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求めていた「ふるさと」が見つかった。佐賀から日本の「ふるさとの課題」に挑む ―佐賀市地域おこし協力隊 門脇享平さん・門脇恵さん―

2015.02.20 

「地域で働きたい・暮らしたい」みなさんも一度は考えた事があるのではないでしょうか。しかし、実際に"やる"人はそう多くありません。前回に引き続き、今回は実際に「夫婦二人」で地域に飛び込んだ、佐賀県佐賀市地域おこし協力隊* の門脇享平さんと恵さんに「どうして地域へ向かったのか」そしていま「どんなことを考えているのか」をお聞きしました。

*地域おこし協力隊: 人口が減少している地方において、地域への移住を望んでいる若者などを積極的に招き、彼らのニーズに応えながら地域の力を強めていくことを目的とした取り組み

門脇享平さん ― まず、お二人の働く佐賀市と仕事内容について教えて下さい

 

享平さん 私が働く佐賀市三瀬村は市の北端にある人口約1450人の小さな村です。三瀬村は山に囲まれていますが、周辺の福岡市や久留米市、佐賀市内、唐津市の中心部までは1時間以内で行ける、市街地に近い農村地域です。そんな三瀬村で昭和62年にスタートした農産物の直売所の運営のお手伝いをしています。この直売所、ピーク時には1億円以上の売り上げがあったのですが、平成23年には4,000万円まで落ちてしまっています。この直売所を地域の方と一緒に立て直していくのが僕のミッションです。 恵さん 恵さん 私が働いているのは佐賀市富士町という三瀬村と同じく市の北部に位置する人口が4500人程の町です。町の8割が山林ということで、林業を中心とした地域振興のお手伝いをさせて頂いています。具体的には、地元の森林組合に籍を置かせて頂きながら林業のPR活動や木材の利用促進、木製製品のプロデュースなどを進めています。林業の衰退は、富士町だけではなく、日本全体の課題でもあります。難しい分野ですが、その分やりがいもあります。

 

― 数ある地域の中でなぜ佐賀市だったんですか?

 

恵さん 私は東京の生まれなのですが、親の仕事の都合でスリランカ、伊勢、埼玉、といろんな土地を転々として育ちました。なので、「ふるさと」と呼べる土地がなく、自分が根無し草のような気がしていたんです。それで、いつか自分が大人になったときに自分の「ふるさと」を自分で作ろうと考えていました。

そして、大人になり、東京での社会人生活も一区切りついたタイミングで自分の「ふるさと」を探している際に、昨年の地域仕掛け人市**にたまたま参加し佐賀市に出会いました。私が活動の拠点を置く富士町にはまさに求めていた以上にきれいな水と空気、そして山林が広がっていました。

はじめて町を訪れたときに「求めていた場所はここだ!」と思い、思い切って移住を決断しました。都会には都会の良さや面白さがあるけれど、都会での暮らしも田舎での暮らしも経験した上で、これからの時代は田舎での里山的暮らし方が自分にも時代にもフィットしていくんじゃないかと考えています。

**地域仕掛け人市は全国各地で中小企業での経営革新やまちづくりを仕掛ける"地域仕掛け人"と地域に飛び込む新たなチャレンジを探している若者が交流するマッチングイベントです。

佐賀の景色

享平さん 実は最初、地域に行くのは反対だったんです。(笑)というのも元々、福岡県出身なんですが、バリバリ働く事や経営に興味があったので大学も就職先もあえて東京を選びました。経営に興味があったからこそ、新卒の就職先も経営者に近い小規模な会社を選んだんです。

そんな思いもあって田舎に移住するのは早すぎると反対していたのですが、佐賀市三瀬村の地域おこし協力隊も、直売所の経営に関われる部分があると聞いて、ここなら面白そうと思ったんです。それで、2人とも佐賀にピンと来たので運命だと思って2人で応募しました。

 

― いまどんな仕事をしているんですか?

 

恵さん まず、最初の一ヶ月はあいさつ回りなどが中心でした。そして、あいさつ回りは現在も継続中です。というのも、私は完全なよそ者な上に、林業のど素人なんです。富士町という土地のこと、林業のこと、そしてそこに住んでいる人たちのことを知るのに一番の近道はその土地で実際に暮らしている人たちに直接会って話しを聞くことだと考えています。

人に話を聞く仕事って地味でよくわからないかもしれないのですが、地域に入っていく上で一番大切なことは人の話をよく聞くことだと思います。その他に具体的な活動内容としては、林業と森林組合のPRを兼ねたイベントでの木工体験コーナーなどの企画運営のお手伝いをしたり、佐賀市の木材の流通促進のためのロゴマーク作成だったり、ホームページのリニューアル、ブログの更新などをしています。

 

享平さん 最初は、直売所に通って店番の人やお客さんと会話をしながら情報収集をしていました。今は、そこから徐々に直接的に経営に携わるような仕事にシフトしていっています。店を経営しているのは地元のお母さん達なので経営の課題や解決方法を探すのは苦手です。だから、僕がそこをお手伝いしています。まずは、小さいところから初めて陳列の配置やPOPなどを考えています。それと直売所だけだと、売り上げの上昇にも限界があるので外販先確保のための営業にも行ったりしています。その他にも今後の事業展開として、加工品事業、移住支援事業を考えたりしています。 佐賀の景色 ― 最後に今後の目標を教えて下さい

 

恵さん まずは、地域おこし協力隊の3年間という任期の間に自分自身がこの町に定住するための土台をつくっていきたいと思っています。第一次産業で変化を起こしていくということは、とても時間のかかることだと思っています。中でも、林業は1本の木が材として何かしらの形で使ったり、売ったりするのに、何十年もかかります。

だから、3年後がゴールではなくて、3年でスタート地点に立つようなつもりで長期的な視点から、林業という仕事と地域と向き合って生きたいと思っています。そのために、地域おこし協力隊という仕事を離れても林業と町と関わっていけるよう、木製製品の販売やプロデュース・販路開拓をするような会社を立ち上げてこの町で生活していくことが私の今後の目標です。

 

享平さん 私の今のミッションでもあるんですが、一番は、三瀬村民の農業所得の向上ですね。それと同時に、直売所の経営に携わりながら若い人の雇用を生んでいきたいなと思っています。そのためにまずは、3年の任期の内に自分の給料が払えるくらいにしたいです。 ふるさと

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日野 正基

(公社)中越防災安全推進機構 復興デザインセンター。1987年新潟県新潟市生まれ。長岡造形大学環境デザイン学科卒。大学在学中に中越地震の復興支援に携わった事をきっかけに2009年に任意団体中越復興市民会議に参画。中越復興市民会議では、地域と子ども達をつなぐコーディネート業務などに取り組む。2011年から現職となり、中山間地の担い手育成のためのインターンシップ事業「にいがたイナカレッジ」や地方での起業支援、移住に関する研究、集落の計画づくりに従事。