時間や仕事に追われる生活を“ダウンシフト”して、ゆったりと流れる時間のなかで食べるものを自ら作る。そんな「ダウンシフト」した生き方を実践する人が増えている。
空いた時間は、自分の特技を生かして社会に役立つことに使う。お金をあまり使わずに手間をかけて、収入も支出も小さくする生活。どうしたらそんな風にのんびりとした働き方ができるのだろうか。ダウンシフターズの拠点・千葉県匝瑳市(そうさし)を訪ねた。
NPO法人『SOSA Project』主宰・高坂勝さん
たえまなく流れる水の音をBGMに、カエルや小鳥の歌声が耳に心地よい。見わたすかぎり田んぼが広がり、左右には深い雑木林が広がっている。
千葉県匝瑳市にある高坂勝さんが主催するNPO法人『SOSA Project』が耕す田んぼで、夏の日曜日の昼下がりに8人の「半農半X」実践者たちが熱く語ってくれた。2013年夏に匝瑳市に移住してきた大原敏裕さんは、千葉で職業カウンセラーをしながら休日は田んぼに出る。
「自分で食べるものを作れることは何よりの保険です」と語る。米作りそのものが楽しいという大原さんは、一方で大好きな電車のなかをモチーフにした住宅リフォームなど、次々にやりたいことに挑戦している。
「やりたいことをやりきることで、次のやりたいことがどんどん出てくる。年を取るのが楽しみです」と目を輝かせる。もう3年間米を買っていないという。
食べるものを自給できる強みは、大原さんがカウンセラーとして力を尽くせる余裕と自信を生んでいる。 埼玉県戸田市から匝瑳市の田んぼに通う磯崎則理さんは、総合格闘技での経験を生かし、赤羽で普段はマッサージ店を営んで開業している。
実は、磯崎さんが匝瑳市で農作業をするのは、ひと月にたった2,3回だけだ。しかも3月から9月にかけては月に一度、そして冬場は休む。それだけで125kgの米を収穫することができる。
「年に20日で米は作れるんです」と磯崎さんは言う。125kgの米があれば、4人家族が十分食べていける。磯崎さんは米のほかにも大豆と野菜を栽培している。大豆は味噌になる。年に20日なら無理なくそれができる。「自給農」のハードルが一気にぐんと下がったのを感じた。
千葉県匝瑳市にあるNPO法人『SOSA Project』の田園風景
「半農半X」は、「半農半X研究所」の塩見直紀さんが提唱した。自給規模の田んぼで、家族が食べていけるだけの米や野菜を生産しながら、生きがいとなる仕事で生活収入を得る働き方だ。
「X」は、生きがいとなる仕事のことを指している。やりたいことと社会に役立つことが交わり、人によって多種多様な「X」がある。 匝瑳市へ移住する人もいる中で、この日話を聞いた「半農半X」実践者のほとんどは、大原さんや磯崎さんのように「平日は首都圏で働き、休日の一部を使って農作業をする」という生活スタイルをとっている。
彼らとこの働き方との出会いは、SOSA Project主催者の高坂さんが池袋で営むオーガニックバー『たまにはTSUKIでも眺めましょ』にあった。
高坂さんが池袋で営むオーガニックバー『たまにはTSUKIでも眺めましょ』
今回取材した人たちを「農」に結びつけた場所こそ、この『たまにはTSUKIでも眺めましょ』通称『たまTSUKI』だ。
高坂さんの著書『減速して自由に生きる ダウンシフターズ』(ちくま文庫)を読んで、『たまTSUKI』に足を運ぶお客さんは後を絶たない。高坂さんはそうしたお客さんにさらっと声をかける。「じゃあ明日、田んぼにおいでよ」。
『たまTSUKI』オープンから11年間で、のべ1000人近くの人が、高坂さん得意のギターとそんな声かけに誘われて田んぼに向かった。 高坂さんにとっての「X」の一つがSOSA Project だ。SOSA Projectはもともと里山保全活動からはじまった。今では活動もさまざまで、農作業のノウハウを教えることも、田んぼのそばへの移住あっせんもしている。
中でも力を入れているのが、「X」探しのサポートや、「X」同士のつながりを作ること。特に「X」を探すことは大切だけれど、とても難しい。 自給農をしながら自分なりの「X」を探す。たしかにわくわくするが、いざ自分に合った「X」は何かと聞かれてもなかなか答えられない。
思いを巡らせていると、不意に高坂さんがペンをとった。ノートにくるくるくる、とマルを三つ重ねて描いた。マルの一つは、「自分の好きなこと」。マルの一つは、「自分の得意なこと」。そして最後のマルが「社会のお役にたつこと」。その三つのマルが重なったところを、「X」にすればいい。その三つのマルが、キーとなる。
最後のマルについて、高坂さんは「人間には根源的に社会貢献欲があるんです」と言う。「誰かのお役にたちたい」、社会に自分が貢献したいという欲求は、人間の根っこにあるらしい。好きなことを社会に活かせる。得意なことを社会に活かせる。漠然とした「X」探しは難しくても、この三つのマルなら自分にも見つけられそうだ、と思わずガッツポーズを作った。
田んぼで草取りの様子
「農作業は楽しい――」。「半農半X」実践者たちは口をそろえる。ドジョウやカエルと触れ合い、田んぼの温かさを感じ、大豆が芽吹いて花が咲き、また大豆が実るのを肌で感じる。 その感覚を、「不思議な感覚です」と小林正憲さんは振り返る。
小林さんは練馬から匝瑳市の田んぼに通っている。はじめて田んぼの手伝いをしたとき、稲を刈った後の土に横たわった。横たわっているうちに不思議と涙がぼろぼろ出てきてとまらなくなった。大手家電メーカーの営業の仕事をしていたとき、中間管理職としていろいろなものに挟まれていた。そのプレッシャーがすーっと抜けていくのを感じた。
「食べられる分をつくればいいんだ」。そして田んぼには仲間もいる。いずれはゲストハウスを開いてファームステイのお手伝いができれば、と話す。
一方で、子どもを生んだことがきっかけで自給農をはじめた女性もいる。殿岡さとりさんもその一人だ。殿岡さんは、都内でタコライスの移動販売をしながら、今年初めて匝瑳で田んぼを耕し始めた。子どもには自分で作った安心なものを食べさせてあげたい、と語る。子どもを連れ月に1回田んぼにきて、米を作っている。天真爛漫な笑顔でのびのびと笑う娘のみのりちゃんが、嬉しそうにさとりさんの泥だらけの背中で遊んでいるのが微笑ましい。
月に1回1〜2時間の作業ですむということ、そして皆で作業をするなかで仲間ができていくことが原動力になっている。ほかにも子どもを連れた人たちがいて、みのりちゃんにも友だちができた。
殿岡さとりさんと娘のみのりちゃん
今回話を聞けた人たちの多くは3畝(約300m²)で100kg前後の米を収穫している。
「会社勤めではとれなかった子どもと過ごす時間、家族の時間をとれるようになった。今は古民家を改修することを目標にしている。いずれは自分で家をつくれるようになりたい」と夫婦と子ども一人で移住した有馬健太さんは語る。
「自分の力で自分の食べるものを作ることは、生きる自信につながる。会社勤めでは得られないことだと思います」と加藤順也さんも嬉しそうに言った。
高坂さんは、田んぼを始めて5年経てば「年に10日があれば米はできる」と話す。「大きくしすぎないことが大事なんです」。
自給すれば収入も支出も小さくしていき、ダウンシフトできる。小さく生きることが大きな喜びを生む。目の前の命を慈しみ、目の前の人の役に立つ仕事をし、大きくなった分は分かち合う文化。ダウンシフトして社会の「お役にたてる」生活は、手の届くところにある。
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