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「なぜ、能登の復興が必要なのかを伝える復興に」能登から日本の未来づくりに向き合う―能登半島地震復興支援 第3回活動報告・意見交換会レポート【後編】

2024.05.02 

「なぜ日本の未来に能登を残さなければいけないのか、しっかりと伝える復興にしなければいけない」

 

これは、能登半島地震から2ヵ月半の3月12日、復興に携わる人たちを中心に行われた「第3回 活動報告・意見交換会」から聞かれた声です。全国の中間支援組織のネットワーク「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト(チャレコミ)」(事務局 : NPO法人エティック)と地元の人たちが登壇しています。

 

今後、復興の前に立ちはだかる課題とどう向き合うべきか、後編では、多くの人が二次避難をしている金沢市をはじめ支援者の声など議論の一部をご紹介します。

 

>> 前編はこちら

※記事の内容は2024年3月12日時点のものです。

<登壇者>

森山奈美さん 株式会社御祓川 代表取締役社長 / 能登復興ネットワーク 事務局 / 七尾未来基金設立準備会 事務局

山本 亮さん 能登復興ネットワーク 監事 / 里山まるごとホテル 代表取締役

仁志出憲聖さん 第3職員室 理事/株式会社ガクトラボ 代表取締役

安江雪菜さん 株式会社計画情報研究所 代表取締役社長 / 民間支援事務局 代表

高橋博之さん 株式会社雨風太陽 代表取締役

<ファシリテーター>

山内 幸治、瀬沼 希望 (NPO法人ETIC.)

子どもたちや保護者たちに交流や楽しみの機会を―第3職員室 仁志出さん

 

瀬沼 : 今回、奥能登中心に被害が広がっており、とても多くの方が金沢市へと二次避難されています。金沢からの支援を通した能登復興について考えたいです。子ども支援を推進されている一般社団法人 第3職員室の仁志出さん、現況を教えてください。

 

仁志出さん : 震災からの2ヵ月半(3月12日時点)、どんな変化があったかを中心に説明します。1月4日、七尾市に認定NPO法人カタリバと共にみんなのこども部屋を立ち上げ、その後も中高生のための居場所作りなど子ども支援の活動がスタートしました。金沢市の尾張町にあるホテルLINNAS Kanazawaに作ったみんなのこども部屋は毎日開館し、1月から2月までで延べ384名の子どもたちが来てくれました。

 

七尾市「みんなのこども部屋」の運営に携わるスタッフたち

0歳児から18歳までを対象とした「みんなのこども部屋」

「みんなのこども部屋」で仁志出さん(中央)とスタッフ

 

震災後から金沢市の状況は変化しています。特に気になるのは、保護者の方々から「疲れている」といった声が聞こえることです。これまでも行っていた保護者の方向けのハンドマッサージと相談窓口のほか、現在は、親子向けに活動している団体との連携を通して、保護者のサポート活動を増やしています。アートイベント開催、シアター作りなど。今日(3月12日)は恋バナで楽しそうに盛り上がっていました。

 

また最近は、保護者の方から「こんなにも支援をしてもらっているのだから、私たちは楽しそうに笑ってはいけないのではないか」という声を聴きました。「これ以上支援してもらうことに対して申し訳ない気持ちがある」など、素直に笑えないと思ってしまう状況が辛いことだと感じました。

 

中高生向けのユースセンターでは、学校や大学の先生がボランティアで学習支援してくれています。卓球台やボードゲームなどまわりの子たちとの交流や楽しみの時間が作れるように遊べる環境づくりも行っています。

 

また、金沢に来ている子どもたちには、3月、卒業式に出席するため能登に戻る子もいますが、親子だけでアパートでの時間を過ごしたり、部活もできなくて友達とも会えなかったりという子が少なくありません。

 

そのため、震災によって失われた多様な機会を提供していけるように、各団体との連携活動を進めているところです。例えば、「野球ができなくなってしまった……」という子どもの声を受けて、金沢市と能登の子どもたちが一緒に野球ができる場を作るなどしています。

 

 

企業との連携も始まっています。これまでは物資支援や募金活動が多かったのですが、現在はボランティア派遣によって、例えばオンライン対応が可能な事務的、広報的な支援を行っていただいています。

中高生向けに土日の活動や夜間のアウトリーチなども検討

 

仁志出さん : 二次避難先となる金沢市の各地域では、みなし仮設のアパートに移り住む方がとても増えています。LINNAS Kanazawaでの宿泊は7月まで延長されましたが、多くの方がアパートを借りているようです。

その中で、みんなのこども部屋やユースセンターで出会う子どもや保護者さんたちはみんな家族のような関係になっています。一つのコミュニティに育っていると感じられてうれしいのですが、多くの方が「いつどうなるかわからない」不安な気持ちを抱えているようです。

 

ただ、一方で、3日前には新しく遊びに来てくれた子がいて、「楽しい。またここに来たい」と話してくれました。避難所が点在する中、幼い子でも一人で通えるように、各避難所の近くに子どもたちのための居場所があることも大切だと感じています。

 

今後は、多くの家庭で、4月中旬頃を一つの区切りに金沢市内の避難所からアパートに移るか、能登に戻るかを選択し、移動する動きが見られるため、子どもや家族が安心して毎日を送れるように、僕たちも4月以降、活動を継続していこうと考えています。

 

その際、中高生に向けては、進学で通う学校が変わることを考慮し、土日や夜間の活動も検討しています。みなさんが能登に戻りやすい体制を整えつつ、居場所での企画運営やアウトリーチを増やすなど、今後に向けた議論や活動を進めたいです。

「震災を機に新しく生まれ変われるように」和倉温泉の復興プロジェクトを開始―民間支援事務局 安江さん

 

瀬沼 : 能登半島地震・民間支援事務局の安江さんからも、金沢市での支援活動の現況をご説明ください。

 

安江さん : これまで約70の企業や団体からのお申し出を受けて下着や消耗品など71の物資支援を継続的に行ってきました。あわせて炊き出し活動を、珠洲市、輪島市、七尾市などで計15回行いました。

 

炊き出しでは課題のヒアリングを行いながら、性的マイノリティの方などからの電話相談窓口の案内や男女共用トイレの設置を進めるといった、ニーズと支援をつなぐ活動を意識して行っています。

 

これらの活動をさらに発展させ、これから立ち上げる「notono」では、能登の大きな特性である、生物多様性人の多様性をバックグラウンドとした文化や人の知恵、技術などが息づく暮らしを発信したいと考えています。現在、新たなアクションを起こすために3つの仕組みを考えています。

 

1つめは、精神的なエンジンとなるような居場所作りです。地元だけではなく、二次避難されている方々も能登に戻りやすい仕組み作りを考えています。

 

2つめは、経済的なエンジンとして生業づくりの伴走事業を考えています。能登だからこそ可能な、第一次産業、飲食店などを中心とした支援を珠洲市以外でも展開する予定です。

 

3つめは、教育、発信事業です。自分たちの想いや経験を学びのプログラム作りにつなげたいと考えています。輪島市を中心に活動する女性、性的マイノリティや障がいのある方の支援など、多様なバックグラウンドを持つメンバーでの法人設立を予定しています。今後の事業推進については、各企業のみなさんと一緒に考えていけたらと思っています。

 

また、(株)計画情報研究所としては、石川県内では第一号となる「和倉温泉」創造的復興ビジョン策定の支援をしました。ワーキングチームは20代から50代の若手が中心です。石川県は和倉温泉の地としても知られており、七尾市では、七尾湾に面した旅館が22軒、建ち並んでいます。全客室数は約1300部屋、今回の震災での被害総額は1000億円以上です。

 

「和倉温泉」創造的復興ビジョンのワーキングチームのメンバー。安江さんは1列目左から2番目

 

大型旅館が多いのですが、建物が海側に傾くなどすべての旅館で営業再開が難しい状態を強いられています。そのため、飲食店の運営やスポーツ関連の合宿コーディネートなどいろいろな人が協力し、会議や打ち合わせ、勉強会など、再建の仕組み作りを推進しています。「震災を機に新しく生まれ変われるように」と、いろいろなアイデアを盛り込みながら再建への道のりを模索しています。

 

今回、和倉ではエリアビジョンをはじめ、スピード感を持って立ち上げが実現できたことはとても恵まれたことだと感じています。旅館、飲食店、デスティネーション・マネージメント・カンパニー(DMC)、企業経営、スポーツ関係など異業種が集まり、領域を越えて対話することで、メンバーからは「もう一段俯瞰できる世界があると知った」という声も聴かれています。

 

いろいろな地域から今後のボランティア活動などの相談が入っていますが、つながるだけではなく、どうすれば能登の復興や未来づくりに関われるのか、適した形を作っていくことを大きな課題に議論し、実行していきたいと考えています。

能登で被災し、大都市に戻った人たちの想いが復興を支える力に―雨風太陽 高橋さん

 

山内 : 東北在住ながら、震災後すぐ能登に入り、支援活動を続けている株式会社雨風太陽の高橋さんは、能登の現状をどう見ていますか?

 

株式会社雨風太陽 代表取締役の高橋博之さん

 

高橋さん : 時期的な要因のほか、いろいろな事情が重なっている点でも難しい復興だと感じています。町を歩く人の姿が減少している要因は、地理的など様々ある中で、地域外に対して自分を主張することがあまりない能登の方たちの特性も考えられると思っています。

 

長い年月、厳しい環境の中、自分たちの力で生きてきたという誇りが壁となっているようにも感じます。一方で、災害が続くことに対し、国民側にもある意味災害に対する慣れのようなものが少し現れているかもしれないという印象もあります。

 

これから先、復興が前に進むための大きな力となるのは、能登に帰省中、「被災をした」経験をもとに「なんとか復興させたい」と想いを持って、周囲の人たちに声をかけている方々の存在だと思っています。

 

お正月を実家で迎えるため能登に帰省し、被災を経験したことで能登に強い想いを寄せている方は東京、大阪、神奈川など大都市に必ずいます。その方たちの気持ちにどう火をつけ、まわりを巻き込み、能登に足を運んでくれる方を増やすかは、今後、復興の方向性を決める大事な要点となるのではないかと考えています。

 

森山さん : まさにそうだと思います。あの日、全国から能登に帰省していた方が多いのです。こちら側からの声としては、実家の家族が戻ってくれていたおかげで命が助かった高齢者がたくさんいます。

 

今後の復興でも、「自分が能登の未来づくりの担い手になる」と一緒に行動を起こしてくれる方たちが一人でも多く帰ってきてくれることを願っています。いろいろなコミュニティを連れて。手や知恵を貸してほしい。

 

山内 : 震災直後から、森山さんや山本さんと連続勉強会を行っていますが、勉強会を続けながら、地元に想いを寄せる方が、どんどん支援に入れる流れを作ることが、基盤整備として重要だと改めて感じました。

「能登はより良くなっていく」と希望が持てる復興を

 

高橋さん : 東北は、東日本大震災から13年経ち、その間、復興のために多くの人や寄付金などの支援で助けていただきました。創造的復興といいますが、被災前に解決できなかった課題が被災のダメージを受けた状態で解決できるのは、それまでなかった地域外からの知見や資金が支援されたからです。だから、可能性が開けるのです。

 

しかし、その時点で課題が解決できなければ、希望は諦めに変わります。これだけの人や資金の力があっても、復興できなかったとなると、「どうせできない」となってしまうのです。

 

能登では、これから何年か、いろいろな課題を解決する力を手にすると思います。答えを出す必要はないけれど、せめて答えに迫り、「このまま能登はより良くなっていく」と希望が持ち続けられるような状態になることを願っています。

 

山本さん : 僕自身、いろいろな人が手を貸してくれ、未来に希望を描くチャンスをいただけています。自然の美しさなど世界遺産に選ばれた能登には失ってはいけないものがたくさんあります。皆さんには、ぜひ手や力を貸していただけるとうれしいです。

能登の復興は、日本の未来がどうなるか分かれ目にもなる

 

山内 : 高橋さんは、現在、どんな未来をみようとしているのでしょうか。なぜ、能登の復興に関わっているのか理由を改めて教えてください。

 

高橋さん : 僕は東北の人間ですが、日本人として復興に携わっている気持ちでいます。正直、能登は交通など不便で、今回、二次避難などで能登を離れざるを得ない若い人たちもいますが、能登に残り、頑張っている若手の人達もいます。

 

今回、地域の高齢化が進み、しかし日本にとって大切な自然や里山の暮らしが残る能登が被災しましたが、能登の復興は、日本にとって将来どうなっていくか分かれ目だとも思っています。多くの人が経済性、効率性のみで考えていくのであれば、日本はそういう社会になる恐れがあると感じています。でも、僕はそんな社会にはしたくない。

 

日本人として能登の復興に取り組む必要があり、地域外でまだ自分事化することが難しい方たちに能登の復興の意味をどう伝えるかが大事だと思っています。 「なぜ日本の未来に能登を残さなければいけないのか」をしっかりと伝える復興にしなければいけない。

 

能登が、都市の人たちに必要とされる地域にもなるように。今後、復興の過程で、都市部にはない能登の魅力、里山の暮らしを見つめ直す価値を都市部の人たちに伝えていく、開いた復旧復興を行っていくことがとても大事な気がしています。

 

山内 : 現在、暮らしなど支えが必要な状況の方々がたくさんいます。同時に、未来に向けていろいろな資源を掛け合わせていくこと、そういった支援が同時並行で動いているのを感じています。未来を見つめながらの支援は塩梅が難しく、最初の一歩を踏み出すことも挑戦が必要ですが、どうか皆さんも一緒に考え、協力してください。

 


 

現在、能登の復興に携わる仲間を各団体・企業で募集中です。ご関心ある方、力を貸してください。

>>DRIVEキャリア 特集「復興を支え、能登の未来をつくる仕事

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「能登半島地震・報告会&意見交換会」は、次のスケジュールにて行っています。

各内容は、レポート記事としてDRIVEに掲載予定です。

・第1回目 : 1月23日(火)16:00~17:30(※終了しました)

・第2回目 : 2月20日(火)14:00~15:30(※終了しました)

・第3回目 : 3月12日(火)16:00~17:30(※終了しました)

・第4回目 : 4月18日(木)11:00~12:30(※終了しました)

・第5回目 : 5月31日(金)14:30~18:00 または 6月1日(土)11:00~12:00

※第5回目は、「and Beyondカンファレンス2024」(羽田イノベーションシティ)

プログラムの一環としてセッションを開催いたします。

※報告会&意見交換会の参加費は無料ですが、入場券が必要となります。

(【1日券】一般(5/31金 )¥10,000【1日券】一般(6/1土)【1日券】学生(5/31金) ¥1,500、【2日券】一般(5/31金~6/1土 )¥13,000【2日券】学生(5/31金~6/1土 )¥2,000)

詳細・お申込みはこちらから


 

エティックでは今後、中長期にわたる支援を続けていくための寄付を受け付けています。

>>SSF災害支援基金プロジェクト 能登半島地震緊急支援寄付

>>Yahoo!JAPANネット募金 令和6年1月能登半島地震地域コーディネーター支援募金(エティック)

 


 

能登復興ネットワークではSNSでも情報を公開しています。 最新情報はこちらからチェックしてください。

・facebook https://www.facebook.com/noto.iyasaka

・instagram https://www.instagram.com/noto.iyasaka/

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こちらもあわせてお読みください。

>>「避難所の立ち上げ、物資支援、炊き出し」能登が、能登らしく復興するために―能登半島地震復興支援 第1回活動報告・意見交換会レポート【前編】

>>「住民の生活再建に向けて、ボランティア活動の推進体制を」―能登半島地震復興支援 第2回活動報告・意見交換会レポート【前編】

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>> それぞれの個性や地域資源を活かした復興へ。能登半島で生まれている未来へ向けた動き

 

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たかなし まき

愛媛県生まれ。松山東雲短期大学英文科を卒業後、企業勤務を経て上京。業界紙記者、海外ガイドブック編集、美容誌編集を経てフリーランスへ。子育て、働く女性をテーマに企画・取材・執筆する中、2011年、東日本大震災後に参画した「東京里帰りプロジェクト」広報チームをきっかけにNPO法人ETIC.の仕事に携わるように。現在はDRIVEキャリア事務局、DRIVE編集部を通して、社会をよりよくするために活動する方々をかげながら応援しつつフリーライターとしても活動中。いろいろな人と関わりながら新しい発見をすること、わくわくすること、伝えることが好き。

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