全4回でお届けする、NPO法人クロスフィールズの創業ヒストリー。共同創業者・副代表の松島由佳さんへのインタビュー前編・後編に続きまして、今回は、代表・小沼大地さんに創業にまつわるお話をうかがいました。
写真:インタビューに応えるクロスフィールズ共同創業者・代表の小沼大地さん
シリアで出会った、NPOとビジネスの接点
石川:松島さんに続いて、小沼さんに創業のお話をうかがいたいと思います。どんな経験や想いが、クロスフィールズの創業へとつながっていったのでしょうか。
小沼:創業につながる原体験は、シリアでNPOとビジネスの接点が持つ可能性を目にしたことと、日本に帰ってきてから、企業で働く友人たちが徐々に情熱を失っていく姿を見たことの2つですね。
石川:まずはシリアのお話から、うかがってもよろしいですか。
小沼:社会科の教員志望だった僕は、大学卒業後に「教師になる前に自分の経験の幅を広げたい」と思って、青年海外協力隊員に参加しました。派遣先はシリアで、僕は現地のNPOに所属し、貧困層向けに低金利で融資を提供するマイクロファイナンスに携わることになったんです。
正直なところ、行く前はシリアという国にあまり良いイメージがありませんでしたし、「困っている途上国の人たちのために貢献しよう」と思っていました。ですが、「自分たちの国や地域を良くしよう」と情熱にあふれるシリア人と働く中で、「困っているシリアの人」というイメージは完全に覆されたんです。むしろ、たくさんの尊敬できるエリアの人たちに出会い、彼らから多くのことを学ばせてもらいました。
写真:シリアの小学校で環境教育に取り組む小沼さん
石川:途上国の人々は、先進国に一方的に助けられる対象ではない、ということですか?
小沼:そうです。僕にとってこの気付きは衝撃でした。とはいえ、しばらく一緒に働くと色んな経営課題があることもみえてきます。ちょうどその頃、ドイツのコンサルティングファームから2人の経営コンサルタントが派遣されてきました。その頃の僕は、「ビジネス」と「社会貢献」は全くつながりのないものだと思っていたので、最初のうちは「何をしにきたんだろう?」くらいに思っていました。
石川:今で言う”プロボノ”ですね。
小沼:そうです。彼らはNPOスタッフの業務量を可視化したり、成果が見えにくい社会貢献活動に成果指標を導入したりして、次々に現場を改善していきました。つながりがないどころか、ビジネスとNPOがつながるところには、ものすごい可能性があったんです。
当時の僕は、それが本当に嬉しくて、彼らの仕事を夢中になって観察していました。そんな中で、シリア人の情熱が、どんどん彼らにも伝播していくのを感じたんです。これも大きな驚きでしたね。自分の仕事が社会によいインパクトを与え、誰かに感謝されるということが、どれほど仕事にやりがいをもたらすか。それを目のあたりにした瞬間でした。
写真:小沼さん(中央)の人生を変えた、ふたりのドイツ人コンサルタントと。
その後、ものすごく遅い現地のインターネットで頑張って色々調べていくうちに、”社会起業家”という言葉にたどり着きました。「ビジネスを通して社会課題を解決する」というコンセプトに驚き、さっそく日本の友人にお願いして、「社会起業家」に関する書籍をあるだけ送ってもらいました。当時は、社会起業家に関する本なんて数冊しかありませんでした。その本が届いてから、毎晩眠れなくなるほど興奮しながら何度も読み返したのを覚えています。
石川:その時の興奮というか、盛り上がりが伝わってきます。これだ!という感覚があったんですね。
小沼:これだ!というヒラメキがあった瞬間を、僕ははっきりと覚えています。話の続きですが、ちょうどその頃まとまった休みがあり、僕は送ってもらった本だけ持ってシリア国内をひとり旅をすることにしました。社会起業家についての本と、なぜか一緒に送られてきた司馬遼太郎の『竜馬が行く』全巻をバッグに詰めて。
そんな本を読んでいたから、盛り上がってスイッチがはいっちゃったんでしょうね。ユーフラテス川の川べりで対岸に沈む夕日を一人で眺めていたとき、ふと「僕が人生をかけてやりたいのは、ビジネスの世界と、NGOの世界をつなぐような仕事だ!」と思ったんです。東京で働く僕の友人や、青年海外協力隊を通して出会った人たちの顔が頭に浮かんできて、ビジネスと社会貢献という異なる世界にいる彼らがつながったら、世の中すごく面白いことになるんじゃないか。自分は、それをやるために生きて行こうと。
写真:ユーフラテス川に沈む夕日。 人生をかけた使命を「これだ!」と体感した瞬間だったそうです。
帰国後のギャップから生まれた「コンパスポイント」
石川:そこで、クロスフィールズにつながる思想というか、芽が生まれたんですね。
小沼:それで、その後帰国してからまた衝撃的な出来事があって、より強くそう思うようになるわけです。それが、原体験の2つめです。
石川:どんなことがあったんですか。
小沼:帰国後、「久しぶりに飲もうぜ」ということで、大学の友人たちと飲んだんです。そこで僕が、学生時代の勢いそのままでシリアでの体験や将来の夢を語ったら、予想外の反応が返ってきました。「現実はそんなに甘くない」とか、「小沼も会社に入って早く大人になったほうがいい」とか。
ちょっと前には、「銀行に入って、日本企業を元気にしたい」などと熱く語っていた友人たちが、社会人になって2年で”大人”になっていたんです。僕はなんだか悲しくなると同時に、若者たちの情熱や志を薄れさせ、目の輝きを奪ってしまう「日本の組織」に憤りを覚えました。
石川:シリアで出会った人たちの目の輝きと、対照的な友人の姿に衝撃を受けたんですね。
小沼:そこで、大学の友人を誘ってはじめたのが、「コンパスポイント」という勉強会です。キャッチコピーは「情熱の魔法瓶」という、ちょっと暑苦しい、けれども問題意識をストレートに反映したもので、勉強会といってもお固いものではなく、有志が集まって社会起業家などゲストのお話を聞き、その後は飲みながら語り合うというものでした。 こんな暑苦しい会にどれくらい人が集まるかなと思っていたら、毎回30人以上の人たちが集まってくれたんです。みんな同じ問題意識を持っているということが分かって嬉しかったですね。同時に、これは勉強会だけに終わらせずに、何か形にしていかないといけないと思うようになりました。
石川:少しずつ、クロスフィールズ創業に近づいていくようですね。コンパスポイント設立後、小沼さんはマッキンゼー(マッキンゼー・アンド・カンパニー)に就職されています。どうしてコンサルティングファームを選んだのですか?
働きながら「営利と非営利をつなぐ」プランを練る
小沼:シリアで出会ったコンサルタントの、「短期間でビジネスを学びたいなら、コンサルティングファームに行きなさい」というアドバイスがに素直に従って、そこは割りとあっさり決めました。僕には曖昧ながらも「NPOとビジネスをつなぐ」というビジョンがあったし、それを実現するスキルを磨きたくて、「3年間だけ修行させてください」と言ってマッキンゼーに就職しました。
石川:マッキンゼーでの修行中も、ビジョンを実現する方法を考え続けていたんですか。
小沼:そうですね。働き始めて2年目に、海外研修でアメリカに行く機会がありました。僕は「これはビジネスプランを磨く絶好の機会!」と思って、研修の合間をぬって色んなNPOを訪問しました。Teach for AmericaやAmeriCorps、Taproot Foundationにアポをとって話を聞き、営利と非営利のフィールドをつなぐ事業を模索しました。 その時のノートには、「ソーシャルセクター・コネクターズ」、またの名を「青年国内協力隊」という、現在の留職につながる幻のビジネスプランが残っています。当時は、ビジネスパーソンを一定期間、国内のNPOに派遣するというモデルを考えていました。
多くの仲間に支えられた創業期
石川:その後、コンパスポイントの仲間たちと議論を重ねる中で、同じ問題意識を持って事業を構想していた松島さんと合流して、クロスフィールズの原型が生まれたんですよね。そこから創業までには、どんなことがあったんですか?
小沼:コンパスポイントでの議論を経て、松島と共に新たな事業を始めようと決めたのは、2010年の年末頃です。この時はまだ、事業が成り立つかどうかも分からなかったので、まず先に退職することだけ決めて、昼間に企業を訪問し、夜中に松島と打合せながらプログラムを改善する日々が続きました。 数十社を訪問した後、ようやく「検討したい」という企業が現れて、マッキンゼーを退職したのが3月11日、東日本大震災の日でした。退職挨拶のメールを書き終えたところで、ぐらぐらっと机が揺れはじめて。
石川:ものすごいタイミングですね。
小沼:そうなんです。当然、苦労した末にようやく掴んだ検討の話は白紙に戻り、翌週以降のスケジュールも全て流れてしまいました。松島とふたりで途方に暮れてしまいましたが、これも運命だと思って三日後には被災地に入り込み、緊急支援にあたることを決めました。緊急支援の体制構築がやや落ち着いた5月の連休に、松島や仲間たちとJICAの貸し会議室にこもって事業プランを作り上げた時が、正式なクロスフィールズ創業の瞬間です。
写真:仲間たちとJICAの貸し会議室で事業プランを練り上げた、クロスフィールズ創業の瞬間。
石川:仕切りなおしての再スタート。
小沼:営業的にはゼロからのスタートでしたが、悲壮感はありませんでした。クロスフィールズのビジョンを全力で世に問うて、それでダメなら、この方法がうまくいかないことが証明されるだけだと思っていましたし、何より僕達には支えてくれる仲間たちがいました。
最終的に留職第1号が実現するまでに、僕らは100社以上を訪問しています。コンパスポイントの仲間が「うちの会社にも提案してみなよ」とキーパーソンを紹介してくれなかったら、こんなに多くの企業にクロスフィールズのビジョンを伝えることは絶対にできなかったし、繰り返される「前例がないからできません」に心が折れていたかもしれません。
石川:仲間たちのサポートがあったんですね。留職導入の際にも、社内有志が担当者に提案を持ちかけるなど、導入に向けた自発的な動きがたくさんあったとうかがっています。
小沼:クロスフィールズが創業できたのは、ビジョンに共感した多くの人たちが助けてくれたからだと言い切れます。コンパスポイントの仲間や、提案先の社員の方々が、色々な形で一緒に事業を創り上げてくれた。最初から、20代の若手2人、自分たちだけではうまくうかないだろうと思っていたので、周りの人たちに助けを求めること。そして、そうした人たちに一緒にワクワクしながら関わってもらうことは意識していました。
ですから、導入を検討していただく過程でも、「クロスフィールズが留職という出来上がったプログラムを提供する」というよりは、このコンセプトに共感した社員の方々が、自発的に社内で留職を作り上げていく、そのお手伝いをしていると感じることが度々ありました。
石川:外からは、小沼さんと松島さんの2人で頑張っていて、素晴らしく完成されたプログラムを次々に導入しているように見えるわけですが、実際には創業時にそれを支えたコンパスポイントの仲間がいて、その情熱が提案先の社内にも伝播していくという感じなのですね。クロスフィールズに関わる全ての人たちの主体性が引き出されるのは、2人の姿勢あってのものかなと思います。
小沼:実際に、留職第1号となったパナソニックさんでの導入時には、「仕事を通して、途上国の課題を解決したい」という熱い想いを持った社員さんとの出会いが大きく実現を後押ししました。「ぜひ留職やってみようよ」という彼らの社内での働きかけや、他にも多くの人たちの助けがあって、2012年の2月に留職第一号が実現したんです。
>>「経済成長だけで、本当に人は幸せになれるのか?」小沼大地さんインタビューに続きます。
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