「就職活動を考えた時、一番だと思える選択肢が見つけられなかったんです。でも、なぜかわからないくらい車いすバスケが好きで。その気持ちに素直になろうと、納得できる選択肢を自分でつくることに決めました」
こう話すのは、車いすスポーツを中心にパラスポーツの普及活動などを行う一般社団法人Knocku (のっきゅー)代表理事の岡田美優(おかだ・みゆ)さんです。岡田さんは早稲田大学大学院の博士後期課程でパラスポーツ事業のアウトカム評価の研究を行う研究者でもあります。
この記事は、古い価値観を手放し、新しいキャリアや生き方を選択することで自分が納得できる人生の物語(ナラティブ)を創っていく、そんな越境的・創造的キャリアづくりを目指すトランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(略称 : AFT)の連載記事です。
今回、大学時代に車いすバスケと出会った岡田さんが、新しいキャリアの選択肢をつくることでどんな人生を歩もうとしているのか、経験や思いにフォーカスしてお話を伺いました。
岡田美優(おかだ・みゆ)さん
一般社団法人Knocku 代表理事 / 早稲田大学大学院
神奈川県生まれ。小学校から大学までハンドボールを11年間続ける。中学・高校で全国大会出場。神奈川県最優秀選手に2回選出される。大学では東北リーグ女子1部得点王に選出。福島大学3年生の時に参加したパラスポーツのボランティアで車いすバスケと出会い、魅了される。翌年、ドイツに1年間留学。帰国後は早稲田大学大学院に進学し、同時に車いすバスケットボールチームのマネージャーとして2年間活動する。その後、任意団体Knockuを立ち上げ、2022年の2月に一般社団法人Knockuを設立。現在は東京都新宿区と千葉市を拠点にドイツをモデルとしたパラスポーツクラブの経営を行っている。
所属 : スポーツ庁障害者スポーツ振興ワーキンググループ委員
資格 : 中高保健体育教員免許状/特別支援学校教員免許状/障害者スポーツ指導員(初級)/ドイツ車椅子スポーツ指導員/ドイツ語能力検定Goethe(B2)
好きな食べ物はカレー・さば・こしあん。
聞き手 : 小泉愛子・川端元維 (「Action for Transition」運営メンバー)
チーム運営で悩んでいた時、車いすバスケに出会い、魅了された
――車いすバスケに興味を持ったきっかけを教えてください。
両親が特別支援学校の教員でした。親戚や身近な人に障がいのある方が多かったこともあって、以前から障がい者福祉に興味を持っていました。中学生からハンドボールを続けていたことも関係するのですが、中学と高校の両方であと一歩というところで全国大会を逃してしまったんです。
目指していた目標がなくなって、この先の人生で何をやりたいのか考えた時に何も思い浮かばなかった。そのまま大学は、両親と同じ特別支援学校の教員になろうと教育学部に進みました。
車いすバスケに出会ったのは、大学3年生の時です。当時、ハンドボール部のコーチを務めていたのですが、チームづくりの難しさで悩んでいました。そんな時にボランティアで車いすバスケの運営に携わることになり、一人ひとりの特性や違いを認め合い、できないことではなく、できることに目を向けて伸ばしていく、そんな考え方に魅力を感じました。その後、ハンドボール部のマネージメントにも活かしたくて勉強するようになりました。
――大学4年でドイツに留学した時は、ドイツのパラスポーツに刺激を受けたそうですね。
ドイツはパラスポーツ先進国なんです。たまたま大学に車いすバスケットボールのクラス分けルールの基礎を作った権威ある方が特別講義の講師として招かれ、その方からドイツのパラスポーツ環境について話を聞いて、ドイツに留学したいと思いました。その後、「トビタテ!留学JAPAN」の奨学金制度に応募し、ドイツに1年間留学したのですが、ラッキーにもその方のもとでたくさんのことが学べて、とても充実した留学生活でした。
ドイツでは、障がいの有無に関係なくスポーツを楽しめる環境づくりが推進されていて、「日本でも実現したい!」と思ったんです。帰国後は、大学院に進学してスポーツビジネスを専攻し、車いすバスケットボールチームのマネージャーも数年間続けました。
障がいの有無に関係なく、やりたいことでトップを目指せる
――ドイツのパラスポーツでは、特にどんなことが印象的でしたか?
障がい者がスポーツを行うことが当たり前に捉えられていたことです。日本では、47都道府県にだいたい1ヵ所ずつ障がい者専用・優先のスポーツ施設がありますが、ドイツには一切なく、特別視もされません。市民体育館のような地域の施設を使って、コートの半分を障がい者のクラブチームが使って、あとの半分は子どもたちがサッカーをしているといった光景が日常的に見られます。
もちろん、ドイツでも障がいのある方が利用しやすいようにある程度バリアフリーの配慮はされていますが、例えば制度面では障がい者が参加するクラブチームは減免されるなど、誰もがスポーツや地域コミュニティに気軽に参加できる仕組みが作られています。
障がい者のクラブチームの試合を、健常者がお金を払って観戦するのもよくあること。スポーツでも何でも、「障がい者だから」という見方はなく、やりたいことでトップを目指せます。
――日本では、ドイツのような社会制度やクラブチームは少ないのでしょうか。
日本には制度面をはじめ、パラスポーツクラブの運営をサポートする環境がまだ整っていないので、社会人のサークルは多いですが、事業として成り立っているチームは限られていると思います。今後、経営基盤がしっかりと整ったクラブチームが増えれば、子どもたちの未来の選択肢も多様になるはずなので、ドイツのように民間のクラブチームが増強されることがすごく大事だと思っています。
「どうすれば車いすバスケを仕事にできるだろう」
――ドイツで得た知見や経験をもとに、帰国後、ご自身で任意団体を作り、翌年には一般社団法人化しました。就職活動ではなく、新しい世界へ飛び込んだように見えますが、どう自分と向きあってその決断をされたのでしょうか。
就職のことが気になったのは修士課程1年目の時で、その頃は車いすバスケのチームを作って活動していたのですが、もうめちゃくちゃ楽しくて。
「どうすれば車いすバスケを仕事にできるんだろう」と、ずっと考えていたし、まわりにも相談していました。「会社員では難しいかも」「地域の障がい者施設で働いてみたら?」と意見をもらいましたが、自分が目指す、障がい者と健常者が同じフィールドで楽しむスポーツ環境が実現できるイメージが湧きませんでした。結局、就職を前提にすると、ベストな選択肢が見つけられなかったんです。
「お金にならないことはやめて、早く就職したほうがいい」という意見もたくさんありました。でも、「車いすバスケが好きでしかたない。面白いことをやりたい」という気持ちに正直になろうと、自分で納得できる選択肢をつくることに決めました。
――振り返ってみて、なぜそんなに車いすバスケに惹かれたのだと思いますか?
もともとスポーツが大好きなのですが、パラスポーツは、一人ひとり違うことを前提に、障がい者も健常者も混ざり合っている環境がすごくいいなと思っています。
今、一緒にいる車いすスポーツクラブのメンバーもみんな考え方がすごく個性的なんです。私自身、小中学生の時は、あまり学校の環境になじめなくて、ずっと自分の居場所がないように感じていました。まわりに合わせようとした時もあったけれど、すごくしんどい思いをしてもうまくいかない。
でも、車いすバスケのメンバーといる時は、「人と違っていても大丈夫」「自分はこのままでいてもいいんだ」と思えて、すごく居心地がいいんです。「このままみんなと一緒にいられたらいいな」という思いがモチベーションの源になっていると思います。
また、「人は違うことが当たり前」という考え方は健常者にもあてはまると思います。その違いをお互いが認め合えていると感じられるのが、私が今いる車いすバスケの世界です。
――チームの中にいる岡田さんはとても楽しそうです。
そうなんです。日本でのパラスポーツの課題を解決したいという思いがあるので、チームで動くことに決めましたが、メンバーはみんな私のことをよく理解してくれて、私が失敗してもうまくフォローしてくれます。
メンバーは私の考えや思いを否定するのではなく、尊重してくれます。そのうえで、チームの運営に活かせるように考えてくれます。私だけでなく、お互いが理解し合い、受け入れ合って、安心できる場所をつくっているように思います。
財務の壁にぶつかりながらも“第三の道”が見えてきた
――昨年10月から今年3月まで、岡田さんはAFTプログラムに参加してくれました。参加した時はどんなタイミングだったのでしょうか。また参加後に何か変化は感じられましたか?
AFTに参加した時は、一般社団法人Knockを設立してからちょうど半年後で、財務の面で大きな壁を痛感していた時期でした。時間も労力もかかるのになかなか収益につながらず……。事業の運営方針でもビジネスと社会貢献、どちらに重きを置くか、迷う場面にぶつかっていました。
ただ、社会的なインパクトは実感できていたし、行政との連携や制度への働きかけでも前進できていました。さらに今年に入ってからは、実績の蓄積と比例するように財務的にも成果が出始めて、協力企業も増え、先が見えてきた感覚があります。
同じくETIC.が主催するMAKERS UNIVERSITYでは、特に財務面での考え方を鍛えられたのですが、おかげで会計に対する苦手意識が克服できて、決算書も書けるようになりました。
活動を始めた当初は、ただがむしゃらに動いていたように思います。最近は戦略的になり、ビジネス型か社会貢献型かのどちらでもなく、ビジネスと社会貢献の両輪で走る、第三の道が開けてきたような感触があります。
車いすが使える体育館探しで苦労。窓口で怪訝な顔をされた時も
――今年3月、岡田さんが作ったクラブチームについて、日本ではチームが増えるための環境が整っていない中でチームを作るのは大変だったのではないでしょうか。何か手ごたえはありましたか?
今のクラブチームができる前、1年くらいかけて体験会を何回か行ったんです。興味をもって参加してくださった方が大勢いたのはうれしかった。ただ、開催するまでの準備がめちゃくちゃ大変でした(笑)。
車いすが利用できない体育館が多い中で、車いすバスケができる体育館を見つけるのがまず大変でした。車いすスポーツクラブ受け入れのマニュアルが体育館にないことで断られることもあったし、利用が許可されても、輸送の都合で車いすを体育館内に一時置いてもいいかお願いすると受付窓口で怪訝な顔をされたり、車いすの駐車スペースに荷物が置かれていたりしたこともありました。
スポーツ用の車いすを手配する必要もあり、また子どもたちが参加する時は、子どもたちのサポートをするボランティアスタッフも探しました。覚悟して始めたものの、実際にやってみて苦労を実感しました。
――クラブチームを作った後、またドイツに行かれましたね。
2回目のドイツ留学では、車いすバスケのクラブチームをいくつか訪問し、クラブ経営のビジネスモデルや財務関係を学びました。いろいろな人と交流できて、とても楽しかったです。
今年3月、2度目のドイツ留学の時には、車いすバスケの強豪チームのコーチとマネージャーに岡田さんがインタビュー。リーグ下位からトップリーグにまで実力を上げたその背景や哲学を知ることができたそう
挑戦したい人を応援し、支えられる人でありたい
――今後について、目標はありますか?
まずは私たちのクラブチームの運営を軌道に乗せて、ビジネスモデルを構築したいです。自分たちのモデルを広げて、日本で車いすバスケやパラスポーツが日常的に楽しめる基盤を整えていくことが今の目標です。グローバルな視点を取り入れながら新しい仕掛けにもチャレンジしたいです。障がい者と健常者の壁をなくしたい。
――10年後、岡田さんはどうありたいですか?
「新しいことに挑戦したい」人を応援し、支えられる人でありたいです。
私が「日本で車いすバスケやパラスポーツが当たり前に楽しめるようにしたい」と活動を始めた頃、「失敗する」「無理だから」という言葉をたくさん耳にしました。自分の意思を信じてもらえなかったことがすごくしんどかったんです。ただ、一方では私に可能性を感じて応援してくださる人もたくさんいました。
私は応援してもらえることがすごく心強かったから、誰かが何かに「挑戦したい」と話してくれた時には、その人の思いを信じて、できることでサポートしたいです。
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越境的・創造的キャリアの挑戦者たちにインタビューした記事はこちら
>> トランジション・アクセラレーター「Action for Transition」(AFT)
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