都市から地域への人材の移動が静かにはじまっています。ETIC.がすすめているYOSOMONは、地域の中小企業の経営者もとに、その右腕となる人材を都市圏から送り込む事業です。
昨年度からスタートしたYOSOMONで、一つの典型的な事例になったのが、東京の大手企業から宮城県牡鹿郡女川町の水産食品メーカーに転身、というキャリアを選んだ須賀百合香さんです。
須賀さんはどんなことを感じ、考え、女川での仕事を決断したのでしょうか。受け入れ担当だった株式会社鮮冷の大井太さんとの対談をお届けします。司会はこの求人をコーディネートしたYOSOMONの担当者、ETIC.の伊藤順平です。
「ほんとうに応募が来るんだろうか」
ーーーNPO法人ETIC.でYOSOMONという事業を担当している伊藤です。YOSOMONは、地域の中小企業に経営者の右腕になるような人材を期間限定で送り込む、ということを目的にした事業です。今回は、宮城県女川町の株式会社鮮冷の大井さんと、東京から鮮冷さんに転職した須賀さんに来ていただきました。まずは自己紹介をお願いできますか。
大井太さん(以下敬称略):女川町から来ました、株式会社鮮冷の大井と申します。わたしも実はヨソ者でして、横浜生まれです。もともとITの仕事をやっていましたが、震災の後、支援活動として首都圏の企業の支援活動のコーディネート等をしていました。地域でいろいろ動いていたんですが、収入のないままやっていた私を女川の人たちが心配してくれて、「新しい会社を作るからいっしょにやらないか」と誘って頂きました。その事業があまりに面白そうだったので、あと女川という場所の魅力にとりつかれて、この鮮冷という会社に入って、海外事業を含めた国内外のマーケティングをやらせてもらっています。
須賀百合香さん(以下敬称略):株式会社鮮冷に2週間前に入社したばかりの須賀と申します。宇都宮市の出身ですので、私もヨソ者です(笑)。28歳です。この仕事の前は、大塚製薬で食品のマーケティングをしていました。新入社員の時に仙台市に配属され、宮城に3年半住み、石巻市、女川町などの営業担当をしていたので、ご縁はありました。その後転勤になり、今年の7月まで1年半、東京で働いていましたが、たまたまFacebookでこの仕事を見て、応募して、採用していただいた、という経緯です。
ーーー実は「ほんとうに応募が来るんだろうか」と思っていました。正直に言うと、須賀さんのような人材が地域の中小企業の募集に応募されてくるとは思っていませんでした。このお話を通してそれが実現した理由を解き明かしていきたいと思っているのですが、まず鮮冷さんの事業の紹介をしていただけますか。
大井:女川町の水産食品メーカーです。目利きの技術と職人技、それに最新の設備を入れていて、新鮮なサンマやホタテを冷凍しても旨味を落とさずに提供できる、という事業展開をしています。設立当初から、「国内の消費はどんどん減っていくのだから、海外に出ていくんだ」という意志が経営者にありました。そこに魅力を感じてわたしもこの会社に入りましたね。
「ウチにはまさかこんな人材、来ないよなあ」と思っていたが….
ーーーYOSOMONという仕組みを通して募集をかけてみようと思った背景を教えてください。
大井:YOSOMONについては、女川のコーディネート団体であるNPO法人アスヘノキボウの方から聞きました。
「これはセンレイさんのためにあるプロジェクトだ」という魅力のある提案を頂いて(笑)。鮮冷としては、海外事業の展開を担う右腕が必要だということで、「これはいい」と思って参加させてもらいました。
ーーーYOSOMONでは、募集する人材像やポジション、関わってもらう業務の内容について、様々な分野の専門家や経営者からなるメンター陣といっしょにブラッシュアップする、というプロセスがあります。須賀さんが来ることになった募集案件のブラッシュアップという機会は、どういった経験になりましたか?
大井:東京の大手メーカーから大阪に企業に行った20代の女性のお話しを聞く機会があったんですが、「ウチにはまさかこんな人材、来ないよなあ…どんなおじさんが来るのかな…」とその時は思ってました(笑)。でもそこで須賀のような女性が来てくれたのは、YOSOMONというプロジェクトの力と、女川の町の力だなあと思っています。
ーーー地域の中小企業が外部の人材を呼び込みたいときにどんなことを気をつけたらいいでしょうか。
大井:自社の事業を、自信を持ってアピールすればいいと思います。ブラッシュアップで学んだのは、求めるポジションがはっきり明確になっていないといけないということ。そこは突っ込まれましたね。
あとは町の魅力をきちんと伝えなくてはダメだということ。たとえ期間限定で来るんだとしても、転職してくる人は覚悟を持って移住してくるので、会社の魅力だけではなく、安心して住めること、働きやすい場所だということをアピールしないといけないですね。女川の場合は、アスヘノキボウさんのお試し移住プログラムという仕組みがあったので、それを活用できますよ、ということを言えたのはよかったですね。
でもやっぱり一番大事なのは、魅力のある仕事だということです。びっくりするようなスペックとキャリアの方からもコンタクトをもらったりしたんですが、そういう方からアプローチいただけるような事業を自分たちはやっているんだなという、大きな自信にもなりましたね。
ーーー会社の魅力、つまり自分たちのやっていることの価値に気づく、ということが、大事な要素なんだなということがわかります。
須賀さんにもお話を伺いたいんですが、もともと須賀さんは転職活動をしていたわけではないんですよね。最初に求人を知った時の心境や、キャリアに対する考え方を教えてください。
大企業でのこの先のキャリアプランがなんとなく見えてしまった
須賀:はい、転職活動はしていませんでした。大塚製薬の仕事がいやだったわけでもありません。ただ、仙台から東京に移って1年半くらい働いていて、大企業でのキャリアプランというものがなんとなく見えて、この後正直どうしようかなということも考えていました。もうひとつ、女川の町や食に惹かれていたりもして、東北と関わるきっかけがほしいなとずっと思いつづけていました。
そういうことがぼんやりと頭の中にあったタイミングで、ちょうど私の周りのいろいろな人がFacebookでYOSOMON事業のことをシェアしていた時期があって、それをきっかけに知りました。
募集を見た時、自分が漠然と感じていること、考えていることを言語化していただいた、と感じましたね。女川町で、食とビジネスをつなげることができる、そういう仕事があるんだということを知りました。そして海外営業という魅力のある仕事が女川町にある、というのも衝撃でした。そこは強く惹かれましたね。
大企業でも海外での仕事はもちろんあるんですが、そこに至るまでのハードルがとっても高くて、遠いと感じていました...。女川ならダイナミックにそれができるなと。
そして、鮮冷さんがYOSOMONに人材募集を出しているということ自体を、大きなメッセージとして受け取りました。地方というのは、ふつうはヨソのひとをあまり受け入れない、ということがあったりすると思うんです。でもYOSOMONに出しているということは、ヨソの人を受け入れますよ、受け入れることで化学反応をおこしていきたいですよ、異質なものを排除しないで活かしていきますよ、という価値観を出しているんだと。そのメッセージにお共感しましたね。
ーーー鮮冷さんには、もともとそういう異質なものを受け入れるような素地があったんでしょうか?
大井:たしかにわたしも含めてヨソ者がいたりしますし、採用についても町内/町外というのは意識はしていないですね。必要とあればどこの人であろうと関係なく、採用しています。海外事業を任せられる人という意味では、やはり町内だけではなくパイを広げないといけない、外の人にも来てもらいたい、ということで募集を出しました。
伊藤:須賀さんは、最初は大企業に東京で就職されたということで、一般的には、地域の中小へのキャリアチェンジというのは葛藤や迷いなど、気になるところはあったと思うんですが。
須賀:東北で仕事をしていて、わたしは大企業の大きな看板というものを背負って仕事してるんだな、と思ったんですね。自分のチカラではなく、会社のブランドだったり商品があるから、自分は仕事ができているんだなということに気づいた。
それに気づいたのは、会社の看板ではなく自分の看板で勝負している人たち、自分の会社のことだけではなく、自分の町のために動いている人たちと東北でたくさん出会って、ものすごくかっこよかったんです、彼らが。私もその仲間に加わりたい、と思いました。そして一番の決め手は、東北のことは今しかできないということ、そして自分でそれをダイナミックに動かすことができるということでした。
キャリアを自分で描けるという衝撃
ーーーキャリアチェンジで気になるところとしては、給与面での条件というのがあると思うんですが、そのあたりはどう考えましたか?
須賀:収入面ではたしかに減りましたが、自分の将来のキャリアを考えたときに、決してそれがマイナスになるとは思いませんでした。大企業でいうと、課長になって部長になって役員になって…と段階を踏んでいきますが、そうではないキャリアを自分で描けるというのは衝撃的でした。直感的に、「これは面白い」と思って飛び込んだような感じもありますね。
正直、社会人経験も5年だったし、大きな組織にいたので経営に関わるということもほとんどなく、経営者の右腕としての経験もなかった。わたしにできるのかどうか、という悩みもありました。それでも採用していただいたので、ありがたかったなと感じています。
ーーーまだ働きはじめて二週間とのことですが、大企業とちがうところはどんなところですか?
須賀:大きな組織だとやっぱり縦割りになっていて、隣りの部署がなにやっているのかわからなかったりするんです。でもここでは、すぐに横を、隣りを見ることができる。それはすごく大きなメリットだと感じますね。ぜんぜん関わりが無いと思っていた人と話してみるといいアイディアが産まれたりもします。そういうところはすごくいいなと思っています。
ーーー暮らしについてはどうでしたか?
須賀:会社が用意してくれるということになっていた寮がまだ無いのですが、実はすごくいい条件をいただいています。専務宅にホームステイしてもらってるんです(笑)。子どもさんと遊ぶのも日々の癒しになっていたり(笑)。会社としては準備ができていなくて…と思っているかもしれないんですが、自分としてはすごくいいことだなと。逆に寮に入りたくないというか(笑)。
若い女性が地域の水産加工の中小企業に入ることが、日本の水産を変えていく
ーーーこれからのことをお伺いします。女川の鮮冷という企業で、今後どんなことにチャレンジしていきたいと思っていますか? その先の将来のことも含めてお願いします。
須賀:YOSOMON事業でほんとうにハードルが下がったなと思うのは、地域で永住を強いられずにチャレンジできる期間をいただけたというところです。今したいことは、とにかくブランドを作り、売りたいということです。そして、鮮冷という会社の魅力として、「女川から世界へ」という大きな夢のあるメッセージがあって、人に共感してもらえるビジョンや想いがある。その経営者の想いを拡声機として広げていきたいです。
将来的にということでは、都市と地方、地域と世界の間をつなぐような人にはなっていきたいなと思っています。そういう意味でも、今はとても大きな経験をさせていただいてるなと。
ーーーありがとうございます。大井さん、今後、鮮冷さんとして取り組んでいきたいこと、そして大井さんご自身がチャレンジしたいと思っていることを教えてください。
大井:鮮冷は、世の中を変えたいと思っています。まず日本の水産を変えたいと。海外では日本の一次産業の評価は特に高いので、だとすればそれを作っている日本の一次生産者も幸せになってほしい。でも現状は厳しい、それを変えたい。世界中のお客様に触れて、われわれが感じた喜びを工場の人に、そして一次生産者にどう伝えるか。それが日本を元気にすることだなと思ってやっています。須賀さんの採用を決めたとき、そういう想いを共有できる人間だなと感じました。若い女性が地域の食品製造の中小企業に入るということが、日本の水産を変えることだなと。
ーーーありがとうございました!
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