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「自分の感性が事業に結びつく仕事」にやりがい。陸前高田市に移住し、“家を閉じる”ことに向き合うNPOに新卒就職した木津谷亜美さんの挑戦とは

2023.05.18 

新卒でNPOに就職をする。

 

仕事への安定志向が依然として強い中、「人のためになる仕事をしたい」と答える大学生が増加していることをある意識調査が示すように、社会の課題を解決するNPO法人やスタートアップへの就職に関心をもつ学生の存在が自然なこととなってきました。

 

しかし、実際にNPOへ新卒就職する学生はまだ少数派というのが現状です。そんな中、悩み抜いて、大学卒業後、NPOに就職した女性がいます。NPO法人高田暮舎の木津谷亜美(きつや・あみ)さんです。その決断には、木津谷さんだからこそ叶えられる未来への道筋がありました。

 

この記事は、古い価値観を手放し、新しいキャリアや生き方を選択することで自分が納得できる人生の物語(ナラティブ)を創っていく、そんな越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)の連載記事です。今回、木津谷亜美さんが進み始めたキャリアと思い描く未来についてお話を伺いました。

 

聞き手 : 川端元維・小泉愛子 (「Action for Transition」運営メンバー)

 

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木津谷亜美さん

 

空き家を卒業した古物を別の誰かに手渡す

 

――木津谷さんは、今春、大学卒業後に出身地の青森県から岩手県の陸前高田市に移住し、NPO法人高田暮舎に就職されました。現在はどんな仕事をしていますか?

 

NPO法人高田暮舎は、陸前高田市で移住・定住促進の事業パートナーとして活動を行っています。その中で、私が担当しているのは、「暮らし」の中の、「家」に関わる事業です。高田暮舎では、市内の空き家バンクの運営も行っていますが、私は空き家バンクの関連事業として生まれた「お家の未来相談窓口」という、空き家の管理や整理など、お家に関するお悩みをサポートする仕事をしています。中でも、空き家の家財や遺品を整理し、新たに必要とする人へ届ける仕組み作りに携わっています。

 

一家で住み継いできた家を、「閉じる」または「活用する」には、実はたくさんの壁があります。相続・登記、お家の管理・修理、家財の整理……。家主さんからは「お家の管理をお願いしたい」「家を閉じる手伝いをしてほしい」など様々なご要望がありますが、多いのは、「自分で整理するのは難しいからお願いしたい」という声です。

 

お家を他の人に受け渡して活用するためには、「家財整理」つまり、家の中を空っぽにする作業が必要になります。東北の大きなお家は、築100年を超える、世代を超えて住み継がれてきたお家が多いのです。そのため、私たちが整理に入った時にはたくさんの古物が出てきます。誰かの思い出の詰まった、綺麗にすればまだまだ使える愛しいものたち。それらを処分するか、商品として可能性のあるものは無料で引き取らせてもらうか、その仕分けしながら、依頼された空間を空っぽの状態にします。引き取った古物は、ひとつひとつ洗ったり磨いたりした後、販売しています。

 

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家の中から出した古物の整理をする高田暮舎のメンバーたち。ほこりまみれになりながら蔵や庭に古物を集め、

もう一度誰かの手に渡せそうなものはないか見ていく

 

販売する場所は「山猫堂」という築150年以上の古民家で、ほとんど手を入れないでお店にしています。そこに軽トラックで家財や古本などを運び、値付けをして販売します。

 

【追加写真】木津谷さん②

山猫堂の外観。思わず入ってみたくなるような趣あふれる雰囲気

 

【差し替え写真】木津谷さん_山猫堂

山猫堂の店内。古物たちに新しい価値が見出され、センスよくレイアウトされている

 

古物に込められた家主の思いに寄り添う

 

――日本で古物への価値が見直されている中で、家財整理などの依頼者には高齢者の方が多いと思いますが、昔の方は物を大事に取っておく習慣もあるような気がします。そういった方々に対して、木津谷さんたちはどんなことを大切に対応されていますか?

 

思い入れのあるものを「本当は捨てたくない」とおっしゃる方がたくさんいます。家主さんから「こんなふうに使ってくれるとうれしいんだけどなあ」と言ってもらえれば、私たちはできるだけ商品としてもう一度お店に置けるように手を入れています。

 

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山猫堂の店内から見た庭の様子。お年寄りたちが日向ぼっこをしながら何やら話をしている、

ほがらかな笑顔と明るい笑い声がこちらにも伝わってくるよう

 

「誰かが大切に使ってきたものが、次に使う人にとって良い思い出になるといいなあ」という気持ちが一番にあるんです。

 

私たちにとってはそれまで知らない方の家なのですが、整理の時には、たんすや棚の引き出しの中も全部出して手に取るので、その家に蓄積されてきた思い出が伝わってくるんですね。物や家が、大事に使われ続けてきたこともわかる。家主さんが誰かと楽しそうに笑う写真とか、年季の入ったぬいぐるみとか、一つひとつに込められた家主さんたちの思いに寄り添うことを大事にしています。

 

【追加写真】木津谷さん③

古着がよく似合う木津谷さん。山猫堂のレトロな雰囲気がとても居心地よさそう

 

例えば、「神棚を大事にしたい」というご要望があれば、汚れを取ったり磨いたりして保存状態を良くします。家主さんの思いに合わせて供養もするし、傷つけないように工夫します。家主さんの意向を最大限に尊重するところが他のリサイクル業者と大きく違うところだと思います。

 

大事にしたいことを「大事」だと言ってくれた

 

――木津谷さんが古物の仕事を始めたのは、大学最後の夏休みにインターンをしたのがきっかけだそうですね。その間、どんなことが影響してNPOへの就職を決めたのでしょうか。

 

大きな理由は2つあって、1つはNPO法人高田暮舎という組織との出会いです。

 

大学入学時から、いつかは地元に帰って何かをしたいと思っていたのですが、実際に就職活動をしていると、すぐに地元でやりたいことをするのは難しかった。実は、インターンの時には企業から内定をもらっていました。趣味の範囲で将来やりたい空き家に関する経験ができればと、大学4年の夏休みに、地域ベンチャー留学を通して高田暮舎の家財・遺品整理の仕事をさせてもらったのですが、その時に初めてNPOで働く経験をしました。

 

それまではNPOでの新卒就職は正直言って現実的ではないと思っていました。でも、「お客様の幸せや社会貢献あっての利益」という考え方に触れて、「そこを突き詰めていいんだ ! 」と自分の究極の理想が受け入れられた感覚があったんです。

 

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高田暮舎でインターンをしていた頃の木津谷さん

 

高田暮舎で働きたいと思ったもう1つの理由は、人や場所との出会いです。古物商を営む山猫堂は宿泊施設としても使われていて、インターンの時に私も住み込みをしていました。それが、自分にとってすばらしく心地いい場所だったんです。

 

また、高田暮舎のみなさんから「今のあなたの感性をこれからも大事にしてほしい」と言ってもらえたことも大きな力になりました。例えば、かわいいと思うところが他の人と違っていても、社会人になってその感性を諦めなくてもいいし、逆に私の一番の個性や強みだと自信を持ってほしいと。こんなふうに私が大事にしたいことを温かく受け止めてくれる環境は他にはないんじゃないかと思って、高田暮舎への就職を決めました。

 

古物から“かわいい”を見つけ出す感性が磨かれた背景

 

――木津谷さんたちの仕事は、家財や遺品を市場とつなぐ役割をもっているように思います。新しい仕事を創るイメージでしょうか。

 

そうですね。物の選び方やお店での見せ方は、「自分にしかできない価値づくりを意識してほしい」とメンバーの方からも言われています。

 

家財道具が集まった現場は、ガラクタに見えるものも多いですが、私にとっては、魅力的で“かわいい”がたくさん詰まっている状態なんです。古物たちが当時どんな背景でどう使われていたのかを想像して、「山猫堂に合いそう!」と思ったものを選んでいますが、私自身、物事のバックグラウンドに興味があることも活かされているのかなと思っています。

 

――木津谷さん自身の感性はどんなふうに磨かれてきたのでしょうか。

 

地元を不自由だと感じていたことが大きいかもしれません。大学生になって、それまで抑えていた興味関心や行動力が開花した感覚でしょうか。

 

私が生まれ育った青森県の津軽地方は吹雪が激しくて、冬は豪雪の生活で、自宅は中心街にも遠いから興味がある場所にもなかなか行けない、高校生まではそんな不自由さにずっとモヤモヤしていました。

 

でも、栃木の大学に進学してからは自転車で行きたいところに行ける生活が快適で、そのうち友達から教えてもらった古着を着るようになると、一点物の価値をいろいろ組み合わせて楽しむ自己表現が面白くて。

 

多様な価値観をもつ友達と自由な生活を楽しむ中で、高校まで家の中でもんもんと溜め込んでいたいろいろな感情や興味が沸き上がったんだと思います。好奇心、悔しさ、でも地元のことは嫌いになりたくないという複雑な気持ち、地域に対する課題感などいろいろ。

コロナ禍で台湾留学が中止に。代わりに手にしたものが大きかった

 

――木津谷さんは、高校生まで複雑な思いを抱えてはいたものの、大学で世界が広がり、陸前高田市でのインターンシップでは自分の大事にしたいものを大事だと言ってくれる大人と出会えたとおっしゃいました。なぜそう気づけたのか、何かが影響していたのでしょうか。

 

一つは、大学での学びだと思います。宇都宮大学の国際学部で社会学、政治経済、貧困問題など様々な社会問題に触れたことで、いろいろな角度から捉え、考える力が養われました。

 

何より大きかったのは、私自身、自分の道をどうするか、初めて自分で決断したことです。

 

大学生の時に、コロナ禍の影響で予定していた台湾留学が中止になったのですが、友人や知人、教授たちに「私はこの先どうすればいいのだろう」と相談したんです。自分がどうしたいかを考えて、出した答えが、1年間の休学とインターンシップでした。

 

休学した1年間に、自分の人生にとって大きな分岐点がたくさんあった気がしています。価値観を変えてくれる大人との出会い、人生が変わる予感……。

 

もちろん、移住してまでNPOに入社することは、1週間くらい毎日泣きながら悩みました。ただ一方で、私が不安を抱えていると、「どんな決断をしても大丈夫だから。とことん悩んで自分で決めてみな」と陸前高田で出会ったみなさんが励ましてくれたことが大きな自信になりました。自分で進む道を決めて行動したことは、自分を俯瞰して見るスキルにつながったし、自分自身が「変わった」と思えました。

 

今の道は、「最適解」だと思っています。

めかぶをさばいて湯がく、「こういう生活がいいよね」

 

――陸前高田市での暮らしはいかがですか?

 

最高です。もうすでに陸前高田市に愛着が生れています。この前は、めかぶを大量にいただいて、深夜にさばいて湯がいている時、「やっぱりこういう生活がいいよね」とうれしくなりました。

 

今は山猫堂から車で20分くらいの空き家に暮らしていて、ほぼ毎日、山猫堂までの海沿いの道を「きれいだなあ」と思いながら運転しています。

 

【追加写真】木津谷さん①

木津谷さんお気に入りの風景

 

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インタビュー中の木津谷さん(写真上左)。くしゃっとした表情の笑顔が印象的

 

仕事にやりがいも感じています。自分の感性、深いところまで考える習慣、カルチャーへの強い興味関心が事業に結びつくことがすごく楽しいです。

 

あとは、不安を感じたら一人で抱え込まずに周囲に相談できるようになりたいですね。

青森に自分たちの世代のカルチャーをつくりたい

 

――10年後はどうなっていたいですか?

 

30歳までに青森でアーティストレジデンスをしたいです。地元のおじいちゃん、おばあちゃんも一緒に飲み会をしながら創るみたいな、いろんな感性の人たちが集まる空間がいいですね。

 

津軽には特殊の文化があります。津軽弁、津軽塗やこぎんざしなど繊細だけど力強い工芸も。工芸は厳しい冬から生まれたもので、その文化を率先して育ててきたのはおじいちゃんやおばあちゃんの世代です。おばあちゃんたちから昔の話を聞きながら工芸の歴史や作り方を教わって、私たち若い世代が自分たちの感性で捉え、新しい文化をつくれると楽しそうだなと思っています。

 

台湾にもまちづくりの事例を見に行きたいですね。

 

今、日本ではコミュニティ再生に関心が集まっていますが、台湾は若い世代が中心になったカルチャーづくりが広がっています。歴史的な建造物をリノベーションして宿屋や本屋を作るなど、そういう動きをどんな人たちが生みだしているのか、自分の目で見てみたいんです。そうして、青森でも自分たちの時代のカルチャーをつくって、一度は津軽を離れた若い人たちに「こんなに面白い人たちがいるなら戻りたい」と思ってもらえたらいいなあと思っています。

 

――木津谷さんのように自分の気持ちや興味関心を大切に生きたいと思う若い人は多いと思います。木津谷さんだったら、そんな方々にどんな言葉を送りますか?

 

もし閉鎖的な環境で暮らしていて困っているなら、「外に出てもいいよ」と声をかけたいです。いろんな場所にそれぞれの世界があります。動いてみるといいし、遠回りも悪くない。

 

私のように地元への複雑な思いをもちながらも、将来は地元で何かをしたいと思っていたら、そんな自分にもっと自信をもっていい。面白いと思うことも、たとえそう思うのが自分一人だとしても、「むちゃくちゃ面白いんです」と言い続ければいいんです。

 

もし今の環境から出たくても出られないとしたら、その状況をコンプレックスに思わないでほしいです。似た環境で優れた工芸や文化を紡いできたおばあちゃんや面白い地域の人たちがいます。そういう生き方から自分のハッピーがきっと見つかると思うんです。

 

***

 

>> 越境的・創造的キャリアの挑戦者たちにインタビューした記事はこちら

トランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(AFT)

 

 

この記事を書いたユーザー
たかなし まき

たかなし まき

1971年愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科卒業後、地元の企業に就職。その後上京し、業界新聞社、編集プロダクション、美容出版社を経てフリーランスへ。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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