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大切なのは「一緒にすすめる」伴走意識。三陸ひとつなぎ自然学校・伊藤聡さんに聞く、地域で活躍するコーディネーターの育て方

2021.04.14 

本記事は、東北リーダー社会ネットワーク調査の一環で行なったインタビューシリーズです。

 

釜石の『人』に焦点を当てたボランティア・ツーリズムや、高校などでの若者向け居場所づくりに尽力する一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校代表の伊藤聡さんのご活動をご紹介します。

 

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伊藤聡さんプロフィール

2000年 宮城県仙台市の専門学校を卒業し、釜石の企業に就職

2004年 こども向けイベントを企画する市民活動グループ「小さな風」に関わる

2010年 釜石の老舗旅館「宝来館」に就職

2011年 東日本大震災発生後、「宝来館」でボランティアコーディネーターとして邁進

2012年 一般社団法人三陸ひとつなぎ自然学校立ち上げ

釜石生まれの釜石育ち。高校卒業後は仙台で過ごし新卒で釜石にUターン。地元釜石で仕事をしながら地域をネットワークでつなげる活動を行う。震災時は旅館「宝来館」に所属しており直後から県内と県外をつなぐ活動をスタート。活動で得られた様々なご縁や全国から訪れるボランティアの方々、何より地域の方々にお世話になりながら三陸ひとつなぎ自然学校を設立。釜石の地域資源をプログラム化し、多くの関係人口を創出する事業や、防災についての学びを発信する事業など多くの事業を手掛けてきた。現在は釜石のさらなる可能性の為に若者のチャレンジを応援する仕組みづくりを行っている。

こども向けイベントをきっかけに広がった地域ネットワーク

 

――まずは、伊藤さんのこれまでのご経歴について伺えますか?

 

「高校を卒業して、仙台の専門学校へ入学しました。休みとなればすぐに釜石に帰るくらい元から地元が大好きだったので、将来は地元に戻ろうと自然に考えていました。卒業後は釜石に戻り、商店街の振興事業に携わる傍ら、こども向けのイベントを主催する『小さな風』という団体に関わり始めました。これが僕にとっての地域での活動のはじまりでしたね。それまでも仕事を通して商店街関連とのつながりはありましたが、それ以外の地域のネットワークを築けたことが現在の活動にもつながっています。

 

『小さな風』の認知が広がるにつれてつながりも増え、地域の様々な活動に参加するようになりました。例えば2004年頃から始まった、東京大学と釜石との共同研究である希望学の活動に関わりました。そこで出会ったのが、宝来館(ほうらいかん)*1の女将さんである岩崎昭子さんです。その縁がきっかけで、2010年から宝来館で働き始めました。」

*1宝来館 : 釜石市内にある老舗旅館。震災後は、避難所や地域の情報拠点として活動を行なった。https://houraikan.jp/

 

――宝来館ではどのような仕事を担当していましたか?

 

「岩崎さんは、グリーンツーリズムを宿泊プランに取り入れたり、キャンプ場を運営したりと、宿泊業の枠を越えた多様な取組みを行なっていました。僕はフロント業務なども行っていましたが、旅館の外のプレイヤーとつながりながら新しい価値を生むような外部連携のプロジェクトを担当していました。

 

例えば漁業体験と宿泊を組み合わせた『日本一新鮮な朝食を食べるプラン』や、釜石の水産振興を目的とした団体が行う東京の芸能事務所と連携して若いモデルの方に釜石の漁業を体験してもらい、PRにつなげる『ウギャル』プロジェクトなど、市内外のプレイヤーと連携したいろいろな活動をさせていただきましたね。」

 

――三陸ひとつなぎ自然学校は、どのような経緯で始めたのでしょうか?

 

「宝来館に入った1年後に震災が発生しました。宝来館は、震災直後からボランティア等に関する情報拠点として機能しました。僕自身も自然にコーディネーターのような動きをするようになり、宝来館だけではなく、地域全体の再建が不可欠な状況だと考えていた中、内閣府の社会起業家に対する助成金を知りました。そこでボランティア・ツーリズムと釜石の観光振興をテーマに応募した企画が採択されたことが、三陸ひとつなぎ自然学校を立ち上げるきっかけとなっています。2012年4月に正式に団体を立ち上げました。」

地域の「人」が主役!外部連携不可欠な事業づくり

 

――三陸ひとつなぎ自然学校では、まずどのようなことに取り組まれましたか?

 

「震災後に注力していたのは、地元の『人』に焦点を当てたボランティア・ツーリズムの推進です。震災後、たくさんの方々が瓦礫撤去などのボランティアのために訪れてくれました。しかし僕らから何もしなければ、ボランティアの方々にとっての釜石の印象は『瓦礫』だけになってしまいますよね。一度きりのつながりではなく、その後も地域に親しみを持って、何度も訪れるきっかけとしてボランティアに来てほしい。

 

そこで2011年5月から企画したのがボランティア・ツーリズムでした。初回に企画したのは、郷土料理のお弁当付きのボランティアプランでした。釜石には、地元のおばあちゃんたちが集まる釜石・大槌郷土料理研究会という活動があります。そこに所属する比較的津波の被害は少なかった山間部に住むおばあちゃんたちに、お弁当をつくってもらいました。釜石では海側と山側で被災状況の違いがあり、特に山側に住むおばあちゃんたちは自分たちにできることがないかと、もどかしい気持ちもあったようなのです。そんなおばあちゃんたちに活動の機会をつくり、地域内外に交流を生み出すことができたことがきっかけで、地域の『人』を巻き込んだ活動により可能性を感じましたね。」

 

――活動をする上で大切にされていたことを教えていただけますか?

 

「あえて自分たちだけで完結しないような事業のつくり方を意識していました。例えばこんなテーマでのツアーの受け入れ依頼があるのなら、地元のこういう団体や人に声をかけよう・・・などを常に意識していました。大切にしていたのは、実践を通してお互いのことを知ることです。

 

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また、大分県別府市のオンパク*2にヒントをもらって始めたのが『かまとら』*3です。かまとらとは、釜石の『かま』と、トライ・トラベル・虎舞の『とら』を組み合わせた造語です。かまとらとは、地域の様々なプレイヤーを『鉄人』と称した体験プログラムをつくる企画です。何事もとにかく人がもっとも大切だと思っています。人がいなければ何も始まりません。地域の人は宝をコンセプトに、日々いろいろな鉄人を発掘していました。」

*2オンパク:2001年から始まった大分県別府市での温泉という観光資源を活かした地域復興の取り組み。

*3 かまとら:釜石の杉を使った木工教室、釜石の製鉄の歴史を学びながらミニナイフをつくる講座、ブルーベリーの摘み取り&スムージーづくり、木質バイオマスの集材体験等々、多様なジャンルでの体験プログラムを展開。

 

――地元とのネットワークはどのように構築していったのですか?

 

「主に飲み会ですね(笑)。いろいろなイベントに顔を出すようにしていたので、つながりも増えますし、自分のイベントへの声かけもしやすい。『小さな風』でネットワークが広がったことで、まちづくりや行政関係の方々ともつながり、さらにいろいろなところからお声がけをいただくようになったのも大きかったです。」

 

地域の立場を超えた連携が生まれた震災5年目

 

――これまでの10年間で、一番印象に残っている釜石での活動はなんでしょうか?

 

「本当にいろいろあるのですが・・・震災から5年目の2016年に行った『釜石のこれまでと、これから』という3日間のイベントは特に印象深いです。釜石市役所、社会福祉協議会、釜援隊*4、などの民間団体と行政が連携し、推進委員会形式で開催しました。

 

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テーマは『ご縁の再構築』です。各団体の会員やコミュニティ名簿に記載のある合計1万人以上の方に、震災後のご支援への感謝の気持ちとイベント案内を記載したハガキを送付しました。そこではかまとらの取り組みをベースにした『Meetup Kamaishi』という、3日間で20の体験プログラムを実施しました。」

*4釜援隊:住民、行政、企業、NPOなどまちづくりに関わる様々な人や組織をつなぎ、官民一体のまちづくりを推進する団体。http://kamaentai.org/

 

――『釜石のこれまでと、これから』に伊藤さんご自身はどのような立場で関わりましたか?

 

「釜石シティプロモーション推進委員会の副実行委員長を務めました。委員長は柏崎龍太郎さん*5で、釜石オープンシティ推進室の石井重成さん、釜援隊の斉藤学さん三人で中心となって企画を進めました。」

*5 柏崎龍太郎さん:釜石市の名士的な存在で地域の活動を応援されていた方。釜石製鉄所のOBでもある。釜石観光ボランティアガイド会も主宰するなど社会教育に関する活動にも熱心に取り組んでいた。

 

――『釜石のこれまでと、これから』は、釜石にどのような影響を与えたと思いますか?

 

「ひとつの団体だけではなく、立場や団体を超えた連携ができたことが大きかったと思います。釜石のいろいろな協力体制の土壌ができたきっかけになったのではないでしょうか。

 

仕組みとして連絡会議のようなものがあるわけではないですが、そこで生まれた横のつながりは今でも活かされていると思います。例えば東京から釜石にこんな専門の人が来るというと、団体の枠を超えていろいろな人に声をかけた集まりが開かれたり。僕の場合だと防災教育にも力を入れているので、横のつながりを活かした勉強会を開いています。」

 

住民、生産者、職人、行政、民間。多様なプレイヤーの接点をつくること

 

――『釜石のこれまでと、これから』を実施して、地域の皆さんの反応はいかがでしたか?

 

「初日の夜に住民のみなさんと大規模な懇親会を行ったのですが、会場から人が溢れ出るほど集まっていただきました。150人以上は来ていたのではないでしょうか。

 

また、『Meetup Kamaishi』でたくさんの『鉄人』を地域の方に知っていただいたことで、自分自身が『鉄人』になれなくても、釜石は面白い地域だと誇りに思えるようになったこと、自慢できる地域になったことが大きかったのではないかと思います。」

 

――『釜石のこれまでと、これから』が実現できたのはどんな背景があると思いますか?

 

「僕個人としては、もともと外部との連携がなければ成り立たない事業にしていたことで『かまとら』が生まれ、さらにそこから『Meetup Kamaishi』を実現できたことが背景として大きいと思っています。

 

あとは釜援隊があったこと、ETIC.(エティック)によるハブ事業*6があったことも大きいです。エティックのみなさんは夜な夜な壁打ちに付き合ってくれたり、いい意味で外部からの圧として機能してくれていたなと思います。」

 

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*6 ハブ事業:東北の様々な地域の課題やニーズ、ビジョンを踏まえ、地域の担い手発掘・育成・支援に取り組む「ハブ機能」を促進するETIC.による支援事業。https://www.etic.or.jp/recoveryleaders/about/hub/hub_detail

これからの釜石を担う次世代を育成する

 

――これからの釜石がより良くなっていくためには、どのような取り組みが必要だと思いますか?

 

「これまでの10年は震災によって日本中からいろいろな支援が集まり、たくさんの新しい動きが生まれました。大切なのはこれからの10年です。震災に依らずとも誇らしい地域をつくっていくことが重要だと思っています。そのためには次世代育成が不可欠で、今、三陸ひとつなぎ自然学校の活動としてもそこに力を入れています。

 

具体的には、小学生向けの週3回の放課後こども教室、釜石高校内の生徒の居場所づくり、野外で遊べる「あおぞらパーク」の運営を行なっています。この10年の大きな変化として感じているのは、若者の動きです。今釜石では、地域で自分のプロジェクトを動かす若者がとても増えています。むしろ『なにか地域活動をするのが当たり前』のような空気感すらあります。震災前だとありえない状況です。

 

2019年には、釜石市の総合計画を策定するために実施する公募型のワークショップを実施しました。定員60名のところ63名も集まり、しかもほとんどが20〜30代の若者の自主的な参加だったのです。普通ならなかなか考えられません。同じワークショップを2009年にも開催し、僕は当時副実行委員長を務めていたのですが、その頃とは比べものにならない参加状況です。

 

2019年のワークショップでは、僕は分科会の教育チームの班長を務めました。教育チームからはコーディネーター育成の重要性を提言しました。これまでの教育は学校だけが担うものでしたが、これからは学校・家庭・地域がつながりながら行うことが重要です。そのためには間に立つ存在が非常に大切で、コーディネーター育成が不可欠であることを盛り込みました。」

 

――釜石の若者の皆さんが行っているプロジェクト例を教えていただけますか?

 

「これも本当にたくさんあるのですが、僕が高校生のプロジェクトの伴走をするきっかけになった一例をお伝えしますね。当時高校2年生だった寺崎幸季ちゃんが行ったのが、仮設住宅に色とりどりのマグネットを貼って愛着を持てるようにする『マグネットぬりえプロジェクト』があります。

 

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釜石で生まれ育った寺崎さんは、もともとは釜石が好きではなく、はやく東京に出たいと思っていました。しかし、全国各地から訪れたボランティアのみなさんを見ていて地元意識が芽生え、さらにNPOカタリバが主催した同年代の集まるイベントに参加したことがきっかけで、自分でも釜石のために何かしたいと考えるようになったそうなんです。

 

そんな彼女は、仮設住宅に住んでいる人が、仮設住宅を家と呼んでいないことに気がつきました。自分で仮設住宅を彩ったら少しでも愛着を持てるようになるのではないか?と考え、日比野克彦さんの協力も得て、マグネットの会社や全国のボランティアの方からの支援も受け、カラフルなマグネットが1万個も集まりました。このプロジェクトの結果、寺崎さんは地元にどんどん興味を持って、将来は地元に貢献できるように大学で勉強をしています。」

きっかけの提供から実現まで伴走するコーディネーターの動き方

 

――他にもいろいろな若者の皆さんによるプロジェクトがあるということですが、なぜそのような動きが多く生まれていると考えますか?

 

「僕らの活動の居場所づくりを通して、いろいろな仕掛けを行なっている点も影響があるかもしれません。釜石高校につくっている居場所には、生徒だけではなく地域の大人たちも来ます。そこで基本は自由にしてもらっているのですが、おしゃべりをする中でいろいろなアイデアが生まれたり、プロジェクトのミーティングをするうちに、実現化することがあります。

 

また、ボランティア案内も学校に対してよく行っています。お祭りのお手伝い、海岸清掃、草取りなどのボランティアを通して、地元の知らない魅力を知ってほしい。最初の動機は受験に有利になるということかもしれないですが、それはそれでいいと思っています。ただ、それっきりにならないように、コーディネーターから郷土愛が育まれるきっかけになるよう働きかけ、関係性をつくります。そうして親しくなっていくと、さらにもっと何かしてみたいと考える高校生が出てきます。次の階段に登りたい子を拾うのも僕たちの役目だと思っています。」

 

――伊藤さんのようなコーディネーター育成のために必要なことはどのようなことだと思いますか?

 

「次世代育成や教育という観点で言えば、コーディネーターが上下関係ではなく同じ目線で関わることが大事だと思います。今僕は圧倒的に自分より若い世代と関わってプロジェクトを進めていますが、『一緒に進める』伴走意識を大切にしています。場合によって、大人から見ると答えが分かっている場合もありますが、それに若者たちが引っ張られては意味がないですよね。大人が意見を過度に言わないことで、かえって思いもよらないアイデアが出て来るのが面白いし学びになります。なので、コーディネーター育成のためにはとにかく現場で一緒に何かを進めていく、ということでしょうか。

 

釜石の良い面のひとつは、昔からいろいろなプレイヤーが市内外から入ってくるところです。特に震災後は、地域外から来る人も元からいる人も、お互いの持っているものを提供し合ってこれまで前進してきました。おそらく震災10年を機に釜石を去る人が増えていくでしょう。やはり属人的な部分もありますし、これからより担い手不足は深刻になっていくと考えています。

 

その一方で、Uターン組が増えつつある傾向もあります。観光にしろ、持続可能な街をつくるにしろ、根底は人です。人口が減少するのなら、濃い人間をつくっていくことが必要ですよね。そういった意味でも、これからも次世代育成や教育に地域全体で注力していこうと考えています。」

 


 

※写真はすべて三陸ひとつなぎ自然学校提供

 

※東北リーダー社会ネットワーク調査は、みちのく復興事業パートナーズ (事務局NPO法人ETIC.)が、2020年6月から2021年1月、岩手県釜石市・宮城県気仙沼市・同石巻市・福島県南相馬市小高区の4地域で実施した、「地域ごとの人のつながり」を定量的に可視化する社会ネットワーク調査です。

調査の詳細はこちらをご覧ください。

 

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