momoの事業について掘り下げたこれまでのインタビュー(以下1、2)に続き、今回は木村さんが仲間たちとmomoを起業するに至った経緯についてうかがいました。
写真:インタビューの合間に支援者と談笑する木村さん
石川:ここからは、木村さんご自身についてうかがいたいと思います。9年前の2005年にmomoを起業したわけですけど、そこに至る過程であったことや、考えていたこと。キャリアのはじめくらいから、お話いただけますか。
木村:僕は大学進学で地元である名古屋をいったん離れましたが、地元の金融機関に就職するというかたちで帰ってきました。そこに就職した理由は、地元で生きて行きたかったから。そこで暮らして行きたかったからです。大学で外に出たけれども、地元で働きたいときに、地元の金融機関に就職して戻ってくるというよくあるパターンです。 僕は母子家庭で育ちました。ほんとに古いアパートに住んでいて、母親はいつも仕事で忙しかった。そんなこともあって、僕は近所の人達に面倒をみてもらいながら、育ててもらったんです。
地元の金融機関を選んだ背景には、母とともに僕を育ててくれた地元の人たちに恩返しをしたいという思いもありました。だから、地元に貢献できる地域密着型の金融機関を就職先として選んだんです。晴れて望み通り、融資担当にもなれました。 でも、僕が就職したタイミングは景気がすごく悪くて、僕が思っていたような地域に貢献する融資は全くできませんでした。当時の金融機関なんて、不景気で融資するところがないから、ATMや投資信託等の販売手数料で稼いでいるような感じさえありました。地域の企業が困っているのに、彼らの役に立つどころか、自身を守ることで精一杯という状況でしたね。
そんな状況だったので、僕は金融機関を辞めて東京のNPOに飛び込んだんです。そこでしばらく働いた後に感じたのが、NPOと資金調達の問題でした。助成金が、「成長を助けるお金」と書くのに、まったくそうなっていない。むしろ依存構造を生みだしている。そんな中で、NPOバンクという存在と出会って、NPOに対する「融資」というものが存在するということを知りました。
石川:転職先でも、お金というテーマに行き着いたんですね。
木村:僕も実際に融資に関わる機会がありましたが、本当に多くのことを学びました。同じ50万円を使うのでも、もらいっぱなしの助成金と、3年かけて返済するのでは、その後に見えてくる景色が全く違います。融資には、事業者の自立をうながす力があると感じたのはこの時です。
もうひとつ気づいたことは、NPOバンクと金融機関では、融資の仕方が全く異なるということ。金融機関の融資というのは、極端に言えば、誰でもできるようになっています。マニュアルがきっちりできていて、決算書の数字をフォーマットに入れていくことで、ある程度の答えがでるようになっています。もちろんそうでない要素もありますが、特に景気が悪い時は、そういう傾向が強くなります。
僕がNPOバンクに関わる中で経験したのは、「人を見る融資」でした。事業の過去の実績ではなく、「この人が未来にどんな価値をつくっていくだろうか」ということをみるのです。目の前の人を信じることができなかったら、なかなか貸せるものではありません。未来を創るということは「目に見えないものを見る力」とか、「目に見えないものを信じる覚悟」が問われる仕事なんだと、その時気づきました。そういう仕事をしていて、じゃあ自分は何の未来をつくるのか、と考えた時に「僕は地元に戻ってNPOバンクをやろう」と思ったんです。
写真:地域内外のワークショップでもひっぱりだこの木村さん
石川:かなり思いきった決断だったと思いますが、うまくいく見通しは、どれくらいあったのでしょう。
木村:ほとんど若気の至りだったので、そこまでクリアな見通しはありませんでした。こんなに大変なことが待っていると当時わかっていたら、起業していなかったかもしれません。でも僕の根っこには、地域や金融というテーマがずっとあるので、振り返ってみれば自然な流れだったなと思います。かなり無謀ではあったけれど、自分の人生を、地域に貢献するための道具だと思えば、あるべき決断だったのでしょう。
石川:不安はあまりなかった、ということでしょうか。
木村:僕はもともと、大手企業に就職しているほうがよほどリスクが高いと思っていたんです。普通に考えたら、大学を出て、地域の金融機関に就職して戻ってくるというのは、ちょっとしたいい話なのだろうと思います。でも僕は、自分ではコントロール出来ない何かによって大きな影響を受けてしまう金融機関での仕事は、本当にリスクが高いと思っていました。どこのだれとも分からない他部署の人が不祥事を起こしたら、自分もモロに影響を受けてしまう。そんな自分でリスクをとりきれない人生は嫌だなぁと思って。
石川:とても共感します。でも、どうしてそういう考え方になったんでしょうか。
木村:生まれ育った環境ですかね。そんなに裕福じゃなかったので、高校時代は野球部をやりながらこっそりバイトもしていましたし、大学の学費と生活費も自動車学校のお金も、とにかく自分で働いて稼ぎました。一方でふと周りを見渡すと、車まで親に買ってもらっている友人がいたりするんですけど。そんな時代を過ごしたので、自立するということについては、早くから意識的だったのかもしれません。
石川:これもすごく共感します。
木村:ちなみに、銀行をやめるときも母親だけは反対しませんでした。まわりは全員反対でしたけど。母親はただ一言だけ、「私に迷惑掛けなければいいよ」と言ったんです。自分の人生だから、しっかり自分で決めてやりなさいと。こういう親なので、自立精神にあふれた子どもが育ったのでしょう。色々なことを人は言うけれど、結局最後は自分で決めて、その結果を自分で背負わないといけないと。そのことは、momoが融資先に自立を求めていくことと、深いところでつながっているように思います。
石川:木村さん自身とmomoのあり方がつながっている。おもしろいですね。momoは今、人材募集中ということなので最後にひとつだけお聞きしたいと思いますが、どんな人と一緒に働きたいですか?
木村:あきらめない人ですね。ガッツのある人。地域の課題解決に取り組む上では、うまくいかないこともたくさんあります。momoという組織だって、大企業のように職場環境が素晴らしく整備されているわけではありません。momoが取り組んでいることは、地域の金融の仕組みを新しく変えていくということですから、この大きなチャレンジを一緒に楽しめる人と働きたいですね。
(1) 非営利の金融機関、NPOバンクとは。なぜ今、全国に次々とNPOバンクが生まれているのか。
(2) 配当ゼロの出資者を集めることと、地元企業・金融機関を巻き込むことの共通点。なぜ地域の担い手を育てることが大切なのか。
コミュニティ・ユース・バンクmomo 代表理事/木村真樹
1977年愛知県名古屋市生まれ。大学卒業後、地方銀行勤務を経て、A SEED JAPAN事務局長やap bank運営事務局スタッフなどを歴任。2005年にコミュニティ・ユース・バンクmomoを設立し、若者たちによる“お金の地産地消”の推進や、市民公益活動へのハンズオン支援を行っている。13年4月には一般財団法人あいちコミュニティ財団を設立し、代表理事に就任。東海若手起業塾実行委員会理事、愛知淑徳大学非常勤講師、全国NPOバンク連絡会副理事長、認定NPO法人日本NPOセンター評議員なども務める。
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