「気仙沼まち大学」。といってもそういう名前の大学があるわけではない。「人から始まる地方創生」を掲げる気仙沼市が昨年、民間と協働で立ち上げた「人材育成プラットフォーム」構想の名称だ。
「まちをまるごと大学のようにする」というこの事業はいま、具体化に向けて事務局職員となる地域おこし協力隊の募集中である。ここで何が始まろうとしているのか。市の震災復興・企画課の小野寺憲一さんと、事務局に参画している認定NPO法人底上げ理事の成宮崇史さんに話を聞いた。
海とともに生きることを選んだまちが、海だけに頼らないまちになるために
はじめに、気仙沼まち大学が生まれた背景をおさらいしておこう。
東日本大震災から7か月後に策定された市の「震災復興計画」の表紙には、筆文字で大きく、「海と生きる」と書かれている。漁業のまちとして全国に知られた気仙沼は、津波で多くのものを失ったがそれでも海と生きることを選んだ。カツオの水揚げは20年連続で日本一、市の製造業出荷額の8割を水産加工品が占める。水産業はいまも昔も市の基幹産業であり続けてきた。
しかし、長期的には水産業をとりまく環境は変化している。資源量の減少、魚離れによる販路の減少、人口減少による人手不足。いままでのやり方では衰退の一途という課題認識は、震災前からあった。にもかかわらず大きな変革に打って出る漁業者が少なかったのは、当時の現役世代はそれでもまだ十分食べていけたからだ。
それが大震災で変わった。生業の再建にあたって代替わりした水産業者が増え、若い世代が持っていた危機感に火が付いたのだ。
さらに2015年、国が「地方創生」を打ち出し、全国の市町村が「人口ビジョン」「まち・ひと・しごと創生総合戦略」(以下「総合戦略」)を作ることになった。気仙沼市もその策定にあたって水産業者にアンケートをとったところ、産業構造の多角化が必要だという答えが、実に53%にのぼったという。
「これまでどおりの水産のやり方ではダメ、そして水産だけに頼っていてもダメということです。震災がなければこれほど早く変化は起きていなかったかもしれません」(小野寺さん)
そして2015年10月に公表(その後2016年3月に改訂)された気仙沼市の総合戦略は、政策目標のひとつに安定した雇用・新たな雇用の創出を掲げ、「既存産業の再興とともに、地域資源を活用した新産業、コミュニティビジネスなどの新事業へチャレンジできる環境を整える」と謳った。
人から始まる地方創生--人材育成を復興の柱に
まず、既存の水産業については、もともと大卒UIターン者の職場がないことが課題だった。「水産物は生での出荷が多く、加工といってもシンプルな一次加工。いくら魚がとれても大卒が働く場所が少ないのです。でも発想を変えて、たとえば水産物の機能を生かした化粧品やサプリメント、あるいは特産のサメの皮を使った皮革製品といったものを開発する。また、日本人が魚を食べなくなったのなら、逆に消費が増えている海外にセールスに行く。そういうことをすれば、水産業でもスーツや白衣を着て仕事する職が出てくるはず」(小野寺さん)
さらに小野寺さんは、水産に続く2本目の柱として「観光」を挙げ、さらに3本目の柱を模索しているのだという。
「造船から加工までクラスターが形成され、成熟した水産業と比べて、たとえば同じ一次産業でも林業や酪農はいわば手付かずの状態。プレーヤーが少ないので大きな伸びしろがあります。そういう分野を担ってくれる人を求めたいのですが、そこでかえって気仙沼のイメージが邪魔してしまうことがあるんです。『気仙沼が水産じゃないものを求めるの?』と」
既存産業の再興も、そうした従来のイメージを払しょくする新産業の創出も、必要とされるのは新しい発想と、それをビジネスとして軌道に乗せる経営スキル、つまりは人である。さらには、産業界だけでなく、生活共同体としてのコミュニティ再生や市民主導のまちづくり推進にあたっても、リーダーとなる人材は欠かせない。
気仙沼市が大震災からの復興とその先を見据え、民間と協働で経営者・若者・シニア・女性など様々な切り口の人材育成に力を入れるのはそのためだ。
そして生まれた、「まちまるごと大学」構想
震災後、気仙沼で始まった人材育成プログラムは数多い。例を挙げよう。
2013年に経済同友会の協力で開講した「経営未来塾」は、名だたる経営コンサルタントや監査法人などから直接指導を受けられる6か月のコースだ。水産に限らず地域の産業の将来を担う経営者たちが受講し、これまでに5期、累計80名以上が修了した。
10~30代の若者を対象にした市の「担い手育成事業」では、「ぬま大学」「ぬま塾」などと題した一連のプログラムを提供。意欲ある若い世代が交流・議論する機会の提供や、活動実践のサポートを行っている。
2016年には、19~40代女性対象の「アクティブ・ウーマンズ・カレッジ」、50~60代が対象の「アクティブ・コミュニティ大学」も開講した。それぞれキャリア開発、まちづくりの担い手育成が主目的だ。
民間団体の動きも活発である。2012年に活動を開始した認定NPO法人底上げは、高校生や大学生の主体性を育む、学習コミュニティ支援や合宿イベントなどを数多く展開している。
これら様々な人材育成プログラムの運営組織がひとつに集まる場(プラットフォーム)をつくり、そこで互いが連携して相乗効果を生む――これが「気仙沼まち大学」の構想である。
その運営協議会の立ち上げから関わった小野寺さんは、「まち大学」という名称に込めた意味をこう説明してくれた。「こっちには○×学部、あっちには▽△学部があって、全部ひっくるめて“まち全体が大学”というイメージですね。市民一人ひとりが大学生だとしたら、誰でも自分に合った学部や学科に参加して成長していくことができる」
つなげる、補う、その気にさせる――可能性は広がる
その構想をどう具体化していくのか。それを、事務局コアメンバーの一員としてこれから考え、実行に移していくのが、今回募集している「地域おこし協力隊員」の仕事だ。
現在の事務局には、運営協議会の母体である市と地元の商工会議所・信用金庫の職員ほか、先述の「底上げ」をはじめとする複数のNPO職員ら総勢17名が、それぞれメインの仕事の傍らで参画している。その中心的役割を果たしている「底上げ」理事の成宮さんは、こう語る。
「昨年春に事務局が発足して以来、まち大学がどうあるべきかをメンバー間で議論しています。これまでの具体的な成果としては、まず昨年11月にコワーキングスペース『スクエアシップ』をプレオープンさせました。人材育成プログラムを運営する各団体は、それぞれの卒業生をきちんとフォローできていない、という共通の課題を持っています。だから卒業生同士の有機的なコミュニティをつくるのは、まち大学構想の柱の一つになると思うし、このスクエアシップはそのための物理的な『場』でもあります。また、ここで開催するイベントなどを通じて、いろんな人の『自分も何かチャンレジしてみたい』という気持ちを醸成する、きっかけづくりも仕掛けていければと考えています」
成宮さんはまた、多くの人材育成プログラムが走る中で、どこに何が足りないていないかも可視化しているところだと言う。「たとえば世代と課題分野とでマトリックスにしてみると、この世代のこの課題に応えるプログラムが足りないね、ということもわかるでしょう。まち大学というプラットフォームを通じて、プログラム同士がつながりを深めて足りないところを補いあい、全体を活性化していけたらいいですね」
さらに、産業などのテーマと地域のマトリックスに当てはめれば、どの地域のどのテーマの課題に応える人材が足りないかもわかってくるはずだ。各プログラムのネットワークを通じてそこに適した人材をマッチングする、人材コーディネート・人材バンク機能も視野に入れているという。
「ただ具体的な戦略はこれからです。今回募集している協力隊2名の方は、当面コワーキングスペース運営やイベント企画を主に担っていただくことになりますが、その先の戦略づくりも一緒に考えていきたい」(成宮さん)
よそ者が刺激する、新しいものを生み出そうとするエネルギー
大震災の直後、気仙沼市に起きたもうひとつの変化がある。それは「よそ者」の増加だ。
震災前の転入者は年間1200~1300人。74,000人という人口規模のわりに多い方だったとはいえ、漸減傾向にあった。それが2012~13年は1600人超と、2~3割も増えたのだ。震災後65,000人まで減少した人口に占める転入者の割合は、相対的に上がっている。もっとも、この転入者数には震災で一度市外へ避難した人の帰郷も含まれており、純粋な「移住者」だけを抜き出すことは難しい。が、首都圏からの転入が全転入者の20%を超えるまでに上昇したことなどを見ても、一定程度の「よそ者」の流入があったと考えることはできるだろう。
認定NPO法人底上げも、実は成宮さんを含め立ち上げメンバー3人全員が関東出身だ。みな最初は震災ボランティアなどとして気仙沼にやって来て、そのまま住み着いた組である。
また、牡蠣の養殖で知られる市内の唐桑半島では、震災を機に移住した若者が地元の若者と一緒に「からくわまる」というまちづくりサークルを作り、「地域協育」と「移住定住推進」を柱に活動している。その結果、20代の移住女子も増え、半島(英語でペニンシュラ)とUIターンをかけた「ペンターン女子」なるユニットも生まれている。
著名人の関わりもある。コピーライター糸井重里氏が、自身の運営する「ほぼ日刊イトイ新聞」(通称ほぼ日)の気仙沼支社を立ち上げたのは2011年11月。そこから、高品質の手編みセーターなどを作る「気仙沼ニッティング」という新しいビジネスも誕生した。そのオーナーも東京出身の30代の女性だ。
「特に20代30代で活躍している移住者が目立ちますね。遠洋漁業の基地港でもある気仙沼は、もともと県外はもちろん外国からの船も多く、新しいものに対して寛容な文化だと感じます。さらに地元の人の間にも、新しいものを生み出していこうというエネルギーがある。他の被災地と比べても、その力は強いと感じます」(成宮さん)
いま市がやろうとしているのは、こうしてよそから来た刺激的な支援者と、地元で育ってきたリーダーたちとのエネルギーをひとつにして、新しい気仙沼をつくっていくことだ。
スローシティ気仙沼を舞台になにができるか? 考えすぎずにまず挑戦を
さらに新しい風を呼び込むため、市は今年度、この気仙沼まち大学事務局の2名を含む10名の地域おこし協力隊を募集している。
協力隊の任期は最長3年だ。3年後はどんな未来が待っているのか。
小野寺さんは言う。「まち大学の運営を通して、相当な人脈を培うことができるはずです。それを生かして、3年後には起業してもいいし、もちろん就職してもいい。ちなみに、地域おこし協力隊の勤務時間は週29時間で、それ以外の時間の使い方は自由です。気仙沼に入ってきた人がここを最初のステップにして、3年間働きながらやりたいことを探し、『卒業』して起業あるいは就職する。その後に新しい人がまた外から入ってくる。そういうサイクルが作れたらいいと思っています。そういう意味では、まち大学自身が本当の大学になる」
気仙沼市は、いまだ震災からの復興の途上にある。移住者が増えたといっても全体として人口減少が続いていることに変わりない。2014年、日本創成会議が発表した消滅可能性都市896自治体にもリストアップされた。生き残りをかけて、市自身の将来像の模索は続く。
が、自然との共生を謳い、日本初のスローシティ認定も受けた気仙沼市は、「都会の真似はしない(ミニ東京やミニ仙台を目指さない)」ことはきっぱりと宣言する。
「私たちと一緒に気仙沼のまちづくりを考えながら、協力隊員の人自身もここで何かを見つけて成長してほしい。メンタル面も含めて、全力でサポートします」(成宮さん)
最後に、ほぼ日気仙沼支社の立ち上げにあたっての糸井重里氏の言葉を紹介しよう。
「『なにができるんだろう』って最初に考えすぎたらいけないなとも思った」。
なにができるかわからないけれど、3年後の自分にワクワクできる人――気仙沼はそういう人を受け入れ、成長させてくれる場所のようである。
お知らせ
「気仙沼まち大学」地域おこし協力隊募集の詳細は、こちらをご覧ください。
●人から始まる地方創生のモデルを!人とアイデアを繋ぎ・育てるコーディネーター募集!
そのほか気仙沼市が今年度地域おこし協力隊を募集している事業
●【六次産業】活用されていない水産資源で、地域の新しい産業・新しいモデルをつくる!
●観光体験・ご当地グルメを生み出す!気仙沼の観光商品開発、プロモーション担当者募集
あわせて読みたいオススメの記事
#ローカルベンチャー
#ローカルベンチャー
全ては合併拒否から始まった―ローカルベンチャーから新しいコモンへ(1)
#ローカルベンチャー
ヨソモノを迎えて将来をかけたPRに挑む、気仙沼の老舗牧場モ~ランド・本吉とは
#ローカルベンチャー
福島から世界へ。「もったいない」から始まった「ももがある」の挑戦