北海道北東部のオホーツク海沿いに位置する、北海道枝幸(えさし)町。枝幸町には、少し前まで塾がなかった。町内の中学生の中には、土日に泊りがけで旭川の塾まで通う生徒もいたという。
そこに2020年に誕生したのが、枝幸町公営塾だ。つくられたのは、町内唯一の高校、枝幸高校内。最初は、生徒を集めるのに苦労したが、今では全校生徒の約4割、61名が通っている。
「夜遅くまで勉強する場所ができた」「親身に話を聞いてくれる」と評判は上々。設立1年目は、国公立大学進学者も1名から4名に増えた。
塾長の齊藤歩さんは語る。「『僻地の町に公営の塾が出来て良かった』なんて美談で終わらせる気はない。地方が置かれた教育格差をひっくり返す」
教育格差をひっくり返すとは?公営塾メンバーは何を見ているのか?その挑戦を追った。
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現行の教育に限界を感じ、僻地で挑戦する道へ
塾長の齊藤さんは、神奈川県で個別指導塾の教室長をしていた。齊藤さんの担当は、進路指導面談。
「『大学どこ行きたい?』と聞くと、『行けるとこでいいです』みたいな感じの子が結構多いんです」
目標に向かって努力する、という発想がなかった。齊藤さんは、その背景をこう語る。
公営塾塾長の齊藤さん
「勉強が苦手な子は、1日6~7時間、分からない授業を聞き続けなきゃいけない。これって、めちゃくちゃ自己肯定感が下がるんじゃないの、と思ったんです。成功体験を積めないまま、高校生になっている。それでは、自分に期待できないし、『出来ないけど頑張ろう』って思わないですよね」
勉強ができるようになる、には勉強時間を重ねるだけじゃない。もっと根本的なところから向き合わないといけないんじゃないか――。
しかし、現行の教育システムに、その余裕はない。齊藤さんは、偏差値表片手に、「あなたの成績で行ける学校は……」と面談せざるを得ない仕事に、違和感を覚える。
「今の教育では、子どもの可能性を見てあげられないんじゃないか」そんな齊藤さんに、枝幸町公営塾の求人が飛び込んできた。「生徒のやる気スイッチを探す、公営塾の立ち上げ」。
「これかも!」とピンと来て、応募を決めた。「はじっこに行くのもオモシロイと思って」と、齊藤さん。「ここで良い教育を実現できたら、“本物”だなと」
生徒にいいことを、ゼロベースで
塾や学校には無い公営塾のメリットは、「カリキュラムがない」ことと「生徒を評価しなくていい」ことだと齊藤さんは言う。生徒のために価値があると思うことを、ゼロベースで考えて、実行することができる。
例えば、生徒の理解促進のため、受験生が先生役となって生徒に教える授業をやってみたり、
教室の片隅に、生徒に読んでほしい本を並べて「公営塾文庫」を作ったり、
地域内に大学生がおらず、大学生活のイメージがつきづらいことを解消するため、都市部の現役大学生にリアルな学生生活の様子を紹介してもらう機会を提供したりしている。
「仕事は、本当にやりがいがある」と、齊藤さん。「役場の方からは、信頼して任せていただいている。それやっちゃダメ、と言われることはない。かなり動きやすいと思う」
公営塾を齊藤さんと共に運営しているのが、浅野邦明さん。浅野さんは、埼玉県の大学院に通っていたが、公営塾の取り組みに魅力を感じ、休学して枝幸町公営塾に参画。働きながらオンラインで修士論文を提出して卒業した。
オンライン授業中の浅野さん
現在、「数学的なものの見方」 や 「論理的思考力」を鍛錬するため、【数学QUIZ】を隔週で壁に掲示している。
「公営塾は、生徒との距離が近いことが魅力」と、浅野さんは語る。「生徒と関わる密度が濃い。公営塾は校内にあるので、学校の中でもすれ違うし、町の中でも会う」
浅野さんが教育で大切にしているのは、選択肢の多様さだ。
「以前、埼玉の塾でアルバイトをしていた時、『塾でいろんな先生に出会うことが出来て、自分の思考が変わりました』と生徒から言われたことがありました。身近にいろんな大人がいることで、知らない考えに触れて、人生の選択肢を増やすことができます。生徒と近い距離で関わりたいな、と思った原点です」
長期的な目線で、キャリア教育講座を開催
選択肢を増やす、という意味では、齊藤さん渾身のプログラムが、2022年6月にスタートした。その名も、「キャリア教育講座」。3ヶ月間のプログラムだ。
高校生が地域の人と関わることで、地域への愛着や自分自身のキャリア観を育むことを目的としている。「『どう勉強するか』より『なぜ勉強するか』に向き合いたい」と、公営塾に飛び込んだ齊藤さんにとって、もともとやりたかった授業の一つだ。
最初の6月~夏休みまでは、自己分析を行う。「やりたいことの見つけ方」「自分の大切にしている『価値観』は何か?」などをテーマに、個人ワークを通した内省や地域の大人、大学生との対話によって、自己理解を深めていく。
夏休み以降は、『地域の大人、みんなが先生』シリーズ。地域の人をゲストに招き、仕事の話や子育ての話、高校時代の進路選択などを話してもらう。
町内の鮮魚店の方、子育てサポート拠点を運営する方、などさまざまな方が、地域の生徒のために無償で協力してくれた。
「高校生に、『地域の人を知って枝幸を好きになってください』って押し付けがましいことを言うつもりはないんです。でも、高校生って関わる大人がすごく限定されちゃう。進路選択も、学校の先生と親のアドバイスで全部決めがち。いろんな大人の話を聞いて欲しいな、と思うんですよね」と、齊藤さん。
講座では「正解かどうかなんてやってみなくちゃわからない」「やりたいことが途中で変わっても全然大丈夫」と、身近な大人の、リアルなキャリア指南が話される。参加した高校生からは、「焦って進路を決めなくて大丈夫、と気持ちが楽になった」とアンケートの回答が届いたそうだ。
高校3年生には、大学職員や大学生を招き、『レゴブロックをつかった”正解のない学び”体験会』も特別開催された。
正解のないテーマでレゴ作品をつくり、自分の考えを対話する。その過程で、高校までとは違う「正解のない学び」を体感するというもの。VUCA時代(※1)を生きる生徒たちに、自らの道を力強く進んでほしいという、齊藤さんの思いが込められている。
「これからは、どこの会社の人とか、どこに住んでる人っていうことよりも、『個』としての力が求められる時代になるんだろうなって思うんですよね。単純に勉強ができるってよりは、いろんなことを考えられるようになってほしい。SNSやインターネットの情報に流されず、自分の判断軸を持てるようになってほしいなって思いますね」
※1 ※VUCAとは、VUCAは「Volatility(ボラティリティ : 変動性)」「Uncertainty(アンサートゥンティ : 不確実性)」「Complexity(コムプレクシティ:複雑性)」「Ambiguity(アムビギュイティ:曖昧性)」の頭文字を並べたもの。IT革命などで、変動性が高く、予測不可能になっていくこれからの時代を指して、VUCA時代と呼ばれる。
「最高の大学生活」をテーマにしたレゴ作品
齊藤さんは、一連のキャリア講座は公営塾のメリットが活かされていると言う。
「この『キャリア講座』が、どこで花咲くかっていうのはやっぱりわかんないですよね。明日かもしれないし、進路選択のタイミングかもしれないし、10年後かもしれない。こういった活動は、普通の学習塾じゃ難しい。
学校の探究学習にしたって、評価や授業時間数があるから、早く生徒のやる気に火がついてもらわないと困るわけですよね。成果を急がず、長期的な目線で生徒に関われるのが、公営塾のいいところです。
公営塾は、地域の将来を背負う若者を育てる、というミッションがある。だから、長いスパンで考えられるんです。枝幸町の未来を背負うかもしれない人を育てるのは、すごくやりがいを感じます」
高校生の価値観を変える、原体験を届ける
冒頭で書いた、「教育格差をひっくり返す」。
公営塾が、これからの時代にフィットした教育ができるなら、これまで開いていた都市と地方の教育格差が、ひっくり返る未来がくるかもしれない。
では、ひっくり返った未来に、齊藤さんは何を見ているのか?齊藤さんに、「良い教育とは何ですか?」と聞いてみると、「生徒の可能性に光を当てられること」と返ってきた。
「『勉強できなきゃいけない』とか『スポーツできなきゃいけない』とか、そういう、生徒自身を押さえつける制限をなるべく排除する。生徒一人ひとりの可能性をみられる教育が、良い教育だと思うんですよね」
浅野さんも「こちらの意見を押し付けず、相手の納得を引き出して声かけができること」と答える。
公営塾学習風景
齊藤さんは続ける。
「公営塾として大切にしていることは、何かしらの『原体験』を届けること。普段の授業でもいいですし、講座やイベントでもいいですし、スタッフとの雑談でもいいんです。
塾のあの時のあの経験があったから……と、この先の人生にプラスになるような原体験が提供できたらいいなって思っています」
ただいま、枝幸町公営塾では、採用募集中だ。「部活の強豪校に入るより、弱小校を強くする方が楽しいじゃん!と思うタイプの人は、ぴったりだと思います」と、齊藤さん。
日本のはじっこから、理想の教育を求めて挑戦してみませんか?
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