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地域のお仕事、いまむかし。(埼玉県・林業名人編)

2017.03.22 

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日本の都会では、急速に失われていった手仕事や職人の技。地域には、古くから伝わる職人の技や生き方が、大切に受け継がれ残されている場所があります。

時代と共に働き方は変わっていき、時代に合わせた地域のあり方の再編集は再び地域に息を吹き込みますが、そういった新しい語りの中に、古き良きものが深く根付いている姿が地域の魅力の一つなのでしょう。

今回は、そんな地域に根付く職人たちの生き方と出会った高校生たちが、大人になってどのように地域で働くようになったのかをお届けします。後半には、職人さんたちの日常も。地域のお仕事、今昔物語はじまりはじまり。

新潟県村上市高根集落で、林業の仕事に携わる現在。

能登屋さん

現在、新潟県村上市高根集落にIターンし、高根森林生産組合で林業の仕事に就いている能登谷創さん。

 

能登谷さんは、高校1年生のときに、職人たちの生き方を聞き、その語りを書き残す「聞き書き甲子園」に参加しました。そこで、埼玉県で林業を生業にしていた野口不三夫さんと出会います。

「自分は次の世代のために生きている。」

高校生だった能登谷さんは、担任の先生に勧められて、半ば強制的に「聞き書き甲子園」に参加することになったそうです。しかし、この「聞き書き甲子園」で訪ねた、林業の名人・野口さんとの出会いが、能登谷さんにとって、大きな転機となります。

 

「まだ自分がどう生きるかを考えもしていなかった高校生のときに、名人が『自分は次の世代のために生きている』と言い切ったことに衝撃をうけました。それから、名人や地域のことをもっと知りたいと思うようになったんです。」

大学を辞めて、高根に移り住むことを選んで。

ブナ林の手入れのあと

その後、能登谷さんは、聞き書き甲子園の卒業生が中心となって活動する「共存の森」に参加し、新潟県村上市高根という集落に通います。

 

高根は、700人ほどの人が暮らす、棚田が広がる自然豊かな山村です。 大学生になった能登谷さんは、他の学生たちと一緒に高根に通い、地元の方から話を聞いたり、米づくりを教えてもらったりします。そして、「高根のことをもっと学びたい、生きるための知恵を身につけたい」という思いから、大学を中退して、高根に移り住むことを決めました。

林業の仕事をしながら、外からやってくる人と高根をつなぐ。

高根に移住して8年目となる能登谷さんは、現在、森林組合で林業の仕事に携わっています。

 

「林業の仕事を始めて7年になりますが、先輩たちは皆、職人技をもっています。技術を身につけるほど、体のつくりが根本から違うとしか思えないほど、先輩たちと差を感じます。そこには、技術だけでなく、人としての大きさ、気持ちのゆとり、視野の広さもあります。そんなに簡単に盗めるものではないので、近づけるように努力していきたいです。」

 

能登谷さんは、高校生当時、同じく「聞き書き甲子園」に参加していた愛貴さんと結婚。お二人は高根に暮らしながら、集落を活性化する活動に取り組み、かつての自分たちのように、高根を訪ねてくる学生たちを受け入れています。

 

地域のお仕事今昔物語、現在編はここまで。ここから、高校生だった能登谷さんが書き残した、埼玉県児玉郡神泉村の林業名人・野口さんの「聞き書き」をお届けします。

林業とは長い仕事、楽しみは60年後

<注>以下、文章中の年数などは取材当時のものです。

名人・野口不三夫さん

聞き手・日本大学豊山高等学校 1年 能登谷創

山が生活の場であり、財産なんだよ。

昔からここらは林業と石で食ってきてたから、いつごろ創めたのかは分からねぇけど、まぁかなり長いだろうね。

 

俺は、小さい頃から手伝ってたんだけどその頃はこの仕事やってる人もたくさんいたから中に混じって自然に仕事を覚えていったんだよ。そんで、俺が、20歳くらいん時にこの家の柱にする木、自分で伐ったんだよ。ものすごく大きな木で今考えてもよく伐ったなぁーって思うよ。たいてい柱にする木は、1本の木から柱が2本ぐらいしかとれないのに、5本も6本もとれたんだから。1本の木の中でも、いいところ意外は使わないんだよ。

 

今はそれを土の上において腐らせちゃうんだよ。昔は、燃し木に使ってたんだけどなぁ。家でも囲炉裏とか釜戸とか風呂わかすのにも使ってたからさぁ。本当に捨てるものがなかったんだよ。今は捨てるもんばっかでもったいないよなぁ。そのころは今みたいに機械化してなかったしね。チェーンソーだって入ってきたのが40年くらい前だったしねぇ。でも今のとは全然違ってものすごく重いんだ。1日使いこなすのが本当に大変だったよ。

 

昔は今と違って木の値段もよかったんだよ。山を持ってるものは、「山大臣」って言われて、うんとよかったんだよ。そんなもんだから、昭和30年代から40年代後半にかけて一生懸命植えちゃったんだよ。それがちょうど今増えちゃってねぇ、大変なんだよ。だから悪い木なんかは間伐していいものだけを残す努力していんだ。

 

若いころは林業だけじゃ食ってけなかったから、蚕や酪農や道も造ったりしたよ。俺が22歳くらいのときかなぁ、自分達と土建屋が来て家の下の道造ったんだよ。1日の給料がたしか240円だったかな。でもそれだけじゃ安いって、石を川からしょってきて売ってたんだ。ここらは今もやってるからね。でかさはいろいろだけど、1個だいたい10円だったかなぁ。 でかいのは普通に80kgくらいはあったよ。一番重たいときは、1つが、50kgのを3つかついで150kgぐらいあったよ。それを背中にしょって川から上まで上がってくるんだ。つらいよほんとに。普通の人じゃまずできないよ。1人でかつぐんだもの。でも、ほかの仕事の倍くらいはいい金になったからねぇ。

機械には人の良さを真似できないんだ。

林業ってのは、山に木を植えて育てて、お金をもらってまた山に木を植えてというサイクルが常に回っていなければ、この仕事で食べていくことができないんだよ。収入がなくなっちゃうからさぁ。

 

そうすると、そのサイクルが1周するのに60年かかるんだよ。木が売れるまでにね。だから自分で植えた木を売ることが出来ないんだよ。木を伐るときは自分の先祖様達が植えたやつじゃなけりゃ伐れないんだ。俺はそれを経営するほうじゃなくて、経営の一部を担って技術を提供するほうで木を伐って運び出すという何というか技術者なんだよね。

 

毎日山にいたって山の変化なんていうのは何年も何年も経たなきゃわかんないんだよ。この仕事は毎日毎日の仕事の成果なんてでてこないからさぁ。例えば、草刈を一生懸命してね、今日はこれだけやったって言うのはわかることなんだ。けど、この一年間でこの木はどのくらい伸びたのとかはわかんないんだ。ただこれから60年後のために、この枝は切っといて栄養を中にいかせて周りに節目のない柱がとれるようになるようにできるだけ努力してるんだ。

 

けれども木を伐っても長いままじゃどうしようもないんだよ。伐ったまんまじゃね。売ったときに少しでも価値が上がるように伐ってやらなきゃいかんからね。30cmでも深く切ったら値打ちは下がっちまうんだよ。そういうのを、この木はこの長さに伐れば一番値打ちがつくというのが見えてこなくちゃいかんのだよ。なかなかむずかしいことだよ。若い人にはなかなかできんからなぁ。 経験をつめばつむほどわかるようになってくるけどね。

 

でも今は何でも機械でねぇ…。プロセッサーっていうやつでコンピューターの決まった寸法に切っちゃうやつがあるんだよ。確かに早く切れるのはいいんだけど、この機械には人の目で見た良さがまったくでてこないんだよ。どんな木でも同じに切っちゃうんだもの。木に合わせて、その木が一番値打ちがつくようにして伐る。それが機械には出来ない僕らのよさなんだよ。 このことを、森林組合の若い人達に技術を移していかなければいけないんだ。若い人達に教えてくことも大事なことなんだよ。

街を逃げ出してくるんだっていい。 ただ、山は厳しい…。

最近はだいぶ若い人が森林組合にも入ってきてるよ。 みんな街、つまりコンクリートジャングルでは生活したくないという人が来てるんだよ。コンクリートジャングルではとてもじゃないけど毎日毎日ストレスが溜まってしょうがなくなって、山で自分のペースで仕事をしたいという人がきてんだよ。そういう人はだんだん増えてる。そして技術を身につけようと努力しているよ。

 

それだけじゃないよ。この世界に入ってくるときに、林業について考えなくてもいいんだよ。農業と同じで、自然の中で働きたいというその希望だけで来てくれてもいいんだよ。特に都会で働いてた人が、毎日仕事が大変で自分のペースで仕事が出来なくて悩む人はさぁ、この山に入ってきて自分のペースで仕事がやりたいというただそれだけで山に来てくれたっていいんだよ。だから林業に対してじゃなくたって、街を逃げ出したい人だってかまわない。

 

ただここでやる場合には、自然も厳しいからねぇ…。いくら熟練した人が木を伐り倒したって100%安全ってことはないんだからね。木を伐るときの条件ってのは1本1本違うわけだから、予想を裏切った倒れ方をすれば大怪我をしちまうんだ。

 

俺だってたくさ ん失敗した。ちょっとなめたことをすればたちまち自分にはねかえってくる。怪我だって何回したかわかんねぇくらいだ。 危険とは常に向かい合わせだから安全に気を配って常に緊張感を持ってなければ駄目なんだ。そんなんだから、あんまり浮ついた気持ちの人がここに来られても困る。自分のペースをしっかり持った人が一番いいね。

自分やってみなければ何事わからんよ。 やってみなけりゃ。

林業を知ってもらうには、一番ははじめっからやってみなけりゃ、自分の山に対する興味が出てこないわけよ。自分で植えてでかく育てて、その木をなんにしようか…。 そんなことで俺は最初、一生懸命植えたんだけど今度でかくなって伐ってみたらこの木は何になるんだろうかって、思ったりこの木はこういうものがとれるとか、いいものをつくればこういうものがとれるとかそういうことが分かってくる わけなんだよ。だから、自分でこの世界に入って1から10までやってみない事には、そりゃ分からんことだよね。

 

自分が手入れした木がすごい出来のいい柱になれば、こりゃいいもんがとれたっていう喜びもでてくるんだよ。 そういう気持ちが仕事を続けていく上での支えになるんだよ。けど、ただ使われているだけじゃそういうのは分からないから。自分で一切をやってみないと。

 

でかくなってもたいした木にならない木はきらなくちゃいけない。この木は残していけばいいっていうのを、分かるようにならなきゃやっていけねぇんだ。けれどもそれが分かるようになるには時間と経験が必要なんだよねぇ。そりゃ最初は大変だよ。俺なんかは自然にやってきたけど、自分が植えた木がこんなに大きくなってどんなものになっていくのか中身まで見てみたかったからね。ほんとに自分でやってみればだんだん分かるようにもなるんだよ。何よりやってみなけりゃ。まぁ百聞は一見にしかずみたいなもんさぁ。

昔の木造建築の家には、家自体にやさしさがある。

やっぱり山の仕事をしている以上は山の仕事があるって事が一番いいことだよ。仕事があるって事はそれだけ木が売れてるって事につながっていくからねぇ。けど、あんまり売れていないから今は仕事が少ないんだよね…。いい時期と比べて木の値段が3分の1くらいしかないんだもんなぁ。木を伐って売っても地主に金が入らないんだよ。そんなんだから、山をほっておく人たちが増えてるんだよ。マイナスになっちゃうんだもの…。

 

木が売れなくなったのは、川上と川下ではだいぶ生活環境が変わったからなぁ。川上ってのは上流域とか山地の方。川下ってのが下流域とか平野部に住む人たちの事。材木で言えば川上は生産地。川下が消費地。性格がかなり違ってくるんだよなぁ。昔はコンクリートの家は半永久的って言われてて、木造建築の家なんかより寿命が長いって言われてたからどんどん建てたんだよ。それが今になってみれば寿命はせいぜい30年。昔ながらの木造建築の柱むき出しの家なら100年は平気なのになぁ。

 

上流域の思いとしては、長持ちする木造建築の家を建ててくれることを願いたいけれども、最近の家は木の良さを隠してほとんど木材なんか使ってないんだよねぇ。確かに鉄筋コンクリートのほうが安く済むんだけどね…。都会じゃ土地が高いから上に建てるしかないじゃない。木造建築は3階建てまでしか駄目だからな。 鉄筋の30階建てマンションみたいにはいかねぇよ。

 

でもそれじゃあ、本当の家のよさなんか分からないよ。昔の木造建築の家にはいまどきの家にはないやさしさがあるんだ。できれば、川下の人たちには是非山に来て木ってのをじっくり見てもらいたいよ。 最近は、木でガードレールを作ってるんだ。丸太でね。綺麗に丸くなるようにして2段にしてつけてあるんだ。ここらはそれを使い始めてるよ。環境的にもいいし、なんてったって周りに溶け込む感じがしていいよ。1つ1つの間隔が狭いから車がぶつかって折れたりしてもすぐ付け替えられるしね。まぁ先に車が壊れるだろうけどね。ふっふっ。

自分たちで切り開いた道は、最高だよ。

昔は1人で頑張ってどんな奥地にでも入っていって杭になりそうな木を探しては引っ張り出してきたけれども、それはその当時は出してくれば売れたけれども今はそうはいかない。今のほうが余計に費用がかかっちゃうこともあるから。だから一度にたくさん運ばなきゃいけないんだ。それには、大きなトラックが入れる道も必要となるんだ。あと5、6年のうちに道作らなければ、山から木を出してきたり新しく植えることができなくなっちゃうんだ。昔は木の苗を全部背負って山奥まで行って植えてきてたんだよ。今やれって言ったらみんなから勘弁って言われちゃうよ。ハハハ。

 

だから若い人に林業に携わってもらうためにも、新しく道を造らねば人も集まらねぇよ。これこそ本当に道を切り開いていくんだよ。自分たちだけの手でね。道ができたときは最高だよ。なんせ自分たちだけで造りあげたんだもの。 俺たちが今造ってる道がすぐそこにあるから山と一緒に見てってよ。あっ、その前にせっかく来たんだから木でボールペンでも作ってて。道具持ってきてやったからさぁ。

この記事を書いたユーザー
鈴木 まり子

鈴木 まり子

1988年生まれ。大学卒業後、出版社で4年間編集の仕事に携わり、小学生向けの書籍づくりなどを担当。2016年春から、フリーランスとして編集・執筆・企画の仕事をはじめる。三重県尾鷲市と東京都渋谷区の2拠点居住中。

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