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熱意の連鎖がサスティナブルな町をつくる。北海道厚真町役場のケース

2020.08.07 

あらゆる局面に深刻な影響を及ぼす一方で、新しい働き方や価値観をもたらすきっかけともなっている新型コロナウイルス。刻一刻と状況が変化する中で、先進的な自治体はどのようにコロナ禍と向き合い、アクションを起こしていたのでしょうか。本連載では、意外と知ることの少ない、最前線で働く自治体職員の方々の「あたまのなか」に迫ります。

 

第4弾でご紹介するのは、北海道厚真町の「あたまのなか」です。厚真町は、コロナショックのみならず、2018年9月の北海道胆振(いぶり)東部地震に見舞われながらも、地域での起業や新規事業立ち上げを支援する「ローカルベンチャースクール」(以下、LVS)等の取組によって、少しずつですが着実に“挑戦者”を増やしつつある町です。今回は、LVSを厚真町に引っ張ってきた張本人とも言える、厚真町役場の宮久史さんにお話を伺いました。

 

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宮久史(みや・ひさし)/厚真町役場 産業経済課兼まちづくり推進課

岩手県出身。大学院修了後、札幌のNPO法人に就職。研究を続けてきた林業への関わりを増やすため、2011年に厚真町の林務職に転職。研究成果を現場に活かすことを目標に、林業振興施策や町有林管理、野生鳥獣対策に従事。2016年より、持続可能な地域づくりに向けて、地域での起業家を育成するため厚真町LVS事業も手掛ける。

1人の行政職員の熱意が、挑戦者を町に呼び込む仕組みを生み始めている

 

――宮さんが担当されている厚真町のLVSは、どのようにして始まったのでしょうか?

 

宮さん(以下、宮):LVSとは元々、岡山県西粟倉村の「エーゼロ株式会社」の牧大介さんを中心に始まっていた、地域で起業家を育成する取り組みですが、2015年に「西粟倉ローカルベンチャースクール」というタイトルが付けられ、広く世間で知られる事業になったと理解しています。僕自身がその存在を知ったときに、こんなことを厚真町でもできたらな、と思いました。LVSは、実際に地域を見た上で自分がやりたい事業プランでエントリーしてもらい、選考期間中に専門家やメンターのサポートを受けて事業プランをブラッシュアップし、最終選考を受けるというプログラムです。採択後に協力隊となる方は、起業型地域おこし協力隊としてその地域を拠点に事業を実際に形にしていってもらいます(LVSは町民の参加も可能。自らの事業プランのブラッシュアップの場として利用できます)。

 

そのよさをどうやって厚真町のみなさんや町長を含む役場職員に伝えるかを考えたとき、牧さんに厚真に来てもらって西粟倉で起こっていることを伝えてもらえばいいんだと思いました。そこで2015年に牧さんをお呼びして、町長始め幹部職員に講演会を聞いてもらったんです。それでローカルベンチャーや地方創生の考え方が参加者にインストールされて、「厚真でもやろう」ということになりました。更に牧さんを通じてNPO法人ETIC.(以下、エティック)が事務局をやっている「ローカルベンチャー協議会」(以下、協議会)にもつないでいただき、講演の3~4ヶ月後には厚真町も協議会に加わることになりました。そして2016年に厚真町のLVSが始まったんです。

 

――宮さんのLVSにかける想いが、結果として協議会への加入にもつながったんですね。

 

宮:まだ結果が見えたわけではありませんが、エティックや日本全国の自治体と一緒に5年間仕事ができたというのは大きいですね。もっともっとやっていきたい。

 

厚真町LVSからも、馬搬(ばはん:馬を使った木材の搬出)を活用した林業をやりたいという西埜さん、個人で貿易商をやっている佐藤さん、「地域おこし企業人」制度を活用して厚真町と大手通販会社の『フェリシモ』が出会ってきた魅力的な人達とをつなぐ事業をいろいろと仕掛けている三浦さん……おもしろい人達がどんどん出てきています。

 

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馬搬を活用した林業に取り組む西埜さん

 

西埜さんですが、採択された3年前は、みんな内心「本当に食っていけるようになるんだろうか?」って思ってました(笑)。でも人柄はいいし、「僕はこれで生きていくと決めた!」というまじりっ気のない馬搬への思いをもっていて、賭けてみるかと思わされたんです。始めてみたらこの分野には想像していたより仕事が多くて、もう少ししたら人を雇うかもしれないというところまできている。経済規模は小さいけど、やりたかったことを形にしているケースだと思います。

 

佐藤さんはもともと鎌倉でやっていたアンティークカメラの販売を厚真でも続けて、それで4割くらいの収入を得ながら、別の収入の柱を厚真で見つけようかという話だったんです。蓋を開けてみると、結局アンティークカメラの商売はほとんどやらなくなったんですけど、それでもジンギスカンの販売とか、イベントでの出店とかいろんなことをやって今も厚真で暮らしている。彼は厚真に来て2年目で被災しました。避難所に入って、仮設住宅に入って、今はコロナで仕事が減ったから家を建てるチャンスだと、本当に地元の建築士と2人だけで建てている。

 

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厚真で様々なチャレンジを続ける佐藤さん

 

決して楽な生き方でもないし、思い描いていた未来ではないかもしれないんですが、厚真町で生きると決めて、そうやって自分で新築の家を建ててしまうような姿には、商業的な百姓というか、たくましさがあるなと思って……そういう生命力に個人的には敬服しているし、一生懸命な大人が厚真町の中に増えていくことで、地元の大人や子ども達にも前向きなものが伝わっていくのではないかと思っています。

コロナ禍は創りたい未来を諦める言い訳にはならない

 

――コロナショックに負けていない、なんとも骨太な北海道らしいエピソードですね。厚真町全体としては、今回のコロナショックでどのような影響があったのでしょうか?

 

宮:まず私の業務で言うと、人と会ったり外部から来てもらったりということが難しくなったので、先ほどお話したLVS事業には特に影響がありました。できなくなったイベントもあります。他に林業とエネルギー自給の事業も担当していますが、流通が止まって木材の価格が安くなってしまったものの、この分野では業務への影響は少なかったように思います。産業面で影響が大きかった分野は、やはり飲食業や宿泊業、それからコロナ禍によって魚価が低下している漁業ですね。

 

役場としては、特別定額給付金の他、厚真町独自の支援金や、新型コロナウイルス対策として配分された地方創生臨時交付金をどう使うか等、福祉関係や経済グループが企画する事業が増えているので、緊急対応のために人手が取られているというのはあると思います。

 

生活としては、実はそれほど大きな影響は感じませんでした。役場職員も120名程度しかいないので、時差出勤や会議室にオフィスを移すといった対策によって物理的に距離を取りやすかったですし、通勤も地域は基本的に自家用車なので。都市部では電車に乗らなくなったという話も聞きますが、これまでとあまり変わらず生活していたという感じでした。もともと厚真町やそのほかの地域も、東京に比べて密度が「疎」ですよね。感覚的なものですが、疎である状態なら経済活動をしてもいいということであれば、都市部よりもともとの生活を大きく変えずに活動できるようになっているように思います。

 

とは言え北海道は全国に先駆けて感染者が多い状態となりましたし、近隣の千歳市や苫小牧市でも感染者は出ていたので緊張感はありました。ただ、厚真町では感染者が出ていない(2020年6月現在)ということもあって、町自体が止まってしまうような対応をしなくとも今の状態に到達できたのかなと思っています。

 

宮庁舎2_圧縮 (1)

 

――コロナショックによって引き起こされた変化というのは何かありますか?

 

宮:大きなことではないかもしれませんが、休校中に教育委員会の職員が町内の産業に従事する方々を撮影してYou Tubeで配信したり、町で働いている人の営みを知ろうということで、ラジオでインタビューを配信したりしていました。2018年の被災後、町で災害FMを放送しているんですが、それを使って町内のおもしろい人達をゲストに、小中学生に向けて毎日11時半くらいからラジオ放送していました。もともと「厚真プライドプロジェクト」というふるさと教育を来年度から実施できるように準備をしていたんですが、コロナ禍において実施できるプログラムは前倒ししようということで、今年度から実施することになりました。コロナの影響で学校は止まっているけど、WEBやラジオを使えば厚真を知ることはできるよね、ということで始まった取り組みです。「ラジオ聞いたよ」という反響もあるらしく、逆にアナログなものでコミュニケーションを取るようになったというのはおもしろいなと思いました。

 

それから、最近は町を歩いている大学生をたまに見かけるようになりました。大学の講義がオンラインになったので、どこでも授業が受けられるようになった。馬搬の西埜さんや製材所、農家さんと直接つながった学生がインターン的に働きながら、空いた時間で授業を受けているようです。近くに大学があるわけではないですが、大学生世代が町を歩いているというのは作っていきたい光景の1つですね。

 

コロナの影響で仕事量は増えましたし、取りこぼしていることも多いんですが、僕自身は全然士気を下げることなくやれています。コロナで影響があるからと言って、我々が創りたい未来を創らない理由にならない。これからのことを考えたときに「必要だと思う事業は全部やる!」っていう気持ちでいるんです。

 

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2016年のローカルベンチャースクールに参加した佐藤さんと西埜さん

 

土地に寄り添う、地域ならではの産業を立てていくという野望

 

――宮さんが創りたい厚真町の未来とはどんなものなのでしょうか?

 

宮:「できたらいいよね」という未来を1つずつ実現できる町にしたいと思っています。「こうなったらいいよね」とわかってはいるけど、できなかったりするじゃないですか。それは個人でも国レベルでもあると思うんですが、たとえばエネルギーについても「自給自足できたらいいよね」というのを、「いいよね」で終わらせるのか、少しずつでも始めるのかで、到達する未来は全然違ってくる。できないことと諦めずに1つずつひっくり返していきたい。

 

町の人だけではなく、厚真だったら「できたらいいよね」が実現できそうだということで、都市部の人も巻き込みながら社会実験していける場所にしたいですね。ちょっとずつ未来を明るくするようなチャレンジが創発される町になれば、持続可能性も高まると思っています。

 

持続可能性という言葉って印象はいいんですが具体的ではないので、何をどうすれば持続可能性が高まるのか、指標作りが必要なんじゃないかと思うんです。我々が目指す持続可能な社会には足りないものや課題感もあると思うんですが、それをあえてさらけ出す。「こうしたいけどここが足りないので助けてください」と、課題をオープン化して売っていく「課題カタログ」を作りたいんです。……いや、課題だとあんまりわくわくしないので「野望カタログ」ですかね。北海道ですし、クラーク博士に倣ってambitiousがいいですね(笑)

 

今、北海道全体として再び開拓期が来ている気がします。これまで地域でもマネー資本主義というか、都会的な薄利多売の産業作りをやってきた歴史があったように感じています。そうではなくて、地域でしかできない産業をもう1回丁寧に作り発信していくことが、これからの魅力的な地域を創っていく気がするんです。

 

簡単に都会の産業のやり方を地方にインストールするのではなく、僕らだから作れる産業を作っていきたいなと。厚真町にもすでに生まれつつあるように、生態系の循環の中で環境に大きな負荷をかけずに成立する畜産だったり、微生物の力を活用した農業や林業だったり、土地を消耗させるのではなく、土地と一緒に創る、地域ならではの新しい産業の形があるんじゃないかと思っているんです。そういう産業が見たいですよね。僕は見せられると思っています。

 

――宮さん、ありがとうございました!

 


 

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茨木いずみ

宮崎県高千穂町出身。中高は熊本市内。一橋大学社会学部卒。在学中にパリ政治学院へ交換留学(1年間)。卒業後は株式会社ベネッセコーポレーションに入社し、DM営業に従事。 その後岩手県釜石市で復興支援員(釜援隊)として、まちづくり会社の設立や、組織マネジメント、高校生とのラジオ番組づくり、馬文化再生プロジェクト等に携わる(2013年~2015年)。2015年3月にNPO法人グローカルアカデミーを設立。事務局長を務める。2021年3月、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。