前編:「なぜ、僕は社会起業家に投資するのか?」沸き立つアジアのソーシャルアントレプレナーたち(1)/「中国のリーダー達の”大局観”」沸き立つアジアのソーシャルアントレプレナーたち(2)
ビジネスを始めるには何から始めればいい?資本があれば、仲間がいれば始められる?NPOをつくるには登記が必要?
もちろん、日本ではそうだ。 だけれど、アジア多くの地域の現実はそうではない。我々が当たり前だと思っていることの多くは、先人によって「つくられた」仕組みが前提になっている。市場が機能するには、個人が資本を所有するという行為、そして、その権利が守られる必要がある。それが根底にあって商取引が可能になり、ようやく市場が登場する。
法律や国家はつくられるものであり、途上国の多くではそれがつくられ、機能するという過程にある。これは、「途上国」と「先進国」の出身者の感覚を分ける大きな違いだろう。 国土の端々まで単一の価格で物を送ることできる流通網。蛇口を捻れば湧き出す安全な水。島嶼国にもかかわらず、どこでも使える電気。そして、国民にくまなく保証される基礎的な教育と医療の水準の高さ。そして、それがあらゆる個人に対して均質に提供される。そういう仮定に我々は立っている。
一方でこのことは、我々の想像力を枯渇させる要因でもある。 アジアでは、セクターなんて形成される前でごちゃごちゃだし、法律も“法律”として機能している国の方が少ない。とある、東南アジアの中進国では、徴税権をオークションにかけた、というエピソードを耳にしたこともあった。地方政府が徴税能力を付ける前のことで、低コストで最大の税収を手にするにはきわめて合理的な方法じゃないか、とのことだった。
不均衡や不平等も多い。だから、面白いことが起こっている。例えば、電子政府なんて言うと、先進国の話だと思うかもしれないが、むしろ積極的なのは行政能力の向上を迫られている途上国政府だったりする。
未踏の市場に挑戦するアントレプレナーたち
これは、リスクとして映るかもしれないけれど、可能性でもある。そして、行政が機能し始める前に、ごく自然な形として、起業家たちが社会問題に取り組み始めた。
タイで出席した国際会議から戻る帰路で立ち寄ったフィリピンでは、フィリピン最大の社会的投資機関の代表・ロパ(Executive Director, Philippine Business For Social Progress)と出会った。彼はフィリピンのビジネスセクターと公的セクター(政府・行政)の双方で投資の責任者として活躍してきた。ロパは政府が政府として機能する前に、社会起業という可能性に投資しようとしている。
「分けて考える必要があるのか」 ロパは呟いた。ビジネスと非営利を分けて活動する自分に疑問を抱き始めた時に”ソーシャルエンタープライズ(社会的企業)”というコンセプトに出会ったんだ、と彼は嬉しそうに話す。例えば、リン・ピウ(Co-founder, Mano Amiga Philippines)はロパの支援する社会起業家の一人だ。フィリピンのトップスクールを卒業し、経済学者の道を歩んだが、行き先を変え、社会起業の道へ転じた。
「中間層に安価で安心できる教育を」という彼女の主張は当たり前のことに聞こえるかもしれない。だけれど、それは途上国では一般的なことではない。チャリティーは、少数の貧困層を対象にし、ビジネスは利益率の高い富裕層をまず対象にする。だから、フィリピンでは中間層への高品質で低価格なサービス提供がぽっかり空いてしまっていた。 この問題は開発経済の中で「ミッシング・ミドル」と提示される問題だ。
上場企業やインフラを担う国有企業や巨大企業にまず投資が流れ込み、商業化される一方、資本を持たない起業家が「ビジネス」を成長させるには、投資コストが高すぎるのだ。途上国での金利はゆうに年に10%を越える。貧困層のためのマイクロファイナンスですら、年利20%を越えることもめずらしくない。金利が高い、ということは、短期間で事業の成長が求められるということであり、黒字を出すまでの猶予期間が短く、過酷なビジネス環境が前提になる。(ハーバード大学の”The Missing Middle”という記事が諸説を包括的にまとめている)
リンは、それをチャンスとして捉えた。通常、「ミッシング・ミドル」は資本投下の不足による経済成長の「足かせ」として表現されるが、起業家にとっては、未踏の市場の存在を示すヒントでしかない。市場化されていない市場では、競合する企業そのものが育たず、産業そのものの効率がひどく悪くなる。
逆に捉えれば、次世代のイノベーションやビジネスモデルが最も求められる。事業環境がどうであれ、ユーザーはそこにいるからだ。 彼女は、公共セクター、具体的には、各地の地方自治体を巻き込み始めた。そして、リンはソフト面のサービス提供を担う。そして、ビジネスとしてのリスクも負う。だから、学校の土地を提供しろ、という強引な駆け引きを始める。
すでに非営利のやり方で実績を上げていた彼女にとって、必要なのは拡大への投資だった。そして、彼女が志す学校にはインフラへの投資が不可欠だった。そこに、彼女は行政を巻き込み、新しいモデルが機能することを証明してみせた。今年は20地域に拡大するのだ、という。
日本で、20地域に営利、非営利が混合したモデルを展開する、なんて、わけのわからないことを言い出すと時間がかかって仕方ないけれど、途上国ではつまらないことを気にすることなく、あるべき連携を模索することができる。 各地で活躍する女性の社会起業家にはリンのようなタイプが多い。繊細で優しく、人に深く共感するタイプだ。ただ、それは彼女たちが他人に見せたがらない姿であって、表向き威圧的に映ったりもする。きっと、それは、強さを身にまとうことで、社会を切り開いて行くのだ、という決心を揺らさないための工夫なのだろうなと思ったりもする。
ずば抜けた成果を出せば、それだけじゃないか。
最後にフィリピンの社会的投資家、ロパに尋ねた。どうやって、このセクターをつくっていけばいいか、何を見ているのか?と。彼はこう答えた。と聞いたら、「単純だよ。社会性も収益性も両立できる、社会性のあるプロジェクトは収益性があるって証明すればいいだけだよ」と彼は答える。
彼の口ぶりは、これまでの取り組みに裏打ちされているようなゆったりした語り方で、視線は少し上の方を向いていた。 フィリピンのソーシャルエンタープライズ(社会的企業)について話した時、いつも最初に名前があがる「ハピノイ」の事例をどう思うかと尋ねると、僕がチェアマン(理事会の議長)なんだよ、と恥ずかしそうに笑った。(ハピノイは、マイクロフランチャイズという革新の話をすると、いつも最初に名前があがってくるフィリピン最大の社会的企業の一つだ)。
ロパと会った時の印象を良く覚えている。「ここにも居たのか」ということだった。多分、僕らの想像力が追いついていないだけで、「社会企業」的なことを仕掛けてきた人たちはどこにでもいるのだ。まさに、ロパが言うように、他のセクターのプレイヤーにも理解できるような、「ずば抜けた成果」を出すということは、どの領域でやれることだし、やってもいいことだ。
アジア各地のリーダーがこの社会起業、ソーシャルビジネスと呼ばれる領域に続々と転身しようとしている。こういった夢を見ることは、もちろんリスクテイクとの裏返しだ。社会に不均衡を生む利害関係に屈しないということであり、戦い抜くという姿勢は前提になることが多い。だけれど、そこに拡がる可能性を見ると、それも悪くないかな、と思ってみたりする。(もちろん、これは多寡の問題であって、日本でも同様のことは起きる)。
僕に途上国でのビジネスを教えてくれたメンターの一人は、「大臣となんて付き合っちゃだめだよ。首相でもだめ。キングメーカーとつきあわなきゃ意味ないからね」って話してくれた。それは、ビジネスのルールとなんら変わらないな、とも思う。そういえば、昔、リクルートの創業メンバーから教えて頂いたことも同じだった。「まず、トップを口説け」と。
前編:「なぜ、僕は社会起業家に投資するのか?」沸き立つアジアのソーシャルアントレプレナーたち(1)/「中国のリーダー達の”大局観”」沸き立つアジアのソーシャルアントレプレナーたち(2)
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