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「スーパーマンではないけれど」途上国の発展でのパートナーを目指すJICA職員の仕事とやりがい

2022.06.02 

「国をあげた大きなプロジェクトも確かに多いです。ただ、どんな仕事でも小さな信頼の積み重ねがあってこそなんです」

 

主に開発途上国に向けた国際協力の事業を展開する独立行政法人 国際協力機構(以下JICA)の仕事について、人事部人事企画課課長の宮田尚亮(みやた・なおあき)さんはこう話します。

 

紛争、災害・環境破壊、感染症の蔓延、経済危機、貧困――。時にこうした不安要素を抱えやすい途上国の人々が少しでも安心して日常を送り、豊かな人生をつくれるように、技術や資金の提供など国を超えた支援を行っているのがJICAです。掲げるビジョンは「信頼で世界をつなぐ」。2015年、持続可能な開発目標(SDGs)が策定されたその年に、JICAとしても新たな時代に向き合って事業を進めていくべく設定されました。

 

では、JICAで働く人たちはどんな仕事をしているのかご存じでしょうか。JICAの職員たちが抱く思いや目指しているものについて、採用や研修業務などを担う人事部の宮田尚亮(みやた・なおあき)さん、2016年に商社から転職されたスリランカ事務所駐在の根岸 萌(ねぎし・もえ)さんにお話を聞きました。

“人づくり”は“国づくり”

 

――宮田さんは新卒入社で、根岸さんは商社から転職されたそうですね。なぜJICAだったのでしょうか。

 

宮田さん(以下敬称略) : 大学の教育学部に通っていた時から、人づくりの仕事に関心があったんです。「JICAなら世界中で人づくりができるかもしれない」と思っていました。

 

入職後は、教育、保健、インフラなど様々な事業に携わりましたが、ある時、分野や事業形態に関わらず人づくりの要素があり、その積み重ねが国づくりにもなることに気づいたんです。20数年前の自分の選択は間違っていなかったと感じています。

 

宮田_ポートレート

宮田尚亮さん/独立行政法人 国際協力機構 人事部人事企画課課長

1998年新卒入構。教育学部卒。本部2部署経験の後、海外長期研修(米国・コロンビア大学教育大学院)、東南アジア・大洋州部(予算・事業とりまとめ担当)、インドネシア事務所(教育、保健、警察担当)、人間開発部(東南アジアの高等教育プロジェクトを担当)、広報室(報道対応担当)、南アジア部(スリランカ・モルディブ向け協力の全体調整を担当)を経て、2020年12月より現職。

 

根岸さん(以下敬称略) : もともと「途上国で仕事がしたい」「様々な国の人が働く機会づくりに携わりたい」という思いがありました。

 

きっかけは、学生時代にアフリカのタンザニアを支援するNGOでインターンをした時、同い年の男性に出会ったことです。彼は幼い頃、両親を亡くして、しばらく学校に通わなかったそうです。助成を受けて大学に進学したそうなのですが、その話を聞いて自分には何ができるかを考えるようになりました。

 

前職の商社では、途上国に行き、ビジネスを通して人々の生活が豊かになることに大きな手ごたえを感じていました。でも徐々に、経済的リターンを優先せざるを得ない場面に歯がゆさを覚え、人々の生活の基盤となるインフラを整えることの重要性も感じるようにもなりました。「自分のビジネス経験を活かして、官民等多くの組織をつなぐことで途上国の経済発展に貢献したい」と探した時に、可能性を感じたのがJICAでした。

 

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根岸 萌さん/独立行政法人 国際協力機構 スリランカ事務所駐在

外国語学部英語学科卒業後、2011年に総合商社(三菱商事)に入社。資源のトレーディングに関わり、途上国と先進国間でのサプライチェーン作りを担当。商社時代にはシンガポール駐在も経験。2016年10月にJICA入構。インドやブータン向けの「円借款案件」形成における鉄道・電力案件を担当したのち、現在はスリランカ事務所にて円借款取りまとめ、空港、農漁村・地方開発案件などを担当している。

 

――JICAの職員の仕事はプロデューサー的な役割が多いと聞きました。現場で汗水流しながら手を動かす仕事ではないとか。

 

宮田 : そうなんです。JICAでは、途上国に必要な支援を行っていく際、最適な企業や専門家などを見つけ出し、チームを作っていくプロデューサー的な仕事が大半を占めています。現地で実際に動くのは、企業や大学の先生方、青年海外協力隊の人たちが中心です。

 

JICAの職員は、国や企業の良さを活かしながら、どうプロジェクトを運営していくかを相手国と一緒に考え、実現に向けて土台を整えていくのが大きな仕事です。また、各国での支援が5年後、10年後、しっかりとその国に根付き、自立的に動いているかを見守るのもJICA職員の役割です。

 

――まさに現場を支えるプロデューサーなんですね。実際に根岸さんは、スリランカ事務所ではどんな仕事を担当されていますか?

 

根岸 : スリランカの交通インフラ案件への円借款、農業の技術協力プロジェクトに関わっています。

 

たとえば、バンダラナイケ国際空港に関するプロジェクト管理です。スリランカ政府と協議し、バンダラナイケ国際空港の拡張に対して円借款(※2)を供与することが決まっています。工事の進捗状況を実施機関に確認したり、問題があれば関係者と協議したりと、完工目標に合わせて開発効果の高い空港が完成するように管理するのが私の仕事です。

 

今回は国際空港の建設という国家プロジェクトとなるため、スリランカの大臣などとの会議にも臨席しています。彼らとの対話を成立させるためには技術的な知識も必要なので大変ですが、国の発展や人々の幸せに向けて国のトップと一緒に取り組める、とても貴重な経験をさせてもらっています。

 

根岸_空港完成式典

バンダラナイケ国際空港完成式典の様子。諸外国では「援助」と呼ばれることが多いが、日本では、相手国と対等に向かい合い一緒に考える姿勢を大事にし、「協力」と呼ぶ。JICAが国際「協力」機構たる所以でもある

 

――円借款のお話が出てきたのでお尋ねします。日本の政府開発援助(ODA)(※)は、外務省など政府が中心となっておおもとの戦略を立て、JICAや民間企業などの実施機関が具体的なプロジェクトに反映し、現地での運営を行っている、とサイトで拝見しました。JICAではどのくらいの裁量権をもって協力事業を実現しているのでしょうか。

 

宮田 : 最初に、政府が大きな方針を立てますが、その後は現地のJICA在外事務所が課題を発掘し、JICA本部も加わって、必要性が高く日本の強みが活かせる支援を見極め、計画・実行、そして案件評価へとサイクルを回していきます。

 

また、現場での実践経験をもとに、私たちが外務省に対して、各国にどんな協力が必要かについても提案しています。JICAには世界96カ所の在外事務所がありますが、自分たちの経験や普段の仕事が途上国の人々を貧困や飢餓から救えるきっかけにもなると思うと大きなやりがいを感じます。

公的機関にしか果たせない役割

 

――民間企業でも新幹線の輸入やインフラ整備など途上国の開発計画に携わることがあると思います。公的機関であるJICAと民間企業では役割にどんな違いがあるのでしょうか。

 

宮田 : 商社をはじめ民間企業も海外で積極的に事業を展開しており、私たちにとっても大事なパートナーです。

 

ただ、公的機関でなければ入れないところがあるんです。たとえば法整備の支援や基礎教育を始めとする人材育成などが代表例です。

 

また民間企業が途上国の開発事業に関わろうとした時、インフラが整っていなければ始めることすら難しくなります。たとえば、電気もガスも通ってない場所では工場を建てることができません。民間企業が事業を起こし、産業を発展させるための基盤をJICAが円借款などを使って整えているのです。

 

5F共有スペース

 

――根岸さんは、前職の商社でも途上国のインフラ整備に携わっていましたが、JICAと民間との違いを感じることはありますか?

 

根岸 : 商社では、トレーディングや事業への投融資を契約当事者として行う経験が多かったのですが、JICAではさらに上流の部分から携わっていて、スリランカ政府の意向を大切にしながら、一緒に支援内容を考えています。

 

今は、プロジェクト全体を俯瞰して見ながら、考え方や価値観が異なる関係性を調整していく立場にあると思っています。例えば、スピード重視でインフラを完成させたい途上国側と、品質を重視したい日本の企業との間に入り、相互のバランスを調整するための協議を行ったりしています。

ベトナムに日越大学を創設。公的機関ならではの責任の大きさと面白さを実感

 

――宮田さんがこれまで関わった仕事で、「JICAならでは」と思う仕事はどんなものがありますか?

 

宮田 : ベトナムで日越大学の創設に携わったことです。

 

教育協力の場合、最初に小中学校の協力から始まり、その段階が落ち着くと大学への協力という具合に、国の教育の発展状況に応じてJICAも軸足を移して協力を行います。

 

私が携わったのは、サステナビリティ学を掲げた大学の創設でした。目標とした開学時期まで時間が無い中、日越の多くの政府関係者や大学関係者が心を一つにして準備を進めていったのですが、そのハブとしてプロジェクトを回すのは本当に刺激的な経験でした。無事開学式を迎え、当日、第一期生となる入学生の姿を見た時は感慨深かったですね。何年か後、彼らがベトナムと日本の関係の発展のために、更には世界のために活躍してくれるのだろうと思うと、自分が携わった仕事の責任の大きさ、面白さを改めて実感しました。

 

日越大学

日越大学の開学式

 

日々の積み重ねを大事に、途上国と一緒に解決策を見つけていきたい

 

――「信頼で世界をつなぐ」がJICAのビジョンですが、途上国と信頼関係を築くために、仕事で大切にしていることはありますか?

 

根岸 : 相手の懐に入るようにコミュニケーションを取ることです。本音で語り合ったり、信頼できる関係を育てたり。困っていることがあれば正直に話してもらえるように。そのために、相手国が求めている情報などを自分なりに予想しながら伝えています。

 

また、私が現地の言葉を話すとすごく喜んでくれるので、1年ほど家庭教師をつけて現地語を習いました。言葉の壁を越えながら少しずつでも信頼関係をつくっていけたらと思っています。

 

宮田 : 日々の小さな積み重ねを大事にしています。JICAの役割は、たとえ国家プロジェクトでも、また資金協力や技術協力と形は変えても、人と人との関係を丁寧につむいでいくことです。

 

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本部ラウンジの本棚にはJICAの冊子などが並び、いつでも閲覧できるようなっている

 

JICAは決してスーパーマンではなく、頼めば何でも解決できる存在ではありません。でも、途上国と一緒に解決策を探り、見出していく信頼できるパートナーでありたいと思っています。いざという時、各国に信頼してもらえるためにも、日々、相手に寄り添ったコミュニケーションを組織内でも心掛けています。一人ひとりの声に耳を傾け、職員が理想のキャリアプランを実現できるよう人事制度も改革中です。

 

――ありがとうございました。

取材を終えて

 

ライフイベントを考え、「30代の早い段階で海外に駐在したい」と上司に伝えていた根岸さん。その希望が叶う形で今スリランカで働いているのだそう。「自分が望んだ選択を組織が応援してくれていると思える」と語る根岸さんに、JICAが職員に対しても、小さな信頼を積み重ねていることを実感しました。

 

<参照>

日本の政府開発援助(ODA)(※):1954年10月6日にコロンボ・プランに参加したことから始まった。コロンボ・プランとは、1950年に提唱された、アジアや太平洋地域の国々の経済や社会の発展を支援する協力機構のことで、第二次世界大戦後もっとも早く組織された、開発途上国のための国際機関です。日本もその正式加盟国の一員として、1955年から研修員の受け入れや専門家の派遣といった技術協力を開始しています。(独立行政法人 国際協力機構(JICA)公式サイトより引用https://www.jica.go.jp/aboutoda/basic/01.html)

 

円借款(※2):開発途上国に対して低利で長期の緩やかな条件で開発資金を貸し付け、開発途上国の発展への取り組みを支援すること。(独立行政法人 国際協力機構(JICA)公式サイト「円借款の概要」より https://www.jica.go.jp/activities/schemes/finance_co/about/overview/index.html )

 

※本記事は、求人サイト「DRIVEキャリア」に掲載された企業・団体様に、スタッフが取材して執筆しました。

 

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