あらゆる局面に深刻な影響を及ぼす一方で、新しい働き方や価値観をもたらすきっかけともなっている新型コロナウイルス。刻一刻と状況が変化する中で、先進的な自治体はどのようにコロナ禍と向き合い、アクションを起こしていたのでしょうか。本連載では、意外と知ることの少ない、最前線で働く自治体職員の方々の「あたまのなか」に迫ります。
第2弾でご紹介するのは、岩手県釜石市の「あたまのなか」です。2012年、東日本大震災を契機として経営コンサルタントから任期付の市役所職員に転身した、石井重成さんにお話を伺いました。着任当初はバランスボールを椅子代わりにして変わり者扱いされたり、横文字を多用することから「アジェンダくん」というあだ名で呼ばれていた石井さんですが、29歳(2016年当時)の若さでオープンシティ推進室(分野横断型の地方創生推進チーム)の室長に抜擢されるなど、今では釜石市の地方創生の中核を担う存在です。
石井重成(いしい・かずのり)/釜石市オープンシティ推進室 室長
2012年より釜石市役所へ任期付職員として参画。地方創生の戦略立案や官民パートナシップを統括。半官半民の地域コーディネーター釜援隊の創設、グローバル金融機関と連携した高校生キャリア教育、広域連携による移住・創業支援、ローカルSDGs等、人口減少時代の持続可能なまちづくりを推進。内閣官房シェアリングエコノミー伝道師、総務省地域情報化アドバイザー、青森大学客員准教授、一般社団法人地域・人材共創機構代表理事。
「人を呼び込む人」を大切にする仕掛け作り
――今回のコロナショックで釜石市にはどのような影響がありましたか?
石井:釜石でも社会的経済的影響はやはり大きいですね。都内に販路をもっている食品メーカー等でも、人を雇用しないといけないけど経営が厳しいという話を聞きますし、水産物の価格が下がって生産者や卸業者にも影響が出ています。宿泊業も人が戻らず困難な状況が続いているようです。コロナに関する臨時議会では緊急性の低い予算を積極的に減額し、予算を確保する動きが顕著で、オープンシティ推進室でも当初予算の1割程度を削減して、事業者向けの緊急対策等に回しています。
それから移住関連施策等、外から人を連れてくる企画は一旦凍結していて、コロナの情勢や世の中の価値観の変化に合わせてリスタートするタイミングを伺っているところです。もともと今年度から、移住者を呼び込んできた市民に対してインセンティブを提供する仕組みをリリースする予定でした。多用な人を呼び込んでくるために本質的に必要なことは、すでにここにいる人が呼びたいと思うかどうかだと思うんです。釜石では地方創生を推進するための羅針盤として「釜石市人口ビジョン・オープンシティ戦略(地方版総合戦略)」を策定していますが、これはその中の最重要KPI(重要な数値・状態目標)としても明示しています。呼ばれてきた人よりも、呼んできた人をほめ合う仕掛けです。シンプルなやり方なんですけど、市として「地域に人を呼び込んでくる人」を大切にしたいというスタンスを示すためにも、わかりやすい仕掛けをつくりたいなと。
釜石市にはまちづくりを学びに海外からも視察が来ていた
それから、自律分散型の移住支援を実装するために、兼業の移住コーディネーターを10人まで増員する予定でした(現在は4人)。移住コーディネーターが1~2人いる地域はたくさんありますが、10人、しかも兼業のみというのはなかなかないんじゃないかと思います。釜石にいてもいなくても、地域の人材還流に関われる仕組みです。
どちらも今はペンディングしていますが、コロナ禍を経て起きた変化を踏まえてどう変容させていくかを描いているところです。
僕自身の変化で言うと、釜石に来て8年弱になりますが、ここまでずっと釜石にいるのは今回が初めてですね。これまでに釜石と東京の往復で地球8周分くらいしていて、去年も1年のうち釜石にいるのが半分くらいでした。それが3月から3ヶ月県外に出ていません。現場に向き合う時間やチームメンバーとの会話量が増えました。岩手は県全体としても感染者が出ていないこともあって、生活していく上でのストレスは低いですね。ただ、オンラインの会議やイベントでスケジュールが埋め尽くされ始めています(笑)
市役所を、学校を、まちを開き続ける「オープンシティ戦略」
――コロナショックを契機とした変容は事業にも表れていますか?
石井:オンライン化の試行がいろいろと出てきています。例えば社会人との対話交流を通じて高校生がキャリアを考える「Kamaishiコンパス」というプログラムでは、地域内外の大人を毎月20人程高校に呼ぶのですが、この6月は18講座のうち8講座をオンラインで実施しました。多少の混乱はあったけど意外とやれたという感覚です。むしろ海外ともつなげられたり、アプリを活用することで普通にやるより質問がたくさん出てきたり、デジタルならではの強みも実感できました。
Kamaishiコンパスの関係者と
それから5年目の最終年度となる今年度のローカルベンチャー推進事業では、これまでの取り組みのアーカイブ化を大事にしています。具体的にはYouTubeで「Life Quest」という釜石で挑戦している人の悩みや葛藤を生の声として届ける番組を配信して、そのデータを蓄積しています。僕も5月に第1回のゲストとして登場させてもらい、どういう時に頑張れた、辛かったというような話をさせてもらいました。そしたら案外釜石の中の人が見てくれていて、「そんな苦労してたんですね」みたいなメッセージをたくさんもらった。その番組の視聴者には、報告会というきっちりした場だったら来てくれていなかった人も含まれるだろうし、オンラインシフトしたからこその可能性を感じるものでした。
僕が釜石で常に心がけているのでは、市役所やまちを開いていくことです。開いていく中で、新しく入ってきたものと化学反応を起こしていくことを必死で重ねてきた。それが学校やまちにも広がってきているんだと思います。
変化が目に見えるまでやり続ければ、人はついてくる
――石井さんの所属部署にも「オープンシティ」という言葉が冠されていますね。
石井:これは戦略コンセプトを表すキーワードですが、元来釜石の人がもっている気風や価値観をそう表現させてもらっているという感じです。先ほど触れた「釜石市オープンシティ戦略」はまち全体を開いていくための指針でもある。ただマキャベリも言っているように「人は実際に目の前で見ない限り理解することはできない」んです。「オープンシティ」と連呼しても、策定当初は誰も実感がわかないし、理解できない。まちづくりをする側の人が肝に銘ずるべきは、最初から理解してもらうのを捨てることかと思います。
何年かやってきた結果として、仲見世にオフィスやおしゃれなカフェができたとか、地域活動をしていた高校生が慶應大学に合格したとか、よくわからないけど実際いろんな人が企業研修や修学旅行や新規事業開発等で釜石に来ている、といった肌でわかる変化が表れる。こうした生活圏で実感がもてるようになるまでやり続ければ、人はついてくるし、お金も生まれるし、地域の土壌として価値観が研ぎ澄まされていくんだと思います。
ラグビーワールドカップの企画に励む高校生
KPIの数を40→5に大幅カット。減点評価をやめて、ほめ合う価値観へ
――羅針盤となる「釜石市オープンシティ戦略」はどのように作られたのでしょうか?
石井:2016年3月に第1期戦略を策定したんですが、その時はまず市役所の40歳以下の若手25人と、公募に手を挙げてくれた市民25人の50人で7回くらいワークショップをやって議論しながら作っていきました。僕がファシリテーションもやったし、当時のチームメンバーとどうやったらいいんだと途方に暮れながらつくりました(笑)。その後ドラフトを作って、それを基に各地区の地域会議やショッピングモールのフリースペースも使って30回近く説明会を繰り返しながら、700人くらいの参加者にもまれて形にしていきました。当時、国が各自治体に1千万円ずつ計画策定費として配ったんですが、「〇〇コンサルタント」みたいな都市部企業に丸投げするのが嫌だったので、外部委託をせずに自分たちでゼロからつくったんです。その基本コンセプトは第2期も踏襲しています。
2020年4月に策定した第2期戦略で大きく変えた点は、KPIとマネジメントの手法です。まずKPIを40から5に減らして、さらにその粒度を個々の施策単位ではなく、アウトカム(達成された成果)重視のものに変えました。
▼第2期「釜石市人口ビジョン・オープンシティ戦略(地方版総合戦略)」におけるKPI
釜石市に限った話ではないと思いますが、個々の施策ごとにKPIを設定・評価すると、8割がA評価なのに、元々その戦略が描いていた経済指標や人口動態といった「アウトカム」は全く改善されていなかったりする。それは各部署で個別にKPIを立てていくと、実際に達成できそうかという観点でつくってしまいがちだからなんですね。それはもう、組織の力学としてしょうがない。また、施策ごとの個別KPIをアウトカム指標に紐づける作業って、厳密にやろうとすると非常に煩雑で難しいんです。そして、この5年間で実際に起きたことを振り返ると、5年前に想定していなかった新しい事業や価値がたくさん生まれているわけです。5年間PDCAを回してみて、40個のKPIをコツコツ管理する無意味さを実感し、あえて手放すことにしました。これを手放した自治体って、あまりないんじゃないかと思います(笑)
その代わり大きい単位のKPIを5つを設定して、それに対して毎年、各部署や関係者でどんなことをしうるか議論する、というマネジメント手法に変えました。これって、計画に沿って順序よく仕事を進めていくスタイルとはちょっと違いますよね。これには議論してやってみて、うまくいったことをほめ合う価値観を市役所で作りたいという意図があります。役所にありがちな減点評価をやめた感じです。このやり方自体が、オープンイノベーションを行政機関として推進するための実験ですね。こうしたインナーコミュニケーションの設計が、組織にどういう変化をもたらすのか楽しみです。
2019年には新設の釜石鵜住居復興スタジアムでラグビーワールドカップの試合が開催
イノベーションが生まれやすい「出島」に任せるという市の決断
――かなりイノベーティブな変更点だと思うのですが、なぜそれが実行できたのでしょうか?
石井:イノベーションは「出島」的な、ある種の「治外法権」が許された場所でしか起きないと思います。釜石市で言えば僕のいるオープンシティ推進室が出島だし、周りからもそう認識されている。そもそも、地方創生といった大きな方針の決定を出島に任せるという、釜石市の選択がすごいとも言えますね。
あとは、私が継続的にディレクションできるという視点もありますね。1期5年間をやりきって、それらの反省や可能性を踏まえて次の5年間を設計できる。公務員は定期異動があって、同じ事業を長く見られる機会が少なかったり、管理職のリーダーが計画策定から実行、効果検証まで一気通貫でやりきるケースって意外と少ないんです。もちろん、責任を分散したり、引き継いでいくことで組織が回っていく面もありますが。釜石市役所の人事の柔軟性や、民間人材との付き合い方がイノベーションの源泉にもなっています。
5年前は戦略を策定するだけでも本当に大変でしたが、目に見える変化も出てきたことで、今では他部署であってもすぐに情報を出してくれます。協力的で非常にやりやすくなりました。イノベーションを生み出すための「出島」と「本島」の良好な関係が、5年回してやっと固まってきたと感じています。
――一方で、長く同じ組織や地域内にいればいるほど、出島スピリットは弱まりませんか?
石井:確かに出島であり続けるのは難しい。だから新しい触媒を入れ続ける必要があるし、僕が誰よりも自己変容し続けることを求められていると思います。地域に「出る杭ネットワーク」を育てるためにも、自分自身が出る杭でありつづけること、そしてやったことを讃え合う文化や土壌も大事ですね。
「出る杭」って伝播するものだと思うんです。中くらい出た人を見て、ちょっと出てみたい人が集まってくるし、ちょっと出た人を見ていずれは出る杭になりたい人が集まってくる。withコロナ社会でも、そういった場づくりを続けていきたいと思っています。
――石井さん、ありがとうございました!
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