東日本大震災から10年を迎える2021年。
新型コロナウィルス感染症の影響もあり、未来の不確実性が議論される今だからこそ、東北のこの10年の歩みは、「未来のつくり方」の学び多き知見になるのではないでしょうか。
「311をつながる日にする会」によるインタビューシリーズ(全6回)、第3回は、宮城県石巻市でものづくりを中心としてマルチに活動されている島田暢さんです。
島田さんは、震災を機に種子島から石巻に入られて、人口5人の蛤浜(はまぐりはま)で仲間と一緒に年間1万人が訪れる「はまぐり堂」を立ち上げました。一貫して住民の困りごとを解決しながら持続可能な地域づくりに取り組む活動をしています。
猟師 島田暢(しまだ・とおる)さん
宮城県石巻市蛤浜で、一般社団法人はまのねでNPO法人ETIC.右腕プログラムを通じて活動後独立。狩猟で得た鹿肉の販売やレザークラフト、大工仕事等のものづくりを軸にジャンルを問わず活動している。
いろいろな人と出会い世界が広がって、ワクワクの連続だった10年
――最近はどんな活動をされているのでしょうか。
島田さん(以下敬称略):猟師をメインの仕事にしています。夜明けとともに山に行って狩猟をして、昼から革細工だったり大工仕事だったり、いろいろと複業しています。
――震災のときはどちらでどのようなことをしてらっしゃいましたか? どのタイミングで東北に入られたのでしょう。
島田:3月11日は生まれ故郷の鹿児島県の種子島で農業法人に勤めていて、サトウキビの収穫や芋ほりをしていました。行こう行こうと思いつつも動けない状態で、サトウキビの収穫をやり切ってからということで、5月28日に、初めて石巻に来ました。
――それまでも災害支援のボランティアをやられていたのでしょうか。
島田:ボランティアは一回もやったことがなくて、それでも震災の映像が流れる度に、何かやらないといけないんじゃないか、という勝手な使命感が湧いてきて、初めての災害ボランティアでした。
――鹿児島から今までの生活をガラッと変えて東北に行くのは大きな決断ではなかったのでしょうか。さらっと行けたものなのですか?
島田:意外にさらっと行けました(笑)。というのも、僕は2010年に前の仕事を退職して、鹿児島にUターンして期間限定で働いていたので、仕事が切れたタイミングで「よしっ、行こう!」ということで、さらっと行けました。
――最初に入られたときに目の前の惨状を目の当たりにして、思っていたよりも問題が大きいとか、自分は何ができるだろうとか、いろいろ考えことがありましたか。
島田:いろんな人の話も聞きますし毎日泣いていました。自分のできることの範囲や技量も自分で分かっているので、果たしてこの状態が何年続くのかと毎日思っていました。見えないストレスが徐々に溜まっていったと思います。
――震災をきっかけで石巻に来られて、今は町を盛り上げる側に立たれていると思うのですが、ご自分の人生、この10年を振り返ってどんな感じですか。
島田:ワクワクの連続ですね。本当にいろいろな人たちと石巻で出会いました。僕が最初に所属したNPOがバックパッカーとか世界中を旅している人たちが集まる団体だったので、ボランティア活動が終わってから日本以外の話を聞いたりして、日々疲弊した心が癒されました。そこから復興のフェーズが変わるごとにいろいろな人が出入りして、僕の知らない知識や世界を教えてもらいました。そういう形でいろんな人と交流が生まれて、どんどんどん楽しい町になるんじゃないか、じゃあ自分が今持っている技術だったらどう石巻が楽しくなるか。そういう建設的な考えができる人が増えているので、日々ワクワクするし、次は何が起こるだろうという町になってきました。
変化を嫌う地域住民にも寄り添って、一緒に楽しいことをつくりたい
――災害ボランティアから今のお仕事の間にはどういうことをされていたのですか。どういうコミュニケーションを取られて町の人間になっていったのですか。
島田:1年くらいがれきの撤去とかのボランティアをしていたのですが、2012年から石巻の牡鹿半島の蛤浜という限界集落を再生する活動を始めました。住民の方は全然心を開いてくれなかったのですが、浜には毎日いました。3年くらい経ってからやっと「こいつ、ずっといるな」「すぐ来てすぐ帰るやつじゃないんだな」と理解されて、少しずつコミュニケーションが取れるようになりました。かつ僕は大工仕事から狩猟と何でもやるので、住民の困りごとをちょっとずつ解決して距離を近づけていきました。
大きなイベントごとのときも、住民との兼ね合いもあるので、あまりがっつり入らずに地元側のポジションを維持するようにしています。地域には変化を嫌う人も多いし、全員がオープンに楽しめる訳ではないので、そういう人たちにもきちんと寄り添って、自分たちなりにイベントを咀嚼しながらいいところを伝えて、最終的には時間を掛けてでも「一緒に楽しいことをやりませんか」というところに持っていければいいと思っています。
――この10年、町を見てこられたと思うので、地元の人の気持ちの変化も感じられていますか。
島田:最初は悲しい話ばかりだったのですが、1年くらいから地元の人もスイッチが変わってきて、「これじゃ駄目だ」という人もちらほら現れてきました。僕としても前を向いている人と関わっているとモチベーションが上がって、お互いに伸ばし合い、やりたいことを応援し合うような人たちの中で生活していました。僕の周りではありますが、早い段階でポジティブな思考のサイクルになった場所にいた印象があります。
生きるためには何かの命を奪っているという体験を、次世代につないでいきたい
――今後5年、10年、20年先にどんなことにやっていきたいですか。
島田:やり始めているのですが、教育、特に食育という分野に力を入れていきたいのです。
僕は毎日狩猟という鹿の命を奪う仕事をしているのですが、普段の生活の中で命がなくなる瞬間に接しないと思うのです。震災の時はそれが目の前にあって自分事として捉えることも多かったと思うのですが、10年も経つと「命」というものが遠い存在になってきている気がします。僕は、鹿の獣害で畑が荒らされるという社会課題から狩猟の世界に入ったのですが、入ったことで石巻や全国の狩猟の現状を知ることになりました。命を無駄にして、他のエネルギーを使って違う命を生み出してそれを食べている、という変なサイクルに入っていることに気付かされました。そういう現状や命のありがたさ、生きるためには何かの命を奪っているということを肌感覚として体験してもらえる食育を行って、次世代につなぐ活動をしていきたいと思っています。
――教育に生かしたいと思われる狩猟を始めたのは、どういうきっかけですか。
島田:蛤浜の区長さんが、毎年庭で育てていた作物を鹿に食べられて、「また食われたぁ」と悲しそうな顔をしているのが一番のきっかけですね。行政に言っても石巻中に鹿の被害が出ているのでなかなか動かないので、じゃあ自分たちで浜を守ろうと狩猟をやり始めました。
――困っている人に何かできないかと技術を身に付けられたのですね。先程おっしゃっていた教育も、町の未来のために町に住む子どもたちに教えたいと思われたのか、県外含めてもっと広く伝えたいと思われたのか、着想ではどんな感じですか。
島田:範囲は限定していないのですが、県外からの方がよりいいのかなと思っています。そこでしかできない教育や学べるものがあることで、「じゃあ石巻に行こう」と、宮城県でも端の方にあって仙台から1時間くらい掛かる辺鄙な場所に来るきっかけが一つ生まれると考えています。僕の知見を、全国にいる知りたい人に還元して、それをきっかけに、僕のように狩猟をする人が地方に生まれると獣害被害も解決するのではないかと思っています。そこは地道な種まき作業なのですが。
狩猟ツアーにするとレジャー要素が入ってきて、客層も狩猟を楽しむ人になりますが、それは僕のやりたいこととは違う。親御さんが子どもを連れて来るような「命とは何ぞや」という目線の方たちだと、伝えたいこともストレスなく共有できます。最近、スタディーツアーじゃなくて教育だなと腑に落ちたところです。
――ご自身が活動されている中で悩まれること、苦労されていることもあるのですか。
島田:その瞬間瞬間は悩みが出てくるのですが、基本ポジティブなのでよい方に考えますね。続けるのが大事だと思っているので、悩んだことを成功の糧にできるように続けているという感じです。
――震災から10年というのはいい通過点になるのでしょうか。島田さんご自身は伝えたいことがありますか。
島田:一回考える時期になるとは思います。10年経って暮らしも段々変わってきているので、今後の石巻の未来をどう設計するかを考える、大きな節目になると思います。
僕は今、被災地というのではなく、純粋に石巻を楽しんでいます。南から来て冬は寒いのですが、魚も作物も美味しいものもたくさんあって、生きる上では最高の土地だと思いました。
――ありがとうございました。
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このシリーズの他の記事はこちら
>> 「復興優先」で考えてきた被災地の子どもたちのこれから。NPO法人カタリバ菅野祐太さん〜311をつながる日に(1)
>> 馬との交流が、子どもたちの生きる力を育む。三陸駒舎・黍原里枝さん〜311をつながる日に(2)
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