2023年10月下旬、NPO法人ETIC.(エティック)が運営する「ジャストラ!」という中小企業支援プログラムの一環で、三重県尾鷲市を訪れる視察ツアーが行われた。ここは60年にわたって地域経済を支えてきた中部電力尾鷲三田火力発電所が2018年に廃止となり、地域全体が大きな転換点を迎えている場所だ。本記事では、これを契機として始まった地元事業者の挑戦について、現地に同行して取材した内容の一部をレポートするとともに、後編では「ジャストラ!」プログラムの意義についてお伝えする。
おわせむかい農園の挑戦
「ここを子どもたちが駆け回る場所にしたい」と、尾鷲ヤードサービス株式会社(以下「ヤードサービス」)社長の岡文彦さんは言う。ここは同社が運営する「おわせむかい農園」。岡さんが生まれ育った尾鷲市向井地区、尾鷲湾を見下ろす山の斜面にある。ブルーベリー狩りなど農業体験が楽しめる園内の一角には、地域の子どもからお年寄りまでが集う多世代交流施設「むむむ。」、さらに坂を登れば甘夏の木が点在するキャンプ場「minore」もある。
ヤードサービスはもともと火力発電所内の施設メンテナンスなどを請け負う企業だった。その発電所の完全撤退が発表されたとき、岡さんは経営判断を迫られた。中部電力の下請けを続ける選択肢はあったが、仕事場は県外の発電所になる。当時二十数名いた社員全員と話し合った末、尾鷲に残る道を選んだ。向井地区にある耕作放棄地を開墾して農業を始めることにしたのだ。その理由を、おわせむかい農園の求人ページから引用させていただく。
「(かつての向井地区には)段々畑の甘夏農家をはじめ、たくさんの人たちが朝から農作業をし、その横の畦道を子どもが走り回る風景が広がっていました。今も豊かな自然が残るこの土地で、あの頃のような風景をこの時代に再び見たい。自分たちの手で再び地を拓き、自然を守り未来へ繋ぐ仕事をしよう」
岡さんたちは、多くの人々が集う観光農園を目指して2018年12月からブルーベリーなどの栽培を開始。2020年6月に「おわせむかい農園」が開園した。現在では、ブルーベリー約300鉢のほか、フィンガーライムやアボカドも栽培。地元の伝統野菜「虎の尾(青唐辛子)」は生産だけでなく商品開発も手掛ける。上述の交流施設「むむむ。」とキャンプ場は2023年にオープン。テントサウナやマウンテンバイクツアーの提供も始めた。他に、甘夏の木の「応援オーナー」制度やオンラインショップも運営している。
おわせむかい農園内のminoreキャンプ場
こう書けば数行で終わってしまうが、当然ながらこの間の岡さんたちの苦労は計り知れない。農業参入時点で10人に減った陣容は現在岡さん含め3人。その一人で現在は取締役を務める笠松千恵子さんは、「最初はわからないことだらけで、何をやってもうまくいかなかった。それでも会社を継続させたい一心だった」と振り返る。もちろん、発電所撤退で仕事を失った下請け企業は他にもたくさんあった。しかし、岡さん・笠松さんによればその多くが中電についていくか廃業を選んだという。
「いろいろな人からうまくいくはずがないと言われました。そんなことをするより、中電について県外に出て雇用を守るべきじゃないのか、とも。でも、尾鷲に残ってやると決めたからには、なんとしても成功させたいと思いました」(笠松さん)
そこに現れた強力なパートナーが、伊東将志さんだった。
岡社長(右)と笠松さん(左)
「鉄から土へ」のスローガンが意味するもの
おわせむかい農園から少し下った場所に、市内外から多くの客を集める日帰り温泉観光施設がある。岡さんらが土地の開墾を始めた2018年当時、伊東さんはここの支配人を務めていた。岡さんと同じく生粋の尾鷲人。その人気施設の立ち上げをはじめ、長年、地域プロデューサー的な活躍をしてきた存在だ。もともと岡さんと付き合いはあったが、おわせむかい農園プロジェクトの開始とともに本格的な協力関係がスタートした。
「『がんばれ』と言う人はいた。でも『いっしょにやろう』と言ってくれたのは伊東さんだけだった」(岡さん)
岡さんたちの目指すところを「鉄から土へ」というスローガンに落としこんだのは伊東さんだ。ただし、「発電所の仕事をしていた会社が農業を始めました、という単純な話ではない」と強調する。
「以前この山の斜面で甘夏を栽培していた農家たちは、いまゼロになりました。そうした耕作放棄地を地域資源として活用し、この地域に子どもたちが走り回る風景を取り戻すという目標を実現しようとしているのです。尾鷲では発電所が撤退して経済がダメージを受けましたが、これからは日本中で同じようなことが起こるはず。ヤードサービスが敢えて険しい道を選び、事業継続を目指す姿は必ず全国のモデルになります」(伊東さん)
尾鷲湾を背に視察者に説明する伊東さん
尾鷲全体の将来を見通す伊東さんは続ける。
「発電所撤退のニュースを聞いたとき、市民の多くが『尾鷲はもうこれで終わりだ』という反応でした。でも僕は自分の町をそうやって卑下したくなかったし、そもそも本当にこれで終わりなのか? 当時はまだサステナブルとか脱炭素とかそこまで意識していませんでしたが、世の中は確実にそちらの方に向かっている。将来は、『うちは火力いりませんから出てってください』という自治体だって現れるかもしれない。たまたま尾鷲ではあちらから出ていくという話だったわけで、それならこれを良い転機と考えるほうが自然だと思いました」
尾鷲をどう変えていけばいいか。伊東さんが多くの人と意見交換する中で浮かび上がってきたテーマのひとつが教育だった。「尾鷲に子どもの居場所をつくろう」。岡さんたちのやりたいこととぴったり合致した。2022年、この事業の運営主体として一般社団法人つちからみのれを設立。日本財団の「子ども第三の居場所」採択事業としてオープンしたのが「むむむ。」だ。
視察中に「むむむ。」で開催されていたお絵描きイベント。子どもからお年寄りまでが楽しんでいた
園内のキャンプ場「minore」からは、火力発電所跡地を中心とした市街地が一望できる。ここは南海トラフ地震の津波ハザードマップでも浸水が予想されていない高台だ。視察ツアー参加者たちは、眼下の夜景を眺めながらソーラーランタンの下でバーベキューを囲んだ。ここには電気も水道もない。水は山から引き、エネルギーは太陽光。広い園内を移動するカートもソーラーで動く。完全オフグリッドだからインフラが止まってもすぐには影響されない。
「ここを、災害が起きてもあそこなら大丈夫という場所にしたい。発電所を失った町だからこそ、そういう場所があることは大事だ。普段ここで遊ぶ子どもたちが自然とそれを学んでいれば、きっと役に立つときがある」(伊東さん)。いろいろな意味で、ここは尾鷲が目指すべき方向を示唆する象徴的な場所のようだった。
ゼロカーボンシティ宣言、そのこころは
尾鷲市としても、火力なき後の産業再構築に取り組んでいる。広大な発電所跡地をどうするかは大きな懸案だが、これについては撤退発表直後に「おわせSEAモデル」という計画が立ちあがっている。Service, Energy, Aqua/Agricultureを3本柱に市と中部電力などが進めるプロジェクトで、取材時点(2023年10月末)では野球場の移設やキッズパークの建設が決まっているという。
「火力撤退による経済損失の総額は正確にはわかりません。ただ、市が巨額の税収を失ったのは確か」と語るのは、尾鷲市水産農林課の芝山有朋さんだ。失った分を補うにはやはり「第二の中電」が必要であり、跡地には大規模製材工場の誘致も行われているという。が、どんな企業が進出するにせよ、芝山さんは「持続可能な環境に配慮した企業に来ていただけるといい」と話す。
発電所跡地は約60ヘクタール
「一度に何百人の雇用を生む大企業だったとしても、それがカーボンポジティブなビジネスだったらどうするか。個人的な意見としては、いま尾鷲は脱炭素の方向に振り切って、とことんサステナブルな拠点を目指したほうがいいと思っています。おわせむかい農園やつちからみのれのような活動が始まっていますから、それらの理念に呼応する企業を少しずつ呼び込んでいく。その集積がひとつのモデルになり得ますし、尾鷲にはそれができる環境がある」
実際、尾鷲市は2022年3月にゼロカーボンシティ宣言をしているが、それは火力が撤退したからではなく、世界の脱炭素の潮流を受けてそれ以前から構想されていたそうだ。リアス式海岸で海と山が迫り、平地の少ない尾鷲の伝統産業は漁業と林業。芝山さんたちは、これら一次産業のフィールドに企業の力を呼び込もうとしているほか、豊富な自然資源を生かしたカーボンクレジットの創出にも乗り出している。ゼロカーボン政策を水産農林課が担当しているのは、純粋な環境施策というより増収のためのツールという位置づけだからだ。
「環境や生物多様性が大事なのは一般論として当然のことです。でも行政・政治がそれを進めるときは経済が伴わないといけません。尾鷲はなんとか独自にそのフィールドをつくって経済が伴う、すなわち企業に関わってもらう仕組みをつくろうとしています。それがゼロカーボンシティの根幹であり、合わせて地元事業者の業態転換や新事業開発の支援もしていきたい」
市はカーボンニュートラルだけでなく生物多様性も意識する。ヤフーの企業版ふるさと納税で整備開始した
市有林「みんなの森」は、森を手入れして林業と生物多様性が両立するモデルゾーンを目指す
火力発電所撤退という出来事で否応なく転機を迎えた尾鷲市。これを体質転換の好機ととらえて先手を打つ人々が官にも民にもいることが、尾鷲のトランジションが全国のモデルになり得る理由のひとつと言えそうだ。
>> 【後編「『ジャスト・トランジション(公正な移行)』とは? ETIC.が全国19団体と取り組む脱炭素・環境配慮型のビジネス転換」につづく】
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