「人が幸せを感じる条件と、イノベーションが起こる条件は似ている」
こう語るのは、幸せのメカニズムを研究している前野隆司さん。
もともと機械工学を専門としロボットを作っていた前野さんは、11年前に大学院に移り、イノベーションの研究を始めました。それを機会に、製品やサービス・組織やまちを作る時に、人間にとって普遍的な価値である「幸せ」の設計も考えるべきだと思い至ります。
そこから「幸福の工学」の研究にも取り組みはじめ、いまでは幸福学研究の第一人者として多方面で活躍しています。
前野さんが話したのは、東北で生まれた活動が示す〝未来の兆し〟について考えるシンポジウム。みちのく復興事業パートナーズとNPO法人ETIC.が主催する「東北から、パラダイムシフト」と題したイベントでした。
一人ひとりが幸せを感じながらも、イノベーションが多数生まれていく社会をつくるにはどうすればいいのでしょうか?
そんな未来を実現するための方法について、前野さんが語りました。
前野隆司(まえの たかし)さんプロフィール
慶應義塾大学大学院 システムデザイン・マネジメント研究科教授
1984年東京工業大学卒業、1986年同大学修士課程修了。キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て現在慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科委員長・教授・兼慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター長。博士(工学)。
幸福についての研究が盛んになった背景
まず前野さんが話したのは、「幸せ」の定義についてでした。
「幸せ」は、学術的にはウェルビーイング(Well-being)とハピネス(Happiness)の2つの意味を含んでいるそうです。
「ウェルビーイングは、幸せよりも広い意味で、身体的、精神的、社会的に良好な状態のことを指します。最近は医療、心理学、工学など様々な分野で聞かれる言葉になりました。
ハピネスは幸せよりも狭い意味で、より短期的な感情としての幸せを指します。」
今回は、ウェルビーイングの方の「幸せ」についての話が中心でした。
この幸せについての研究は、世界中で年々増加傾向にあるとのこと。
なぜこんなに幸せについての研究が増えているのでしょうか?
その背景について、前野さんは以下のように分析します。
「世の中が『幸せな社会』を必要としているからです。
そう考える理由のひとつは、地球環境問題の観点から見ると、物質的な意味で人類が右肩上がりの成長を続けるのがもう難しくなってきているということ。
もうひとつは、日本が人口減少社会に入ってきているのと同じように、世界も数十年後には人口減少が始まると言われていること。
つまり、ものが増え続け、人間が増え続け……という成長の時代が終わりを迎えて、『心の豊かさ』に注目が集まってきているんです」
ここで、前野さんは一枚のスライドを紹介します。内閣府が行っている、心の豊かさと物の豊かさに関する調査結果から作成されたグラフです。
1980年ごろから、「これからは心の豊かさやゆとりのある生活が大事」という人の割合が、「物の豊かさがまだまだ大切」という人の割合を上回っています。
「ものの豊かさを求める右肩上がりの時代は、40年前という、とっくの昔から終わり始めていました。
合理的・効率的・計画的に競争に勝つ。ピラミッド型の大規模な組織で、情報格差で勝つ。改良に改良を重ねて勝つ……そういった仕組みが、制度疲労を起こしているのかもしれません。
企業経営で『イノベーションのジレンマ』と言われる状況です」
イノベーションのジレンマは、クレイトン・クリステンセン氏が提唱した、有名な経営理論の概念。業界でトップになった企業が、既存の製品の改良ばかりに目を向け、新しいニーズに気が付かずに失敗してしまう状況のことを指します。
イノベーションが起こるチームに必要なのは「多様性」
では、右肩上がりの時代が終わったあとの社会では、どんな方法を取ればイノベーションを起こすことができるのでしょうか?
前野さんは「混沌にこそチャンスがある」と語ります。
「試行錯誤、『とにかくやってみよう』、多様で混沌としていて、みんなが共存しオープンに繋がって、論理ばかりではなく共感、感性を使って…そういうやり方が大事になってきていると思います。
古くて硬直したものがあると、イノベーションは起きない。これからは『VUCAワールド』と言われていますが、そちら側にシフトするべき時期が来ているのでしょう」
VUCA(ブーカ)はここ数年、ビジネスシーンでよく聞かれるようになってきたキーワードです。以下の4つの単語の頭文字を繋げてつくられた言葉で、近年の予測不可能な社会状況を表しています。
Volatility(変動性)
Uncertainty(不確実性)
Complexity(複雑性)
Ambiguity(曖昧性)
イノベーションを生む状況について、前野さんはこちらのグラフを紹介しました。
「5人くらいでブレインストーミングをするところを想像してください。
このグラフの横軸は参加者の多様性。低いほど似たような考えの専門家が集まっている状況です。縦軸はイノベーションの価値。どのぐらい面白いイノベーションが生まれたか、という軸です。
専門家集団の場合、整ったアイデアが出てきますが、すごいアイデアはあまり出てきません。ダメなアイデアを却下しているつもりで、素晴らしいアイデアも却下してしまうからです」
ただ、平均的なパフォーマンスは、多様性の低い専門家集団の方が高くなるそうです。これは想像に難くない結果ですね。
「イノベーションはハイリスク・ハイリターン。多くの人は失敗するけれど、一部の人が大成功する、というものです」
ここでイノベーションの一例として紹介されていたのがAirbnb。
「常識がある専門家は、『家をホテル代わりに貸せばいい』というアイデアが出てきた時に、『旅行業法に抵触するから無理だろう』『危険があるんじゃないか』ということを考えて、それを却下してしまいます。しかし、アメリカで(素人から)生まれたAirbnbは、世界中に広まりました。
既存の枠の中に入っているとイノベーションは起きないわけです。
おもしろいんだかバカバカしいんだか分からないようなアイデアも実行に移してみようという、多様な失敗と成功を許容できる社会、それがイノベーションを起こせる社会です」
1980年代から90年代にかけて前野さんがエンジニアとして勤めていた企業では、勤務時間の2割を好きな研究に充てていい「20%ルール」という制度があったそうです。前野さんは、この20%ルールを使って、業務とは関係のない「超能力」の研究をしていたとか。同僚の方にテレパシーが通じるかどうかの実験をしていたそうです(笑)
「20%ルール」といえばシリコンバレーの企業で導入されているイメージがありましたが、日本企業でもそんなに昔にすでにあったとは驚きです。
「それだけふざけていることを、当時はできたんですよね。でもいまの日本の組織では、そういった文化はあまり見られなくなってしまいました」
長続きする幸せと、長続きしない幸せー「非地位財」と「地位財」
ここでまた「幸せ」の話に戻ります。
前野さんは、「『地位財』の幸せから『非地位財』の幸せの社会へ、パラダイムシフトが起こっている」と語ります。
「地位財」というのは、他人と比較できる財のこと。金、物、地位などを指します。
「非地位財」というのは、他人と比較できない財のこと。安心、健康、心の充足などです。
近年の心理学の研究で、この地位財型の幸せは長続きしないということが分かってきました。例えば、お金が手に入ると嬉しいですが、その幸せはすぐに消えてしまいます。この地位財の幸せを長続きさせるためには「右肩上がり」、つまりずっと増え続けさせることが必要になります。
「高度成長期の日本はこの『地位財の幸せ』型の社会でした。長続きしない幸せでも、ずっと供給し続けられれば、ずっと幸せを得られます」
前述したように、この「地位財」を右肩上がりですべての人に供給し続けるのは難しくなってきています。
近年、長続きする幸せを供給してくれる「非地位財」、中でも心の幸せに注目が集まっているのは、自然な流れだと感じます。
前野さんの研究によると、心による幸せを得るには、以下の4つの因子が重要とのこと。
1:自己実現と成長の因子 (やってみよう!)……夢や目標を持つ
2:前向きと楽観の因子(なんとかなる!)……前向きで自己受容ができている
3:独立と自分らしさの因子(ありのままに!)……人と比べすぎずに、自分らしく生きる
4:つながりと感謝の因子(ありがとう!)……利他性や感謝を持つ
つまり、「夢や目標を持ち、人との多様なつながりを大切にし、前向きに、自分らしく生きる人が幸せ」ということ。シンプルですが、実際に実行に移そうとすると難易度が高いと感じるのではないでしょうか。
みんなが幸せで、かつイノベーションが生まれる社会へ
ここで前野さんはイノベーションの話に戻りました。
「実は、幸せを感じるためのこの4つの因子は、イノベーションを生む条件と似ているんです。
まずはチャレンジ精神。リスクを取って『やってみよう!』という気持ちです。
そして楽観的に、ハイリスクだけれども『なんとかなる!』という気持ち。
また、自分らしいアイデアもイノベーションを生むためには必要です。
もちろん、支援者や仲間との繋がりも」
前野さんの共著書「幸福学×経営学」では、「幸せな人はそうでない人に比べて創造性が3倍高い」という研究結果も紹介されています。
みんなが長続きする幸せを得られて、しかもイノベーションが生まれる社会。こんな状態になったら理想的ですよね。
前野さんの講演は、みんなが楽観的で前向きに、自分らしく生きられる幸せな社会を日本から世界に広めていきたいという話で締めくくられました。
前野さんは子育てに関する本も書いており、こちらでは「子育ての基本は親が幸せでいること」だと述べられています。
「幸福度が低い」と言われることも多い日本人。ついつい自分の幸せは後回しにして、会社や家庭で求められている役割を演じてしまうという人も多いのではないでしょうか。 幸福学の見地から、私たちが幸せになることが何よりも大切であると教えてくれる前野さんの話には、希望を感じます。
経営や教育の分野以外にも幸福学の研究を広げ活躍している前野さん。一人ひとりが幸せを感じると同時に、イノベーションも生まれ続ける社会に向けて、幸福学の考え方が多くの方に届くことを願っています。
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