運営すら危ぶまれるような事態になったこともあるという。
「でも、そういう経験があったからこそ、自分も経営者として成長できたと思います」 大きく変わったことのひとつが、生産者に対してのスタンスだ。
「事業を始めた当時は、生産者はあくまで、ビジネスパートナーだという認識だった。自分は自分。生産者は生産者。お互いに協力できるところで付き合いましょう、という気持ちがあった。でも、いろんな困難を乗り越えるなかで、自分は何のために頑張っているのかをとことん考えた結果、『生産者のためだ』という原点に立ち返ることができた」
学生時代の思いつきがきっかけになった今の仕事。10年以上続けるうち、生産者の人脈ができ、有機野菜に関心を持ってくれるお客も増えた。
「きつい時期も含めて意地みたいなものがあって続けているうち、なんとかいまの場所までたどりついた。やっと、有機野菜の魅力を広げていくことが、自分の天職だと確信できるようになりました」
タネの可能性 信じたい
光岡さんにとって、有機農業とは「タネの可能性を信じること」だという。人工的な手を加えなくても、きっとこのタネはおいしい実りを与えてくれる。そう信じることが、自然に感謝する気持ちを持つことにもつながっていく。
当面の目標は、生産者自身が加工・販売を手掛ける「6次産業化」の取り組みをさらに進めていくことだ。
「どれだけ素晴らしい理念があっても、ビジネスである以上、お金を稼がないと成り立たない。生産者と有機農業を守るために、十分な収益があがる仕組みをしっかり作っていきたいですね」
※この記事は2014年12月05日ヨミウリオンラインに掲載されたものです
光岡さんは、社会起業塾イニシアチブ(以下”社会起業塾”)のOBです。社会起業塾は、セクターを越えた多様な人々の力を引き出しながら、課題解決を加速させていく変革の担い手(チェンジ・エージェント)としての社会起業家を支援、輩出する取り組みで、2002年にスタートしました。興味のある方は、ぜひチェックしてみてください!
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ファームアンドカンパニー株式会社代表取締役/光岡大介
1978年生まれ、佐賀県出身。大阪大工学部で環境工学を専攻し、卒業後にコンサルティング会社に入社。退社後の2003年から有機農業を通して「畑と食卓をつなぐ」事業に取り組む。生産者や支援者ら約50人の出資を受け、11年にファームアンドカンパニー株式会社を設立、代表に就任。同年11月レストラン「野菜ビストロ レギューム」開業。同年NEC社会起業塾に参加。
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