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若者たちが山へ柴刈りにいく未来へ〜半林半Xと地産地消エネルギーの挑戦

2017.01.27 

「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に…」

柴とは、背の低い雑木やその枝のことだ。昔話の時代の日本人は、近くの山から使う分だけ柴を刈り、薪や炭にして煮炊きや暖房に利用した。最も原初的なエネルギー地産地消といえよう。この、身近な木材を使った地産地消の仕組みを地域単位で再生させるという大きなチャレンジが、宮城県気仙沼市で軌道に乗りつつある。

核となるのは、小規模な木質バイオマスプラント。そして鍵を握るのは、燃料となる間伐材を伐り出せる個人林業家をいかに育成するかだ。このサイクルを成功させることは、荒れてしまった日本の森林再生にも貢献するだけでなく、新しい働き方を生み出す可能性をも秘めている。

復興の柱に「エネルギー地産地消」。ここまではよくある話だが…

12月下旬、気仙沼市を訪れた。気仙沼地域エネルギー開発株式会社の高橋正樹社長の話を伺うためだ。

 

三陸リアス海岸の中心に位置する気仙沼市。メカジキやカツオの水揚げは日本一を誇り、静かな入り江ではカキやホタテなどの養殖が盛んだ。漁業の町というイメージが強いが、その豊かな海を作っているのは市域の70%を占める森林から運ばれてくる養分である。ここでは「海を守る森づくり」という活動が四半世紀前に始まり、漁業関係者による里山の手入れや植樹も行われている。

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リアスの森と海。森の腐葉土から生まれた植物性プランクトンが、海へ運ばれて動物性プランクトンを生む。多様な生態系が支えられている。

そんな気仙沼市も東日本大震災で大きな被害を被った。死者・行方不明者は1,250人余に上り、住宅約16,000棟が被災した。直後の燃料不足は多くの人の記憶にいまだ新しい。市の復興計画の中には、「再生可能エネルギーの導入と環境未来都市(スマートシティ)の実現」が掲げられ、災害に強い自立・分散型エネルギーシステムの構築が謳われた。いわゆる「エネルギー地産地消」の仕組みづくりである。

 

その実現にあたり、気仙沼市が太陽光や風力とともに推進することを選んだのは、木質バイオマスだった。地域の森林資源を活用しようというのだ。間伐(間引き)で出た木材を使って発電し、それを地域で使う。適切な間伐が促進されれば森の健康、すなわち海の健康も守られることになる。発案したのは、当時財務省から出向していた若い市職員だったという。

 

でもだれがやるのか。前例がなく、林業者はだれも手を挙げない。

 

白羽の矢が立ったのが、1920年創業、ガソリンスタンドなどを経営している地元エネルギー会社、気仙沼商会社長の高橋さんだった。市の震災復興市民委員会の座長も務めた高橋さんは、自ら被災しながらも、地域のためになるならと引き受けた。そこから長い闘いが始まった。

ないない尽くしからの出発。あったのは山と森だけ

まず、小規模な木質バイオマス発電プラントで成功しているところは、国内に例がなかった。

 

国の再エネ推進で日本各地にバイオマス発電所の建設が進んではいる。が、それらの多くは木を燃やした熱で蒸気タービンを回す大規模なもので、巨大な設備と、燃料として莫大な量の木材が必要だ。これらの木は広範囲からしかも皆伐(全伐)という方法で集められる可能性が高く、各地にはげ山を作る危険性をはらんでいるという。更に燃料材の調達が追いつかなくなれば輸入材に頼るしかなく、地産地消とは程遠いことになる。

 

高橋さんたちが目指したのはそんな大規模なものではない。本来、森林の手入れの副産物として地域の森から産出される間伐材を燃料として、熱と電気を作るプラントだ。その規模では蒸気タービン方式は使えず、木材チップをガス化してエンジンを回す方式が採用される。

 

しかし、この技術が大変難しいのだという。高橋さんが調べると、国内で挑戦しているプラントは数か所あったが、まともに稼働しているところはなかった。

 

「日本は技術大国というけど、すべての分野でというわけじゃないんですね。儲からないことはやらない(笑)。仕方なしに海外の情報を集め、いくつか成功事例らしき国を見つけましたが、震災直後で視察に行く時間も無く、結局ドイツのメーカーから購入することにしました。しかし、買ってきて据え付ければいいという簡単なものではなく、試行錯誤の連続でした」(高橋さん)

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リアスの森バイオマスプラントと高橋社長。木質バイオマス発電は簡単ではない。ガス化に適したチップの大きさ、乾燥具合など試行錯誤を繰り返したという。

また、プラントは一度動き出せば24時間365日(正確にはメンテナンス日を除く310日)止められない。作った電気は、固定価格買取制度(※)によって電力会社に売電できるが、生まれた熱は溜めておけず、遠くまで運ぶこともできない(だからこそ地産地消なのだ)。近くに24時間供給できる先を探す必要がある。薪やチップを使ったセントラルヒーティングが普及しているドイツなどと違い、こちらも一から開拓する必要があった。

 

そしてなにより、燃料となる間伐材が安定的に供給されるかどうかがポイントだった。よく言われるように、日本の森林は荒廃が進んでいる。「海を守る森づくり」が行われていた気仙沼市でさえ例外ではなく、木材価格の下落と山主の高齢化などで森林の手入れ、すなわち間伐が行われなくなり、木を伐れる人自体が減っていたのだ。森林組合というプロ組織に委託することもできるが、彼らのスタイルは基本的に山を丸ごと伐る皆伐。個人が自分の山で間伐しながら丁寧に木を育てる、いわゆる「自伐林業家」が少なくなっているのである。

 

だれも成功したことのないプラントの建設と、熱利用先の開拓、さらに間伐・搬出ができる個人林業者の発掘・育成。高橋さんはこの循環サイクルを、一から構築しなければならなかった。この事業に特化するため、気仙沼商会とは別に、気仙沼地域エネルギー開発を立ち上げたのが2012年2月のことである。

そして出来上がった、世界でも類い稀なプロジェクト

2年後の2014年、高橋さんのプラントは竣工した。ガス化エンジン方式の「リアスの森バイオマスプラント」は、試験操業を経て2016年春からいよいよ本格稼働を始めた。間伐材8,000トン(年間)を使い、発電能力は800キロワット時。電気は東北電力に売電、熱は近隣のホテル2軒に供給し、温泉水の加熱などに利用されている。

 

間伐材の調達についても、調査の結果、地域の山には持続可能な供給素地があると判断し、「林業家養成塾」を開始した。木を伐る/山から出す/出すための作業道を作る、という3回ワンセットの講習を「森のアカデミー」と銘打って提供。現在12期まで開講し、延べ500人が受講した。プラント用の木材買取りを始めた初年度は、こうした個人林業者から1,000トンの搬出があったという。

 

林業家養成塾/森のアカデミー。実際に山に入って、チェーンソーの使い方、急峻な山からも伐り出す方法、安全な林道の作り方、などを学ぶ。

林業家養成塾/森のアカデミー。実際に山に入って、チェーンソーの使い方、急峻な山からも伐り出す方法、安全な林道の作り方などを学ぶ。

その買い取り価格は市場価格の倍の6,000円/トンに設定することで林業者の意欲を維持。さらにその半分はリネリアという地域通貨で支払うことで、資金も地域に循環する仕組みを作り上げた。リネリアの発行と換金事務も高橋さんの会社の仕事だ。

 

こうして高橋さんの事業は、川上(間伐材生産)から川下(バイオマス発電)まで一貫して手掛ける、日本のみならずおそらく世界でも希少なプロジェクトとなったのだ。

きれいごとばかりじゃない。でもやっていることに間違いはない

…と書いてしまえば簡単だが、高橋さんらのここまでの苦労は想像を絶する。

 

「地域内循環型社会なんて、言うのは簡単ですがやってみると本当に大変ですよ。プラントを作ったこともない、熱利用する人もいない、そのための木を切る人もいない。すべてゼロから関係を作る必要があり、しかも誰かの一人勝ちになってはいけない。最後はそこに関係した人たちの熱意です。人のエネルギーがないところでバイオマスエネルギーはできません」 という高橋さんの言葉以上に、苦労の内容を説明することは難しい。

 

実際のところ、まだまだ収支は厳しいという。企業経営とは、きれいごとばかりではないのだ。が、改めて確信させられるのは、高橋さんたちのような熱意のある人がいなければ、どんな立派な復興計画も絵に描いた餅に終わるだろう、ということだ。

 

「津波がなければ、再エネなんてやってなかったですよ。ああいう、人生を考えさせられるような、背筋がピンとならざるを得ないものを見たわけだから。(バイオマスをやってくれと懇願され)そこまでいうなら、自分のことだけ考えてちゃだめだよな、と」

 

高橋さんが元から経営していた気仙沼商会も、15あった事業所のうち13か所が被災し、まだ復旧していないところもあるという。「やることは山積み」という中で、高橋さんの次の目標はもちろん、バイオマスプラントの黒字化と、自分がいなくても展開できるような事業モデルを作ることだ。そうすれば成功事例として他所へ普及させられる。

 

目途は立っているのだろうか?

 

「立ってません。立っていればだれかに譲って別のことをしてますよ(笑)。みんなそういう質問をするけど、やってみなければわからないんです。でも始めたからにはやるしかない。やっていることに間違いはないと信じているから」

地域の循環を支えるのは、やはり人と人をつなぐ「人」

そんな高橋さんの心意気と人柄に惚れて、気仙沼地域エネルギー開発にやって来た人は少なくない。例を挙げれば、在京のNPO法人ETIC.の「右腕プログラム」を通じて県外からやって来た人材はこれまで4人を数え、うち3人が右腕としての活動終了後も会社に残って活躍している。現在プラント所長としてなくてはならない存在となっている横田聰さんも、その一人だ。

 

一方、自伐林業家の育成を通して、「林業+α」(副業型林業)という新しいワークスタイルが生まれる可能性も出てきている。今年度、地域おこし協力隊の制度を使って、全国から林業研修者を呼び込むことも始めたのだ。協力隊員は3年間、高橋さんの会社で働きながら林業技術を身に着け、その後はこの地で自伐林業家として自立することが前提となっている。

 

しかし、と思う。「森のアカデミー」はこれまで延べ500人、正味でも280人が受講したそうだ。そのほとんどが、地元の山主たちであり、習得した技術を使って木材の搬出も始めている。その上になぜ、自分の山を持っていない人をわざわざ外から呼ぶ必要があるのか?

 ひとつの理由は、やはり高齢化だという。アカデミー受講者は50~60代が多い。山主のほとんどはサラリーマンなど他に仕事を持っており、定年後あるいは間近になって、荒らしていた山にやっと手を入れる余裕が出てきたという人が多いのだ。

 

「受講した280人のうち、実際に木を伐ったのは100人しかいません。何が障害かというと、講習が終われば一人になってしまうから。自分では重機を持っていない人も多いし、一人で山に入るのは危険でもある。だから近い人同士でグループを作って山を集約し、重機を共同購入したり、補助金を申請して林道を整備したり、ということができればいいのですが、高齢になるとそれもなかなか難しくなってくる。仲間をとりまとめる求心力を持った、若い林業家が必要なんです」(高橋さん)

 

こうした人が地元で育つのを待っていられないのだ、と高橋さんはいう。だからこそ、たとえ未経験でも外から飛び込んでくる人材に期待を寄せる。今年度の募集枠(2人)は既に埋まった。

 

その第一号が、2016年10月から活動を始めた小柳智巌(こやなぎとしみち)さんだ。埼玉県出身で、気仙沼には縁もゆかりもなかった。地方暮らしに興味はあったが、東北の被災地は考えていなかったという。それがたまたま求人サイトで、気仙沼にバイオマスプラントを作るという仕事を見つけた。

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伐り出した間伐材を集める貯木場。ここで燃料用チップを作る。案内してくれたのは、地域おこし協力隊第一号として林業家を目指す小柳さん。

「プラントに興味を持って東京の説明会に参加したんですが、そこで『君、林業の研修に来ないか』と言われて(笑)。地元の人に交じって山に入り、2日間の講習に参加したら、これが結構楽しかったんですよ。翌月の講習にも来ました。もともと自然が好きだったので、林業って面白そうだなと」(小柳さん)

 

本当に面白いですか?と念押しすると小柳さんの答えはこうだった。「面白いですよ。寒いし暑いし(笑)、伐った木を倒す方向を間違えたら命の危険すらある。それくらい自然と真正面から向き合うのが面白いんです」

 

とはいえ、『面白そう』だけで仕事を辞めて移住するのは難しい。最後の決め手はやはり、高橋社長の熱意と人柄だったという。「この人についていこう、と思えたからです」(小柳さん) 

 求ム、林業者。経験不問。 半林半Xライフスタイルの可能性

 

小柳さんは、木を伐る経験ゼロの状態からスタートした。もちろん、自分の山も持っていない。それでも3年後には林業で自立することが求められている。プランはあるのか。

 

高橋さんは言う。「そこをこれから一緒に考えて、なんとかするんです。彼の人生を預かってしまいましたからね。でも、歳をとって山を手放したい人、手放さないけど間伐してくれればそれは売って収入にしていいよという人、などは確実にいます。そういう人たちの山をうまくまとめて、マッチングできるかどうかですね」(高橋さん)

 

伐り出した間伐材は、高橋さんのプラントが稼働している限り、市場価格よりも高く買い取ってくれることはわかっている。売り先に困らないという点では、リスクフリーと言えよう。しかし、それだけで食べていけるのかどうか。伐る山の規模や地形にもよるが、今のところはまったく未知数だ。

 

「間伐材で食っていければ、今の森林荒廃の問題なんかないはずでしょ」(高橋さん)。間伐して残った木材が育つには時間がかかるし、そもそも、そうやって手間暇かけて育てた木が建築資材として高く売れないという、根本の問題は解決していないのだ。

 

しかし逆に言えば、兼業林家として、たとえば都会の人でも「半林半X」という働き方に挑戦できる余地がある、とも言える。実際に、カメラマンという本業の傍ら林業を目指す人や、喫茶店経営と林業の両立を探る人なども出ているという。あるいは、「たまたま預かった山でマツタケが採れるかもしれません。サラリーマンをやりながら結構なマツタケ収入のある人もいるんですよ」(高橋さん)

 

いずれにしても易しい道ではない。高橋さんは言う。「林業を含めて一次産業は簡単じゃないですよ。価格は下がっているし、必ず儲かるという式はないから。でも、一次産業がちゃんとしていないとその先はない」

 

その信念が高橋さんを支えているのだろう。地域循環型社会の実現のため、林業というフィールドに外から素人を入れ、定着させていくのは大変な試みだ。が、自身も「林業は素人だから」という高橋さんは手ごたえを感じている。

 

「私だって山に一人で行くのは怖いですよ。クマも出るし、脚が挟まってもだれも助けてくれません。そういう意味でも、仲間がいるといい。一人で来ても仲間を作れる環境があれば、Iターンもしやすいでしょう。そういう体制を用意してあげれば、UIターン者は増やせると思う。今の若い人たちは、決してお金だけで動くわけではないと思っていますから」

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林業の周期は長い。木が育つまでに50年。その間、10年に1度の間伐(間引き)を行う。搬出のための作業道の整備も必須だ。

 

明治に入って日本人は「電気」を手に入れた。その電気と化石燃料の普及のおかげで、現代人は昔話のように山へ柴刈りにいかなくてもよくなった。薪割りに体力を使わなくても、手を汚して炭を焼かなくてもいい。いまやスイッチ一つでたいていのことは済む。

しかし、そのかわりに失くしたものは何か。みな分かっているはずだ。――特に東日本大震災後には。

現代の東北の地にもう一度、エネルギー地産地消、持続可能な地域内循環の仕組みを作る高橋さんたちの挑戦は、新しいライフスタイル実現の可能性を通じて地域外の人々をも巻き込みながら、まだ続く。

 

気仙沼地域エネルギー開発の求人について:

「地域おこし協力隊」制度を利用した今年度の募集枠は終了しましたが、制度に関わらず、この事業の意義を理解し、志を持って働いてくれる仲間を随時募集しています。

兼業農家・兼業林家を含む、地方での「新しい働き方」に興味を持った方は、ローカルベンチャーキャリア相談会、あるいは問合せフォームからお問い合わせください。

●ローカルベンチャーキャリア相談会 https://www.etic.or.jp/migiude/briefing/

●問合せフォーム http://tohoku.localventures.jp/contact/

  

(※)固定価格買取制度

再生可能エネルギーの固定価格買取制度とは、再生可能エネルギー(太陽光、風力、水力、地熱、バイオマス)で発電した電気を、電力会社が一定の価格で買い取ることを国が約束する制度。2012年7月1日開始。電力事業者が買い取る費用を利用者から集めることで、今はまだコストの高い再生可能エネルギーの導入を支えている。この制度により発電設備の高い建設コストも回収の見込みが立ちやすくなり、より普及が進む。(経済産業省資源エネルギー庁『再生可能エネルギー固定価格買取制度ガイドブック』)

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中川 雅美(良文工房)

福島市を拠点とするフリーのライター/コピーライター/広報アドバイザー/翻訳者。神奈川県出身。外資系企業で20年以上、翻訳・編集・広報・コーポレートブランディングの仕事に携わった後、2014~2017年、復興庁派遣職員として福島県浪江町役場にて広報支援。2017年4月よりフリーランス。企業などのオウンドメディア向けテキストコミュニケーションを中心に、「伝わる文章づくり」を追求。 ▷サイト「良文工房」https://ryobunkobo.com