震災を機に新しい挑戦に取り組む東北各地の事業者と、それをサポートしたい方々とをつなぐGoogleが運営するクラウドマッチングプラットフォーム「イノベーション東北」。
前編では、地域での働き方を模索する一歩目の選択肢として「都会にいながらの地域との関わり方」をサポーターの上原航輔さんからうかがいました。
後編では、イノベーション東北を担当するグーグル株式会社 防災・復興プロジェクトプログラムマネージャーの松岡朝美さんに加わっていただき、プログラムの魅力を語っていただきます。
前編はこちら>>移住の前に都会にいながら地域の「まちづくり」をしてみる(前編)―イノベーション東北が提案する新しい地域との関わり方―
女川町災害復興公営住宅での、松岡さんと上原さん
―どのような経緯でイノベーション東北を立ち上げられたのでしょうか?
松岡:イノベーション東北のアイディアは、震災直後にGoogle が行った「避難者名簿共有サービス」に発しています。このサービスでは、避難所にいらっしゃる皆さんがアップロードしてくださった避難所名簿の写真を、5000人を超えるボランティアの方たちが書き起こしパーソンファインダーに登録してくださったのですが、そのときに「その地域にいなくても、インターネットの力を使えばたくさんの人たちから善意が地域の助けになる」ことを学びました。
その後も、インターネットを通して、Google は復興のための何ができるか、もっと力添えができないだろうかと、東北に通い始めました。そうして巡りあわせていただいた方たちの目が本当にキラキラしていたんです。震災のまっただ中にいて、打ちひしがれても仕方ない状況なのに「未来を見据えてこれから新しい地域をつくっていくんだ」という想いに触れて、胸を打たれました。
今振り返ってみれば、スタートはそんな東北の方々の想いに寄り添いたいという気持ちだったんだと思います。 その想いを社内で共有し、多くの異なる業種の東北の事業者さんのそれぞれのチャレンジに対して、もっとも有効な支援方法を考えました。そして、インターネットの力を最大限活かすためには、東北の挑戦者の方々(以下、チャレンジャー)が実現したい夢に対して、最も適したサポーターの方々をおつなぎすることがいいのではと、2013年5月にクラウドマッチングプラットフォームとしてイノベーション東北を立ち上げることになりました。
グーグル株式会社 防災・復興プロジェクトプログラムマネージャーの松岡朝美さん
―スタートされてみていかがでしたか?
松岡:真摯な想いを持って東北のチャレンジャーと向き合ってくださるサポーターが多いことに、心から喜びを感じます。例えばいつの間にか、お一人で企業を訪ねてチャレンジャーと友人になり、「事業計画を一緒に作っています」という報告があったり、外資系企業で精力的に働かれていた方が、プログラムのご縁で岩手に移住してしまったり。
福島県会津若松のとても美味しい牛乳屋さんが、新商品のアイスクリームを作りたいと呼びかけたら、アイスクリーム好きのサポーターが次々と手を挙げて、ビデオ会議で商品開発をすることもありました。 上原くんたちのチームにも、本当に驚かされています。1週間に数回集まって、毎回3〜6時間も話し合うなんて、すごいですよね。
上原:そうですね。こんなに夢中になれる集まりはめずらしいです。
女川町の町役場でのサポーターの皆さん
―これまでのイノベーション東北を振り返ってのご感想を教えてください。
松岡:始めて2年ほど経ち、ビデオ会議での交流が中心ではありますが、東北のチャレンジャーの想いに応えるように120%のパワーでプロジェクトに向き合ってくださるサポーターの方々が多いなという印象があります。先ほどもお話したように直接会いに出かけたり、事業者さん同士をつなげてしまうようなサポーターが生まれたりする一番のパワーの源は、チャレンジャーの想いだなと感じています。サポーターを動かすのは、その想いへの共感なんだろうと思います。
上原:まさに、僕たちがチャレンジに参画している3か月間は、そのような状態でした。極端な話、僕ら4人とも女川のことを考えない時間がないくらいだったと思うんです。それはやはり「チャレンジャーをはじめとする東北の方々の想いに応えたい」という気持ちからでした。
松岡:”インターネット上のプラットフォーム”というとドライな印象を持たれるかもしれませんが、「血の通った交流」をとても大切にしています。自動的にマッチングしているわけではないので、お互いの東北への想いを伝え合うために実際に会う機会を設定したり、ビデオ会議等を通じて共有し合えるような場づくりを目指し、昨年はTokyo Work Design Weekのワークショップのイベントに参加するなど、できるだけ「想いの共有の場」をつくっていきました。
2015年3月22日の女川町復幸祭 女川町長と一緒に
―上原さんたちサポーターの皆さんにとって、事務局の方たちはどのような存在ですか?
上原:僕らとチャレンジャーの中間に潤滑油のように居てくださって、うまく巻き込んでくださる存在ですね。サポーターだけでは行き詰まる場面があるけれど、そんなときに違う視点からアドバイスをくださって、それを踏まえて次のアクションを考えることができました。とても良いかたちで併走いただけて、安心感がありましたね。
松岡:まったく面識のなかったチャレンジャーとサポーターの両者をつなげて、その後の関係性を継続的に深めるうえで、Google が本業とするインターネットツールを通じてお力添えさせていただいています。 最初は、お互いの気持ちがすれ違わないように積極的に事務局が間を取り持った方がいいのかもしれないと思ったのですが、まったくの杞憂でした。
サポーターの方々はみな、東北のことを第一に据えていらして、サポーターの声が大きくなりすぎるといった問題は起こらなかったんです。やはり根本にあるのは、チャレンジャーの想いで、「サポーターはあくまで伴走者として応援する」というスタンスが、自然と皆さんの中に共通して存在していたのかなと思います。
オープン直前のフューチャーセンターの前で
―今まで東北と関わってきたイノベーション東北が、島根県海士町とも連携を開始したとうかがいました。どのような経緯でこの取り組みが生まれたのですか?
松岡:たとえば上原くんたちチームが関わった宮城県女川町は、2015年4月にJR女川駅や女川フューチャーセンターCamassが完成するなど、東北の中でも比較的ハードの整備が速く進んでいる地域です。そうした中で、町長をはじめまちづくりに従事する方たちのお話を聞いていると、次に向き合わねばならないのは、少子高齢化や人口減少という、日本の他の地域が抱えている課題と同じでした。
今回、この試験的プログラムでおつなぎする海士町は、そのような課題に向き合い、他地域の知見を貪欲に吸収して、具体的な解決策を実行していく地域だという印象を持っています。そんな地域創生のフロントランナーの知見を直接的に、またインターネットを介して東北の皆さんにお伝えすることで、今後の復興のソフト面でお力になれればと考えました。
―どのように地域間の連携を進めていくのか、現段階でのビジョンを教えてください。
松岡:なにごとも、0 から1を生み出すのはとても大変なことです。でも、別の場所にいる誰かが同じような課題に対してあるスキームを既に生み出していたとしたら、その知見をもとにまったく違うスピードで物事を動かしていけるようになるのではないかと感じています。距離が離れていたとしても、インターネットは、その人たちをつなぎ、動きを早めたり、活動をより大きくできる力を持っています。
実は、海士町と女川町は自身を「開かれた町」と表現します。東北が他地域の良い事例を利用するだけに終わらず、2つの町が互いのニーズを補完しあいながら、ともにプロジェクトが成功するように、黒子としてコーディネートしていきたいと思っています。
イノベーション東北は、東北で地域に根ざしたプロジェクトに取組むチャレンジャーと、そのプロジェクトに参加・応援したいサポーターとをつなぐ、Google のマッチングプラットフォームです。 今の仕事や生活スタイルを続けながら、東北の地域・社会に関わる新しい働き方をぜひ見つけてください。
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