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地域自治の実現を「食」から仕掛ける「コミュニティ栄養士」とは?人口2,550人の地区で模索のなかから生まれたビジョン

2017.06.06 613view 

石巻駅から北上地区へ向かって車を走らせると、どこをどう曲がっても川沿いを走っているように感じられる。二つの大きな川が石巻市内を大きく蛇行しながら流れているためだ。

東北最大の河川、北上川。岩手県北部で生まれたこの川は、南へ流れ下って宮城県登米市に入り、石巻市の手前で北上川と旧北上川に分岐する。旧北上川は南へ下って石巻湾へ、北上川は東へ曲がって追波(おっぱ)湾へと注ぐ。その追波湾の北側に位置するのが、北上地区だ。元は北上町という。2005年4月に石巻市はじめ周辺5市町と合併、新制「石巻市」の一部となった。

この一帯が東日本大震災で受けた被害は甚大だった。北上地区3,800人の住民のうち、260人以上が犠牲となり(行方不明者を含む)、2017年5月時点の人口は2,550人まで減った。高齢化率は40%近くに達する。

北上川が海と出会う場所に位置する白浜。ピーク時には年間1万人が海水浴に訪れた。防潮堤の完成後、海水浴の施設も再建されるという。

北上川が海と出会う場所に位置する白浜。ピーク時には年間1万人が海水浴に訪れた。防潮堤の完成後、海水浴の施設も再建されるという。

ここで「ふつうに暮らせる地域をつくる」というビジョンを掲げて活動しているのが、「ウィーアーワン(WE ARE ONE)北上」(以下WAO北上)という団体だ。これまでに手がけたのは、食料品店の立ち上げ、子どもハウスやイベント運営などのほか、2年半前からは試験的に弁当製造も始めた。

その団体がいま、「コミュニティ栄養士」を募集し、さらに「コミュニティナース」の募集も準備中だという。なぜここに栄養士と看護師が必要なのか。それもなぜ「コミュニティ」なのか。代表の佐藤尚美さんに話を聞いた。

>>WAO北上では現在、「コミュニティ栄養士」を募集しています。詳細はこちらから。

 

自分たちで八百屋でもやろうか

佐藤さんの生まれは石巻市中心部、蛇田というところである。そこから車で50分もかかる北上地区へは、結婚を機にやってきた。「でも北上はキライでしたね。何もないし(市内から)遠いし、『講』と呼ばれる地域の付き合いも面倒くさかった」と笑う。

それでも佐藤さんは、とあるご縁で震災前に「まちづくり委員会」のメンバーを務めていた。しかし、地域づくりなどというものに興味はなく、「北上はキライだから一言いってやろう、くらいの気持ちで参加していた」のだそうだ。それが震災後、「WAO北上」を立ち上げ、まさに地域づくりのビジョンを掲げて活動することになったのは、どういう経緯だったのか。

まず、事の発端から伺った。

WAO北上の代表理事、佐藤尚美さんは、大学生から中学生まで、3人の子どものお母さん。

WAO北上の代表理事、佐藤尚美さんは、大学生から中学生まで、3人の子どものお母さん。

「被災直後から、何か地域で手伝えることはないかとは思ってました。でも、具体的には震災後半年くらいかな。中学生だった息子の部活動が再開したんですが、まだこの辺はお店も何もなくて。それで、部活動のお母さんたちの間で、卵や牛乳も買えないってどうなの? じゃ自分たちで八百屋でもやろうか? となったのがきっかけです」

しかし、食料品店を開いても採算が取れないことはわかっていた。ご多聞に漏れない人口流出地域である。2005年の合併時に4,000人を超えていた北上地区の人口は、6年後すでに3,800人に減少していた。そこへ大震災である。元々地域にあった数少ない商店も、再開の見込みはなさそうだった。

赤字覚悟で店を始めたとしても、それ以外でどうやって稼ぐのかもわからないまま、とにかく緊急に店が必要だからと、「見切り発車」で準備を始めたのだという。

あんなにキライだった北上が

それにもうひとつ、佐藤さんは震災後の避難で初めて、気づいたことがあった。あんなにキライだった北上に、初めて「帰りたい」と思ったのだ。

北上に嫁ぎ、3人の子どもを育てているうちに、面倒この上ないと思っていた濃密な地域の付き合いが、いつしか佐藤さんを変えていた。「隣のおじいさんがうちの長男に向かってすごく怒ってるんだけど、主人の名前で呼んでるの。きっと主人の小さい頃にそっくりだったんでしょうね(笑)。そういう、地域で子どもを育ててくれるような感じがよかったなぁと思って」

しかし、北上に帰りたくてももう家はなかった。北上川を溯上した津波が、佐藤さんの家を含む一帯を押し流してしまったのだ。市内中心部の実家に身を寄せながら北上に通ったが、帰ってきても人と座って話をする場所もない。佐藤さんは、活動を始めたもう一つの理由として、「北上にもう一度『自分の居場所』をつくりたかった」のだと言った。

そして佐藤さんは、応援を頼んだ地元の女性2人とともに、「WAO北上」という住民任意団体を立ち上げ、プレハブをリースして仮設店舗を開いた。土地は地元の建設会社が無償で提供してくれた。2012年4月、「WE ARE ONE MARMET」の誕生である。

オープン当初のWE ARE ONE MARKET

オープン当初のWE ARE ONE MARKET

「WE ARE ONE」という名前は、ハワイ在住のプロサーファー、カービー福永氏が代表を務める東北復興支援プロジェクト「WE ARE ONE」から頂いたという。

「震災の年の夏、カービーさんたちが石巻に支援に来てくれて。彼らは赤十字などを通さず、必要な人にその場でキャッシュを渡すというやり方でした。当時、北上中学の野球部が夏の中総体(中学校総合体育大会)に出るのに、津波で流されてしまってユニフォームがない… という状態だったんですが、そのときWE ARE ONEのおかげでユニフォームが買えたんです。私たちの店にも名称が必要だったし、ここで支援してくれた彼らの志を引き継ぐという意味もあって、名前を使わせてほしいと頼んだら快諾してくれました」

その名を冠した店の運営は、試行錯誤の連続だった。「素人だからぜんぶ手探りですよ。まず物流のルートがなかった。ヤマザキパンのトラックの人を捕まえて、ちょっとうちにも配達に来てよっていう感じで(笑)。品揃えもいろいろなものを試しました」

そうしてWE ARE ONE MARKETは、地域のニーズに応える存在となっていき、翌2013年1月には、プレハブの隣に建てた新しい店舗兼オフィスへと移った。これも支援団体が寄贈してくれた。ここには「子どもハウス」も併設され、一時は子ども向けの工作教室や英語教室なども開催していたという。現在では定期的な教室は開いていないが、毎週火曜日の放課後には小中学生がここに集まり、みんなでお弁当を食べたりしているそうだ。

現在の青い建物は、支援団体によって寄贈された。

現在の青い建物は、支援団体によって寄贈された。

弁当づくりへの挑戦

店を始めてほどなく、利用者からお昼の弁当を置いてほしい、という声が出てきた。そこで佐藤さんらは、知人の食堂から弁当を配送してもらい、ほとんど利益なしで販売を開始。が、徐々にその数が増し、「これは自分たちで作った方がいいのではないか?」ということになった。

建物には幸い厨房があった。これを使ってとりあえずやってみようと、まずパートさんを雇った。とはいえ弁当作りの知識は何もなく、仕入れから何からまたもや手探りだったという。当初は1日10~20個ほど、工事関係者向けに、栄養バランスよりもボリューム重視の弁当を作った。が、その後に社会福祉協議会からデイサービスの弁当を頼まれるようになって、メニューを再考する必要に迫られる。

現在では、野菜も多く使ったヘルシーなメニューを日替わりで提供しているが、その過程で佐藤さんはさらにその先を考え始めた。

「工事関係者の需要はせいぜいあと2~3年でしょう。店も含めて、私たちも次のステップに行かないと、このままじゃつまらないなと」

厨房の様子。この日の日替わり弁当は、チキンカツと野菜巻き。店内販売用には毎日30~40食を作る。

厨房の様子。この日の日替わり弁当は、チキンカツと野菜巻き。店内販売用には毎日30~40食を作る。

その方向のひとつが、後述する「配食サービス」事業である。

模索の中から見えてきた

一方、店以外の活動については、佐藤さん自身「行き当たりばったり」と表現する模索が続いた。たとえば、地域の復興イベントに東京からお客さんを100人連れてくるという観光事業にも携わったことがあるという。そのとき初めて、世の中に助成金や補助金というものがあることを知ったそうだ。

佐藤さんはその補助金を獲得して、100人の集客には成功した。が、「頭には大きなクエスチョンマークが残った」という。北上地区は、美しい浜こそあるものの、もともと観光資源が豊富とは言えないところだ。「それをこんなに大変な思いをして100人来てもらったところで、地域に落ちるお金はたかが知れている。それよりもまず、他にやることがあるような気がして」

その後、佐藤さんは誘われるまま新潟地震の被災地へ視察に行った。「そのあたりから、『被災者を支援する仕組み』、というのがぼんやりわかってきたんです。じゃ、私もそれをやればいいのかなと」

佐藤さんの活動のフォーカスは徐々に定まっていった。

法人化で新しいステージへ

宮城県は2012年、総務省の制度を活用して「復興応援隊」を設置した。これは県内市町村の地区ごとに、「それぞれの地域の復興に向けて意欲的に取り組む人材を内外から募」り、応援隊としてその「地域住民の活動支援に従事する」制度だ。

石巻市北上地区でも2012年9月、この制度に基づく応援隊が結成され、佐藤さんも隊員となった。それまで地域のために無給でやっていた活動も、応援隊としてやれば報酬が出ることになり、経済的には大きな転換点だったに違いない。ほかの応援隊員とともに、復興かわら版の発行やイベント企画などにも携わり、さまざまな切り口で活動するうちに、だんだん地域の仲間も増えて行ったという。

北上地区の「復興かわらばん」は、佐藤さんら北上地区復興応援隊が作成している。

北上地区の「復興かわらばん」は、佐藤さんら北上地区復興応援隊が作成している。

震災から丸5年が経ち、県の復興応援隊の制度は2017年3月で終了した。しかし、石巻市内では復興住宅の建設の遅れなどで、まだ応急仮設住宅の3割に住民が残っている状態。同様の制度の存続が望まれ、「復興応援隊」は翌4月から石巻市に移管されて再スタートすることになった。

実は、3月まで北上地区の復興応援隊の業務は東京のNPOが受託しており、佐藤さんら応援隊員はそのNPOに雇用される形で仕事をしていた。受託するには法人格が必要だが、WAO北上は任意団体のままだったのだ。制度の再出発にあわせ、佐藤さんはいよいよ団体を法人化。自ら受託団体として、内外から集まった復興応援隊員4人を抱える事業所になったのである。

一般社団法人WAO北上では、このほかWE ARE ONE MARMET部門に4人、隣の「復興まちづくり情報交流館」の情報発信業務も受託して3人を置いている。加えていま募集しているのが、コミュニティ栄養士という職種であり、さらにはコミュニティナースの募集も準備している。

答えは「地域自治」

なぜ、栄養士と看護師なのか。そこには、模索を重ねて佐藤さんがたどり着いた、地域のビジョンがある。

そもそも福祉や看護・介護は、行政や医療機関の守備範囲と考える人が多い。佐藤さんも、この分野での行政の役割と地域福祉の全容を学ぶべく、大学のコミュニティ・ソーシャルワーカー講座にも1年間通った。その結果、佐藤さんが出した答えは「地域自治」だった。

「買い物支援、健康づくり、移動支援などの『地域福祉』。集会所の運営や公園の維持管理といった『地域づくり』。それに、北上地区が震災前からやろうとしてきた新しい『地域自治』システムの構築。始めのうち、これらはみんな別々のものだと考えていました。役場の担当課も違いますしね。でも、『小規模多機能自治』で成功している島根県雲南市をはじめ、いろんなところへ視察にいって、地域を良くする方法を考えているうち、結局これらは全部同じものなんだ、と気づいたんです。それが去年くらいかな。

また、地域の活動に若い人を取り込もうとしてずっと苦戦してきましたが、もうそれはやめようと。若い人には仕事と子育てに専念してもらい、『地域のことは私たちがやります』という高齢者を増やした方が早い。その結論にたどり着いたのも去年です」

佐藤さんの中で、地域の目指すべき姿と、WAO北上のミッションが明確になった。

大きな商業施設がない、病院や介護福祉施設が少ない北上でも、健康で活動的な高齢者がいきいきと暮らしていくためには、「健康づくり/居場所・役割づくり/見守り」の3つが必須となる。佐藤さんらは、そこでポイントになるのが「暮らしを潤す食生活」と「健康的な暮らしの環境」の充実であり、それらをも当事者である住民が楽しく関わりながら実現することこそ、とりもなおさず「地域自治」だと考えた。そしてWAO北上は、その「地域自治システム」の事務局的存在として機能していけばいい。その仕組みを完成させるために今、食や介護・看護の専門性を持った人たちと分野を越えて協働する取組みが必要なのだ。

WAOの店舗兼オフィスの隣に佇むお地蔵さま。津波が北上川を溯上してこの一帯を襲ったときも、江戸時代から座ってきた台座から落ちなかったという。

WAOの店舗兼オフィスの隣に佇むお地蔵さま。津波が北上川を溯上してこの一帯を襲ったときも、江戸時代から座ってきた台座から落ちなかったという。

ふつうに暮らせる地域をつくる

「ふつうに暮らせる地域を作る」というのが、団体の元々のコンセプトなのだという。「ふつう」とはなにか、と問うと、佐藤さんは少し考えて、「地域の中に自分の役割、自分の居場所があるということ」と答えた。

「地域の70代以上のお年寄りに話を聞くと、震災後の今の暮らしにまったく不便を感じていないんですよ。彼らが戦後まもなくこの辺にお嫁に来た頃は、それこそ水道もない、木を背負って山を越えてという時代。なんでも自分たちでやるしかなかった。それと比べたら、いまは天国だというんです。でも私を含めて今の40代以下が高齢になったとき、どうなるのか。店がなくて買い物できないとなったら、生きていけますか?魚の獲り方も知らない、畑のやり方も知らない。面倒だからコミュニティにも関わりたくない、っていう世代ですから。

私も若いときにはわからなかったけど、60代、70代になるにつれて、次の居場所がきっと欲しくなるだろうと思うんですよ。若いうちは仕事や子育てに専念していればいい。でもそれが終わったとき、また別の役割、別の居場所があるよという環境を、この地域で作りたいんです。ではここにどんな役割、つまり『仕事』があるかというと、地域を維持していくために必要な、小さな仕事はたくさんあります。たとえば買い物支援とか移動支援、あるいは見守りを兼ねた荷物配達など。いままではお金に替えるという発想がなかっただけです」

これまで行政の仕事とされてきたことの一部を引き受けて、わずかでもいいから収益につなげ、それが住民の「役割」になる。その意味では、コミュニティ栄養士やコミュニティナースも同じだという。

「たとえば、健康診断の案内。健診の案内送付に多額の郵送料をかけるくらいなら、コミュニティナースが回って健診受けませんかって声かけたほうが効果的だと思うんです。案内もらっても読まない高齢者は多いですから。それをちゃんと対面でフォローすれば、結果的に受診率が上がる。それが5年後10年後の医療費の削減につながります」

豊かな暮らしを食生活から支える人に

WAO北上では、まずコミュニティ栄養士について、NPO法人ETIC.の右腕派遣プログラムという制度で募集している。まずは1年間の業務委託となるが、その間なにが期待され、その後どのような展開があり得るのか。(ちなみに、医療人材のひとつの働き方として定義が確立しつつある「コミュニティナース」に比べ、「コミュニティ栄養士」という呼び名は馴染みが薄いが、コミュニティナースの栄養士版として佐藤さんたちが考えた新しい働き方である。)

佐藤さんがこの人材にまず期待することは、配食サービス事業の立ち上げだ。この事業は、現在のニーズはさほど大きくなくても、単身高齢者が増えていく近い将来、必ず必要になると考えている。

「女性でも、一人になるとわざわざ食事を作らなくなることがあります。同時に食卓での楽しい時間もなくなっていく。毎日おいしいものを楽しく食べる、という豊かな暮らしの基本が崩れてしまうんです」

立ち上げに当たっては、WAO北上の弁当事業の実績を生かして市の配食サービス事業者に登録すれば、助成も受けられる。それでも全国規模の配食大手やコンビニのデリバリーと競合しないのかと尋ねると、佐藤さんは「負ける気はしない」と言った。

その自信は、作りたてのご飯とみそ汁を温かいまま届ける、といった物理的なサービスの構想だけから来るのではない。

「配食の数がある程度まとまってきたら、次はみんなで食べる場所を設ける、というふうに発展させたいんです。コミュニティ栄養士は、最初はお宅におじゃましていっしょにご飯を食べるだけでもいい。私たちも一軒ずつ住民を訪ねて、お茶を飲んだりご飯をごちそうになったりしながら関係を紡いできました。配食サービスはひとつの手段にすぎません。最終的には、地域住民の豊かな暮らしを食生活から支える人になってほしいと思います」

なお、佐藤さんは募集にあたって、栄養士の資格が必要かどうかは最後まで迷ったが、栄養面からのアドバイスやカロリー計算など、プロの知識がどうしても必要になると考え、資格保有者を募ることにしたという。たとえば、痛風という病気は食生活の見直しで改善が期待できるものだが、「私たち『素人』が言ってもなかなか聞いてもらえない。でも、栄養士さんのいうことだったら説得力があるでしょう」

栄養のバランスも考えられた日替わり弁当は、518円。

栄養のバランスも考えられた日替わり弁当は、518円。

「まずは今の弁当事業を私たちと一緒にやりながら、配食事業立ち上げの準備をしてもらいます。きちんと利益を出せるところまでもっていくのは、正直1年では厳しいかもしれませんが、もちろんその後も私たちが伴走します。事業が軌道に載ったら、それをメインの仕事にしてもいいですし、他に興味のあることに挑戦してもらってもいいでしょう。北上の地域計画の中にも、『食』をキーワードにした構想があるんですよ。白浜のビーチパークで地場産品を使ったレストランをやったらどうか、とかね。地元の生産者の発掘も意外にできていないですし」

栄養士の資格を生かしつつ、活躍の幅を広げる余地は大きそうだ。

「無敵であること」

さて、「自治」を目指すとはいえ、コミュニティ栄養士もコミュニティナースも、行政との良好なコミュニケーションは欠かせない。佐藤さんは今まで、この人は苦手と思ったら「平気でシャッターを下ろすタイプ(笑)」だったそうだ。それが、前出の雲南市で活躍するコミュニティナース、矢田明子さんの、「私たちは無敵でなければならない」という話を聞いて、目から鱗が落ちた。敵が無いとは、敵を作らないということだ。「社協でも、医師会でも、役場の保健福祉課でも、みんなに受け入れてもらえる状態をまず作らないと、始まらないというんですね。本当にそのとおりだと思い、自分の態度を改めました(笑)」

そういう意味では、佐藤さん自身も新しいステージに入ったと言えるのだろう。ここまで団体を引っ張ってきた佐藤さんの将来のプランを聞いてみた。

「いま作ろうとしている仕組みができあがったら、WAO北上はお役御免で解散。私たちの存在が必要なくなるくらいの地域にしたいんです。どのくらい先かって? そうですねぇ、できたらあと5年… ではちょっと難しいかな(笑)。雲南市に行ったとき、70代のお父さんたちが自分の地区の取組みをパワポでプレゼンしてくれて、すごいなと思いましたけど、そうなるまでにはやはり10年かかったそうです。最初はみな『やらされてる』感じだったのが、続けるうちに役割になって居場所ができて。そうやって高齢者がいきいき元気に暮らせるまちになっていったんですね。

10年後の北上に、まだWAO北上という団体は存続しているかもしれませんが、私個人の仕事は次の担い手にバトンタッチしていたいなと思います。地域の中に「いい仕事」を作るというのも、私たちのもうひとつのコンセプトなんです。いままで職業として成立しにくかった『住民を支える、その仕組みをつくる』という私たちの活動も、『いい仕事』として確立して若い世代に引き継ぎたい」

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佐藤さんも一員である「きたかみInvolve」は、地域の若手が集まって地域の将来を考えるグループ。そのメンバーみんなで作った「きたかみをおもしろくする提案書」には「住民による住民のための地域づくり」の文字がある。

佐藤さんも一員である「きたかみInvolve」は、地域の若手が集まって地域の将来を考えるグループ。そのメンバーみんなで作った「きたかみをおもしろくする提案書」には「住民による住民のための地域づくり」の文字がある。

だれかのために動くことで元気になる

個人の仕事は引き継げても、「地域づくり」そのものにゴールはない。住民自治には、一人一人が「自分事」として地域にかかわる当事者意識が欠かせないが、佐藤さんから見て、その醸成と継続に秘訣はあるのだろうか。

「最近はもう、『当事者意識を持ってもらおう』とは思わなくなりました。だって、本当に自分のことにならないと無理でしょ?今回の大震災もそう。自分が被災して初めて、あのとき神戸の人たち、新潟の人たちは大変だったんだなぁと想像できましたけど、テレビで見るだけではわからなかった。それと同じで、高齢になって自分たちだけで解決できないことが出てくる、今までと同じに暮らせなくなってくる、ということも、実際そうなってみるまで分からないんですよ、きっと。でも、いざそのときが来たら、間口の広い『駆け込める場所』として、私たちが地域に存在していることが必要かなと」

その佐藤さん自身の「当事者意識」こそ、かなり間口が広いように思える。

「結局、私は『だれかのために動く』ことが、いちばん居心地がいいんだと思います。ずっと支援される側にいると、しんどくなってくるんですよ。誰だってそうでしょう。支援する側のほうが楽だし、絶対に元気になる。それを一回経験すると、そこから人は変わっていくんじゃないかと思います」

WE ARE ONE北上のチームに新しく加わる人材も、きっと「だれかのために動く」ことで元気になっていくのだろう。

この記事を書いたユーザー

中川雅美

中川雅美

東京の企業数社で20年以上、編集・制作・広報の仕事に携わったのち、2014年初から福島へ。復興庁からの派遣職員として原発事故被災自治体にて広報活動の支援に入る。任期終了後も福島に残り、現在はフリーのライター&助っ人として複数の団体を支援中。 ブログ「Life in Fukushima東京→福島 50歳からの単身地方移住日記」 www.lifeinfukushima.wordpress.com

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