アートを通して各地域の文化を耕している人々の取り組みを届ける本特集、「アートをひらく、地域をつくる」。
第5回目は、「写真の町」北海道・東川町(ひがしかわちょう)に移住し、写真を通したまちづくりに取り組む役場職員・吉里 演子(よしざと ひろこ)さんにインタビュー。東川の魅力と写真の町ならではの役場と地域の繋がりについてお伺いします。
(聞き手 : NPO法人ETIC. 芳賀千尋)
吉里演子さん
1987年大阪生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業。大阪府立工芸高校在学中に「写真甲子園」本戦出場を果たし、東川町へ初来町する。大学時代には「写真甲子園」ボランティアスタッフや、大学の卒業制作で東川町に通う日々を過ごし、東川町への想いを膨らませる。2010年東川町へ移住。現在、東川町文化ギャラリー学芸員。
2人に1人が移住者の町・北海道・東川町は、37年前の1985年「写真の町」を宣言した町
東川町は農業と木工業が町の主要産業。
三つの道「国道・鉄道・水道」のない町として知られ、町の天然水は水道代がかからない
東川町は北海道のほぼ中心部にある人口約8,000人の町。北海道で最も標高の高い旭岳を擁する大雪山連峰が広がる自然環境に恵まれたこの地域では、ここ20年で人口が約2割も増え、いまや2人に1人が移住者。
なぜ、この町は盛り上がっているのでしょうか。
東川町は1985年に町の活性化案のひとつとして『写真の町宣言』を世界に向け発表。そして次々に写真を通したユニークな街づくりの施策を実行していきました。
そのひとつが28年前の1994年から始まった全国の高校写真部・サークルを対象とした「写真甲子園」。全国各ブロックの本戦出場を決めた学校の高校生たちが東川に集まり、町を周って地元の人たちと交流しながら写真を撮り作品を制作。公開審査を経て優勝ほか各賞が決まる、町をあげた高校写真部・サークルの全国大会です。
今回インタビューする吉里さんも、最初は写真甲子園に出場するために大阪から東川町を訪れた高校生でした。
「住んでいる人はみんなそうだと思いますが、東川町のファンなんです」
吉里さんが学芸員として勤務する「東川町文化ギャラリー」。
写真文化発信の中心的な役割を担う施設として1989年にオープン。インタビューはこちらで行われた
芳賀 : 本日はよろしくお願いします。今日初めて「東川町文化ギャラリー」を訪れましたが、とても洗練された空間ですね。
東川町は、一見ふつうの町のようにも思えますが、町を歩くと上質な品ぞろえのセレクトショップや、こだわりのコーヒーやパンを提供する飲食店など、店主が輝いている素敵な個人商店が多いことに驚きました。
地域の方たちは自分の町を愛している人ばかりで、まるで小さな経済圏ができているようにも感じます。吉里さんも移住されたお一人ですが、町の一番の魅力は何でしょうか。
吉里 : 住んでいる人はみんなそうだと思いますが、東川町のファンなんです。
生まれ育った人、移住してお店を始めた人、それぞれが自分の言葉で東川の想いを語れる人ばかり。町民同士の関係性も丁度よい距離感で、いつでも助け合えるけど、干渉するのではなく各々が独立して過ごしている。そういう人たちと暮らせるのが大きな魅力です。
東川は信号よりもカフェの数が多い。北海道・旭川市から移住したオーナーが2015年に始めた「YOSHINORICOFFEE」。
外のベンチでコーヒーを飲みながらここで大雪山連峰を眺める時間は吉里さんにとって至福のひと時
芳賀 : 吉里さんが町のファンになったきっかけを教えてください。
吉里 : 人に惹かれて、というのがやっぱり大きいですね。
写真甲子園に参加して町に滞在しているあいだ、イベントを支える役場や町民の方たちにとても親切にしてもらい、この人たちと一緒にひとつのものに向かって何かをやっていきたい、という想いがすごく湧きました。
1994年に始まった全国高等学校写真選手権大会「写真甲子園」は、
全国の高校写真部・サークルなどから、共同制作による作品を募集し優秀校18校を選抜。
本戦大会開催地である東川町にて、全国一を目指します。歴代応募高校数は延べ9,498校
芳賀 : 大人たちの熱意が魅力だったんですか?
吉里 : はい。役場の方はぼろぼろになってまでもお仕事されていて(笑)。この町の大人たちには「町を好きになって帰ってもらいたい」、という想いが根底にあるんです。
学生はその想いを感じとり、もう一度戻ってきたい、あの人、あの景色をみたいと思いながら帰る。だから、写真甲子園の時期になると全国から甲子園に出場したOBOGのボランティアスタッフが集まり、まるで同窓会のようになります(笑)。今一緒に働いている職員もOB・OG生で、地域おこし協力隊となり移住してきました。
地域の工場を訪ねて話を聞く学生に丁寧に説明をする町の方たち。
自分たちが被写体になることで、風景や暮らしへの意識も醸成された
ピンチがチャンスに変わった瞬間。そこから手探りで始まった
芳賀 : 写真甲子園を役場の人たちが運営することになったきっかけは何ですか?
吉里 : 始まった当初は、企画立案は町民ではなくイベント会社が担っていました。だから役場や地元の人は、自分たちには関係ない外向けのお祭りと思っている人も多かった。
でも、ある時からイベント会社が関われなくなり「続けるなら自分たちがやるしかない」と職員は窮地にたたされて(笑)。ピンチがチャンスに変わった瞬間。そこから手探りで始まったと聞きます。
芳賀 : やらざるを得ない状況になったのが契機になったんですね。
吉里 : はい。自分たちの興味の有無よりも、「やらないといけない」というところから始まったんです。
最後の決勝戦。ここで今年のグランプリが決まる
町民が「自分の町は写真の町だ」と町の広報マンになり、外からきた人に宣伝
芳賀 : 写真甲子園は、役場と地域の人が一緒になってつくっていますよね。その連携はどのように生まれているのでしょうか。
吉里 : 役場の運営だけだと人手も足りないし、町民と関わりがないただの外向けのフェスティバルになってしまいます。
東川町には「写真の町実行委員会」という組織があり、その中の企画委員会のメンバーは町民のボランティアスタッフに担ってもらっています。写真甲子園だけでなく、さまざまなイベントを彼らと一緒につくっています。
フォトフェスタのオリジナルTシャツは実行委員である町民のアイデアでデザイン・制作された
芳賀 : どうしてそんなに町の人たちが関わるようになってくれたんですか?
吉里 : 写真甲子園では、高校生は期間中の一泊、町民宅に宿泊したり、地元の人と交流して町を周り写真を撮ったりします。
滞在中に優勝も決まるので、学生が涙を流して悔しがったり、喜んだりしている姿を見て、「自分たちも応援したい」と関わってくれるようになりました。そして自然と「自分の町は写真の町」と外からきた人に自ら広報マンとなり宣伝してくれるようになりました。
私たち役所の人間が仕事でやればすごく時間と労力がかかることも、生き字引のような町民さんがやってくれると、すぐに誰かを紹介したり教えてくれて、一瞬で終わるようなことがたくさんあります。
芳賀 : 地域の方もとても楽しまれているんですね。
吉里 : はい、自分たちの役割、立ち位置のままにイベントに参加できることを楽しんでくれてるようです。
参加者の高校生たちの気持ちを理解しようと、プロカメラマンのボランティアスタッフと一緒に
「一眼レフを使いこなそうセミナー」を自主的に開催し写真を撮る練習。本気度がうかがえます
町民みんなが町の歴史を紡いでいくカメラマン
飛彈野数右衛門(ひだのかずうえもん)さん
芳賀 : これから写真を通してどのようなまちづくりをしていきたいですか?
吉里 : いつか地域の方たちが撮影した町の写真を、「町の記憶」として役場が運営する写真展示スペース「東川町文化ギャラリー」に展示し、外から来た人たちに届けたいです。
昔、飛彈野数右衛門(ひだのかずうえもん)さんという役場職員がいました。アマチュアでしたがずっと東川の人や出来事を撮影していて、役場に来る時は弁当とカメラを毎日持参していた人。そして自分の写真を町の人にプレゼントしていたんです。2009年に亡くなりましたが、彼が撮影した東川の写真は全て親族の方から寄贈してもらいました。
飛彈野さんが撮影した東川町の子どもたち
それを見ると、町の景色の中で変わったものと変わらないものがわかります。町並みや人は変わっていくけど、旭岳の高山植物は変わらず美しい風景のまま。最初は飛彈野さん一個人の記録だったのが、見返すとまるで町史になっているんですね。
「ひがしかわ大写真展」という展示も毎年開催して今年で18年目です。東川で撮影した写真なら、受賞した、しないに関わらず全てギャラリーに展示される企画です。今では町に浸透し作品は300点以上集まり、親子で応募する方もいます。自分たちが撮られる側だけじゃなく、撮る側、見る側にもなれるんです。
佳作 山下祥吾「86歳違いのおともだち」/ひがしかわ大写真展
芳賀 : 「写真の町」と外に発信するだけではなく、地域の人たちにもちゃんと写真の文化が根付いているんですね。
吉里 : はい。プロじゃなくても、東川に住むたくさんの人たちが飛彈野さんのように、写真を通して自分たちの町を語ることができるのは他の地域にはないのではないでしょうか。だからこそ、彼らが写した町の歴史を外から来た方に見て知ってもらえたら嬉しいです。
吉里さんは10年間「写真少年団」という地元の小中学生を対象に、写真のおもしろさを伝える活動も行っている。
彼らも町の歴史を未来に残す大事なカメラマン
芳賀 : 誰もがカメラマンになれる町こそ、本当の意味での「写真の町」なんだろうなと感じます。今後も東川町が盛り上がっていくのを応援しています。今日はどうもありがとうございました。
吉里 : ありがとうございました。
***
吉里さんにお話をうかがっていて、その活き活きとした笑顔に「この土地が本当に大好き」という想いが伝わってきました。自分の視点で町への想いを語れる人が他にもたくさんいらっしゃるんだと思うと、ファンがどんどん増えていくのも自然なことだと理解できます。これからも日々変わり続ける東川町が楽しみです。
もっと町の魅力を知りたい方は下記書籍もぜひご覧ください。
著書「東川スタイル 人口8000人のまちが共創する未来の価値基準」/玉村 雅敏 (編集), 小島 敏明 (編集)
東川町にみる、これからの「まち・ひと・しごと」。東川では当たり前のこととなっている「スタイル」をヒントに、
未来社会の価値基準となり得る要素を40個抽出し、解説。
記事中の写真提供 : 東川町役場
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