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移住の前に都会にいながら地域の「まちづくり」をしてみる(前編)―イノベーション東北が提案する新しい地域との関わり方―

2015.08.01 

震災を機に新しい挑戦に取り組む東北各地の事業者(以下、チャレンジャー)と、彼らの挑戦に参加したいサポーターとをつなぐクラウドマッチングプラットフォーム「イノベーション東北」。運営するGoogleが中心となり、パートナー企業・団体、地域に根ざしたコーディネーターと連携しながら、全国各地で働くサポーターたちとチャレンジャーをマッチングすることで、東北から新しい変化を生み出すことを目指しています。

DRIVEで全国さまざまな地域の求人をご紹介する中で、「地域の仕事に関わりたいけれど、いきなり移住は難しい」という読者の声をよく聞きます。今回はそのような方たちに向けて、地域での働き方を模索する一歩目の選択肢として、「都会にいながら地域に関わる」方法の一つである「イノベーション東北」の取り組みをレポートします。

前編では、「イノベーション東北」チャレンジャーのお一人である宮城県女川町の小松洋介(こまつ・ようすけ)さん(NPO法人アスヘノキボウ代表)の挑戦を東京から支えるサポーターの一人、上原航輔(うえはら・こうすけ)さんに話をうかがいました。 イノベーション東北前編・メイン画像

グーグル株式会社 防災・復興プロジェクトプログラムマネージャーの松岡朝美さん(左)と、 サポーターの上原航輔さん(右)

―どのような経緯で「イノベーション東北」に関わられたのでしょうか。

 

上原:昨年の“Tokyo Work Design Week”*1 のイベントに参加したことがきっかけでした。人材系の企業で働いていることもあり、「東京」や「会社」だけで働くのではなく、より柔軟性のある働き方を探してみたいという気持ちからイベントに参加したんです。そこで偶然、イノベーション東北に出会いました。 その場での内容は、岩手、宮城、福島の3つの地域からそれぞれ挑戦者の方がいらっしゃり、彼らの地域プロジェクトに対して会場の参加者と具体的なアイデアを考えるというワークショップでした。

共感する挑戦者がいた場合、その「サポーター」となって、東京から引き続きプロジェクトを支えることもできると説明を受けました。 僕は、女川町でまちづくりに取り組むNPO法人アスヘノキボウ代表の小松 洋介さん*2 のチームに入ることになりました。各地の挑戦者がイノベーショントークを通じて考えたアイデアをプレゼンしてくださったのですが、小松さんは、「女川に来て起業する人たちをどのように増やすか」というプロジェクトを提案されていて、その気持ちにとても共感し興味を持ったんです。

*1 「新しい働き方」や「未来の会社」にまつわるアイデアやヒントを交換して、多様な交わりから新たな未来をつくっていくイベント。イノベーション東北も2014年に参加した。

*2 特定非営利活動法人アスヘノキボウ代表理事、女川町商工会。大学卒業後、(株)リクルートに入社。入社7年目の時に東日本大震災が起こり、リクルートを退職し、宮城県で最も被害が大きかった女川町へ入る。女川町復興連絡協議会戦略室のメンバーとして、民間による復興計画の作成、7社の起業支援、町内の人材育成、公民連携のまちづくりに携わる。この取り組みは単行本「東北発10人の新リーダー―復興にかける志」にも取り上げられている。

サポーター・上原航輔さん

イノベーション東北サポーター・上原航輔さん

―どのような想いに共感されたのですか?

 

上原:僕は、観光と農業がメインの長野県の小さな町の出身です。実家のリンゴ農家をいずれ継ぐことを念頭に、農業以外に人を呼びこめるような仕組みを漠然と作りたいと思っていたタイミングで、小松さんの「女川町内で人の交流が生まれるフューチャーセンターを作り外から起業家を呼び込みたい」というアイデアをうかがって、単純に「すごい!」と思いましたし、ここから何か学べることがあると感じたんです。そして、イベントが終わった後すぐに、女川町のチャレンジにサポーターとして応募しました。

 

―女川町について、どのような町だと感じていますか?

 

上原:女川を知って“被災地”に対するイメージが変わってしまったくらい、とても活気のある町です。多くのものを失った震災後に新たに立ち上がるのは、とてつもないパワーが必要なことだと思います。でも、女川の方たちは前向きに「町の未来をどうつくりあげていくか」ということに向き合われていた。そういった方々が東北にいて、活躍されていることを知ることができたのが、とても大きかったです。 女川町視察

女川町視察

また、さまざまな方たちが集まれる場所がしっかりと存在しています。町長をはじめ、町役場の人、起業している人など、町の人同士が交流できるような場所があるんです。僕の地元にはそういった場所がないので、すごいことだなと思いました。震災前も、外に開かれた町であったのかもしれないですけれど、震災後、より多くの方を巻き込みながら町を活性化させていこう、という意識が強くなったのかもしれないと感じています。

 

―イノベーション東北の魅力は何だと思いますか?

 

上原:僕にとっては、参加することで世界が広がっていく感覚があって、そこがとても魅力だと思います。女川町に行けば、次々と町の方と知り合い、そこからさらに新しいつながりが数珠つなぎに拡がっていきました。 女川をサポートしているチームメンバーの4人は、まるで会社の同期仲間のように仲が良いんじゃないかと思っています(笑)。

年齢も職業もバラバラで、だからこそ得意なことが皆違っていて、衝突もしない。当然、議論になることはあるけれど、常に前向きな姿勢でいることができます。対価を得ない活動を通じて、こういったつながりができるのはすごいことだなと思います。 SupporterMeeting

サポーターミーテング

―東京で働きながら、地域に関わることができる魅力は何だと思いますか?

 

上原:メリハリがつくところでしょうか。僕の志向性だと思いますが、一つの場所にずっといることや、一つのことをずっとしていることが好きではなくて。そういった意味で、平日は東京で仕事をし、週末は違うテーマで地域に関わることで、生活にメリハリがついていると思います。

そもそも僕は、特定の地域に関わりたいという気持ちや、移住したいという気持ちはまったく持っていなかったんです。今は女川なら移住してもいいかな、と思ってしまいますけど(笑)。あとは、女川に関わっていくうちに、地元の長野にこだわらず、他の地域で働く選択もありえるかなと思うようになりました。

 

―地域に関わってみて、実際にどのような魅力を感じましたか?

 

上原:微力ながら、「まちづくり」に携われている実感を得られるところに魅力を感じています。東京にいると、すべてが大き過ぎて、自分の影響力というか、自分と東京の関係が正直よくわからない。でも、女川のような人口の少ない小さな町に行くと、自分の影響力も少なからず存在するなと感じます。人が住む町に何かを生み出す可能性があることは、それ自体がとてもインパクトのあることだと思っています。

 

―上原さんが考える、これからの働き方について教えてください。

 

上原:長野に拠点を置きつつ、別の場所でも仕事をする生き方をしてみたいなと思っています。東京以外では仕事ができないなんてことはないと思っていて。僕は実家が農家なので、自分の生まれ育った町に戻ったとしても、仕事はあります。でも、仕事が地域に生まれさえすれば、おそらく人は地域に移住してくるんじゃないかと僕は思っているんです。

そして女川も、町外から移住を促進するための取り組みを仕掛け始めていて、実際に新しい人が町に増えていくと思っています。都会で働くだけではない生き方をしたい人は、イノベーション東北のような機会を通じて、少しずつでも地域と関わってみるのはいいかもしれないですね。  

>>後編では、グーグル株式会社 防災・復興プロジェクトプログラムマネージャーの松岡朝美さんも加わっていただき、イノベーション東北の魅力を語っていただきます。

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桐田理恵

1986年生まれ。学術書出版社にて企画・編集職の経験を経てから、2015年よりDRIVE編集部の担当としてNPO法人ETIC.に参画。2018年よりフリーランス、また「ローカルベンチャーラボ」プログラム広報。