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音楽フェス運営のスキルと人脈を活かした「能登ボランティアキャンプ」で、宿泊場所の不足解消へ──NPO法人ボランティアインフォ 北村孝之さん【残したい能登からの学び(2)】

2025.11.17 

2024年1月1日、石川県・能登半島で起きた令和6年能登半島地震。その後に発生した令和6年9月能登半島豪雨。甚大な被害に見舞われた能登は、今もなお、支援の手を必要としながらも、能登の皆さんが能登らしい創造的な復興に向けた歩みを続けています。

 

NPO法人ETIC.(以下、エティック)は、2024年1月の発災直後から2025年11月現在まで、被災地域の支援を継続しています。そのなかで、地震発生から1年10カ月が経ち、これまでの活動を振り返って、残すべき学びが見えてきました。

 

エティックの支援活動のうち、能登半島地震緊急支援事業(※)は、能登で復興支援を行う団体への支援事業です。支援した8つの団体の取り組みは、いずれも、これまでの被災地支援の考え方とアプローチの枠を超える画期的なものでした。

 

この連載では、エティックが助成を行った8団体が事業から生み出した成果を、「残したい能登からの学び」としてお届けします(8回連載)。今回は、NPO法人ボランティアインフォ 北村孝之さんです。

 

本記事は、2025年3月開催の能登半島地震緊急支援事業報告会の一部と、7月に行った追加取材をもとに作成したものです。

 

※「能登半島地震緊急支援事業(休眠預金等活用事業2023年度緊急枠)」について

令和6年能登半島地震への緊急支援および中長期的復興を見据えた基盤強化事業です。災害弱者・広域避難者・小規模事業者等への緊急性の高いプロジェクトを実施するとともに、プロジェクトを通じて能登および周辺地域におけるリソース不足の解消を目指します。2024年1月から2025年3月まで助成を実施しました。

 

北村 孝之(きたむら たかゆき)さん

2011年の東日本大震災をきっかけに仙台へ移住し、NPO法人ボランティアインフォを立ち上げ、「ボランティアしたい人とボランティアを求める人をつなぐ」活動を実施。その後も他の災害支援を行いながら、音楽フェスやイベントの楽しいボランティアコーディネートを行い、日本のボランティア人口を増やし、日本のボランティアを盛り上げていく活動を日々実施中。

公式サイト : NPO法人ボランティアインフォ

 

ボランティアが宿泊可能なキャンプ拠点開設で復旧を後押し

NPO法人ボランティアインフォは、東日本大震災をきっかけに、2011年から「ボランティアを求める人とボランティアをつなげる」ことをミッションに活動しています。今回は、初動から大きな課題のひとつだった「ボランティアの宿泊場所がない」ことを解決し、現地の支援に関われるボランティアの人数を増やすことを目的にプロジェクトを立ち上げました。

 

2024年6月の助成開始から急いで準備を進め、幸いにも2024年7月11日から11月末日までの約4カ月半の間、能登町内にあるやなぎだ植物公園内(能登空港から車で約25分)にボランティアスタッフの拠点となるキャンプ場「能登ボランティアキャンプ」をオープンしました。

 

ボランティアインフォnoteより

 

開設にあたっては、関係者の協力を得ながらテントや寝袋、マットなどをたくさん寄贈していただき、ボランティアの方々に無償で貸し出しをすることができました。

 

そのほか、空港からの送迎、備品のレンタルなど、ボランティアの方々が活動に専念できるように整備しました。

 

 

キャンプ場をオープンしていた約4カ月半の間は、計326人(男性61%、女性39%)の方に利用いただきました。当初の目標よりは伸びませんでしたが、令和6年9月能登半島豪雨以降は、豪雨被害が大きかった輪島市町野町(まちのまち)にボランティアに行く皆さんの宿泊拠点となり、利用が増加。その影響で10月末までの開設予定を11月末まで延長しました。

 

地震の被害にあったバーベキューハウスをボランティアの皆さんと改修し共有スペースに

 

ボランティア募集経験のないブルーベリー農家をサポート。全国から応募集まる

能登ボランティアキャンプの設置以外にも、ボランティア関連のさまざまなサポートを行いました。

 

ひとつは、発災直後から行ったボランティアの募集情報の収集と、ウェブへの掲載および発信です。掲載した能登関連のボランティア情報は約50件でした。募集のサポートは、常にボランティアを募集している団体のサポートと、ボランティアの募集経験のない団体のサポートの2種類に分けられます。とくに経験のない団体のサポートに力を入れました。

 

やなぎだ植物公園の近くには、ブルーベリー農園などを営む農家が多いのですが、担い手不足や復興工事関連の対応に時間が割かれ、肝心の自分の農園では人手不足で「ボランティア募集をしたい」という相談が寄せられました。募集要項やフォームの作成をサポートし、全国からボランティアが集まりました。

 

ボランティアによる泥の書き出し作業の様子 (ボランティアインフォのnoteより)

 

ボランティアによるブルーベリー農家での作業

 

23の復興支援イベントを支える。ボランティアコーディネートから駐車場運営までノウハウ生かし多面的なサポート

能登の各地で開催された復興支援イベントのサポートも行いました。能登町の「ござれ祭り」(8月)や「LOVE FOR NOTO」(11月)、七尾市の「FESTA DELLA PACE」(10月)など、奥能登を中心に大小合わせて23のイベントをサポートしました。我々が持っているノウハウを活かし、ボランティアの募集・コーディネートや、イベント全体の運営サポート、駐車場運営などの多面的なサポートができました。

 

「ござれ祭り」にて(ボランティアインフォnoteより)

 

そのほか、東京では、夏と冬の2回、代々木公園で開催されたイベント「アースガーデン」に能登復興支援ブースを出展し、ボランティア情報の案内を行いました。冬の開催時は、能登から3団体を招待し、ステージトークも行い、現地の方の声を通して能登の今を伝えました。

 

2025年1月代々木公園で開催の「アースガーデン」にて(ボランティアインフォFacebookより)

 

音楽フェスのボランティアが災害ボランティアとして活躍

普段、我々は、音楽フェスやスポーツイベントのボランティアコーディネートを行っています。これまで関わりを持ったボランティアの方々が、今回初めて、災害ボランティアスタッフとして、能登に足を運んでくれました。音楽フェスなどでのボランティアの経験が、現地で大きく活かされたと思っています。

 

被災地での活動に向いていると思った理由は、まず、フレキシブルに対応できることです。野外フェスでは、降雨で当初の予定を変更する、といった急な予定変更がよく起こるため、臨機応変に対応する現場力が身に付きます。

 

災害ボランティアでも、安全性を優先し、その場の判断で違う作業に切り替わる場合がありますが、そんなとき、役立ったのが、文句を言わず「最善を尽くすにはどうしたら良いか」という思考へ切り替える力でした。

 

もうひとつは、チームとしてまとまりやすかったことです。チーム全体が最大の力を発揮するために、コーディネーターは適材適所で人材の配置を考えて指示を出しますが、音楽フェスのボランティアスタッフは、チーム内でどう動けばいいか、ご自身の役割をわかっている方が多く、指示を出さなくても自然とチームとしてまとまっていることがよくありました。

 

ボランティアインフォnoteより

 

ボランティアへのアンケートから「能登半島地震 災害ボランティアレポート」を作成

2025年1月からは1年間のボランティア活動を記録する重要性を確認し、ウェブアンケートを実施。個人ボランティアの皆さんから計83の回答と、ボランティアを受け入れた3団体からも回答が得られました。

 

ウェブで公開されている「能登半島地震 災害ボランティアレポート」の表紙

 

能登半島地震 災害ボランティアレポート

 

2025年4月18日から6月末まで、週末型で再開した能登ボランティアキャンプには、このアンケート結果をできるだけ反映しました。

 

例えば、アンケートでは早い時間のチェックアウト希望者が多かったため、これまで午前10時までのチェックアウトだったところを、午前9時までのチェックアウトに変えています。

 

そのほか、ボランティア先を紹介してほしい、というニーズの大きさもわかりました。能登ボランティアキャンプの再開時には、助成事業を通して構築できた現地でのネットワークを活かして、ボランティア希望者と現場をつなぐ調整役を担えたと思います。

 

能登町外でも、期間限定でサテライトキャンプ場をオープン

助成事業の終了後は、能登ボランティアキャンプの存在が地域内外で広く知られ、能登町以外の地域でも期間限定で開設をリクエストされるなど、サテライトキャンプ場の可能性も生まれました。

 

今年3月末日には、輪島市曽々木(そそぎ)地区内に10張(はり)ほどのサテライトキャンプ場を開設しました。今後も、曽々木地区内を中心に、関係者と連携しながらサテライトキャンプ場の展開を考えています。

 

週末型で再開した能登ボランティアキャンプ(2025年4月18日から6月末まで)では、特にゴールデンウィークにボランティア希望者の利用が多く、昨年10月に受け入れた学校では、前回より多くの方々に利用してもらいました。

 

また、音楽フェスなど他ジャンルのボランティアを能登に呼ぶために「ボランティアツアー」をテスト的に2回実施しています。ボランティアだけでなく、能登町を案内して被災地の現在を伝えたり、能登の食事を楽しんだりする内容です。

 

というのも、ボランティアを行うときには、ボランティアの活動先から、交通手段、宿泊先、食事の確保まで複合的に探さなければいけなくて、初めての人たちには参加しづらい状況だと思います。そこで辿り着いたのがボランティアツアーでした。

 

 

全国のキャンプ場がボランティアの拠点になりうる社会実験を示してくれた

 

活動報告会の終了後、中越地震の復興に携わったNPO法人ふるさと回帰支援センター 副事務局長の稲垣文彦氏は、次のように話しました。

 

「今回の活動で大きな教訓を導き出してもらえたと思っています。令和6年9月能登半島豪雨後、キャンプ場があったことで被害の大きかった能登町や輪島市にボランティアがスムーズに入ることができた。これは、ひとつの社会実験としての成果だと思っています。

 

そういう意味では、今後、全国のキャンプ場やグランピング施設などが、有事の際の拠点になる可能性があります。こういった考え方やネットワークが広がっていくのは、とても貴重なことだと思いました」

 

音楽フェスボランティアと災害ボランティアをつなぐ仕組みづくりを目指して

ここからは活動報告会から約半年が経った9月に、編集部が行ったインタビューです。あらためて、能登から何を学んだのか。残したい能登の学びとは何か、北村さんにお聞きしました。

 

──今回の助成事業を通して、北村さんご自身が学んだことや、今後、能登の学びとして残したいことがあれば教えてください。

 

北村 : ボランティアスタッフの拠点となるキャンプ場の提供は、我々にとって初めての取り組みでした。今回の助成事業で、いろいろなノウハウがたまったので、能登ボランティアキャンプ場の仕組みを活用しながら、ほかの地域での災害発生時にも、ボランティアが滞在して活動に専念できる環境づくりを今後も続けていきたいと思っています。

 

また今回、我々が行ってきた音楽フェスのボランティアスタッフが多く、現地で活躍しました。このことから私は「普段行っている音楽フェスボランティアが、災害ボランティアに役立つ」という実証を得ることができたと思っています。

 

今後は、音楽フェスのボランティアスタッフが災害ボランティアに参加しやすいように、「ボランティアツアー」でつなぎ、災害ボランティアへの参加者をもっと増やしていけるような流れをつくりたいです。

 

──北村さんは以前より、ボランティアの裾野を広げていく活動をされてきました。今後、能登復興の先には、どんな変化が社会に生まれると感じていますか?

 

北村 : コロナ禍を経て、現地では人数をコントロールしたい傾向があると思います。阪神・淡路大震災や東日本大震災ではボランティアに来るたくさんの人たちをいかにマネジメントし、復興活動を早く進めるかを大事にしてきましたが、今は、いかに人数を調整し、計画的かつ中長期的に復興活動を進めていくかを意識していると感じます。

 

それぞれにメリット・デメリットはありますが、この流れは社会として変えられないと思うのです。

 

人数をコントロールしながらボランティアの方々をつなげる手法としても「ボランティアツアー」が活用できると思います。今後は、旅行業を行う企業や団体と連携して開催していきたいです。

 

また何よりも、一人ひとりがボランティア活動をするためには、現地情報を知っておく必要があります。あらためて、情報をしっかり見る必要性を、皆さんに認識してもらいたいと思います。

 


 

エティックでは、災害復興支援のための寄付を受け付けています。

詳細は災害支援基金プロジェクトのページをご覧ください。

 

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たかなし まき

愛媛県出身。企業勤務を経て上京。初めて書いた西新宿のホームレスの方々への取材ルポが小学館雑誌「新人ライター賞」入賞。食品業界紙営業記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。主に子育て、教育、女性をテーマにした雑誌やウェブメディア等で企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在は、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターと兼業。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。