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東日本大震災をきっかけに「社会をつくる」行動を始めた挑戦者たち。6人の起業ストーリーまとめ

2022.04.25 

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目を疑うような光景や状況に直面させた2011年3月11日の東日本大震災は、人々の日常や人生にも大きな影響を与えました。

 

あの日をきっかけに、故郷を思いながらも移住した人、その土地に残ることを決めた人は少なくありません。自分の仕事について深く考え行動した人、新たな人生の選択をした人など「自分はどう生きたいか」を探った人も多いのではないでしょうか。

 

生き方の1つの選択として、東日本大震災後は、目の前の状況を変え、「理想の社会をつくる」ために行動を起こした人がたくさんいました。DRIVEメディアでも、活動を紹介する記事を数多く公開しています。

 

今回、そのなかから6人の挑戦者たちにフォーカスし、どんな思いで活動への一歩を踏み出したのか、起業ストーリーとともに改めて見つめていきます。

 

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経済的な事情に関係なく子どもたちが学び続けられる機会をつくる―チャンス・フォー・チルドレン 今井悠介さん

 

まずは、震災によって表面化、または深刻化した課題の解決をもとに東北で事業を始め、今では全国へ影響を広げている2人の方の記事を紹介します。

 

1人目は、「公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン」代表理事の今井悠介さんです。

 

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公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事の今井悠介さん(写真は2015年5月の記事公開時のもの)

 

事業の特長は、塾や習い事など学校外の教育サービスに使える“スタディクーポン”を発行・配布し、子どもたちの学習面を支えること。

 

「チャンス・フォー・チルドレン」は、もともと、子どもの支援を行っていた学生主体の「NPO法人ブレーンヒューマニティー」で2009年に始まったプロジェクトでした。1995年に発生した阪神・淡路大震災で被災し、経済的な事情を抱えざるを得なくなった子どもたちが学ぶことを諦めないように、スタディクーポンの仕組みを作り、届けていたのです。

 

大学1年のとき、「ブレーンヒューマニティー」に入った今井さんは、小中学生向けのワークショップなどに携わった後、教育系の企業に就職。入社2年目だった2011年、東日本大震災が起きます。今井さんは小学2年のとき、阪神・淡路大震災を経験していました。

 

海外からの支援やボランティア活動など、多くの人が東北の人のために行動するのを見て、阪神・淡路大震災でも同様に支えられていたことに気付いたんです。でも僕自身は、3・11の震災直後、会社や自分のことで精一杯になってしまって、寄付以外は何もできず悔しかった。

 

しかし一方で、「困難な思いを抱えた若者たちのために何かしたい」という思いを募らせていた今井さん。「ブレーンヒューマニティー」代表の能島裕介さんから、「東北でもスタディクーポンを展開したい」と声をかけられたことで決意を固めます。

 

自信があったわけではなかったけれど、やるしかないと思いました。今、動かなければずっと後悔するだろうと。

 

共同代表となる奥野 慧(おくの・さとし)さんとともに、2011年6月に「チャンス・フォー・チルドレン」を設立。翌月、今井さんは会社を退職しました。

 

活動実績がないなかで、原資となる寄付金集めでは苦労を重ねましたが、地道な活動によって事業は成長していきました。2012年には大阪、その後も千葉、佐賀、渋谷区、沖縄など自治体の政策として展開され、確実に子どもたちのもとへ学習の機会を届けています。

 

>> 今井さんが語った「チャンス・フォー・チルドレン」設立前後の詳しい話はこちら

「日本初の教育バウチャーで子供に夢を」公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事 今井悠介さん

悪条件の空き家を蘇らせて石巻をクリエイティブな街に―巻組 渡邊享子さん

 

2人目は、「株式会社巻組」代表取締役の渡邊享子さんです。

 

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株式会社巻組 代表取締役の渡邊享子さん(写真は2019年3月の記事公開時のもの)

 

「巻組」は、宮城県石巻市を拠点に、一見古くて機能性も乏しい空き家をリノベーションし、クリエイティブな生き方を実践する人たちとつなげ、魅力ある場所を増やしています。

 

震災が起きた2011年3月、渡邊さんは東京の大学院生でした。当時、就職活動をするなかで「本当に就職していいのか」モヤモヤしていたという渡邊さんは、震災により就活自体が中止になったそうです。メディアが伝える被災地の惨状や空気感にも違和感を抱いていたこともあわせて、当時、石巻に出向いた理由をこう振り返ります。

 

それでなんで被災地に行こうと思ったのかっていうと説明が難しいんですけど、たぶん合理的な理由はないです(笑)。ただ、震災が起こって飲み込まれるように人生の風向きが変わった感じがした。自分の環境を大きく変えた震災というものが気になった。

それで、2011年の5月に研究室のメンバーと石巻に来たのが最初です。石巻だったのはたまたまですね。いっぱいボランティアを受け入れていて、受入基盤も充実してたので。居心地がいいままに居続けてる感じです。

 

2013年4月、「一般社団法人ISHINOMAKI2.0」に提出した企画をもとに「2.0不動産」プロジェクトをスタート。被害を受けた空き家を改修し、入居を希望する若者たちに提供していきました。大学院から支給されていた研究費が3年で止まるのを機に、2015年3月に「巻組」を設立。なんとか町を立て直そうとあらゆる手を尽くす石巻の住民たちとともに生きる選択として、起業を選んだといいます。

 

これをやるのって私しかいないんじゃないかと勝手に思い込んで。

 

自分で始めた取り組みについて語るこの言葉がとても印象的です。

 

>> 渡邊さんが語った起業前後のストーリーはこちら

縁なし・スキルなし・経験なしの女子大生が、地方で社長業に挑む! 合同会社巻組 渡邊享子さん

>> 「巻組」の最近の取り組みについてはこちら

大切なのは地域にマイルドな競争を起こし続けること。巻組・厚真町の取り組み

情熱を持って自分らしい起業を目指す人たちを後押し―ESCCA 山内亮太さん・鈴木麻友さん

 

続いては、震災をきっかけに新しい世界や価値観をつくる挑戦を始めた3人の方の記事です。

 

1人目は「株式会社ESCCA(エスカ)」代表取締役の山内亮太さん、さらに2人目は「ESCCA」事業コーディネーターの鈴木麻友さんです。

 

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株式会社ESCCA 代表取締役の山内亮太さん(写真右)とESCCA事業コーディネーターの鈴木麻友さん

(写真は2022年2月の記事公開時のもの)

 

「ESCCA」では、宮城県・南三陸町を拠点に、地域内外で起業を目指す人たちが自分の納得できるかたちで情熱をもって起業できるようサポートなどを行っています。

 

山内さんと鈴木さんは、震災をきっかけに関東から南三陸町へ移住。人の想いに寄り添いながら事業を推進してきました。

 

山内さんが移住を決めた背景には、震災が起きた1か月後、南三陸町で約1週間のボランティア活動をした時に直面した壊滅的な風景がありました。お寺に避難していた高齢の女性に「気の利いた言葉をかけられず無力感を抱いた」ことも山内さんの心に残っていました。

 

この状況を何とかしたいと思ったんです。

 

津波を受けた後の南三陸町の町並みが、山内さんの実家がある長崎県・壱岐市の過疎化が進んだ町と重なったことも大きな理由です。若い人たちが、たとえ一度は南三陸町を離れても、戻ってきたときに活躍できる場所にしたいという思いを行動に移したのでした。

 

「南三陸町でそういう仕組みを作ろう。この仕事をやり切ろう」と南三陸町に移住し、2015年7月からESCCAの事業を本格化させました。

 

一方、鈴木さんは震災時、大学院生でした。たまたまボランティア活動で訪れた南三陸町で山内さんと出会い、地域の事業や起業家を育てるプラットフォーム「Next Commons Lab」が南三陸で始まることを知るなど縁がつながっていきました。鈴木さんは、かねてから抱いていた「人が活躍する場をつくりたい」という思いを胸に、南三陸町に住む道を選択します。

 

「南三陸町の新しい挑戦に携わって、その時にしか見られない景色を見たい」と思って移住し、2017年10月、ESCCAに入社しました。

 

>> 山内さんと鈴木さんの自分らしい人生の選択や事業づくりへの思いはこちら

起業は自分らしく生きる手段の一つ。長く続く情熱を見つけるための場を創った二人が伝えたい、「人生のつくり方」とは?―ESCCA山内さん・鈴木さん

世界初の「台風発電」で安心安全なエネルギーをつくる―チャレナジー 清水敦史さん

 

3人目は、「株式会社チャレナジー」代表取締役CEOの清水敦史さんです。

 

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株式会社チャレナジー代表取締役CEOの清水敦史さん(写真は2016年3月の記事公開時のもの)

 

プロペラのない風力発電機「垂直軸型マグナス風力発電機」の開発を進めている「チャレナジー」。清水さんが事業を始めたきっかけは、東日本大震災直後に抱いた大きな危機感でした。

 

福島第一原発の事故が起きた当時は、普通に大手企業のサラリーマンでエンジニアをしていました。そのままいれば一生安泰だったかもしれませんが、あの原発事故が自分にとってあまりに衝撃的で。

やっぱり原発はなくさないといけないと思ったし、でもなくすためには、原発に代わるものが必要だなと。そこでいろいろ調べて行き着いたのが、再生可能エネルギーでした。その中でも、太陽光発電は半導体だから自分で作ることはできないけど、風力発電機ならどうにかなるんじゃないかと考えたわけです。

 

風力発電機を実現するために「前のめり」に課題の可視化と解決策を探っていったという清水さん。そのまま可能性を自ら見つけ出していきます。

 

「垂直軸型マグナス風力発電機」のアイディアをひらめいたときには、「あ、俺このために生まれてきたんだな」って思って、そこからはもう、勢いが止まりませんでした(笑)。

 

2014年に「チャレナジー」を設立後は、風力発電の開発事業を拡大し、世界中の人たちが安心して使えるエネルギーの実現を目指して、開発をさらに推進しています。

 

>> 「チャレナジー」設立前後の清水さんのストーリーや風力発電の仕組みなど詳しくはこちら

「台風発電」で災害をエネルギーに変える!世界初の挑戦で「22世紀の常識をつくる」株式会社チャレナジー・清水敦史さん

社会の課題に取り組む起業家たちを資金面から継続的に支える―リープ共創基金 加藤徹生さん

 

最後は、新しいお金の流れをつくるために財団を設立した、「一般財団法人リープ共創基金」代表理事の加藤徹生さんです。

 

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一般財団法人リープ共創基金 代表理事の加藤徹生さん(写真は2015年3月の記事公開時のもの)

 

「最も困難な状況に置かれている人々に最高の支援を届ける」をミッションに、2015年に設立された「リープ共創基金」。中核事業の「ギビングファンド」は、遺産など資産の有効活用に関心が集まるなか、資金提供者から預かった資産を運用し、その運用収益を社会課題に取り組むNPOなどに寄付として提供していることが特長です。近年、米国や欧州を中心に広がっているこの仕組みを日本の制度下で形にしました。

 

加藤さんは、震災後、2011年に「一般社団法人World in You(ワールドインユー)」を立ち上げ、震災復興に取り組む社会起業家への投資を行っていました。この活動を続けるなかで、ある家族から3,000万円の寄付の相談を受けたのが財団設立のきっかけの一つとなったそうです。

 

この相談がギビングファンドの一つ目の事例になり、「たつえ基金」と名付けられました。ただし、基金の運用までは経験したことがなく、やってみるのは自分自身でも大きな挑戦でした。当時、日本には「資金提供と資産運用をセット」でやるという資金提供者向けのサービスはありませんでした。

また、東日本大震災の時、寄付は集まる一方で、子どもには使えるが、地域には使えないなど、資金の流れが行き詰まる現状を目の当たりにしたことも挑戦を始めた大きな理由です。アメリカのように、効果的な寄付の流通の仕組みを構築する必要性を感じていたので、あえて、自分たちで財団をつくって、資金の受け皿をやるというチャレンジをしてみようと思いました。

 

加藤さんたちの挑戦は実を結び、「リープ共創基金」は、日本国内でも資金提供規模の大きな団体の1つに成長しているそうです。さらに、最近は、当事者に対して直接、資金を提供する新しい奨学金「相互選考奨学金」をスタートさせています。

 

現状では、学力や環境など条件が合わないことで奨学金を諦める学生が少なくないそうです。しかし、「相互選考奨学金」は、課題の最終評価だけでなく、選考過程で学生が成長できるようプログラムを作り、その成長過程とフィードバックをもとに奨学金を提供しています。

 

今後も家族の一員のような信頼関係を大事にしながら、資金提供者からの期待に応えられる高品質なソリューションを提供していきたいと語る加藤さん。支援を必要とする人へ届く最高の支援を実現するために、挑戦を続けています。

 

>>「リープ共創基金」の事業や加藤さんの想いなど詳しくはこちら

社会をよくしたい資産家に新しい選択肢を。日本の社会貢献のあり方を変える一般財団法人リープ共創基金(REEP)

>>「リープ共創基金」立ち上げ時の加藤さんの想いや財団の事業の仕組みはこちら

「財団ってそもそも何ですか?」新しく財団をつくろうとしているREEP加藤轍生さんに聞いてみた

 

***

 

ここまで東日本大震災をきっかけに挑戦を始めた6人の方の記事を紹介しましたが、いかがでしたか?

 

最後に、筆者は、東日本大震災で人生観が大きく変わった一人です。きっかけは、震災直後、「東北に住む親子が、一日でも早く日常を取り戻せますように」と願いを込めて、産前産後の支援を行うNPOに寄付したことでした。筆者にとって初めての寄付でした。

 

NPOを通して、東北から関東へ避難した妊産婦の産前産後を支えるプロジェクトに参画する機会を得て、無力感を抱きながらも仲間とともに活動したことは、自分自身の視野を大きく広げました。人や社会を想いながら動く人たちの行動に触れ、かけがえのないつながりがそこから広がっていきました。現在は、「必要とする人に必要な情報が届くように」模索する日々です。

 

東日本大震災から11年。今だから思うこと、始めたいこともあるのではないでしょうか。今回ご紹介した6人の方の挑戦と想いが、みなさんの行動の参考になれば幸いです。

 

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>>そのほか東日本大震災をきっかけに活動や事業を始めた方たちの記事はこちら

「復興優先」で考えてきた被災地の子どもたちのこれから。NPO法人カタリバ菅野祐太さん〜311をつながる日に(1)

大切なのは「一緒にすすめる」伴走意識。三陸ひとつなぎ自然学校・伊藤聡さんに聞く、地域で活躍するコーディネーターの育て方(東北リーダー社会ネットワーク調査インタビューシリーズ)

 

エティックでは、無料のキャリアコーチングも行っています。新しいキャリアや生き方を検討している方はぜひお気軽にご相談ください。

 

東日本大震災から11年。エティックでは継続的に震災復興支援を行ってきました。これからの私たちの活動を応援していただける方は、ぜひご寄付をご検討ください。

 

 

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東日本大震災寄付起業
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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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