#ワークスタイル
DRIVE転職者ストーリーVol.4 大手企業を離れベンチャーでの新たな挑戦。途上国の可能性に光をあてる、マザーハウスの仕事とは(株式会社マザーハウス・中村有希さん、宮島昇平さん)
2015.10.29
未来をつくる仕事と出会った人たちを追うインタビューシリーズ「DRIVE転職者ストーリー」第4弾!
今回は、社会問題の課題解決を目指そうと一般企業からソーシャルビジネスの扉を叩く決心をした、株式会社マザーハウスの中村有希さんと宮島昇平さんのお二人に、どのようにマザーハウスとの関わりを望み、どのような世界との関わりを目指しているのかを語っていただきました。
中村有希さん、宮島昇平さん
「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念を掲げる株式会社マザーハウスは、現在バングラデシュ、ネパールでバッグやファッション雑貨の工場を持ち、日本国内16店舗、そして台湾5店舗、香港1店舗で販売を展開。2015年10月、新たな国であるインドネシアで生産したジュエリーの販売を開始する。 現在求人掲載中>>「途上国から世界に通用するブランドをつくる」
経験を活かしたいから? 好きだから? マザーハウスを選んだ理由とは
―これまでの経歴とマザーハウスに転職されたきっかけを教えてください。
中村有希さん(以下、中村):私は最初、大手の建設機械の製造会社に勤めていました。学生のころから途上国に関心があったので、途上国のインフラを造る会社に入ったんです。モノづくりが好きだったこともあって、工場勤務の管理部門で現場に近いところで5年働いていました。
ただ、大手の製造系、工場ということもあって、とても男性社会でした。同期が海外に転勤したり、他の部署へ異動しているのに私は変わらず据え置かれていたりして……。女性幹部の育成が必要だという割には、もう少し待ってほしいと言われ続けていて、いわゆる「ガラスの天井」が見えて、自分でももどかしく感じていました。
そんなときに東日本大震災が発生しました。私の勤務地は茨城県だったのですが、そこで被災したときに「人生は1度しかない。本当にやりたいことってなんだっけ?」と振り返るきっかけになりました。途上国開発に関わりたかったのに充分に関わり切れていないぞ、という思いが出てきて、本当にやりたいことをやるために転職を決意しました。
マザーハウスは元々知っていたのですが、ちょうどタイミング良く会社説明会があったのでそれに参加しました。結局いくつかの会社やNPOを回ったのですが、最終的にはマザーハウスを選び、2年前に入社して現在に至っています。
―「ガラスの天井」とおっしゃいましたが、転職時にキャリアアップなどは念頭にあったのでしょうか。
中村: キャリアアップという考え方ではありませんでした。むしろ、新しい分野で自分の学ぶことがたくさんあるだろうな、と思っていました。もちろん、いままで貿易関係の仕事をしていたので、工場の資材発注や生産管理など、モノづくりの裏側の基本的な知識はありましたので、それが活かせるだろうとは思いましたし、役に立っています。 ―なるほど。いくつか回ってマザーハウスに決めた、その理由はなんでしょうか。
中村: 実際に世界につながりたいという思いと、5年間やってきた仕事の内容を何かしら活かせる仕事を、という2つの軸で転職活動をしてきました。実際にお声をかけていただいた企業もあったのですが、普通の一般企業では、そこに入っても世界に直接関われる濃度は薄く、結局同じことを考えるんだろうなと思ってやめました。
NPO関係は逆にすごくダイレクトに関わることができる場所ですが、ビジネスとしてきちんと成立させることができるのだろうかという不安や、実際に働いている人たちのお給料が……という問題もあったりして。志はすごく大事なものですが、組織を運営していくためにお金集めに必死になってしまうのは何か違うな、と思って、社会課題にビジネスとして取り組んでいるマザーハウスを選びました。
―宮島さんはどのようにしてマザーハウスを知ったのでしょうか。
宮島昇平さん(以下、宮島):僕は19歳のときに、大学の課題図書で代表の山口(絵理子氏)の著書である『裸でも生きる』(講談社、2007年)を読んだのがマザーハウスを知るきっかけでした。
高校時代にカナダに留学していたこともあって、海外で働く夢を持っていたんです。なので、マザーハウスに興味は持ってはいたのですが、卒業後はすぐに海外に関われる会社を選び、海運会社で1年間働いていました。そこでは毎日がルーティンワークを決められた時間までにこなすという感じで、楽しさはありましたが、そこに自己成長があるのか、と疑問に思ったりしていました。
そんな1年目、マザーハウスの新宿店で初めてバッグを買ったんです。そのときの「お買い物体験」がそれまでになかった感動を生み、一歩踏み出す勇気みたいなものをもらったんです。それで3年前にここの募集を見て応募して入社できました。
―感動するような「お買い物体験」とは具体的にどのようなものだったのでしょうか。
宮島: そのモノについてのストーリーがわかることで、バッグを持ったときにそれを作っている工場の人の顔ですとか、デザイナーの顔が浮かんで、自分が持っているモノがただのバッグではない、ということが自分のなかに刷り込まれるんです。そうした人たちの頑張っている姿が目に浮かぶことで、自分も頑張ろうっていう気持ちになったんです。
―それはすごい感動ですね。
中村: 彼は新宿店に頻繁にお越しいただいているお客様でした(笑)。 ―マザーハウスが大好きなんですね。転職はマザーハウス以外は考えなかったのですか?
宮島: 考えていませんでした。元々積極的に情報を集めていたわけでもなかったのですが、これだけビジネスと社会という文脈を実現している会社というのはまだないのかな、と思ったんです。ビジネスを拡大しつつ、理念を追求する姿勢が一番はっきり見えたのが、マザーハウスという会社だったんです。
マザーハウスでの仕事。それは途上国とお客様を「当たり前」に結びつけること。
―いまはどんな仕事をしておられるのでしょうか。
中村: この半年ほどはマーチャンダイザーという仕事をしています。生産から販売まで自社で全部やっているので、その裏側を支える仕事です。業務内容としては、現地への発注やコミュニケーションから始まり、実際の商品に対するヒアリングをして次の商品開発に活かすといったことを一通りやっています。
2015年秋冬のマザーハウスコンセプトライン「yozora ?夜空-」
―途上国相手のビジネスというのは、国内相手とだいぶ違うのでしょうか。
中村: トラブルは多いですね(苦笑)。たとえば調達という仕事ひとつとっても、納期が守られるだけでも素晴らしいという感じです。
バングラデシュの自社工場はだいぶ整ってきていますが、ネパールはストライキが起こったり、お祭りが頻繁に行われるので、来週から誰もいません、なんてことがありますね。品質管理もかなり大変です。
ただ現地を訪問したときにわかったことなんですが、バングラデシュの工場ではうまく回っているとはいえ、毎日ブチブチに停電が発生するんですね。停電したらミシンが動かなくなるので仕事ができなくなってしまうのに、納期は決まっています。よくこの状況でみんな集中して仕事をしているな、と思って本当に感動しました。
私たちが求めている品質というのはもちろんありますが、それに対しての状況は恵まれた環境とは言えないなかで、本当にみんながベストを尽くしているのが見えたのは、自分のなかでも大きな意識改革でした。
ネパールでの生産パートナーのキスマットさん(左)生産管理をしているサリナさん(中央)と中村さん(右)
―なぜ、そんな大変な途上国であえてビジネスをされているのでしょうか。
中村: 途上国でのモノづくりには2つのタイプがあると思っています。コストメリットを活かした大量生産と、もうひとつは昔ながらの手作業での少量生産です。マザーハウスは、その中間にいるのかなと。とにかく安くたくさんでもなく、ほんの少量だけど、「頑張ってこれを作ったんです」と満足するのとも違います。
ひとつひとつの商品に心を込めて手作りしながらも、多くの方により良い商品をお届けできるという、途上国の可能性を伝えていけたらと思っています。
―途上国といっても働いている人の能力に差はないということですね。販売面ではどうでしょうか。
宮島: いま国内には16店舗(関東12店舗、関西3店舗、福岡1店舗)、台湾に5店舗、香港に1店舗あります。私は二子玉川店の店長をしていますが、店長は店舗経営を基本的にすべて任されています。
1年の初めに店舗のコンセプト設計をし、それを戦略に落とし込んで、日々の業務に組み入れることをしています。こうしたコンセプトは店ごとに違っているので、商品のラインナップから接客スタイルまで、店舗によって様々です。 私は店長になって1年ですが、「モノを超える価値を提供する」というコンセプトでやっています。良い品質のモノを提供することはもちろん、それ以外にもモノづくりの楽しさや奥深さを体験できるような店舗にしたいと思って、いろいろ試みています。
最近はDIYイベントとして、レザークラフトの体験イベントを企画したりしています。集客にはまだまだ課題がありますが、参加された方からは好評をいただいております。
―どういうお客様が多いのでしょうか。
宮島: ほとんどは30~50代の女性ですが、男性のお客様も2割くらいいらっしゃいます。店舗によって比率は違いますが、最近はマザーハウスのことを知らずに来られるお客様も増えて、6割くらいはそういう方ですね。商品を気に入ってくださって、そこで初めてストーリーを知る、という方が多いです。 ―店舗をどうしようとかブランドをどうしよう、というような議論は活発にされるんですか。
宮島: 店長が週1回集まってミーティングしているので、そういう機会は多いですね。全国の店長が集まるのは月1回ですが、関東圏の店長は週1で集まり、地方店はSkypeで参加したりしています。振り返りと今後どうしていくかというディスカッションをやっているのですが、ときには普通店舗スタッフが関わらないようなところまで踏み込んで議論をしているので、すごく濃い議論をしています。
会社方針を決める会議なんかだと、半日がかりだったりして、終わった後すごくぐったりするんですが、それがまた楽しいですね。
―そこまで深く関われると達成感も大きそうですね。
宮島: 自分がやっている仕事が結果につながっているという実感は得やすいと思います。
流れるような曲線で背負ったときに体の一部になったような一体感を感じさせてくれる 「Ryusei-流星-」
転職して感じる「マザーハウスの魅力」
―転職されて、前職と比べて一番違うと思ったところはどんなところですか。
宮島: 一番大きいのは自主性を発揮できる環境があるところですね。マザーハウスの利益になったり、ブランド価値を高められたりできれば何でもやっていいという社風があるので、いろいろ提案して実践しています。
以前、品質担当をしていたときには、レザーのケア事業も立ち上げました。最初は3店舗くらいでの試験導入でしたが、いまはおかげさまで全店に拡大しています。
中村: 私が圧倒されたのは、小さいからこそかもしれませんが、みんなが同じ目標に向かって真っすぐ意識が統一されていてぶれないところですね。大手企業にいたので、一つのことを決めるのにものすごいハンコや時間が必要でしたが、そこが「これってこうだよね」「そうだね」というスピードで進むのはすごいことだと思います。皆が理念とビジネスマインドを共有しているので、そこの芯の強さとスピード感はすごいと思います。
―トップの掲げた理念に皆が共感をもって力を発揮する、というのはこうした会社の強みですね。理念経営をうたっている会社も多くありますが、ビジネスとして理念を体現しているところは多くないと思います。
中村: そうですね。ビジネスとしてこうやったら儲かる、みたいなのがあったとしても、うちのブランドらしさってなんだろう、ってみんなが本気でちゃんと時間をとって考えるので、その文化がマザーハウスの強さだと思います。
―入ってここが良かった! という点はなんでしょうか。
中村: 私は最初ショップスタッフとしてスタートしましたが、そのときのお客様との出会いが一番よかったです。
今やっている仕事は基本的にはバックオフィス側ですし、前職も数字と戦うような仕事だったので、同じメーカーだったとしても直接エンドユーザーの方とコミュニケーションをとる機会というのはほとんどありませんでした。実際に商品を買ってくださって、使ってくださるお客様の姿が見えたのは大きな経験でした。
目の前の人が喜ぶ姿を見ると、役に立てたと思える。すごく初歩的なことですが、その経験を通して自分が世界につながっているんだという実感を得られました。
宮島: 僕は人ですね。めちゃくちゃいい人たちばかりなんです。皆モチベーションがすごく高くて、さぼる人もいませんし、理念への共感度が高いので変な足の引っ張り合いがないんですよね。そういう人たちと働けるのはとても気持ちがいいです(笑)。
バングラデシュにある自社工場「マトリゴール」で働くスタッフ Takahiro Igarashi (520)
―転職されたということですが、収入面での不安はありませんでしたか。
宮島: 僕は正社員で入ったのですが、確かに下がったものの予想以上にもらえたな、と思いました。
中村: 私は最初契約社員だったのですが、収入は半分くらいになりましたね。ただ覚悟はしていたので、そんなもんかな、と思っていました。比べていたNPOの給料だと生活ギリギリだなぁ、と思っていたので、それよりは余裕がありましたから。そういう意味で「株式会社」というのは大きかったと思います。
宮島: 最近は給与面も改善されてきて、小売りの平均より少し上くらいにはなりました。
―それはだいぶ大きいですね。社員の方はどんな方が多いのでしょうか。
宮島: 平均年齢は27~28歳くらいですね。20代後半から30代前半がほとんどです。転職してきた人もいろんな業界から来ていますが、アパレル業界からは1?2人くらいですね。
「やや変」な人と一緒に働きたい!
―アパレル業なのにそういう方が少ないのは不思議に思えますね。
中村: そうですね。アパレルやバッグ関係者も数名いますが、若いスタッフのほとんどはアパレルや小売も未経験ですね。それまでのバックグラウンドに関係なく、理念に共感して集まっています。
ネパールの天然の絹糸を丁寧に草木染めした「クサキゾメストール」
―お二人もアパレル関連ではありませんでしたね。どちらかというと途上国問題に意識を持って来られる方が多いのでしょうか。
中村: そういう人もいますし、結構そのあたりはバラバラですね。私は小学校のころ、英語のAET(外国人講師)として来たのがラオスの人だったんです。内戦で川を泳いでタイに亡命して、アメリカに渡ってアメリカ国籍を取得したというおじさんでした。それに「こんな世界があるのか」と衝撃を受けて、そのころから途上国に興味をもっていました。
技術がないと役に立てないなと思っていたので、農学部に進んで農業開発に関わろうと思ったのが最初です。農業土木の勉強をしていたので、農業機械の繋がりで前職への就職となりました。
宮島: 僕はカナダにいたこともあって、移民問題に興味をもっていました。高校3年のときに新聞で社会起業家という言葉を知って、ビジネスで社会問題を解決する人がいることに衝撃を受けました。それで社会起業家をたくさん輩出している、山口の出身校でもあるSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)に入って、マザーハウスと出会ったんです。 ―農業開発と移民問題。まったく別の問題意識を持った人が同じ職場で同じ目標に向かって働いているというのは面白いですね。どんな方と一緒に仕事をしたいですか?
宮島: 主体性のある人がいいですね。まだまだベンチャーだと思うので、ベンチャーマインドをもって、積極的に提案をしてくれる人が欲しいです。そういう人と仕事ができれば、自分も刺激を受けて、より仕事の質が高められると思います。
中村: 「やや変」な人がいいですね(笑)。パワーのある人って、やっぱりどこか尖ってるんですよね。何か新しいものを生み出すまでいかなくとも、新しいアイデアを恐れない人がいいです。あとは何事も楽しめる人。途上国相手のビジネスではトラブルばかりなので、それを受け止めて、きちっと次につなげる前向きな姿勢は大事です。
―人材を集めるときには、強みを伸ばすことと弱みを補う2通りがあると思いますが、マザーハウスの弱みはいまどこにあるでしょうか。
宮島: ある意味すごく純粋なところ、計算高くないところでしょうか。PR戦略などももっと取り組んでいければブランド認知もより高められると思っています。
中村: 弱みというのかわかりませんが、あれもこれもしたいことがたくさんあるので、もっとスピードを上げて新しいことにチャレンジするには、色んなキャリアやスキルを持った新しい仲間がもっとほしいですね。
宮島: やや変なジェネラリストが欲しいです(笑)。
―「やや変なジェネラリスト」っていいですね(笑)。最後になりますが、今後ここで何をしていきたいと思っていますか。
中村: いまが裏方ということもあるんですが、働くことが幸せな場として確立させたいと思っています。入ってきた人が働いているところが幸せと思えなければ、人を幸せにするものは作れないと思うので、効率性とかそういうことも高めつつそういう場を作りたいと思います。
宮島: 海外に店舗を出したいです。アジアだけでなくヨーロッパ、アメリカ、個人的にはカナダに出店したいですね。3年後には出せるように頑張りたいです。
―3年後にカナダ旅行するのを楽しみにしていますね(笑)。
宮島: バンクーバーのウォーターフロントでお待ちしています!
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