社会問題が山積しているこの世の中で、その問題解決に立ち向かう「社会的企業(Social Enterprises)」の存在感は大きくなりつつあります。赤道付近、常夏の東南アジアのハブ都市、シンガポールも例外ではありません。
2015年に建国50周年を迎えたシンガポール。かつては「NIES(アジアの小四龍)」などと呼ばれ急速に経済発展を遂げた国のひとつです。人口わずか500万人程度、国土面積も東京23区ほどの小国ですが、政府のリーダシップのもと、目覚ましい成長を遂げました。特に2000年以降は、金融改革による規制緩和が推し進められ、その結果、今や香港をしのぐ勢いでアジアの金融センターになろうとしています。2010年には、「高度な技能を有する国民、技術革新のある経済、卓越したグローバル都市」という報告書(新成長戦略)が発表されました。この新戦略では、外国資本の誘致(法人税減税)、イノベーションを促進するための多様で高度な技能人材の集積など、シンガポールがアジアを超えてグローバルレベルでのハブになることを目指しています。
同年、実質GDP成長率14.5%(参考:三菱東京UFJ銀行「シンガポール経済:2010年の総括と2011年の展望」)を達成 。独特なデザインで有名なマリーナベイサンズホテルが建てられたのもこのころで、世界を驚かせたのは記憶に新しいでしょう。2017年の予測では実質成長率3.5%(日本は1.5%)ほどを実現する見込み(参考:Channel Asia 2018年1月8日付記事)。今もなおその成長の歩みを止めることなく着実に進んでいます。なお、2016年の一人当たり名目GDPランキングでは、世界第10位に入るなど (日本は20位)、アジア地域(特に東南アジア)では頭一つ抜けている、それがシンガポールなのです。
シンガポールは「洗練されたエリート集団」「ゴージャス」「セレブ」というイメージを持たれることが多いはず。しかし、こうした経済成長の恩恵をすべての人が受けられているかというと、実はそうではない部分があります。2016年、ジニ係数が過去最少になりましたが、依然として所得格差の問題があります。そして、経済の高度化が進み女性の社会参加が進んだ結果、少子高齢化の問題も深刻になりつつあります。
シンガポールでは、政府、チャリティー団体に加え社会的企業が、この成長の陰の部分に向き合い対応しようとしています。そして、ここ数年では社会的企業の活躍を受け、その運営や広報活動のサポートをおこなう「中間支援組織(raiSE)」が出現しました。今回は、世界に目を向け、シンガポールの社会課題とは何か、そして中間支援組織はどのような役割を果たしているのか、実態に迫ってみたいと思います。
シンガポールの社会課題の概要
目まぐるしく成長を遂げたその陰には「急速な少子高齢化」「メンタルヘルスの深刻化」「相対的貧困(所得格差)」など、持続可能な発展に影響を与えるであろう問題があります。
ーー急速な少子高齢化
シンガポールでは2030年までに65歳以上の人口の割合が18%近く(約90万人)を超える見込みといわれています。2007年には9.4%ほどだったのが、10年後の2017年には14.4%と急増 。平均寿命も81歳と日本に次いで長寿国。
シンガポールには手厚い社会保障制度はなく、介護などのサービス費用は実費もしくは働いていた時の積立金で賄われることが大半です。このため、介護などの福祉サービスが家計に与える影響は大きいといわれています。
一方、少子化も深刻です。2016年の出生率は1.2% で、日本と同じくらい。教育費用の高騰や晩婚化(女性の平均結婚年齢28歳)が少子化の背景にはあるようです。経済の高度化に伴う人口のアンバランスは、どこの先進国の都市でも見られる課題です。
シンガポールも日本同様に、誰が介護の担い手になるのか、いかに健康寿命を延ばすか、子どもを増やすかなどなど、人口の深刻な問題に直面しています。
ーーメンタルヘルスの深刻化
南国の明るいイメージとは裏腹に、メンタルヘルスの問題が深刻化しています。うつ病に過去一度でもり患したことがある成人の割合は、人口の5.8%、その他精神疾患を含めると12%と世界的にも割合が高い状況にあります (なお、日本人精神疾患の割合が2%程度)。
精神疾患の症状で最も多いのは、うつ病。次に、アルコール依存症、強迫性障害と続きます。加えて、り患する割合が高い年齢が29歳と若年層であることも特徴的です。高所得の職に就くための競争や将来への不安がもたらす人の心への影響を感じざるを得ません。
ーー所得格差問題
シンガポールは、世界でも屈指の物価水準の高い国といわれています。ただし、国民に対してはローンの優遇制度や独占的な助成など、高額な消費への配慮が一部あります。例えば、国民が購入可能な公団住宅は、中心地で2LDK、20万SGDから25万SGD(約1,600万円から2,000万円)であるのに対し、外国人向けマンションは1億円を超えます。所得水準は、平均月収が額面約4,000SGD(約32万円)と高水準 。食料品や生活雑貨のほとんどを輸入に頼るシンガポールでは、物価が日本並み(むしろそれ以上)に高く、所得が十分でなければ生活がままならないのが実情でしょう。当然、全ての人が平均所得以上の職業に就いているわけではありません。特に、障がい者や過去に問題を抱える人などの社会的弱者の雇用機会は限られるのが現状です。さらに、外国からの人材との競争もあるシンガポールの労働市場おいて、高水準の所得の職を見つけるのは簡単ではありません。
資源の乏しいシンガポールが持続的に発展するためには、人が宝。急速に進む少子高齢化やメンタルヘルスケアへの対応は、成長を維持してくために急務といえるでしょう。
そして、所得の格差問題。就業機会は、学歴や社会的バックグラウンドによって影響を受けることが多く、格差が拡大する可能性(貧困のスパイラル)も考えられます。格差の拡大は、国家への不満へつながる可能性があり、安定した成長のためにも早めに対応しておきたいです。
シンガポールの社会的企業の概略
シンガポールは、2000年代前半から「社会的企業」が出現し始めたといわれています。当時は、所得格差が拡大する中、当初は障がい者の自立支援をおこなう団体が多かったようです。同時に、政府もこうした社会的な動きをとらえ、社会家族開発省(the Ministry of Social and Family Development:以下MSFD)が、社会的企業の活動に関する専用の委員会を設置し、政府主導の基金や助成制度が開始されました。徐々に、社会的企業のスタートアップや持続的な運営への資金的サポートが提供されるようになりました。
2012年には、大統領府主催による社会的企業の表彰制度が開始。これを契機にシンガポールの社会的企業の認知度がぐっと高まります。同年、シンガポール国立大学においても、社会的企業でのキャリア構築を目的とした授業が開始されるなど、学術界での関心も高まりました。さらに、2014年には、アジア全域を対象とした社会的企業のビジネスコンテストが地元銀行のDBS主催にておこなわれるなど、シンガポールという一国家を超え、国際的なソーシャルセクターへの注目が集まるようになりました。2015年には、後述するシンガポールの社会的企業の中間支援組織(以下、raiSE)の誕生と、この5、6年で社会的企業を取り巻く環境は激変。2010年には、13%程度の認知度だったのが、2016年には65%と増加しています(raiSE調べ)。
2016年時点、シンガポールの社会的企業は、登録されているところで337団体。主に「教育」「職業訓練」「健康福祉」の領域で活動しているところが多く、提供している価値も「雇用促進」「学習機会」「技術向上」の分野が多いそう(raiSE調べ)。他にも、シンガポールの社会的企業の66%がビジネス開始から初期段階にあるとされ、成熟期に入った団体はおよそ6%。シンガポールの社会的企業もまだまだ伸びしろが大いにあることが分かります。
成長過程にあるシンガポールの社会的企業。シンガポールにおいても、最近ではメディアでちらほら記事を目にしたりします。社会的企業という考え方自体は新しく、10数年を経て、ようやくやっと世の中での理解を得つつあるといったところかと思います。経済的なインパクトを与えるような規模の企業は、まだいないかもしれませんが、社会からの期待は大きくなりつつあると思います。
さて、シンガポールの社会的企業を取り巻く環境の特徴として、政府や関連機関の積極的なサポートがあります。MSFDからスピンアウトしたraiSEは、運営上のコンサルテーションなど幅広いサポートを提供していますが、まさにこれが象徴しています。国家のリーダシップにより「社会的企業の業界を活発にする」という思いのもと設立されており、少々おおげさにいえば、国を挙げて社会的企業を応援しているように思われます。共に課題解決を進めていこう、うまく民間を活用していこう。なんともシンガポールらしく感じます。
なお、これは筆者の勘繰りですが、政府がこうした影響力を発揮する裏には、アジアでの「社会的企業の先駆者」として、この分野でもハブ(イニシアティブ)となることを狙っているのではとないかと。ついつい考えすぎてしまいます。次に、この中間支援組織のraiSEが、いったいどのようなサポートを提供しているのか、ご紹介したいと思います。
シンガポールの中間支援組織 raiSEとは?
2015年、初めてシンガポールに誕生した、社会的企業向けにサポート支援をおこなう組織の「raiSE」。名前の由来は、「raise up =育てる」という意味から来ています。raiSEの活動目的は、「シンガポールの社会的企業の持続可能な発展を支え、誰も排除しない社会を構築すること」。日本でいう、日本財団に少し似ているようにも思います。組織の規模は、22名で、グローバル投資ファンドのCEO、MSFD社会サービス評議会会長、労働組合連合CEOが理事を務めるなど、規模は大きくないですが組織が持つネットワークの多様さと社会的影響力の高さがうかがえます。
活動の柱は主に3つです。
1つ目は、事業助成
2つ目は社会的認知度の向上
3つ目は織強化コンサルテーション。
なお、求人情報サイト運営の「Glints」と連携し、若者を社会的企業へインターンシップ(有償)として派遣する活動もあり、多岐にわたります。主な活動の詳細一覧は表①の通りです。
表①【活動詳細一覧】
活動 | 目的 | 概要 |
Venture For Good | 事業への助成 |
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Festival for Good | 認知度向上 |
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大統領チャレンジ年間社会的企業賞 | 認知度向上 |
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Leap for Good | コンサルテーション+ビジネスコンテスト |
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SE Young Talent Programme | 育成 |
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(1SGD=約84円)
ーー特徴的なプログラム「Leap for Good」
主な活動の中でも興味深いのが「Leap for Good」。表にある通り、このプログラムは、ビジネスプランのコンサルテーション受けながら、優秀なものが選抜されていくという、年間を通じたビジネスコンテストです。一般的に、こういったビジネスプランのコンテストだと主催側(選定するサイド)からのサポートというのは、あまり見られないと思うのですが、シンガポールでは少し違うようです。
まず、このプログラムは大きく4つのフェーズに分かれています。
最初は、課題理解のフェーズ。テーマに関心のある個人グループや組織などが広く集められます。企業として登記しているかどうかは問われません。要は、「やってみたい」という気持ちをもったグループであればいいのです。そして、集められた人たちを対象に、社会課題の理解を深めるためのラーニングセッションが行われます。例えば、2018年のテーマは「高齢者の生活の質の向上」なのですが、このテーマにつき専門家からのレクチャーを受けたあと、高齢者へのインタビューを数回行い、課題への理解を深めます。
実際の受益者(ここでは高齢者)とのコミュニケーションの機会を提供することは、実際のニーズを把握することであり、実態に即した活動につながると思います。が、なによりも、受益者との触れ合いにより「その時感じたこと」は大切で、その思いはモチベーションとなり事業継続の力の源になると思います。
次は、この経験や知識をもとに、ビジネスプランの素案を策定するフェーズになります。この策定にあたっては、raiSE側から課題整理(ブレスト・ハッカソン)のセッションが提供されるほか、1対1のコンサルテーションも含まれます。
こうして策定されたプランのうち上位20チームが最終のコンテストに参加する資格を得ます。一方、選考に漏れたチームも、過程で得た専門家の意見や関係(ネットワーク)は、今後彼らがビジネスを進めるにあたりおおいに役立つと思われます。さらに、無料で受けることができているわけですから、スタートアップ時の社会的企業にとっては、貴重な機会であることは間違いないでしょう。勝者、敗者ともに決して無駄にはならないプログラム。社会的企業にとっても、リスクが低く感じられ参加するモチベーションにつながると思いました。
3つ目のフェーズでは、選抜20チームが策定したプランの実現に向けた検証を行います。例えば、小規模に事業を始めてみて、商品・サービスへの利用状況などをモニタリングし、プランの微調整をしたり。この検証のプロセスにも、まずはプロトタイプ(お試しプラン)の実行の進め方について学ぶ機会(ブートキャンプ)や、検証期間内の数か月間に何度でも受けられるコンサルテーションが用意されています。なお、検証の軍資金として1,000SGDが各チームに用意されます。これも、資金的にはまだまだ乏しい組織にとっては助かる取り組みです。
そして、最後のフェーズであるビジネスコンテストへ。ここまでで半年くらいの時間が費やされています。ビジネスプランが、いよいよ賞金をかけた最終選考へと進みます。この選考過程では、一般の方も投票が可能です。ウェブなどでビジネスプランを公開するのではなく、イベント式です。一般参加が可能なイベントにおいて、選抜された20チームが自らブースに立ち、展示や説明をおこなうという双方向のもの。筆者も2016年の会場に足を運んだのですが、実際に「どんなキャラクターの人」が活動をしているのか、その思いは何かを体感しながら判断することができ、面白いやり方だと感じました。
そして、イベントの最後にはもちろん審査員に向けておこなう最終プレゼンテーションがあり(こちらも一般の来客者も聴くことができる)、全ての得票数に応じて勝者が決まるという流れになっています(詳細は、こちらから内容を見ることができます)。
この年間プログラムである「Leap for Good」に参加する社会的企業のゴールは、一義的には最終ビジネスプランコンテストでの賞金でしょう。しかし、このプログラムに参加するだけでも、ビジネスプランへのアドバイスや一般市民の意見の聴取など、副次的効果が期待できるものになっています。ゼロサムゲームではないところが、多様性と公平性を重んじならも、きちんと頑張った者への見返りを与える、アジアのハブとして多様な文化を受け入れるシンガポールならではのプログラムに思われます。
上記に加え、raiSEは社会的企業の実態調査や、事業開発のためのツールキットの提供、市民との意見交換会、企業からの専門家を招いたマネジメント勉強会など、数多くのイベントや取り組みを実施しています。約2年間で小規模でありながらもここまでの活動を実施できているのには、意思決定の早さやフットワークの軽さがあるのではないでしょうか。良い意味で「走りながら考える」がうまく機能している結果と考えます。
ここまで、シンガポールの社会課題、それに立ち向かう社会的企業、そして支える中間支援組織と見てきました。シンガポールでも、ソーシャルセクターの成長が感じられます。
さて、後編ではシンガポールの中間支援組織のこれからの挑戦について見ていきたいと思います。また、ソーシャルセクターの注目度の高い大統領府主催の表彰制度についてもご紹介していきたいと思います。次回もお楽しみに!
>raiSEについて詳しくはこちら
ーーおまけ
2016年の「Leap For Good」の様子
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