ビジネスセクターからソーシャルセクターへの転職体験談として、株式会社フューチャーセッションズのお二人に話をうかがいました。
お二人とも、新卒では企業に就職したのちに3〜5年でフューチャーセッションズに転職、約2年間実績を積んでこられています。 この魅力的でベンチャーマインドあふれるフューチャーセッションズで、“未来”を創造し続けているお二人の“過去・現在・未来”を語っていただきました。
右から上井雄太さん、芝池玲奈さん
企業、行政、NPOを横断する社会イノベーションをけん引するため、富士通ゼロックスKDIを立ち上げた野村恭彦さんにより2012年6月に設立。 クライアントの問いに対し、プライベートセクター(企業)、パブリックセクター(行政・自治体)、ソーシャルセクター(NPO・社会起業家)を縦横無尽につなげたフューチャーセッションの実施を通して、未来思考の協調的行動を起こす「イノベーションコンサルティング」を行っている。 また、フューチャーセッション・プログラムを提供し、各地域・各組織の中でフューチャーセッションを日常的に行なえるような支援や、フューチャーセッションのファシリテーションができる「イノベーション・ファシリテーター」を育成する「フューチャーセッション・プロデュース」を提供。Webサービス「OUR FUTURES」を通じ、世界各地で実施されているフューチャーセッションをつなげ、未来を創る大きなうねりを創出している。
10年前には存在しなかった「ファシリテーター」という仕事
―まずは、フューチャーセッションズについてお聞かせください。
上井: フューチャーセッションズは、クライアントの問いに対しすべてのセクターをつなげたフューチャーセッションを実施する「イノベーションコンサティング」をしながらも、それを誰でもできるようにするために「イノベーション・ファシリテーター」を育成をする「フューチャーセッション・プロデュース」を提供しています。
そして、世界各地のフューチャーセッションをつなげる「OUR FUTURES」というweb上のプラットフォームも構築・運営しています。 人とのつながりを一度きりの出会いで終わらせず、その後も付き合いが続いていくような線や面にしていくことが会社の特徴ではないかと思います。
―上井さん、芝池さんの具体的なご担当は何ですか。
上井: 「イノベーションコンサルティング」を担当しています。企業を中心としたコンサルティングで、新しくご一緒する企業顧客を見つけ、企業の未来創りをお手伝いする仕事です。社会人6年目でフューチャーセッションに来て、まる2年になりました。
芝池: 私は社会人7年目、フューチャーセッションズは今年で3年目です。「イノベーション・ファシリテーター*1」研修・育成」の担当です。イノベーション・ファシリテーター講座の運営や、ファシリテーターの皆さんのサポートもやります。講座の参加者が成果を出していけるようにするために、何ができるかを考えていく仕事もあります。
*1:イノベーションファシリテーターについてはこちらに詳しい。『イノベーション・ファシリテーター-3カ月で社会を変えるための思想と実践』野村恭彦著、プレジデント社
フューチャーセッションズは、3つのセクターが協業し対話する場づくりを通して 社会イノベーションの実現を目指している
―10年前には、ファシリテーターは仕事になりえなかったと思います。世の中が求めている結果なんでしょうか。
上井: フューチャーセッションズは、ファシリテーターの労働市場を創ろうとしていています。かつてコンサルタントという職業が体系化され、職業となっていった歴史と同じように、ファシリテーターとしてご飯が食べられる世界を創ることにチャレンジしています。
芝池: 私が学生時代にワークショップに取り組んでいたときは、可能性を感じながらも何が生まれるか決め手にかけていた感覚でした。今は、「ファシリテーションで未来を創っていける」という認識に変わってきていると思います。
大企業と一緒に仕事をしたり、イノベーション・ファシリテーターの講座にコンサルタントやまちづくりをされている方など多様な方が集まってきてくれて感じるのは、ただ“ワークショップを実施する”のではなく、“皆でアイデアを出し合って共創した先に、新しいものが生まれ得ると信じる気持ち”を持って参加されている方が増えているということです。 ―ファシリテーションでイノベーションが生まれる、これはすごい変化だと思います。ファシリテーションの価値を、何が変えてきたのでしょうか。
上井: 10年前のファシリテーションの価値は“つなぐ”ことだったと思います。一人、一企業が自分だけで成長できた時代から、雲行きがあやしくなり、つないで妥協点を探すためにファシリテーションが存在していました。
しかし、それでも解決できないことが増えてきた。“つなぐ”だけではなくて、未来に向かってどのような価値を生み出すのか、”未来思考“が求められ始められているのではないかと思います。3.11がひとつの起点だったかもしれません。
ソーシャルの領域で働くことは「不確実性の中にいかに身をおけるか」
―フューチャーセッションズに入社されたきっかけをうかがいたいと思います。上井さんからお願いします。
上井: 3年間、自動車部品の会社で営業をしていました。『フューチャーセンターをつくろう』という弊社社長の野村の本*2 に出会い感銘を受け、自身でやってみようと思い広島フューチャーセンターを立ち上げました。 そうこうしていたら、野村につなげてくれる人がいて、気づいたら野村と話をし、気づいたら採用あるよと言われて、面接を受けていました。あれよあれよという感じです。
*2:上井さんが広島時代に出会った野村さん著作は『フューチャーセンターをつくろう--対話をイノベーションにつなげる仕組み』野村恭彦著、プレジデント社
上井: 中国人や韓国人などの外国人の社員が大変優秀で、危機感がありました。彼らは小さいときから努力してきています。同じフィールドでは勝てないと思いました。なので、違うフィールドで勝負しようと、新規事業をアプローチしました。でも若すぎるからという理由で認められず、それなら、外の世界で勝負しようと転職を決めました。
―迷いはなかったのですか。
上井: なかったですね。家族や周囲の人たちは少し心配していました。父は応援者でしたが祖父は価値観がわからなかったみたいで。でも、広島で一緒にやってきた広島フューチャーセンターの仲間たちから“行ってこい!”という応援もいただいて、まったくうしろめたさはなかったですね。
―芝池さんは、研修関係のお仕事をされていたのですよね。
芝池: そうですね。新卒採用で企業研修の会社に内定をいただきました。一方で、自分でやりたくてアルバイトしていたキャリア教育のベンチャーから、働きたいのならこのまま採用してよいとも言われて。
ただ、東京で一人暮らしできる給与かどうかや、週6日勤務であるといった環境面での不安と、大企業で働くことは新卒でないと経験できないよ、といったアドバイスなどが気になって、覚悟が決まらなかったんです。結局、研修会社に就職することにしました。それで、就職しても“5年の呪い”を自分自身にかけていたんです。
―“5年の呪い”ですか?
芝池: (笑)。5年の間に次の道をつくろうと考えていて。就職した企業でJICA(国際協力機構)の研修の仕事をしてからは、もともと関心のあった国際協力の方向で転職できないかと思ったり、青年海外協力隊に行こうかなと考えたり。そうしていろいろ考えてはいたのですが、フューチャーセッションズの求人を偶然見つけて、もともとファシリテーションに関心があったのでエントリーしました。
―迷いや不安はなかったですか?
芝池:特に私が探していた国際協力の仕事は、基本的には2〜3年契約の仕事が多かったんですよね。終身雇用なんて、ほとんど存在していなかったんです。そういった状況を目の前にして、自分がやりたいことのなかに安定した仕事はないのだから、シフトチェンジして自分で経験を積み重ねないと、この世界で生きていけないんだ、これを受容して生きていかないと自分がやりたいことはできないんだと気づいたんです。
つまり、「不確実性の中にいかに身をおけるか」に踏ん切りがついたんですね。
芝池さんによる、手描きのこれまでの人生図!
そう気づいてしまうと、フューチャーセッションズはやりたいことができて、しかもしっかりしていて、こんないい条件の仕事はほかにはないと逆に不安はなかったです。
―上井さんの場合、フューチャーセッションズにたどりついたのは偶然なのですか。
上井: 私の場合、芝池さんのような学生時代とは違ってちゃんぽらんで、「一生青春」がコンセプトでした(笑)。バイトしてバックパックして、好きなサッカーやって、4年間充実して、ある意味自分のあり方の原点だったんですね。その文脈で、社会人には何も期待していなかったです。社会人の40年は獄中生活のイメージです(笑)。
東京の大学を出て、就職は地元の名古屋に戻って、ワークライフバランスを楽しんでやろうと考えていました。ところがなぜか同期のなかでただ一人、一番遠い広島に配属されたんです。孤独で、本屋が友達でした(笑)。 野村の本と出会ったのも、この時期ですね。「ファシリテーターは社会課題を解決するリーダーとして立てる」と書いてあり、しかも「誰にでもできる」と書いてある。勇気をもらいました。その後20代後半〜30代の秀でいた人たちに声をかけ、広島フューチャーセンターの設立につながりました。
―フューチャーセンターを立ち上げたその熱量は、どこからわいてくるんですか?
上井: 参加したファシリテーションカンファレンスで、企業で活躍しながらまちづくりに携わる生き生きした社会人に出会って、社会人ってこんなおもしろいんだ、わくわくするんだと思ったころから、熱量が出はじめたのかもしれません。 そうしてこれまでの人生を振り返ってみて、自分にはビジネスのスキルとして「ファシリテーション」があるんだから、これを武器にし磨いていって仕事にしていきたいなと考えて、フューチャーセッションズに転職しました。
―芝池さんは、就職したあとも学生のころの想いを持ち続けていたんですね。
芝池: 前職では、組織の人材育成を通してより良い組織に育て、組織の目標達成をサポートするということに関心を持っていたのですが、会社に一生居続けるというイメージは持てませんでした。でも、5年ぐらい立つとなじむこともあるじゃないですか。決められていることをこないしてれば毎日は過ぎていくし、安定した生活もできる。
上井: あーそれ、あったなあ。
芝池: その中で挑戦するってなると、ぐっとエネルギーがいりますよね。5年すぎるとそのなかに埋まっていってしまうんじゃないかって気持ちがあって、5年が近づけば近づくほど、それって自分のやりたい生き方だったんだっけって、それで、5年の呪いをかけました。(笑)
イノベーションだからこそ、一度として同じ仕事がない
―そうやってフューチャーセッションズに参画されたわけですが、前職では味わえない今のお仕事の醍醐味はなんですか?
芝池: 前職は、研修の開発をしたり、開発したものを提供する仕事だったんですが、いかに良い研修をつくるかという、内に向きがちな仕事だったと思います。お客さんとの関係性も、先生と生徒と固定されやすくて。
それに比べて、今の仕事は行政、企業、ソーシャルセクターといったいろんなセクターの方との接点があり、新しい未来を創るという信念をもった方と一緒にお仕事することが多いので、出会いの数と質が違うなと思います。 一度として同じ仕事がないですよ。過去は参考になりますが、コピーできない。毎回、状況に合わせて新しく創るので、常にチャレンジできるおもしろさがあります。同時に大変でもありますが。
ファシリテーションの様子
―前年踏襲とか改良とかないのですね。
上井: まったくないですね。実際やったとしても場と人が違えばテーマが違ってくるので、結果が全然違ってくる。
芝池: 現状維持で行くと見抜かれるんです(笑)。
上井: 社内でね(爆笑)。
芝池: 改良の方向に行くと、突っ込みもらいますよね。研修の仕事でも、教材の改善が大事なのでなく、集まる人が変わっていったとき彼らとどうステージを上がって行くかという観点になっていないと見抜かれる。 コピーは楽じゃないですか。時間がないとコピーしたくなりますが、そういうものに限ってつっこみが入りますね。で、指摘はもっとも。 上井: もっともだからぐーの根もでない。
芝池: コピーすると、フューチャーセッションズらしさとか、一緒に仕事をさせていただくクライアントに対してのアイデンティティがなくなってしまう。
上井: フューチャーセッションズは、企業と地域の行政と市民の真ん中に自分たちを位置づけています。たとえば企業の課題も、行政や市民と一緒に自分ごととして捉えて、彼らのアイデアやアクションを共に、未来に向かって創っています。前職ではできあがった企業の歯車の中だったので、コピペでもいい場合もありました。効率化が求められる場所だったから。今、私たちが求められているのはこれまでにないイノベーションなわけで、コピペでは難しいのだと思います。
>>後編へつづきます。
イノベーション・コンサルタント/上井雄太
つくりたい未来は、「サッカー日本代表のように、日本発の次世代ファシリテーターがあふれる世界」。これまでは、大手自動車部品メーカーにて営業職に従事するかたわら、ファシリテーション協会でファシリテーターとしての基礎を学び、広島フューチャーセンター創設。2013年5月、フューチャーセッションズの掲げるビジョンに共感し入社。2013年9月には日本人最年少でIAF Certified Professional Facilitator(国際ファシリテーターズ協会認定プロフェッショナル・ファシリテーター)を取得。
セッション・プロデューサー/芝池玲奈
つくりたい未来は、「私たち一人ひとりの『自分ごと』が引き出され、表現され、実現され、響きあう世界』。学生時代から開発教育ワークショップの企画やファシリテーションに取り組み、卒業後は研修会社にて講師を勤める。IT系/ビジネス系/新人研修/海外研修員向け研修など、幅広く講習会を実施するかたわら、問題解決などの研修を開発。2013年6月より、新しい未来を創っていくためにフューチャーセッションズに参画。まちづくり案件と研修案件を担当。
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