東日本大震災から10年となる今年。みちのく復興事業パートナーズ*1 は、これまでの東北復興の実践を通じてこれからの社会を考える「第9回みちのく復興事業シンポジウム」を開催しました。
今年のテーマは「東北から問い直す。働く、暮らす、生きる。」。新型コロナウィルスの影響で加速した働き方や暮らし方の転換が問われる今、東北でこの10年間で積み重ねられた実践を再定義することが、先の見えないこれからの社会の羅針盤になるのではないか。そのような認識に立ち、これからの社会と人の在り方を考察しようと試みました。
本記事では、渡邊 享子氏(合同会社巻組 代表)と津田大介氏(ジャーナリスト/メディア・アクティビスト、ポリタス編集長)の対談を紹介します。
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*1 東北で活動する起業家、NPO・団体とその活動を企業が連携して支えるプラットフォーム。2020年度は、花王株式会社、株式会社ジェーシービー、株式会社電通、株式会社ベネッセホールディングスの4社が参画。
大学院生、震災ボランティアを機に起業
渡邊:合同会社巻組代表の渡邊享子です。宮城県石巻市(いしのまきし)を拠点とする巻組では、全国に800万個以上あると言われている、資産価値の低い空き家を買い上げてリノベーションし、石巻でクリエイティブな生き方を実践したい人とマッチングする事業を行っています。
渡邊享子(わたなべ・きょうこ)氏
合同会社巻組 代表
1987年埼玉県生まれ。大学院在学中に震災が発生。そのまま宮城県石巻市に移住し、中心市街地の再生に関わりつつ、被災した空き家を改修して若手の移住者に活動拠点を提供するプロジェクトをスタート。日本学術振興会特別研究員を経て、2015年に合同会社巻組を設立。地方の不動産の流動化を促す仕組み作りに取り組む。2016年、COMICHI石巻の事業コーディネートを通して、日本都市計画学会計画設計賞受賞。2019年、日本政策投資銀行主催の「第7回DBJ女性新ビジネスプランコンペティション」で「女性起業大賞」を受賞。
津田:こんにちは、ジャーナリストの津田大介です。震災の1ヶ月後に現地で始めた取材がきっかけでいろいろな東北各地のコミュニティと出会い、今でも継続的に取材をしています。また、取材を進めるうちに自分でも何か復興支援ができないかと、若者層の雇用創出などを目的にした古着などのインターネット通販事業を行う一般社団法人パワクロを石巻市で立ち上げました。
今年で震災から10年が経ちますが、渡邊さんは震災後から起業されたこれまでの10年をどう振り返りますか?
津田 大介(つだ・だいすけ)氏
ジャーナリスト/メディア・アクティビスト、ポリタス編集長
大阪経済大学情報社会学部客員教授。1973年生まれ。東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。テレ朝チャンネル2「津田大介 日本にプラス+」キャスター。J-WAVE「JAM THE WORLD」ニュース・スーパーバイザー。メディアとジャーナリズム、著作権、コンテンツビジネス、表現の自由などを専門分野として執筆活動を行う。近年は地域課題の解決や社会起業、テクノロジーが社会をどのように変えるかをテーマに取材を続ける。主な著書に『情報戦争を生き抜く』(朝日新書)、『ウェブで政治を動かす!』(朝日新書)、『動員の革命』(中公新書ラクレ)、ほか。
渡邊: 震災発生当時は、東京で通っていた大学院を卒業するタイミングでした。就職活動は思うように進まず、東京では足並みを揃えて忖度しないとうまく生きていけない、自分には居場所がないと感じていました。誰からも必要とされていない感覚があった中で石巻に行ってみると、自分にもやれることがたくさんあったのです。ボランティアを通して誰かに役立つことができたリアリティはすごく大きくて。そこからさらに見えてきた課題に取り組もうと事業を立ち上げたのですが、とても楽しい経験でしたね。
津田:渡邊さんの話を聞いていると、僕といくつか共通点があるように思います。僕も大学時代に就職活動に失敗して、出版社でのアルバイトを経て起業しました。当時を振り返ると、先行きを考えたら何もできなかったですね。突き動かされながら仕事を進め、すべてを見よう見まねでやってみることの繰り返しでした。渡邊さんは地縁も何もない土地で暮らしながら起業をすることへの不安はありませんでしたか?
渡邊:地方に一度入ってしまえば、人とのつながりはつくりやすいと思います。特に当時は、無理してネットワークを広げようとしなくても、壊れた街を復興させる課題に立ち向かい、地元の人たちと一緒に身体を動かしていれば、つながりは自ずと生まれていきました。私にとっては、共通の目的を持ったコミュニティをつくるには東京の規模だと難しかったのだと思います。
巻組WEBサイトより
はじまりは、30万円借りて空き家の床だけ直して得た家賃収入
津田:ボランティア時代と違って、起業して事業化する段階は難しさもあったのではないでしょうか。空き家という存在に気が付いて、これなら自分の能力を活かしてニーズを発掘できるのではないかと思いついたのはいつ頃ですか?
渡邊:私は両親共に銀行員のサラリーマン家庭で育ったので、サービスや商品にどのように値段がつき、どのように事業が成り立つのか、まったくリアリティがありませんでした。空き家を外の地域から来た若者に提供する事業でどうお金をつくることができるのか、本当にゼロから考えていました。
2012年くらいに、空き家の大家さんから借りた30万円で床だけ直した家を貸し始め、数万円の家賃収入が生まれました。みんな現金で支払ってくれていたこともあり、まるで貯金箱にお金が溜まっていくような感覚というか(笑)。この数万円を積み重ね、規模を上げていけばビジネスになるのではないか?と思ったのが2013年頃ですね。今もその延長線上という感覚があります。
津田:特に石巻は津波の被害が大きく、外からの支援者が一番多かった地域ですよね。そんな外から来た人たちが暮らしたり活動したりする拠点として空き家を借りるニーズはたくさんあったと思いますが、大家さんからすると、全く知らない人に家を貸すのは抵抗もあったのではないでしょうか。その辺りはいかがでしたか?
渡邊:そうですね。震災直後は2万2千戸の全壊家屋があり、そもそも被災者の方々の家が不足していた状態で、外から来た人が家を借りるのは困難を極めていました。ですがその後、人口が2万人減っている状況で石巻に7000戸の新築家屋が提供されたことで供給過多になり、2015年頃には再び空き家が増えていきました。大家さんたちとしても空き家を放っておくわけにもいかなくなりました。
その時点で巻組には家を借りたい移住希望者からの相談を捌ききれないほどいただいており、家を貸したい大家さんと移住希望者をすぐにつなぐことができました。それが巻組と大家さんとの信頼関係にもつながったのではないかと思います。一方で、例えば移住者の皆さんが空き家でやりたいコミュニティスペースなどは、持続性とビジネスモデルが見えないこともあります。その将来性について私たちから丁寧に大家さんに説明することも、借り手と大家さんとの関係性構築の上で非常に重要だったと感じています。
空き家だからできる課題解決の可能性
巻組がリノベーションした街中シェアハウス
津田:もともと渡邊さん自身に空き家や起業に関するノウハウがあったわけではなかったですよね。今振り返ると、ノウハウを知らなかったから今があると思いますか?それともいろいろなことを身につけてからのほうが良かったと思いますか?
渡邊:大学院では都市計画を研究していましたが、実務はもちろんやったことがありませんでした。正義感だけで動いていたので、分からないことでもまずはやってみることしか選択肢はありませんでした。一般的に考えると、資産価値の低い廃屋のような不動産を買い上げて賃貸経営をすることはリスクがあり、普通の会社ならやらないとよく言われます。ですが、だからこそ巻組ではなかなか手の届かない課題領域の解決につながる事業ができているのだと思います。
津田:巻組の空き家活用の特徴のひとつに、アーティストなどクリエイティブな活動をする方とのマッチングが挙げられますよね。それによって地域に文化に関わる人が増えることがキーだと思います。地方創生の文脈でも、空き家をアート作品にしたり、芸術祭の展示会場にしたり、アーティストインレジデンスで活用したり、最近では都市の文化力をあげる目的でも空き家活用が注目されています。普段そういったことはどれだけ意識されていますか?
渡邊:地方は都市部より平米単価が低いので、アーティストのみなさんにとってコスト的に制作しやすい環境です。事業を続けていたら結果的に客層が変わっていきました。地域の文化力を向上させるためには、まず目に見えて分かりやすいハコモノに予算を投資するのではなく、担い手の育成や、地域とインタラクティブにつながる仕組みづくりなどへの投資が重要だと考えています。ハード面だけではなく、ソフト面に投資する自治体が増えると日本は豊かになるのでないでしょうか。
多様なフィルターを持って生きる価値
津田:地域とインタラクティブにつながる仕組みづくり、非常に大切ですよね。石巻くらいの規模感だと、働くことと暮らすことが分離することなくグラデーションでつながっている印象を持ちます。東京だと仕事と暮らしに境界線があって、一人一人それぞれの人生を生きている。境界線がないことの良い面もありますが、疲れる面はないですか?それとも結構性に合っていましたか?
渡邊:私はずっと関東で育ったので始めは戸惑いもありましたが、やっぱりいろいろな環境で働いたり、暮らすことが大切だと思うようになりました。石巻に来て狩猟や漁業に挑戦するアーティストもいるのですが、経験の分、多様なフィルターで社会を見ることができると言います。仕事と暮らしが分断しすぎていると、もしかしたらいろいろなことが見えなくなってしまうのかもしれません。地域と一体化しながら自らが豊かになれる環境なのではないかと思います。
津田:この10年で渡邊さんご自身が変わったことはありますか?
渡邊:軸ができたことで寛容になったと思います。例えばインターネットの記事で「移住した女性起業家」というキーワードで私のことが取り上げられた時、ほとんど内容を読んでいないような方からのネガティブな反応がいろいろありました。そういうことも、社会ってこうなんだなと、俯瞰して見られるようになりましたね。
石巻にいると、地域には多様な人がいて、たくさんの価値観を包括して成り立っていることがよく分かります。様々な人が有機的に意見を言い、ぶつかり合いながらもつくられていくのが地域のあり方だと腹落ちしてから、ここでの自分のやるべきことを改めて考えました。そうやって軸を見つけられたことで、より自然体でいられるようになったのです。
コロナ禍でも生かされたコミュニティの力
津田:東北に取材に行くようになって一番興味深かったのは、地域ごとのコミュニティの結びつきが強かったことです。それから東北に限らず日本中のいろいろな地域を取材するようになったので、僕にとっては物書きとしての人生を変えてくれたきっかけの場所でもあります。
今はコロナウイルスで日本中、世界中が大変な状況です。会いたい人に会えないことで、改めてコミュニティの大切さに気づいた人も多くいると思います。この10年をコミュニティの強さで乗り越えて来た東北は、ポストコロナでも、これまでの歩みが活かされるのではないでしょうか。
渡邊:震災後の東北はテレビも携帯も使えず外から情報を入れる手段がなく、リアルなコミュニケーションで助け合ってきた経験があります。コロナの今、まさに震災で育まれたコミュニティの強さや助け合いの精神の希少価値が現れているように感じます。
また、危機に対する耐性がついて、「とりあえず何かする」動き出しの早い人が多い印象もあります。予測のつかない未曾有の危機はこれから10年20年できっとまた起こるでしょう。その変動する世界に合わせて、豊かな暮らしについて考え続けることが大事だと感じています。
津田:最後に一個伺いたいのですが、空き家の持つ地域コミュニティ活性化のためのポテンシャルはどんなところにあると思いますか?
渡邊:無価値なものや、隙間のようになっているものこそ大事だと思っています。空き家ってこれまではゴミに近いもので、何も期待されていない存在でした。しかし、課題があるからこそ、表現の余白や考えるステージがあり、制約の中でどうクリエイションするかの舞台になり得るのだと考えています。使われていないものを活かす方法を考えることは、閉塞感のある社会でこれからの可能性を感じられる手段になるのではないでしょうか。
津田:ありがとうございます。ぜひこれからもいろいろとお話を聞かせてください!
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