今回ご紹介するのは、一般社団法人ワカツクの吉岡康貴さん。幼いころに両親を亡くし地元仙台に育ててもらったという思いから、「いつかは仙台に恩返しを」と長らく考えてきました。東京ではいくつかの企業で新規事業開発の経験を重ね、ついに「ここだ!」と思える仕事に出会います。
それが一般社団法人ワカツクで新規事業のプロジェクトマネジメントを行うという現在の仕事です。
一般社団法人ワカツク・吉岡康貴さん
「地域で人と事業を育て、豊かな東北を創る」というビジョンを掲げ、仙台を中心として東北での若者育成事業を幅広く手がける。 インターシップや、若者と地域をつなぐコーディネーター事業、若者を中心とした地域の課題解決を目指したプロジェクトの支援事業、地域の課題解決のための産業・行政・大学の連携促進などに取り組む。 現在人材募集中>>「地域で人と事業を育て、豊かな東北を創る」
「10年以内に仙台に戻ります」そう言ってはじまった新規事業開発の日々
― はじめに、現在に至るまでのご経歴をお聞かせください。
私はもともと仙台出身で、10代の頃に両親を亡くしています。そんななか、大学までを宮城県の補助などを受けながらどうにか卒業し、その後東京で社会人生活を送ってきました。
1社目は起業家育成を行うことでも有名な機械工業系の専門商社に就職しました。両親を亡くして以降、地元に育ててもらったという思いがあり、いつかは恩返しがしたいと当時から考えていました。そのため就職活動中から「10年以内に仙台に戻ります」と公言していましたが、当時の社長がその想いに共感をしてくださって、入社後もすぐに希望の通り新規事業に携われる部署に配属をしてもらいました。そこでは主にデザイン関連の商材の通販事業を手掛けていました。
その後、はじめに配属された部署が3年目に分社化し、8年目には他社への事業売却に伴い親会社へと残ることとなり、1年半ほどクリエイターに特化した人材派遣と紹介事業に従事しました。最後に、友人の立ち上げたベンチャーへの参画を経て、2015年6月にワカツクへと転職しました。
ワカツク・スタッフの皆さん(右から2番目が吉岡さん)
― 東京でお仕事をされている間は新規事業開発に携わり続けたとのことですが、具体的にはどのような事業を手掛けていたのでしょうか。
本当にいくつもの商材を扱ってきました。一番はじめは印刷、著作権フリーなどの写真素材、専門学校と組んだ通販サイトのスキーム作りなどもありました。その後はアプリケーション、そして最後は人材と変化をし続けました。 本当に幅広い商材を扱ってきましたが、新規事業を創るためのスキーム自体を早くから理解することができましたし、ここで培った経験は確実に現在の仕事にも活かされています。
― 元々Uターンを考えていたということなので、東京でご経験を積んでいる間に、途中で仙台に帰ろうと思ったこともあったのではないですか?
もちろんありますよ。具体的には2回ありましたね。 1回目は震災の3年ほど前に、祖母が倒れたタイミング。もう1回は震災のときです。ただ、実際に仕事を探してみたものの、どちらのタイミングも自分の能力を活かせる仕事を探しても見つからなかったんですよね。かといって起業する度胸もなくて……。
結果的にそのとき帰るという選択肢を選ぶことができませんでした。 一方で、祖母が倒れたときも震災があったときもずっと東京で新規事業を創っていて、自分は新規事業を創るということに特化をするしかないとも年々強く思うようにもなっていました。前職に転職した理由もより新しい事業に挑戦できる環境に移るためでした。
求人を見た瞬間に電話していた。そして、その日のうちに代表にも会うことに。
― 2度のUターン断念後、今回のタイミングで現在のお仕事をみつけられたのですよね。
そうなんです。もともと一馬さん(ワカツク代表・渡辺一馬さん)が大学の先輩で、ある日たまたまFacebookで一馬さんがDRIVEに掲載した求人をシェアされているのを見たんです。今回求められていたプロジェクトマネージャー経験はもちろんのこと、「地域で人と事業を育て、豊かな東北を創る」というワカツクのビジョンへの共感まで、募集要項が100%自分に合致していたので、「これだ!」と思いました。読んだ次の瞬間ぐらいには一馬さんに電話をしていましたね。
しかも偶然が重なって、その日は一馬さんが仙台から東京にくる日だったんですよ。そのまま夜9時くらいに会おうということになって、品川のマックで話を聞いて、その場でエントリーすることを決めました。ちょうどそのころ、前職で立ち上げていた事業が一段落したというタイミングの良さもあり、迷いはありませんでしたね。 その1週間後くらいに改めてSkypeで面接をして、その3時間後にぜひ入社してくださいという話になり、本当にあっという間に決まったのです。
― まさに運命的なタイミングだったのですね。ちなみに、募集要項以外の部分でこの決断を後押しするようなポイントはあったのでしょうか。
やはり仕事の中身そのものですよね。何より、NPO法人というセクターの強みでもありますが、ミッション志向で働けることが自分にとってはポイントでした。 前職も非常に楽しかったし、まわりに優秀な人が多くて常に刺激をもらいながら仕事をすることができました。ですが、ベンチャーキャピタルから出資を受けていたり、上場も視野にあったりして、とにかく利益を最大化するためにはどうするのかというのが事業の主体になっていました。
そのような環境で「本当にお金だけを追求していて良いのだろうか」と心に引っかかるものがあって。お金は稼げるし、このままいったら普通にお金持ちにはなれるような気はしたんですけど……それって人生として楽しいのかな?と。
一方でワカツクでの仕事内容を見ると、今回のポジションでは国の事業を受託して、地方の企業を活性化させるための人材の育成という地域創成の一環を担える仕事です。自分がベストだと思える事業創造に取り組めるようになるんじゃないかと直感的に思いました。
長期実践型インターンシップ・合同プロジェクト説明会の様子
転職を決めたときのことを思い返すと、前職までに積み重ねてきたなんとも言えない違和感がある一方で、ワカツクの仕事がすごく魅力的に写っていたのだと思います。また、独立も視野に入れていて、そのための人脈づくりについて応援していただけることも今回決断に至った理由です。
全力で最高の方法を考えることができる場所
― なんとも言えない違和感というキーワード、非常に気になります。恐らくソーシャルセクターでの仕事を志す方の中にはこの違和感をきっかけに転職を考える方も多いように思いますが、もう少し吉岡さんにとって具体的にこの違和感とはどういうものだったのかお教えいただけますか。
営利企業の場合には、お客さんの予算に合わせた価格で妥当だと思われるソリューションしか提供できないと感じていて。これって顧客側が満足を得られていれば価値にはなっているけれど、言い換えれば、予算が十分にあれば提供できる最適なソリューションの出し惜しみですよね。だからベストな方法は大体の場合提供できていないと思うんです。
一方で、非営利組織で事業を行う場合には、もちろん予算や工数の限界があることには変わりはないのですが、営利企業だったら利益にならないからと取り組むことさえできないような部分でも、良くする方法を考えて思い切りチャレンジできることが一つの魅力だと思います。 前はもっと利己的に力を出し惜しみしたり、計算しながら働いている感じがしていましたが、今は全力で取り組めるようになったのが大きな違いですね。でも実はそれでも足りなくて、今朝も怒られたんですが(笑)。
「よくわからない未来」を選べる理由
― 今回の転職に不安はありませんでしたか?
地方で働くってことは未経験だから若干の不安はありましたが、新規事業開発の仕事では常によくわからないものを始めるということばかりだったので、仕事自体に対しては、あまり不安はなかったです。 また、自分のベースにある新規事業を創り上げるための方法論は、多くの商材を扱ってきたことで応用が効くことも理解していましたし、今回の事業に該当する人材事業の経験もありました。それだけでなく採用も、経営に近いところでの仕事も経験していますからね。経験を活かせるという点で非常に前向きでした。
― 誰でもこのようによくわからない未来に対して思い切った決断をできるものではないと思うのですが、吉岡さんがこのように迷わず決断できる背景は何でしょうか。
実はそうしたことにまったく抵抗がないんです。やはり両親が亡くなったという経験から影響を受けていることが多いです。私は母を10歳、父を16歳のときに亡くしています。それ以来、世に言う“安定”みたいなものは存在しないんだと思うようにもなりました。 身内はたくさんいましたけれど、お金の面では援助しないよというスタンスだったので、学費も基本的には奨学金などをもらったり、生活費も自分で稼いだり、とにかく自分で道を切り開く必要が常にありました。
誰かが道を開くことも無ければ、親のようにお前はこうしなさいという人も一切いなかったので、結果的に自分のやりたいことを自然と選ぶようになっていましたね。 無鉄砲になんでもやるかわりに、失敗は本当にたくさんしました。してない失敗はないっていうくらいに。ただよかったことは、その度に周りに叱ってくれる人がいたことですかね。
失敗して、怒られて、学んで……というサイクルを、多分すごいスピードで繰り返していたと思います。一発で成長したっていうよりは、そういうことが他の人よりも多かったんだと思いますよ。 現在は残念ながら、震災で私のような状況の子どもたちが増えたので、そういう人たちの見本になればいいなと密かに思っている部分もあります。
― そうだったのですね。そうした考え方はこれまでの経験のなかで徐々に培われてきたものかとは思いますが、特にこの吉岡さんの在り方を強めた経験や原体験はあるのでしょうか。
一番の原体験は、父親が自営業者であったことだと思います。なおかつ、小さいころに両親を亡くすとどう考えるかというと、「両親のことを知りたい」と思うんですよね。なので、父親に憧れてというよりは、父親のことを知るために自分も経営者になりたいという気持ちが一番はじめにあって、経営者を目指しはじめたんですよね。
そして結果的に新規事業開発という仕事に携わることになりました。 今でこそ、地元に雇用を増やしたいと思うから経営者になりたいと思いますが、元々は知りたいという想いからでした。
企業・学生へ新しい価値観を提供するワカツクの事業
― 2015年6月からワカツクに転職をし、現在はどのようなお仕事を担当していらっしゃるのでしょうか。
現在携わっている仕事は、大きくわけて二つあります。 一つは、中小企業庁の補助事業で地域人材バンク事業と呼ばれるものです。その中で、宮城県のコーディネート機関として宮城にある中小企業に若者、シニア、女性というカテゴリーの人たちをご紹介し、就業機会を作る仕事を担当しています。
具体的には、5つの事業者でコンソーシアムを組んでいて、『WATASHIGOTO』というプロジェクトとして運営をしています。ワカツクでは若者分野の担当および、コンソーシアムの主幹としての役割を担っています。 もう一つも中小企業庁関連で、UIJターン人材拠点事業と呼ばれるものです。
これは仙台、それ以外にも東京、大阪、名古屋、福岡だけが対象となる事業で、それぞれ都市部の人材を発掘して、全国の地域人材コーディネート機関などを通じて各地方での活躍の場を提供していくという事業です。どちらもプロジェクトマネージャーとして携わっています。
学生のアイディアで新しいチャレンジが生まれる
まだ新しいプロジェクトのため具体的な成果がでるのはここからですが、ワカツクの既存事業と同様に、東北地方に縁のある若者と地元の企業をつなぎ合わせることでさらに新しいチャンスを生み出せたらと思っています。 例えば、主力事業の一つである長期実践型インターンシップ事業は、若手人材が必要なポジションがあるにも関わらずなかなか採用ができない中小企業に対して、地元企業に関心のある学生たちとの縁を作ることに成功しています。
多くの会社は地元からの信頼も厚く、独自の技術やサービスがあるものの学生はなかなか知る機会がありません。そこで私たちが間に入ってコーディネートすることで、このような中小企業の採用課題を解決することはもちろんのこと、学生の学びも促進できるようにインターンシップ中のフォローも欠かさず、双方にとって価値のある機会になるように努めています。
実際に学生が現場に入っていくと、これまでになかった発想で企業にとって新しい価値を生み出してくれたり、社内の雰囲気に風穴を開けてくれたりとさまざまな側面で効果が得られています。また参加する学生も、任された仕事をやりきるという体験から得る自信や働くために必要な考え方を学ぶことで、インターンシップ後は表情がガラッと変わりますね。
こうした様子を間近で見ていると、もっとこの地方のためにこうした機会を増やしていきたいと思います。 そのためにも、今の新しい事業をもっと盛り上げて行かなければいけませんね。
想定外を乗り越えて、地域のための新しい形を創る
― 入社してすぐのマネージャー業務、営利企業から非営利組織への転換など大きな変化が多いのではとお見受けしますが、実際のところいかがでしたか?
想定外のことは結構たくさんありましたよ。特に、今回担当する事業は4月に受託した事業だったので6月時点でもう少し動いているのかと思ったのですが、実際には思った以上に受け入れ企業開拓を行うなどの実働部分は間に合っていませんでした。スケジュールから考えて今すぐにでもやらなければ、というのが入社後一番焦ったことでしたね。
結果的に事業に必要な求人情報を得るために企業開拓に一先ず注力して、それ以降でマッチングに繋がるような独自の合同説明会のようなイベントの開催と、求職者を集めるというフェーズに入ってきて順調に進んでいます。 また、形がないものを少しずつ進めていくなかで、形が見えてきたというところで現在は仕事でのやりがいを少しずつ実感できています。
加えて、まったく違う観点での想定外だったことは国と仕事をするといううえで守らなければいけないルールの多さです。恐らく民間企業からきた人が最初にぶつかる壁の一つだとは思うのですが。例えばパワーポイントで作る資料一つとっても、決められたルールを履行することが厳しく求められるということを痛感しています。
― ソーシャルセクターは国と仕事をすることも多いですからね。その他に、営利企業から非営利組織に移ったことで驚いた点や新たな発見はありましたか?
民間企業と変わらない感覚の部分もあるなと逆に驚いたことがあります。それが利益への意識です。ワカツクはもちろんのこと、それ以外のNPOなどのソーシャルセクターもかなり利益や生産性というところに民間企業と同じくらいこだわっているということですね。正直、転職する前は基本的に利益や工数よりも全力でやりたいことをやっているという仕事の仕方をイメージしていたので、びっくりしました。
縛られない自由な人が、東北を変える
― ワカツクでは、世界を変える若者を創るという大きなミッションを持っていますが、吉岡さん自身が現在のお仕事を通じてどんな若者が仙台をはじめとする東北地方に増えたら嬉しいとお考えですか? ビジョンがあったらぜひ教えてください。
そうですね、縛られない自由な人と言えばいいでしょうか。既成概念に囚われず志を高く持って欲しいなと思っています。 ちょっとだけ今の事業と矛盾するかもしれないですが、どこかで身につけてきたノウハウを、東北に帰って具現化してくれるような志を持ってくれたら嬉しいですね。 既成概念に囚われず、やりたいことがあって、そのために何ができるんだろうと考えられる人が増えたら、街はもっと良くなります。できないことはない!くらいに思ってくれる若者がいっぱいいたらいいですよね。
― そうした若者のプラットフォームとしてワカツクが今もあり、これからもその存在感がきっと強くなっていくのでしょうね。また、そうした若者を増やすために今後どのようなことに取り組む予定なのでしょうか。
現在のミッションのなかで多くの中小企業を訪ねたり、周りの話を聞いたりしていると、今回の事業だけでは足りないところ、できないところっていうのが既に何個か見えてきています。それらの解決に徐々に取り組みたいと思っていますね。 また、個人としても、そうした課題に対してさまざまな仕事を受け始めることに決めました。本当は自分で起業するのはもう少し、先にしようと思っていたんですが。
― 個人的にはどのようなお仕事を手掛けていらっしゃるのでしょうか?
地域には、地産地消にこだわっている会社や国から委託された事業が中心の会社が多いんですよね。言い換えれば、実は外から仕事を取ってくるという会社が少ないのではないかと感じています。地元でそうした地産地消のサイクルを作ることはすごく良いことなんですが、それだけだと地方の経済は縮小していきます。 なので、東京との繋がりを活かし仙台にいながら東京の仕事を獲得して、それを東北や仙台に還元することをできないかなと考えています。
具体的に動いている仕事もありますが、そちらは守秘義務に抵触するので言えませんが始めています。 非常に広い枠なんですけど、東北以外からお金を引っ張ることが必要だというのが現在の課題意識の一つですね。
DRIVEで転職を迷っているのなら、その「違和感」を見過ごさないで。
― 最後に、DRIVEを通じてこれからソーシャルセクターに転職するなど未来をつくる仕事の担い手になりたいと考えている若者に、何かアドバイスがあれば教えてください。
現状、営利企業で働いていて、違和感を感じているひとはぜひチャレンジしてみたらいいと思います。私自身は転職して、以前感じていた違和感をほとんど感じなくなりました。計算しなくていい。出し惜しみしなくていい。課題を解決して未来をつくるために全力を出せる働き方になったのは大きな変化です。
また、スキルは、今まで営利企業で頑張ってきたなかで培ったその人独自の能力って絶対あるはずです。そこになにか特別な+αがないと、社会起業家とかこうしたソーシャルビジネスに関われないということは全然ないと思います。むしろ、今培っている能力をどう活かすかを考えることが一番大切だと思います。
一歩踏み出せば、きっとあなたの経験は活かされるはずなので、まずは勇気を持ってチャレンジしてみてください!
一般社団法人ワカツクでは、東北のこれからを創るため、ワカツク本部スタッフと、地域企業と若者をつなぐコーディネーターを募集中です。 震災以降活動が加速したワカツクは、2014年から東北学院大学と協働で学生と地域をつなげるカリキュラム改編と運用(COC事業)を開始。そして、今年度からは「良質な雇用づくりとマッチング」を実現するため、地域企業や行政、そして大学と連携した「宮城ひと・しごと創生事業(仮)」がはじまります。ワカツクで仲間と共に、東北の未来を創りあげていきませんか?
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