京都市最北端の集落・久多(くた)で、不登校の経験などがある通信制高校に通う生徒たちを受け入れる教育プログラム「いなか塾」が行われています。前編では生徒が自然豊かな暮らしを体験して学ぶ姿をご紹介ました。後編の今回はいなか塾を運営する、株式会社ほんまもんの代表・奥出一順(おくで・かずより)さんへのインタビューをまとめました。奥出さんはいなか塾に何を想い、今後の展望をどう描いているのでしょうか。
奥出一順さんは1965年、京都府宇治市で生まれました。高校卒業後の約20年間は水産関係の仕事に携わり、「世界一の魚屋になる!」べく、海外で活躍されていたそうです。久多集落に移住したのは約17年前ですが、なぜ仕事を辞めてまで久多での暮らしを選んだのでしょうか。そのことについて、奥出さんは「ロンドンで暮らしたことで価値観が変わったから」と話します。長男の誕生を機に帰国してしばらく後、知人からの紹介を受けて久多を訪れ、その古き良き日本の暮らしが残る集落に惹かれたそうです。そしてまだ幼かった我が子に「ほんまもん」の暮らしを伝えたいと移住を決意されました。
正々堂々と、今の社会に一石を投じたかった
━━奥出さんの思う、久多での「ほんまもん」の暮らしについて教えてください。お子さんにどんなことを伝えたかったのでしょうか。
奥出:お米や野菜、お味噌を自給する。そのために水や道具の手入れをする。そして時には、自らの手で鹿や猪などをしとめていただく。ボクには今、2人の息子がいますが、彼らにそんな暮らしを伝えたいと思いました。「ものを大切にしなさい」、「残さずに食べなさい」と言っても、これだけ便利な世の中ではピンとこないでしょう。
「都会ではボクの理想とする子育てはできない」と考えるようになったのは、ロンドンで暮らした経験が大きいですね。眼や肌の色、信じている宗教、それぞれがまったく違う多国籍の集団の中では、個性を尊重するし、誰もが最大限に自分らしく生きている。その環境に身を置くうちに、それまで自分の中にあった日本人としての価値観や固定概念を崩して新たな視点で物事を考えるようになっていたんですね。
そもそもボクは「日本なんか」と思って海外へ飛び出したんだけど、帰国してみると、日本には世界に誇れる技術や文化があることに気がついたんです。そして、その下支えになっているのが田舎の暮らしなんだと思いました。宮大工の技術の結晶である古民家だとか、どんな道具も器用に自分の手で作りあげるお年寄りだとか。初めて久多に出会った時は、自然の恵みを余すことなく使い切る久多の方の暮らしぶりに学ぶことがたくさんあると感激しましたよ。
今、おかげさまで息子たちは一人立ちをしてくれたので、我が子にかけていたエネルギーをいなか塾の子たちに……というわけですね。
━━お子さんたちは久多の自然とともに成長されたのですね。では、奥出さんがいなか塾を始めるに至った経緯を教えてください。
奥出:発達障害を抱えているボクの次男坊が高校生の時、いじめを受けて学校を辞めさせざるを得なかったという経験がそもそものきっかけです。その時に1番悔しかったのは先生や学校がまともにとりあってくれなかったことでした。当時は親子で本当に辛かったですね。でもそれは、ひょっとしたら世の中には、周囲に理解されずに苦しんでいる子どもたち、思い悩んでいる保護者さんがたくさんいるんじゃないかという気づきにつながりました。
ならばボクは、怒りや悔しさに飲み込まれず、田舎を舞台に彼・彼女らを支援することにエネルギーを使うべきではないかと思ったのです。そうすることで、正々堂々と今の社会に一石を投じることができるのではないかと。その想いを周囲に伝えていくうちに、とある通信制高校の先生から「生徒向けのプログラムをアレンジしてもらえないか」という依頼が舞い込んできました。当時のボクは神様からの贈り物だと思いましたね。もちろん、「ぜひやらせてください」と即答しました。
久多は、地場産業も、観光名所も、「何もない」集落と言われています。奥出さんはだからこそ、地域資源を教育資源に変え、「人を育む村」として確立することを目指しました。結果、京都市第1号の農家民宿の許可を取得することができました。
できたときはしっかり褒めて、時には本気で叱る
いなか塾のテーマは“生き抜く力”。社会に出ても、他人や流行にまどわされずに自分らしく生きていく力を身に付けてほしいという想いが込められています。
━━奥出さんはどのような想いでいなか塾に参加する生徒に接しているのでしょうか?生徒たちとの関わりの中で決めていること、またプログラムの意図があれば教えてください。
奥出:お客さん扱いはせず、我が子のように接しています。そして時にはおせっかいな近所のおじさんのごとく、冷静な立場で見るようにしています。できたことはしっかり褒めて、時には本気で叱ることもします。例えば食事の時であれば行儀の悪い子には注意をしますし。社会生活のマナー、集団生活におけるルールも事あるごとに伝えています。
プログラムは何も特別なことはしていません。ただ、規則正しい生活を守らせる。朝起きて、お天道様が出ている間に身体を動かして、汗をかく。すると自然とお腹が減ってきて、普段はご飯を食べない子までおかわりをするようになります。日中にしっかり活動するので、夜は疲れて自然と眠くなる。昼夜逆転の生徒も、2日目からいなか塾の生活リズムに馴染んでいきます。
普段の生活環境ではこのごく当たり前ができないのでしょう。コンビニは24時間開いているし、スーパーには年中トマトが並んでいる。時間の経過も季節の移ろいも感じることは少ない。ニュースでは毎日のように大人が頭を下げて謝罪をしているし、学校では成績でしか判断してもらえない。何を信じて、何を頼りに生きていったら良いんだろう。子どもが途方にくれて、自分の価値や生きる目標が見いだせないでいるんですよ。本来それを示してやるのが社会の大人の責務だとボクは思う。いなか塾に来る生徒たちも、自分に自信が持てない子がとても多いです。
でも、彼らはとても純粋で素直ですよ!叱られたら素直に聞くし、褒めると心から喜びます。
頼り頼られる関係性
いなか塾の初日、奥出さんは生徒たちに「この5日間は『頼り頼られる』を実践すること」と伝えるそうです。
奥出:もともとボク自身、人に弱みを見せたり人に頼ることが苦手でした。ですが水産関係の仕事を通じて、頼るということは相手を信頼している証拠でもあると気づくことができました。
いなか塾に参加する生徒たちは、頼ることの大切さを知りません。親や学校から「自律」や「自己責任」の大切さばかりインプットされてきたからだと思います。
いなか塾で伝える「頼り頼られる」の実践は、わからないことは人に聞く。1人でできないことは人に頼る。そのかわり、困っている人がいたら自分から話しかける。この3つです。「頼り頼られる」を実践できると、どんな社会であっても自分の立場を確立することができる。ああ、きみのおかげで助かった。きみがいてよかった。きみのためなら。この関係性を自分で作ることができて初めて、自立した人間と言えるのではないかとボクは思っています。
いなか塾の初日。奥出さんは「頼り頼られる」について生徒たちに伝える
━━いなか塾に関わるボランティアスタッフとの関係にも「頼り頼られる」が活かされているように思います。
奥出:そうですね。農家民宿のお客様だった方、ゼミ活動として久多に関わっていた大学生など輪が広がり、現在は約20名の方がボランティアスタッフに登録してくださっています。いなか塾の参加生徒たちには、多世代の大人と関わり、多様な価値観に触れる機会も重要だと考えています。
さらには、力を貸してくれたボランティアスタッフが感動していなか塾のファンになってくれるんです。生徒たちが葛藤を乗り越えて成長していく瞬間に立ち会える喜びがある、と。人は誰しも心のどこかで、人の助けになりたいと思っているはずです。あなたの経験やスキルのおすそわけをお願いします、という意味を込めて、ボクたちはボランティアスタッフを“おすそわけマイスター”と呼んでいます!
2019年春の田植え。いなか塾には“おすそわけマイスター”の存在も欠かせない
葛藤を乗り越える瞬間
━━奥出さんが印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
奥出:じゃあ、せっかくなので「頼り頼られる」にまつわることで。
普段は夕方から明け方までゲームをして朝の5時に寝る昼夜逆転の生活をする男子生徒がいました。ある晩、就寝準備のために布団をリレーして運んでいたところ、彼は部屋を抜け出し、先に一人で歯を磨きにいってしまったんですね。そこでボクは改めて「頼り頼られる」について伝えたところ素直に反省し、翌日は彼が先陣を切って布団の出し入れをしていたそうです。そんな彼が薪割りにはまってね。最終夜には「明日は朝5時から薪割をしたいです!」と宣言したじゃないですか。翌朝彼は、薪を割り、掃き掃除をし、最後には「ありがとうございました」と照れくさそうに、深々と頭を下げてました。あの朝の凛と澄み切った空気と、ちょうど彼の背中を照らした朝日を今でも覚えています。
また、規律性調節障害を持ち、朝起きることができない男子生徒。いなか塾は朝7時に集合ですが、始めての朝は起き上がることができませんでした。ボクは、苦手なことに挑戦しようと意を決してやってきた彼に「しんどかったらまた寝たらええから一回起きてみよう。ちょっとずつチャレンジしていこうや」と布団に向かって声をかけました。そして次の日の朝、なんと朝7時に調理場に彼の姿がありました。聞けば、「昨日の朝、布団から皆が楽しそうに朝食を作る声が聞こえて。起きたら朝食が用意されていたのが皆にすごく申し訳なくなって。」とのこと。
普段の生活環境ではここまで自分を奮い立たせるきっかけがない。彼は一番の自分の弱点を集団生活の葛藤の中で乗り越え、自信に繋がったのでしょう。その日以降は毎朝決めた時間に起きて学校に通えるようになったようです。今では、大学進学を目指して受験勉強を頑張っていますよ。
━━では最後に、いなか塾の今後の展望を教えてください。
奥出:誰よりも懸命に田植え作業をする男子生徒がいました。彼は「将来は久多みたいなところで暮らしたい!」と言ってくれたのですが、久多には地場産業がなく、仮に本当に久多で働きたいという卒塾生が現れても受け入れることができません。なので今後は、彼らの生業を提供できるところまでいきたい。働き先を斡旋したり、自社で雇用体制を整えたり。
いなか塾に来る生徒は、発達障害を抱える子も少なくないです。彼らの特性は、仕事を覚えるまでに平均より時間はかかるけれど、一度覚えたら一切手を抜かずに、真面目にこつこつやり遂げること。責任感も強い。雇う側も少し視点を変えて、人財とは何かということを考えることが必要だと思います。
狭い狭い社会の中で、若い子たちがつまはじきにされる仕組みがボクはどうしようもなくもどかしい。こだわりが強く同級生から認められなかった子が、自分らしく生きる大人に囲まれると「きみ、おもしろいね!」と褒められる。これって、とんでもない自信になりますよね。限られた世界の、限られた価値観の中で、しょんぼりしている彼らを、ボクはなんとかそこから引っ張り出してやりたい。おまえらしく生きていく方法なんて、どれだけでもあるよ!って。胸張れよ!って。それが、本当のことを知っている大人の責務だと思うんです。
〈編集後記〉
「元々は反骨精神がボクのエネルギー源でしたが、今では彼・彼女たちからもらう元気が生きがいです」と大きな声で笑う奥出さんは、いなか塾を舞台に全身全霊でご自身を表現していらっしゃるように見えます。
「頼り頼られる」に、年齢も、性別も、能力も関係ない。久多に集う人々の、縦横斜めの関係性がいなか塾プログラムに相乗効果をもたらしているのでしょう。小さな超限界集落の挑戦に、乞うご期待です。
記事の前編はこちら。
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