地域の人々に親しまれて
「おう、ケンタ、今日は仕事かい?」
宮城県石巻市の牡鹿半島にある小さな仮設商店街、「おしかのれん街」に入ると、石渡賢大さんは方々から声をかけられた。まだ30歳手前の石渡さんのことを、地域の人々は親しみを込めて「ケンタ」と呼ぶ。
「こんにちは!今日もお客さん多いですね」 ケンタさんはニコニコと答える。
ここ牡鹿は、石渡さんが1年半ほど前から足しげく通っている場所だ。東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市だが、市街中心部は新しい商業施設やマンションなどの建設、またユニークな起業家たちの集積も進み、賑わいが戻ってきている。一方、同じ市内でもそこから車で1時間以上かかる牡鹿、北上、雄勝といった沿岸地域には、震災で激減した観光客が戻ってきていない。そうした復興の「地域差」を埋めるべく、「地域おこしレンタカー」なる仕組みを考えたのが、日本カーシェアリング協会に勤務する石渡さんだった。同社が提供するレンタカーで牡鹿・北上・雄勝へ行き、加盟店のスタンプを集めると、レンタカー料金から最大2,000円がキャッシュバックされるというものだ。
石渡さんは2017年9月、石巻市の地域おこし協力隊員第1号として日本カーシェアリング協会に着任。「地域おこしレンタカー」を発案してからは、一人でこの3地域50ほどの事業者を1軒ずつ訪ね、主旨を説明して回った。
「ケンタは最初何か説明しに来たんだけど、その週末がちょうど朝市の日だったから、それ手伝ってくれって言ったんだよ」と、のれん街会長の石森さんが笑う。この日の石渡さんは、石森さんが営む「旬魚旬味いしもり」で人気の三食丼を頬張り、店主ご夫婦と談笑しながら、「この辺に使わなくなった車をお持ちの方いませんか?」と情報収集にも余念がなかった。
「石巻発、寄付車でつくるやさしい未来」
その石渡さんが勤める一般社団法人日本カーシェアリング協会(以下カーシェア協会)とは、どんな組織なのか。いかにも業界団体と間違われそうな名称だが(実際に誤解されることも多いという)、都会でいう一般の「カーシェア」運営企業とは全く異なる。代表の吉澤武彦氏が東日本大震災後の石巻市で立ち上げた非営利の法人だ。事業エリアは大きく3つ。
・車を媒介として支え合う地域づくりを目指す「コミュニティ・カーシェアリング」復興住宅団地などのご近所同士で車を一緒に活用しあう、地域のサークル活動。主体はあくまでも住民自身であり、カーシェア協会は導入・運営のサポートに徹する。
・生活再建と地域の活動を車で応援する「ソーシャル・レンタカー」および「ソーシャルカーリース」生活に困っている人、地域貢献活動に従事する人・団体、移住・起業を目指す人などへ、一定期間、格安で車を提供する。
・自然災害での被災地支援活動日本全国で自然災害が発生した際、石巻での知見を活かし、車の寄付収集から運搬、貸出しまでを現地の行政や団体と連携して迅速に行う。
各事業の詳しい内容は、公式ホームページ(https://www.japan-csa.org/)にわかりやすく記載されているのでぜひ参照いただきたい。
都心では車の必要性を感じない人も多いだろうが、ひとたび郊外へ出れば車は生活必需品である。公共交通機関の少ない地方の集落ともなれば、1人1台は決して贅沢ではない。大震災前、人口15万の石巻市の自動車登録台数は12万を数えたというが、その半分の6万台が被災してしまったのだ。人々の必死の生活再建努力に、「車」という道具がどれだけ必要とされたか。そこへ全国から「車の寄付」を集め、届けた吉澤さんらの活動がどれだけ感謝されたか、想像に難くない。
日本カーシェアリング協会の現社屋は、福島県二本松市にあった仮設住宅の無償譲渡を受けたもの。社員みんなで移設(解体・運搬・組立て)したという。
最初は「運転すらできなかった」という吉澤代表が、石巻市の一仮設住宅を舞台に始めたコミュニティ・カーシェアリングの活動は、今では市内10地域にカーシェア会が立ち上がり、合計会員数は約300名を数えるまでになった。市外でも近隣の女川町や南三陸町、福島県浪江町をはじめ各地で導入準備が進む。
上述のとおり、これはただの「車の共有」ではない。目標はあくまでも「支え合う地域づくり」であって、車はそのための道具にすぎない。その「人間関係構築」の効果は数字にも表れ始めており、被災地に限らず高齢化社会のモビリティ問題の解決のヒントとしても注目を集める。今年7月には、カーシェア協会は滋賀県大津市と超高齢化社会の新たな移動手段となる「コミュニティ・カーシェアリングの普及促進に関する連携協定」を締結した。
カーシェア、レンタカー、カーリース、被災地への車提供。特筆すべきは、これらの活動原資である車がすべて「寄付」で賄われていることだ。個人だけでなく企業からの提供を含めて、これまでの寄付総数は300台を超え、現在では100台ほどが稼働しているという。
正直、筆者にとっては「車を寄付する」という発想自体がなかったのだが、なるほど、買い替えで下取りに出しても大した金額でないのなら、寄付して人の役に立った方が気持ちいいだろう。また一昨年、高齢の父が免許を返納して乗らなくなった車も、古いとはいえまだ走るのだから、今から思えばただ処分するのは勿体なかった。車にはそうやって、みな多かれ少なかれ思い入れがあるものだ。手放した後もどう活用されているのか、目に見えたらうれしい。
石渡さんによればこんなケースもあるという。
「あるとき、とても暗い声で『車を寄付したい』というお電話がありました。1週間前に亡くなったご主人が乗っていた車だそうです。奥さまは手放したくなかったけれど、ご主人が以前にカーシェア協会の活動を知って、自分が亡くなったら車を寄付するようにと遺言を残されていたというのです。大切に使わせていただきますといってお引き取りし、2017年の九州北部豪雨の被災地支援で活用させていただきました。後日その様子をご報告にいったらとても喜んでくださって、『まるで主人が生きているみたい』と。僕も泣きそうになりました」
2018年夏の西日本豪雨で甚大な被害をうけた岡山県倉敷市真備町で、被災者から寄付車の返却を受ける石渡さん
実は石渡さん自身も今年、突然父親を失くした。「大切な家族が乗っていた車をどうするか」という問題の切実さは身をもって知っている。
「行き場がない、でもただ捨てるには忍びない、という車はたくさんあるはず。それを引き取って人助けに役立てることで、その車の思い出も繋ぐことができる。それが、この仕事の好きなところですね」
NPOの世界、ファンドレイザーの仕事に魅せられて
そう語る石渡さんだが、実はここまで「社会貢献活動」一筋で来たわけではない。千葉県茂原市の出身。慶応大学3年のとき東日本大震災が起きた。当然、就活は遅れた。
「当時はNPOとか寄付とかまったく興味なかったですよ。何もなければ通信業界に就職していたかもしれません。でも、大震災はとてもショックな出来事でした。自分なりに『次の災害が起きたとき役立つこと』を考えて、選んだのが保険の仕事です。2012年4月に大手損保に入社し、翌月から希望通り宮城県の仙台支店に配属になりました」
といっても、実際には営業や損害査定など日々の業務に追われ、東日本大震災の対応とはほとんど無縁だったという。そのうち石渡さんは、保険金支払い業務を通して交通事故の悲惨さを目の当たりにする。
「仙台の事故センターだけでも毎日何十件という事故を受け付けるんですよ。なんとかこれを減らせないものか。そこで、自動運転技術など交通事故減少に貢献しそうな分野を調べ始めた中で見つけたのが、カーシェア協会です。コミュニティ・カーシェアリングという活動を見て、これは少なくとも高齢者の事故を減らせる仕組みじゃないか!と思ったんです。うちの実家のある地域を含め、公共交通機関の少ない地方では車を手放したら生活できません。でも、高齢者が自分で運転しなくてもコミュニティで助け合って移動手段が確保できれば、免許の返納も進むはずだと」
さっそく石渡さんは、「話を聞かせてほしい」とカーシェア協会代表の吉澤さんの元を訪れ、アンケート調査やイベントの手伝いなどボランティアとして数か月に一度のペースで石巻に通い始めた。が、当然、最初は転職など思いもしなかったという。
「しばらくして代表からうちに来ないかと誘われたんですけどね(笑)。経済的にちょっと・・・」
そうやって「ゆるいペース」でカーシェア協会と関わっていくうち、石渡さんはNPOという存在そのものに魅了されていく。
「社会課題の解決や団体を応援したいと思う人から支援を集めて、そ
損保会社を退職後、英語習得のため3か月間の海外留学を経て、2017年9月、石渡さんは石巻に移住。市が導入したばかりの「地域おこし協力隊」制度を活用してカーシェア協会での仕事を開始したのだった。
石渡さんの主な担当業務はまず、上述の分類でいくとソーシャル・レンタカー/ソーシャル・カーリース、および被災地支援だ。2018年の西日本豪雨ではいち早く現地入りし、100台にのぼる寄付車を集めて必要な人々に届けたほか、冒頭に紹介した「地域おこしレンタカー」事業の開発なども手掛けてきた。
加えて石渡さんは、カーシェア協会の他のメンバーとともに様々な組織との連携(コラボレーション)推進にも関わっている。事実、協会の活動は、車の提供者以外にも、かつての石渡さんのようなボランティア/プロボノをはじめ多くの企業や大学などの協力なしには成り立たない。たとえば、災害時に集まった寄付車を現地へ運ぶには、車両運搬車を保有する企業の支援のほか幾多の運転ボランティアが不可欠だ。
緊急時だけではない。所有する車の整備では、石巻専修大学理工学部機械科の学生たちが授業の一環としてタイヤ交換や車両点検を行うとともに、タイヤ、ホイール、ワイパーなどの製品は各メーカーの協賛を仰いでいる。さらに、協会のロゴおよびキャラクター(スートンとローリー)は、東京学芸大学正木賢一研究室の学生がプロデュースしたものだ。
カーシェア協会所有車の目印は、スートン(石)とローリー(巻)だ。
無価値なものを価値に変換する、画期的なスキームを開発
こうした連携協力に加え、石渡さんが「試行錯誤しながら注力し始めている」のが、安定収益を生む自主事業の拡大と支援性資金(寄付)の獲得である。いわばファンドレイザーの本領発揮の分野だ。
「これまでは被災地復興に関わる補助金、行政の委託業務に依拠する部分が大きかったのですが、そうした復興系の資金は確実に減少していきます。そこで、自主事業の拡大とともに、マンスリーサポーターをはじめ継続的に寄付金が入ってくる仕組みを整備して、収益構造を理想的なバランスに持っていきたい」
協会のページには協力企業・団体の名前が数えきれないほど並んでいる。
同じNPOでも、たとえば中間支援的な組織に比べて、カーシェア協会の活動は車という「モノ」が媒介するぶん、寄付者にとって自分の支援がどう役立っているか具体的にわかりやすい、という強みはあろう。それでも実際に寄付してもらうハードルは低くない。
その難題に挑む石渡さんが考案した画期的なプロジェクトが、今年6月に始動した。プレスリリースのタイトルは、「いらない車が寄付になる!使用済み自動車で寄付するプロジェクト」だ。
これまでは走行可能な車に限って寄付を受け入れてきたが、このスキームを使えば、故障などで動かない古い車でも無償で受け入れる。提供者の同意のもと、提携先の自動車処理業者が適正処理をして、再利用できる部品などの価値を査定。その金額が協会に寄付されるという仕組みだ。
廃車手続きが面倒、費用がかかるなどの理由で放置されている車両は少なくないが、このスキームを使えば持ち主には負担がかからない。結果として適正処理される車が増え、リサイクルパーツの流通が増えれば処理業者にとってもうれしいことだ。もちろん環境負荷も減らせる。そして、カーシェア協会にとっては、車という形で寄せられた好意を資金に換えることも可能になった。まさに三方どころか四方良しの仕組みなのである。
「同じ寄付でも、お金を出すより不要になったモノを出すほうがハードルは低いでしょう。日本の廃車台数は年間400万台。その1%でもこのプロジェクトで活用できたら、それだけで私たちの活動は十分維持できます。この仕組みを全国に広げて、『いらなくなった車はカーシェア協会へ』という流れを作りたい」
新しいプログラムでは、こうした走らない車も引き取り、価値に変える。
石渡さんはもうひとつ、社会貢献教育ファシリテーターの資格も取得している。学校教育現場で「NPOとは、社会貢献とは、寄付とは何か」をといったことをわかりやすく教える仕事だ。2015年に始まった新しい資格ということもあって保有者は少なく、宮城県では石渡さんを含めてまだ2名しかいない。
「日本には寄付文化がないと言われますが、その理由は学校できちんとその意義が教えられてこなかったからだと思います。僕はその寄付教育を東北で、石巻でやりたいと思った。ここは震災のとき世界中から支援が集まった場所です。次は、ここから困っている地域に手を差し伸べられるようになったらいいなと思っています」
高齢者でも自由に外出できる社会をつくりたい
「カーシェア協会の仕事には、それまでになかったやりがいを感じています。転職は間違いではなかった」
そう語る石渡さんはいま、石巻の地でイキイキと活躍している。たしかにイキイキなのだが、「やたら威勢がいい」という意味ではもちろんない。むしろ、まだ20代というのが信じられないほど、落ち着いた雰囲気を醸し出す。
どんな画期的な事業スキームも、おもしろい仕掛けも、それを運用するのは人だ。多くの関係者との信頼関係があって初めて成り立つ。石渡さんのようなヨソモノがこれだけ地域に受け入れられ、着任からわずか2年足らずの間にこれだけの実績をあげていることは、率直にいって驚嘆に値しよう。
冒頭で紹介した「おしかのれん街」の食堂のおかみさんは、「私らにも選ぶ権利はあっからね。やっぱりケンタの人柄だよ」と笑った。レンタカー情報を聞かれたら、もちろんカーシェア協会を勧める。しかし、彼らにとって車は「協会から借りる」のではない。あくまでも「ケンタのところから借りる」のだ。
石渡さんは、「昔から自分はこうなんですよね。ビシっと真面目じゃなくて、ちょっとユルい感じがいいみたい」と受け流すが、ただの「愛されキャラ」だけなら「人を動かす」ところまではいかないはずだ。笑顔を絶やさず、落ち着いたテンポでわかりやすく話す。そして、相手の目をしっかり見て話をよく聞く。簡単なようだが決して誰でもできることではない。
被災した地元事業者が集まる仮設商店街「おしかのれん街」も、2020年3月でその役割を終える。この地域の復興も次のフェーズへ向かう。
あと1年余りを残す地域おこし協力隊任期の終了後については、まだ決めていない。カーシェア協会の仕事に加え、取得した資格や学んだ英語を生かしつつ、複数の収入源を持つ生活も考えているという。今後は、地域のベンチャー(のたまご)たち向けの「石巻松下村塾」という起業プログラムにも参加予定で、そこでの出会いが次の何かにつながるかもしれない。
が、どう転んでも石渡さんは着実に歩みを進めるだろう。
「痛ましい交通事故を減らし、何歳になっても、どこに住んでいても、自由に外出できる社会をつくる」
その目標に向かって、ケンタさんの挑戦はつづく。日本カーシェアリング協会の動向とともに注目していきたい。
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