大学院生が、ある地域にパソコンを学べる場をつくった。 気づくとそれは、各世代が自然とつながりあう愛着の深いものへと育っていた。
「大学生が教えるパソコン教室」や「地域SNS」を生み出した、株式会社トライワープ代表取締役の虎岩雅明さん。仲間と起業してから10年たった2014年、新しい挑戦を始めた。
虎岩雅明さん
14年間住んだ西千葉が舞台
虎岩さんは、千葉大学の工学部情報画像工学科に入学後、ひとり暮らしを始めた。通っていた同大の西千葉キャンパスは、JR総武線の西千葉駅から徒歩2分。駅から北へとまっすぐに延びるのが「ゆりの木商店街」で、当時、虎岩さんはこの商店街を抜けた先にあるアパートに暮らしていた。
学生時代から14年間住んでいたここ“西千葉”で、虎岩さんは仲間とパソコン音痴の人のためのパソコン教室「TRYWARP」と、世代間交流の場として地域SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の西千葉コミュニケーションサイト「あみっぴぃ」を立ち上げた。
就職活動をやめて、起業を決意
パソコン教室が生まれたきっかけは、2003年1月、虎岩さんが同大学院自然科学研究科で人間の色彩心理について学んでいた修士課程1年のとき。同級生との会話で、「大学生がパソコンを教える教室があるとおもしろそうだよね」と話したことが始まりだ。 前年末から就職活動中だった虎岩さんが、将来について悩み続けていた時期だった。
「就職活動中は、企業に就職することに違和感を拭えないでいました。高校時代から憧れていた起業家たちの講座やセミナーに何度も通い、いろいろな人に相談もしましたが、動くたびに自分の本当にやりたいことが見えなくなり、悩みは深まるばかりでした」
そんなある日、虎岩さんの中で答えがひとつに絞られたという。
「正解の進路探しに悩むより、今やりたいと思ったことを選ぼう。その道を一日一日、成功に変えていくことを自分の人生にしよう」
虎岩さんは、起業で社会人として認められようと、03年6月、就職活動をやめ、法人化を目的とした学生サークル「トライワーププロジェクト」を立ち上げた。コンセプトは、「自分たちにできることをお金に変える」。活動を軌道に乗せるため、その夏から1年間、大学院を休学して臨んだ。
先生は大学生、パソコン音痴を解消する教室
同年9月、虎岩さんたちは、パソコンに苦手意識をもつ人のためのパソコン教室を西千葉地区に開校した。
一方、事務所は、JR西千葉駅から自転車で20分ほどの商店街にある空き物件を借りて構えた。教室の場所も資金もない虎岩さんたちが、「事務所をタダで借りるぞプロジェクト」と題して、当時、ゆりの木商店街の会長だった海保眞さんに掛け合ったことがきっかけで見つかった。
「海保さんからは、『いいことをしているからと、タダで物が手に入るわけはないだろう』と叱られました。そうは言いながらも、商店街中のお店に僕たちを紹介してくれ、事務所も『好きに使っていいから』と無料で貸してくれました。海保さんをはじめ、とてつもなく心強い応援者と出会うことができたのは大きかった」
パソコン教室の様子
パソコンが苦手なシニア世代を対象に、大学生がマンツーマンで基本操作を教えるというスタイルでパソコン教室は始まった。講師は全員、千葉大学の学生たち。お客さんが1人、2人増えるのにあわせて学生のアルバイト希望者を増やしていったが、受講生の伸び率ほど学生スタッフが集まらない。盲点だった。
学生自身にも苦手意識が
「『興味はあるけど、他人に教えてお金をもらうほどの技術はない』と。つまり、大学生自身も、パソコンに苦手意識をもっていたのです」
一人ひとりを説得しても効果がないと判断した虎岩さんは、「誰にでもできる仕事だと伝える」ことをチラシで訴求する方向へ転換。06年から本格的に講師募集を始めた。その際、「クリックができること」と応募資格を入れると、「本当ですか?」と少しずつ講師希望者が増え、さらに07年、「クリックができること(ダブルクリックできるとなおよい)」と書いたら、学生が一気に集まるようになったという。
一番多いときで200人ほどがチームを組み、みんなで仕事を分担した。 一方、受講生の伸びも鈍かった時期があったが、新聞の折り込みチラシに的を絞ったPRが功を奏し、徐々に増えてきた。
受講生の顔ぶれは主婦を中心に女性が6割、後は定年退職後の男性が目立った。虎岩さんはしばらく無給。土日は量販店や研修講師などの仕事で稼ぎ、平日はパソコン教室関連の仕事と大学院で修士論文の執筆をこなす生活を続けた。 みんなで協力しながら乗り切った2年半の間に、自力運営できるくらいまでにお金も貯たまっていた。
当時、28歳だった虎岩さんにも月25万円の給料が出るようになり、それ以降は毎年増えた。虎岩さんたちは海保さんから借りた物件を卒業し、自分たちの事務所を持った。
「こんにちは」から育つ、まちへの“愛着”
虎岩さんは、大学生と地元の人たちとの“世代間の交流”にも大きな価値を感じていた。
「僕たちの使命は、地域での世代間交流のきっかけをつくること。住民の一人として、自分がいいと思うことをして、それが誰かの役に立ち、結果、お金につながる。このかたちを実現するためのきっかけづくりに徹してきました。ごく自然と、『こんにちは』と声をかけあえる場所になるように」
普段、何げなく歩いている通りでも、何かのきっかけで、「こんにちは」と言える知り合いが増えれば、その土地への愛着もわいてくる。大学卒業後にそこを離れたとしても、「よく帰ってきたね!」と誰かに声をかけられた瞬間、なつかしさで温かな気持ちになる。そうすればこの西千葉を出ても、戻ってくる回数が増えるかもしれない。自然と、盛り上げたいという思いも生まれる。「キャンパスの外でも、学生には世代を超えたコミュニケーションを取ってほしいと思っていました」と虎岩さん。
「大学のあるエリアがその人にとって第二のふるさとになり、入社した会社のある場所が第三のふるさとになって、また別の地域に越してもそこが第四、第五のふるさとになったらいいですよね。“愛着のもてるまち”を多くもつことは、これから21世紀の豊かな暮らしを実現するうえで必要なスキルのひとつだと思っています」
地域で楽しめるSNSを実現
パソコン教室TRYWARPは、海保さんたちの顔利きでいつも町の人から応援され、支えられた。パソコン教室オープン時も集客協力などに助けられながら、04年1月、サークルをNPO法人化した。地域SNS「あみっぴぃ」の会員数は現在、約4500人。
招待制の「あみっぴぃ」は、06年1月西千葉エリアを中心にスタート。コンセプトは、「出会い系」ではなく、「出会った系」サイト。商店街での人と人とのつながりをSNSに再現し、まず年長の高齢者に慣れてもらうよう、最初の40日間はTRYWARPメンバー以外の学生の参加を禁止した。
さらに、本名と顔写真の登録を原則にし、「友だち3人と始めよう」「誰かの日記を読んだら『そうですね』とコメントを入れよう」と簡単な7か条を作るなど、工夫を重ねながら新しい地域SNSのしくみと文化を育てていった。なお、この取り組みは、「日経地域情報化大賞2008」でインターネット協会賞を受賞している。
虎岩さん(中央)と学生スタッフ、OBたち。総会後の懇親会
「地域や社会のあり方として、頑固おやじがいて、若者がいて、という順番を徹底しました。ネット社会は若者のほうが得意な場合が多いですが、それを理由に大人が若者に媚こびてほしくない。ルールを教えるのは、やはり人生の先輩である大人であるべきだと考えています。その良さは30年くらいたたないとわからないだろうけど、こだわりたかった」
「あみっぴぃ」では、日記のほかに、パソコン教室の受講生が学生におすすめのレストランなどを教えたりもした。学生がその店に足を運ぶことで商店街に経済効果をもたらし、エリア外のお客さんも増えた。西千葉の人たちには、「ITの風雲児みたいなやつらのおかげで、町が明るくにぎやかになった」と喜ばれ、虎岩さんは、「とらさん」「とらちゃん」とかわいがられた。
大都会と、小さな田舎町が原風景
虎岩さんは、エンジニアの父親と専業主婦の母親、3歳年下の弟の4人家族で育った。
父の実家があるのは東京のJR新宿駅から徒歩圏内という好立地。一方の母の実家は、関さば・関あじで知られる小さな漁師町、大分県大分市の佐賀関町にあった。銅の生産量も多いここでは、青空の下、大きな工場の煙突が2本、大海原に浮かぶように立つなど風景の美しさも際立つ。 大都会の新宿と、人口1万人ほどの佐賀関町地区。この両極端な特徴をもつ二つの町でそれぞれ育った父と母の姿が、虎岩さんの原風景になっている。
「父と母は、お互いの故郷をとても気に入っていました。そんな両親を見て育ったので、田舎が二つ、三つあることに抵抗がないのかもしれません」
その父親は、虎岩さんが大学3年生のとき、白血病で他界した。かつて大企業のエンジニアとして活躍していた父親の最期を目の当たりにした虎岩さんは、大きなショックを受けた。今ではその経験を少しずつ消化できるようになったという。
「僕は、明日死んでも後悔しない人生を送りたい。多分、父の死がなかったら、起業も選んでいなかったでしょうね」
5年間は、前年比250%前後の売り上げを維持
パソコン教室の売り上げは04年度から5年間、前年比250%前後を維持した。07年には、法人向けのシステム構築などを扱う株式会社トライワープソリューションズを設立し、やることすべてが順調だった。08年は、他企業と連携し、秋田県や新潟県など全国7地域でパソコン教室を展開。講師キャリアの豊富な学生スタッフが各地に出張し、地元の学生スタッフの指導にあたった。
また、虎岩さんたちが育てた交流のかたちは、「高齢のおじいちゃん、おばあちゃんをSNSに巻き込んだ、新しい地域交流の取り組み」として全国で広く知られるようになった。各方面から高い評価を得て、虎岩さんは、これまで約180回、テレビや新聞などの取材を受け、毎年100回以上の講演会やセミナーに登壇するなどその対応に追われ続けた。
パソコン教室の第1号店を閉店
そんな中、西千葉地区のパソコン教室と地域SNSで生まれた町の交流に変化が見えてきた。
「世代間交流のきっかけづくりに取り組んできたわけですが、西千葉では、その段階を超えて新しいコミュニティーが自然と育つようになっていました。3・11の震災後は象徴的ですが、近年、各地域の住民同士でコミュニティーをつくる動きがとても増え、パソコンできっかけをつくるという僕らの役割は終わったと感じたのです。そのため、2010年頃からは、純粋にパソコンが苦手な受講生に教えることに特化していきました」
13年9月、パソコン教室の西千葉店を閉じた。これまで講師やスタッフなど約520人の大学生が関わり、10年間分の受講者は、延べ約4万2000人に上っていた。記念すべき第1号店を閉校したのだ。苦渋の決断だった。03年9月に初めてお客さんが来店してから、ちょうど10年がたっていた。
商店街、受講生、学生スタッフと食事をすることも。虎岩さん(右端)
「店舗を各地に増やすだけでは、本当に困っている人、外に出たくても出られない人には必要なサービスが届けられない。日本を点ではなく、面で支えたい。次の展開の準備のためにも一度リセットすることを決めました」
パソコン音痴の人が自信を持てるサービスを
14年2月、虎岩さんは会社の組織体制を変更した。時を同じくして、虎岩さんは1児の父親になった。
「子どもの誕生と会社のことは偶然同じタイミングでしたが、驚きました。振り返ると、サークルの立ち上げ当初からこれまでは、僕にとっては『就職せずに社会人として認められること』が一番大事で、一気に駆け抜けてきた。設立11年目の今年からは、起業家として新しく社会に必要とされるものを創り出し、利益を上げ続ける事業を展開したい」
今後は、「まだパソコンの苦手意識が払拭できずに取り残されている人たち」の悩みを克服できるサービスを、確実に届けられるような事業を展開したい」という。
「息子夫婦のスマートフォンから携帯電話に孫の写真が送られてもそれを見る方法がわからない、など困ったことは日常にたくさんあります」と虎岩さん。
「でも、自分の息子や娘に何度も聞くのは、トラブルになりやすい。それをサポートできるよう、パソコンで困ったらここ、と覚えてもらえるようなお助け的なブランドをつくりたい。日本にはまだありませんが、オンラインサービスや夜間サポートシステムの必要性も感じています」
そう語る虎岩さんの元には、相変わらず、そのプロデュース力やコンサルタントとしての能力を頼って来る人が多い。今でも、週3日ほどは西千葉に行き、「とらさんのためなら」と動いてくれた地元の人たちとの信頼関係も健在だ。昨年の虎岩さんの結婚式には、西千葉の人々の笑顔が並んだという。
この10年間、虎岩さんが大切に育ててきた世代間交流は、いざというとき、また新たなかたちで力を発揮するのではないだろうか。そのときを楽しみに待ちたい。
※この記事は、2014年11月20日にヨミウリオンラインに掲載されたものです。
株式会社トライワープ代表取締役/虎岩雅明
1979年、大分県生まれ。2003年、地域でパソコンを教える学生サークル「トライワーププロジェクト」を立ち上げる。04年、NPO法人TRYWARP設立。05年、千葉大学大学院修了。06年、地域SNS「あみっぴぃ」開設。07年、株式会社トライワープソリューションズ設立(12年、株式会社トライワープに商号変更)。現在は、パソコンライフサポート事業、WEBプロデュース・コンサルティング事業などのほか、千葉大学非常勤講師、放送大学非常勤講師も務める。
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