今、各地で子育てを支えるための動きが広がっている。 核家族化や少子化が進むなかで起きた3・11の震災をきっかけに、地域と子育て世代とをつなげる取り組みが増えた。
そのなかで、子どもや若者の社会力を育成しようと活動をしているのがNPO法人夢職人だ。代表理事の岩切準さんを取材した。
2人の専従スタッフとともに活動する岩切さん(中央)
子どもがやりたいことを実現する
夢職人では、東京都江東区を活動拠点に、小中学生を対象にした自然体験活動や文化芸術活動などを定期的に開催している。特に、事業の柱である体験型教育プログラム「キッズクラブ」の会員数は現在、250名を超える。
キッズクラブの活動は、年10回行うデイプログラム「あそびの達人」と、年8回の2泊3日前後宿泊プログラム「各種キャンプ」で構成される。大きな特徴は、子どもの「やりたいこと」を、自然や地域の環境を活かしながら実現することだ。企画内容は、子どもたちへのアンケートを年に複数回実施するほか、直接話を聞くなどしてテーマを決めることから始まる。
サマーキャンプの自然体験活動の様子(岩切さんは左奥)
「夢職人でいう“社会力”には、大きく2つの意味があります。多様な人との関わりや実体験のなかで、1つはコミュニケーション力を身に付けること。2つ目は、自分の得手不得手や好き嫌いについて理解すること。『かわいい子には旅をさせよ』という言葉の通り、親元を離れて困難も含めた経験をすることは、将来社会で生きていくうえで必要な力になると考えています」
壁を越えながら自立心を伸ばす
たとえば、2011年から毎年11月に実施している“森の秘密基地作り”は、「まんがで読んだんだけど、秘密基地って作れないよね」という子どもの声から生まれた。 活動場所は森の中。用意されたのは、のこぎりやロープなどの道具だけ。子どもたちは、学校や地域の異なる面々で6人前後のチームを作り、場所を決めて、木の枝や石など森にある天然の材料を使いながら、みんなが目指す基地を作り上げる。
「大事なのは、いろいろな子がいるなかで、“自分はどうしたいか”を子ども同士で話し合い、考えながら、一緒にプログラム(基地)を完成させること。時にはけんかを乗り越えながら、子どもたちは自発的に協力し、行動していきます。すると、物作りが上手な子、ルール決めが得意な子など個性も引き出されていって、その相乗効果はいつも大人の予測を超えています」
大学生や若手社会人を中心としたボランティアスタッフも大きな存在だ。次の社会を担い、親となる世代が数多く継続的に参画している。彼らと子どもたちの間には、兄弟・姉妹のような信頼関係が自然と生まれていくという。
スタッフに研修指導を行っている様子(中央が岩切さん)
「夢職人では、『スタッフや友だちに会いたい』と参加を続ける子どもが多いです。そんな環境でたくましく遊ぶわが子の姿を活動報告ノートや写真で見て、驚く保護者も多いですね。学校では無口で手も挙げないのに、ここでは大きな声を出したり、リーダーシップを取ったりしている。『本当にうちの子ですか?』と」
出会った大人たちとの思い出が原動力
「子どもの居場所は学校と家庭だけじゃない。子どもたちには、地域のどこかに自分の好きな人や、やりたいことと出会える“第三の居場所”を見つけてほしい」
こう語る岩切さんの原体験は、まず子どもの頃の思い出に遡る。自治会活動が活発だった江東区の下町で育った岩切さん。近所の人に地域のお祭りや子供会の行事に連れて行ってもらうなど、にぎやかな思い出が多い。
「自治会のおじさんから本気で叱られたり、近所のお兄ちゃんに悩みを聴いてもらったり。僕は学校が好きというタイプではなかったのですが、地域に居場所がたくさんありました。そういう環境に救われたことも多かったと思います」
高校生になると、岩切さんいわく「荒れていた時代」が続いた。それでも子供会の活動では、ジュニアリーダーとして子どもたちをまとめていた。
「あのころは長髪、腰パン、タンクトップと、ひどい格好をしていましたね。自分で言うのもなんですが、子どもにはすごく人気があったと思います。世の中にはこういう変な大人もいるのかな、と気軽に付き合ってくれたのではないでしょうか」
現場仕事で考えた格差と将来
高校卒業後に就職した内装関連の会社では、親方や年の離れた大人たちに囲まれて建設現場などで働いた。そこでは複雑な共同作業の大変さや、ブルーカラーとホワイトカラーの格差を身をもって感じたという。特に、先輩たちからの言葉は岩切さんの生き方を変えるきっかけを与えた。
「『お前、これから先どうするの?』とか『ずっとこの仕事でやっていくの?』とか言われました。そこで初めて自分の将来と向き合ったんです」
岩切さんは約1年勤めたその会社を退職し、関心のあった子どもや心理学について勉強するために、大学の社会学部社会心理学科へ進学。入学後は学年トップの成績を取り、大学の学業成績優秀者に選ばれて学費の半額が給付になった。
子どもと遊びたくても遊べない親たち
夢職人を立ち上げたのは大学3年生のとき。看護師をしながら2人の子どもを育てているというシングルマザーから、「週末も仕事がある。でも、学童が休みで預け先がない」と悩みを打ち明けられ、子どもたちを預かったのが始まりだ。
ただし、それはほんの一例で、その後、親の病気や仕事など子どもたちと遊びたくても遊べない親が大勢いることを知ったという。 大学の後、進学した大学院を修了すると、岩切さんは大手企業の内定を辞退し、夢職人の活動に専念するようになる。
「今ここで自分が辞めたら活動は終わると思ったのが理由です。でも、立ち上げから3年は、主要メンバーでアルバイト代を出し合っても毎月赤字続きでした。僕自身は、2008年に法人化した後も2年くらいは生活費を工面するのに必死で、調査事業をはじめ仕事は何でもやりました。大学時代に学んだ統計学がその時に役立ちましたが、本当に苦しかったですね」
社会全体で子どもと若者の成長を支える
岩切さんが夢職人を始めてから今年で10年が経った。現在、キッズクラブの活動は、地方の自治体や支援団体らとパートナー関係を作りながら活動エリアを広げている。つまり、郷土料理作りや町のお祭りなどの体験を通して、仲間や地元の人と関わり合う機会を増やし、子どもたち一人ひとりの豊かな成長につなげようというものだ。
「その土地ならではの魅力は、大事な教育の資源です。僕たちの役割は、全国の教育資源と子どもや若者を結び付けていくこと。親や学校の先生だけに責任を求めるのではなく、社会全体で子どもや若者の成長を支える仕組みを作っていきたいと思っています」
夢職人の事業を展開する傍ら、岩切さんのもとには子どもとの接し方に悩む親や子ども自身からの相談が絶えない。児童館職員や教師の研修講師を務めることもあるという。「子どもたちの成長を地域で支えたい」という岩切さんの想いは、少しずつ家庭や学校を動かしているようだ。
※この記事は、2014年11月5日にヨミウリオンラインに掲載されたものです。
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