笑いと「へぇ!」がたくさんのお話に、拍手や挙手が自然に起こる場作り、そして心をずばっと掴むメッセージ。 素晴らしい先生の授業は、いいライブを見た後のような高揚感と前向きな気持ちを、心に起こしてくれるものなんだなあと、講義後の満ち足りた雰囲気の会場を見て、深く納得します。
藤原和博さんによるMAKERS UNIVERSITYの講義はそんな充実の時間でした。 リクルートでの数々の改革を経て、東京都初の民間校長として杉並区の和田中学校に赴任。マネジメントの力で公立中学校の改革を行うと授業はどう変わるのか、という社会実験のようなチャレンジに果敢に挑み、大きな成果をあげた教育改革実践家、藤原さん。
2016年4月からは奈良の一条高校で、新たなチャレンジをはじめる藤原さんの講義の一部(詳しいレポートはMAKERS UNIVERSITYのwebでのレポートをお楽しみに)と、インタビューをあわせてお届けします。
2026年、新しい日本人の姿がはっきりする時
10年後の2026年。教育改革を進めてこられた藤原さんは、どういうタイミングだと見ているのでしょうか。これまで藤原さんがやってきた新しい公教育を受けた子どもたちが、大人になって社会に出てくる時期。
「考えないで正解が出る時代はもう終わっているということが、ほとんどの人たちに分かってきていると思います。正解がない、あるいは正解が一つではない問いに対して、自分が納得できる解をつくりだす力。その力のことを僕は情報編集力といっていますが、その情報編集力をもった人材が、2026年から2030年くらいの間に完全に定着すると思っています。 」 端的にいうと、情報編集力とは、頭のやわらかさのこと。これから国際化や高齢化が進んで、人々の価値観が多様化していくと、すべての人に共通の唯一の正解というものがどんどん少なくなってくる。
多様な価値観の中で試行錯誤し、自分なりの価値観のもとで納得できる解を紡ぎ出さなくてはいけない。そして周りを巻き込んで何かをするときにはそれを他人に納得させなくてはいけなくなる。その力を藤原さんは”情報編集力”といっています。
一方、計算や暗記など、正解のある問いというものも、もちろんある。この能力のことを藤原さんは”情報処理力”といいます。端的にいうと頭の回転の早さ。詰め込んだ記憶から正解をパッと取り出す力のことです。これまでいわゆる”学力”とされてきたもので、テストの点数などで測ることができるものです。
「2026年の前段階として、2020年に入試改革があります。高校までに、正解がある問いに答える能力、つまり”情報処理力”については測ってしまう。そして大学入試の時点では大学側は主に情報編集力を問うようにする。そういう改革が2020年にはじまるんです。思考力、判断力、表現力が無いと良い大学に入るのが難しくなる。
自分の考えがあって、それをきちんと表現できて、なおかつ人を動かせる日本人。これは新しい日本人の姿だと思っています。 日本人は、島国で単一民族だから、だいたいみんな同じことを考えていて、多くを喋る必要はない…。男はだまって…とか、阿吽の呼吸とかね。この日本人像は古い考えかたで、もう通用しませんよね。
徳川幕府が行ったあのサラリーマン的な支配システムと組織はすごいもので、明治政府もその延長で組織運営をしたし、戦後の官僚主導の経済成長もそうだった。その400年にのぼる「お上による支配」の歴史が今の日本人像を作ってきたけれど、もともとの日本人がものを言わなかった民族かというと、僕は違うと思う。
自分の意見を言う日本人をもっともっと増やしていくこと。2026年くらいから、それがホンモノ化すると思っている。ちゃんと意見を言えるヤツのほうが増える。日本が築いた正解主義、前例主義、事なかれ主義は、戦後70年だけでできたわけではなくて、400年の歴史があるということ。
だから、そんなにかんたんには崩れない。僕は2026年から2030年が勝負だと思っている。そこで根底から揺らすことができるかもしれない。 情報処理力と情報編集力のバランスは、現在の社会では95:5とか、もしかしたら99:1ぐらいかもしれない。それを2020年代のうちには7:3にもっていきたい。想像力豊かなのは3割くらいでいい。7割の情報処理力に長けた人材が相変わらず正解主義で物事を動かすのは大事で、このおかげで新幹線が秒単位で動くんです、この国では。
日本はそういう意味ではすごく便利な国であり、正解主義を7割程度維持したほうがいい。むしろ崩してしまったら、大変なことになるでしょ。みんながみんなMAKERS UNIVERSITYに来ているような鼻息の荒い連中ばかりになったら、社会が成り立たなくなるからね(笑)。 見事に築き上げた日本の正解主義を守りつつ、その割合を7割程度に下げて、残りの3割「情報編集力」を育てる教育改革を僕はやっていきます。 」
授業中に自分のスマホでもっと面白い授業を受けている教室
日本がこれまで積み重ねてきたいいところを残しつつ、でもそれだけでは生き残れないこれからの世界を切り開いていく3割の存在。自分はどっちなんだろう?
どうしたらそんな人材を育てることができるんだろうか? 藤原さんが今取り組んでいるのはまさにそんな、未来の学校の実現。それはどんな学校?
「奈良市立一条高校という、奈良県では知名度があり生徒が1000名以上いる学校に4月から校長として赴任します。2年間でどれくらい生徒の「情報処理力」を高め、同時に「情報編集力」を養成できるか。そういうチャレンジをします。
もちろん、伝統や風土の良い面を大事にしながら、日本そのものが変わるか変わらないかというチャレンジだと思って取り組みます。もともと教育界はかなり保守的なところだと言われていますが、生徒の未来を拓くためには、この改革が必要です。一番変わりそうもないところを変える。それを公開していく。 生徒を刺激すると同時に、全国に波及させるためです。
和田中時代には、保護者や地域のボランティアらでつくる学校支援組織の「地域本部」も、その当時はほかになかったんだけど、今は1万校くらいに広がった。そういうことやる方です。1つモデルをつくる。それも公立校でつくる。そうしたら他でもやれないことはないでしょ、という流れになる。
和田中でやったのは学校を社会に開くということ。今度一条高校でやろうとしているのは教室の授業をネット社会に開く、ということになります。大きなチャレンジとして、スマホを授業に持ち込ませるということをやります。生徒たちが自分で普段使っているスマホですよ。常時接続させて、先生の説明でわからないことがあればググれと。そして授業の評価やいじめ調査、放課後の補習や通学時あるいは自宅での復習にも使ってみたらどうなるか・・・世界にも例がない試みです。」
人間にしかできないこと
授業中にスマホで世界とつながっていてもいい教室なんて、ずいぶん思い切った改革だ。そう思うのはわたしが保守的だからだろうか?
でもたしかに、スタンフォード大学やMIT、東京大学など、世界の多くの教育機関が授業を積極的にWebにアップしている。トップクラスの教授たちの最先端の授業を、世界中の人たちがWebを通して受けることができる世界に、もうなっている。そしてインドやバングラデッシュの若い子たちは、そういう授業をたくさん見ているという話を聞いたことがある。
「バングラデッシュは、農村部に行くと、道端に電気屋さんがいる。そこにテレビがあって、みんなサッカーを見てる。昭和30年代の日本で、みんなが街頭テレビから力道山のプロレスを見ていたのと同じようにね。でも決定的に違うのは、見ている人たちが全員モバイル端末を持っているということ。
携帯やスマホのリテラシーは社会を変えます。2026年までに、50億人がスマホで繋がる、とGoogleのエリック・シュミットが言ってますよね。どういうことかというと、50億人の脳が(映像で)繋がってしまう状態と言えるでしょう。翻訳も今よりももっと精度が上がるでしょ。2020年のオリンピックまでには通訳に関してはかなりの精度でできるようになるから、言語の壁は超えちゃうかもしれない。そして2026年くらいまでには、学べる知識に関してはネットのほうにほとんど蓄積されてしまうでしょう。」
SFのような話だけれど、現実の話。もう既にそんな世界が始まっている。生まれた時からネットで世界と繋がっている世代が大人になっている2026年。AIやロボットが想像を遥かに超えて拡がっていくと言われているけれど、人間に残されたところ、人間にしかできない領域ってなんだろうか? その時、教育は、学校はどうなっているんだろう?
「そうすると、おれが興味があるのは、教員はいったいどうなるの? ということ。知識が全部Webにあったとしても、児童や生徒の前に立っている教員が何をもってリスペクトされるのか、という本質論です。これは先生たちにもっと議論してもらいたいんだけど、おれの結論は、先生というのは残ると思っているわけ。とりわけ「学ぶことが好き!」というオーラはGoogleには出せないでしょ。学ぶのが好きだ、という波動は人間にしか出すことができないと思うんだ。
生物が好き、国語を学ぶことが好き、数学の問題を解くのが好きで好きでしょうがないというのは、人間にしかできないんです。知識を教えるということ、それを定着させるということだけなら、もしかしたら機械のほうが優秀かもしれない。でも学ぶということについては、やっぱり人間にしかできないことがあって、そのオーラが最後に残る。
教員がリスペクトされる要素、子どもたちを惹きつける要素として、相変わらず残ると思う。 学ぶことが大好きな教員が残るはずです。 教育って伝染、感染なの。教える姿というよりも、「大人が学ぶ姿が最高の教材」だということ。大人がどういうふうに学ぶのか、それを見せ続けるというのが教員の仕事として最後まで残るだろう、と。
あとはファシリテーションや動機付けなんかも教員の仕事として残る。子どもが学ぶとき、機械に"ピンポーン”と正解を言われるのもあっていいけれど、やっぱり先生に褒められるのも大事。動機付け、評価、勇気づけ、背中を押すこと・・・そういうことが残るんじゃないかな。 」
教育に関わるベンチャーや起業は最近とみに増えています。特にテクノロジーと教育を組み合わせたEdu-techの領域は活況です。アダプティブ・ラーニングや認知科学をベースにした新しい学習の方法。
藤原さんがおっしゃるように、知識を教えることやその定着については、機械がその役割を担っていく可能性が高いのでしょう。教育の外でも、AIやロボットがどんどん人間の代わりにいろいろな仕事を担っていくこれからの世界。 だとしたら、何が人間に残された領域なのでしょう?
藤原さんは、そうなっても、生身の人間でしかできないことがある、と力強く答えてくださいました。MAKERS UNIVERSITYの講義の中でも、藤原さんが、事あるごとに若者たちを刺激し、背中を押していました。機械には(まだ?)できない、生身の藤原さんでしかできない、教育という分野の素晴らしさと未来を感じた一瞬でした。
(若者):過去に、中高生向けの塾をやって、失敗したんですが…。
(藤原):よかったじゃん失敗して!
(若者):(笑)ありがとうございます!
教育改革実践家/杉並区立和田中学校・元校長/藤原和博
1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。 東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、1993年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。現在は全国的に「よのなか科」の授業手法やマネジメントを教える「校長先生たちの校長」の役割を担う。 著書に『人生の教科書[よのなかのルール]』『ビミョーな未来をどう生きるか』などがある。
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