東日本大震災から10年を迎える2021年。
新型コロナウィルス感染症の影響もあり、未来の不確実性が議論される今だからこそ、東北のこの10年の歩みは、「未来のつくり方」の学び多き知見になるのではないでしょうか。
「311をつながる日にする会」によるインタビューシリーズ(全6回)、第2回は、夫である黍原豊さんと共に、釜石市の郊外で馬を通じて、障がい児を含む子どもたちに生きる力を培う活動をされている黍原里枝さんです。お二人で築かれたこの10年を振り返り、どんな未来を描きどのように実現されようとしているのか、温かで晴れやかな笑顔で語ってくださいました。
第1回目のインタビュー記事はこちら
>> 「復興優先」で考えてきた被災地の子どもたちのこれから。NPO法人カタリバ菅野祐太さん〜311をつながる日に(1)
一般社団法人三陸駒舎 黍原里枝(きびはら・りえ)さん
岩手県釜石市で、古民家・南部曲り家を拠点に馬と共に暮らす場づくりをすすめ、自然と共生する地域の知恵や技をつなぎ直すことを目指している。
動物の力を使うと無理なく子どもたちを笑顔にできる
――黍原さんは、釜石市でどのような活動をされているのでしょうか。
黍原:団体を始めて5年になりますが、障がい児の受け入れ事業をしています。未就学の子は児童発達支援、小学生以降は放課後ディサービスという形になっています。人間ではなく馬やうさぎなどその子に合った動物が先生となり、一緒に活動することで〝関わり〟を学んでいます。馬を通じてというと「ホースセラピー」になりますが、私たちはより暮らしに沿った感じにしたいと思って活動しています。ホースセラピーでは、馬に乗ることに重点が置かれているところもあると思うのですが、私たちは、馬にブラッシングしたり鞍(くら)を置いたりすることも大切にしています。
――活動を始められたきっかけを教えてください。
黍原:夫の黍原 豊が復興支援の団体で子どもの遊び場をつくる活動をしていたのですが、仮設住宅の中の場でなかなか心が解放されない子どもが多かったのです。あるとき機会があり、子どもたちに馬に触れ合ってもらったら、子どもの表情がまったく変わって笑顔になったのです。この時、馬はすごい力を持っていると実感したことが今につながっています。
――馬がいる活動はすぐにできることではないと思うのですが、どうやって今の形を作り上げたのですか?
黍原:夫はずっと復興支援団体の仕事もしながら、馬を使った活動を計画し、活動拠点をずっと探していたのですが、何年もみつからなかったのです。でも復興支援団体の仕事を辞めて馬の事業だけでやっていくと決めた何日か後に、馬小屋がついている今の三陸駒舎の場所が見つかりました。心を決めたら流れができた。運命的なものを感じました。
復興関係の仕事の中で地域内外のいろいろな人とつながる機会があり、そのネットワークで馬も購入できました。
――震災当時はどうされていたのでしょうか。
黍原:結婚して県北の葛巻町にいるときに震災にあいました。電柱がぐにゃぐにゃになるくらい揺れて、物が落ちて壊れ電気が止まり、というのはあったのですが、家が崩れるまでのことはありませんでした。私は釜石出身だったので実家がどうなっているのか気になったのですが情報もなく、ずっと心配していました。そのとき夫は「岩手子ども環境研究所(森と風のがっこう)」というNPOで長く働いていて、そろそろ独立を考えていた時期でもあったのですが、ずっとやってきた地域づくりの経験が復興に役立つのではないか、ということで釜石に移り住むことにしました。
――三陸駒舎を始められた当初と今では何か心境の変化はあるものでしょうか。
黍原:基本家族経営なので、夫がほとんど一人でいろんなことをしょって始めました。でも、これまでの夫の仕事のやり方も見てきていたので、私の中に「この人は大丈夫」という安心感がどこかにあって、「馬がやりたい」と言われたときも「いいんじゃない」とすぐ言えたんです。どんなに大変でも私たち家族を路頭に迷わすようなことはしない人だと信頼しているので、ついていこうと思いました。
私は常に目の前にいる子どもとその時間をどう過ごすかで頭が一杯で、あまり将来のことは考えたことがなかったです。馬と接するのが初めてで手探りの状態だったので余裕もなかったと思います。私は震災のとき子どもがお腹にいたのですが、生まれた子どもを通じて地域とつながりやすくなったと感じていて、それと同じように、動物の力を使うと無理しなくても自然につながる機会が持ちやすくなります。
子どもの心に触れようとしたとき、壁を乗り越える感覚があったのですが、動物を介すことによって距離感がぐっと縮まることを感じていて、ありがたいと思っています。自閉症の疑いのある男の子がここに来て、試しに馬に乗せてみたら抵抗なく乗れて、馬に頬ずりするような仕草を見せました。動物に触れあう子どもたちの思いがけない姿に、親御さんが驚くことも起こります。
今この瞬間をどう生きるかが大事になる
――この1年コロナ禍で、活動に何か影響があったのでしょうか。
黍原:コロナの影響はほとんどなくて、むしろ受け入れる子どもの数や頻度を増やしてほしいというご要望をいただきました。外の活動が中心なので、家の中にいることが多かった子どもたちもトランポリンをしたり、裏山で滑り台をしたり、思いっ切り発散して賑やかに過ごしていました。
――10年前の震災時の経験が現在に活きていると感じられていますか?
黍原:震災後この古民家を再生するのにたくさんのボランティアの方が手伝ってくださったのですが、このエリアが2016年の台風10号で一時孤立しているときに、そのネットワークで遠くから泥搔きに来たり、いろいろ支援してくださいました。つながりは一つのことで終わったのではなくて、どんどんつながり続けます。10年経っても心に留めてくださっている方がいらっしゃることはありがたいと思っています。私たちがもらった分を直接お返しするのもいいのですが、次の世代や地域住民に対してなのかはわからないのですが、今度は違う形で還元していきたいのです。神経細胞みたいに、つながったところからまたつながって広がっていく感じがあると思っています。
――震災10年という節目にどんなことを感じられているのでしょう。
黍原:私自身は10年だから改めてという感じではないのですが、私たちができることを地域でやることで、震災でのつながりが生かされていくのではないでしょうか。だから今この瞬間をどう生きるかが大事になると思っています。震災を乗り越えることが負担になるのであれば、そうではなく今自分が何を欲しているのかという身体感覚を持てたらいい。みんなが自分に正直であればもっと笑顔になれると思っています。自分でもなかなかできないのですが、そうでありたいし、子どもたちにもそう伝えたいと思っています。
子どもたちの中には正義感が強くて正しくなくてはならないと思っている子もいるのですが、自分をがんじがらめにして苦しめないで、肩の力を抜いて好きなことを見つけて進められるといいと思っています。正しさも人によって違うことがわかれば、楽に息がしやすくなる。いろんな人に会っていろんな価値観を知ってほしいと思います。
――この先、どうしていかれたいですか。
黍原:障がい児の受け入れ先として三陸駒舎が使えるのは、制度としては18歳になるまでなんです。がっつり働くのが厳しい子ができることをやれる場所にしたいと思っています。私は趣味でパンを焼くのですが、パン作りは、粉を量ったり、こねたり、整形したり、オーブンに入れたり、いろいろ工程があるので、その子に合った仕事が選択できます。そして本もたくさんあるので、子どもたちの先も見据えて、本とパンと馬を組み合わせて居場所をつくりたいと考えています。地元のおばあちゃんが子どもたちに味噌づくりを教えるとか、できることをそれぞれがやれて地域ともつながれる空間にしていきたいです。
――ありがとうございました。
このインタビューは動画でもお楽しみいただけます
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